2022年の最後を飾る秋アニメはきらら系コミックを原作とする『ぼっち・ざ・ろっく!』が台風の目の中心でした。一方で、TVオリジナルの『アキバ冥途戦争』も負けず劣らず強烈な印象を残しています。
以下、両作品について思いつくままに書いてみます。
原作への内挿と外挿が光った『ぼっち・ざ・ろっく!』
10月放送開始当時はそれほど注目されていなかった『ぼっち・ざ・ろっく!』ですが、11月には「今期のダークホース」と呼ばれ、12月に入ってからは堂々たる今期ナンバーワン候補となっていました。
原作はきらら系4コマ漫画です。激しいバトルがあるわけでもなく、黒々とした怨嗟も渦巻かず、淡々と心地よい程度のアップダウンを楽しむのがこの系統の作品です。『ぼっち・ざ・ろっく!』も多分に漏れずあっさり目のコメディとストーリーが続きます。
こういった作品をアニメ化するときには原作通りにしてしまうとあっという間に終わってしまうか、間を取りすぎて間延びした作品になってしまいます。
『ぼっち・ざ・ろっく』では徹底したキャラの理解のもとに、4コマのコマの間で起きていることを内挿しただけではなく、さらには「こんなやり取りもあったのでは」という外挿も行われていました。
例えば、大雨で観客の入りが悪かった初ライブの後の打ち上げで、ぼっちがサラリーマンの会話に耳を傾けるシーンがあります。このシーンは原作だと2コマ、しかもセリフだけです。しかしアニメにはここでくたびれた二人組のサラリーマンをじっくり描いてみませます。このシーンで抜群にうまかったのが視点の切り替えでした。カメラが移動してサラリーマンの向こうにボッチが映るだけでもう視聴者としては爆笑せずにはいられませんでした。ぼっちが将来に不安を抱いていることがきちんと描かれ、それが視聴者と共有されていると確信できているからこその演出です。
作画に関しても、実写アニメーションや特殊効果デフォルメといった挑戦的な描写が多々見られました。これらも原作に描かれているぼっちの精神崩壊表情を踏まえたうえで、「ここまでならやっても大丈夫だろう」という見極めが絶妙だったと言えます。
特に印象深く記憶に残っている場面があります。第6話「八景」で、ぼっちがきくりと出会うシーンです。ここでぼっちのギターを触ってみたきくりが「大事に使っているんだね」とギターを渡すシーンの二人の脚の動きに息をのみました。脚を動かしてギターの移動とのバランスをとる動作が描かれています。
言っちゃ悪いですが、原作は4コマまんがですよ。ここまで描写する必要なんてあるはずないのです。それでもぼっちの体の動きをきちんと描写することで「大事に使っているんだね」という何気ない言葉がきちんとした重さを持ったものになっています。
ところが同じシーンでもきくりに「ついておいでよ」と連行されるシーンでは物理もリアリティも踏み倒して極めて漫画的なひらひらした動作でぼっちが引っ張られています。「きくりに振り回されている」というぼっちの心境がよくわかります。
第6話「八景」より。同じ場所の連続するシーンだが、リアリティに対する深度が全く違う
原作への理解という点では、やはりヒロインに対する理解の深さをとりあげなけれなりません。『ぼっち・ざ・ろっく!』は女の子がバンドをやる様子を楽しく見る漫画ですが、根底にヒロインの
「他人とかかわるのが苦手だが、みんなにちやほやされたい」
という本人も認めるめんどくさい性格からくるハードモードな日常が横たわっています。アニメではこの部分を骨格に見事に作品を肉付けしています。
女の子バンドを楽しく見るアニメのオープニングの冒頭に「広い宇宙の中で押し入れの中に潜り込んでいる」ヒロインの絵を持ってきて、ラストに楽しそうなクラスメイト達を見つめる絵を持ってくる理解の深さがこの作品のクオリティの高さを物語っていると言えます。
オープニング・アニメーションより、冒頭と最後のシーン
一本びしっと通った筋を見せつけた『アキバ冥途戦争』
十人が十人、「なんじゃこりゃ!」と思うような作品でした。
かわいいメイドさんにあこがれて上京してきた和平なごみは、アキバのメイド喫茶『とんとことん』で働き始めます。そこは、彼女があこがれたかわいいメイドの世界ではなく、「メイドなら、殺られる前に殺れ」というやくざな世界でした。
第一話の嵐子の銃撃シーンがあまりにも強烈で、その辺で考えることを止めてしまったような気がします。(ギャグかな)と思ったのですが、放送中盤から(これは大ごとだぞ)と思いながら見ていました。大真面目にやくざ映画をやってる。メイドの恰好で。
途中にギャグをはさみながらも展開するのは、あくまで抗争です。毎回人が死にます。いとも簡単に。モブが死に、ゲストスターが死に、重要人物だと思っていた人が死ぬ。特にすさまじかったのは愛美が登場した中盤の数回で、さすがに彼女は死ぬだろうと思っていましたが、死体の処理には度肝を抜かれました。まじで?メイドさんを?
後半は
「和平なごみはヒロインではなく、和平なごみを通して描かれるヒロイン嵐子」
だと思っていたのです。だって嵐子には持ち歌があるけどなごみにはないじゃないですか。それも最終回直前にちゃぶ台返しでした。
この作品は見ているうちに「なごみは何をしているんだ、この作品はやくざ映画なんだから、メイドなら殺せよ」と思ってしまうのですが、それこそがスタッフの思うつぼ。最終回で凪率いるケモノランドグループ総出のかちこみを迎え撃ってなごみが仕掛けたのが『メイド戦争』。
初回で徹底的に否定した「メイドさんならお客さんを萌え萌えさせなければ」というなごみの主張で平押ししてきます。そんな世界でなかろうが彼女たちは知ったことではありません。とんとことんのスタッフはあおられても怒鳴られてもスマイル接客。
「お前らを殺しに来た」
「ありがとんとん!」
の下りは、この作品の狂気が頂点に達した瞬間です。そしてその後の展開も猛烈な緊張感をはらんだ狂気に彩られています。
怒号が飛び交う中、なごみが歌うのは死んだ嵐子の持ち歌。歌った後に語るのは堂々たるメイドの心得です。
一見これまでの世界観をぶち壊してます。しかし、それを聞きながら誰にも語らず凪が思い出す嵐子は、あくまでかわいいメイドを目指しています。
「かわいいメイドになりたかった」
と言って死んだ嵐子の持ち歌を歌い、メイドはお給仕だと説くなごみ。振り返ってみると、全く違うように見えた嵐子となごみは、二人とも「かわいいメイドさん」にあこがれ、二人とも年齢など歯牙にもかけず貫いています。
恐るべき鋼の意思で練り上げられた筋の通った脚本でした。
(ゾーヤのロシア語に「なんだって!」と返す下り、笑わずにはいらせませんでした)
考え抜くことを楽しんで作られた作品
『ぼっち・ざ・ろっく』とは『アキバ冥途戦争』は全くベクトルが違う作品です。しかしながら、いずれも製作スタッフが考えに考え抜いて作られた作品であり、しかも彼ら彼女らが楽しんで作ったであろうことがうかがわれる作品でした。
素晴らしい作品を作ってくれたスタッフに感謝します。