『ゾンビランドサガ』不運

唐突に、OPアニメの緑顔の男達は、ゾンビではないと思い当たりました。あの連中は「不運」です。

きっとこの物語は、生前数え切れないほどの不運に見舞われて死んだ少女を、同じく若くして死んだ少女達が救う物語なのです。

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『ゾンビランドサガ』えっ!?

巽の飲んでいた居酒屋の名前、「徐福庵」じゃないですか。

徐福伝説って佐賀にもあるの?と、調べたら他所よりも多かったです。そりゃそうか。中国が近いですものねぇ。始皇帝に命ぜられて不老不死を探すために東へと旅だち、「平原と広い沼地」のある場所に住み着いて戻らなかった男、徐福…。

筑紫平野と有明海を擁する佐賀の人々が、この『史記』の伝説を大いに喜んだことは不思議ではありません。なるほど、佐賀を舞台とするゾンビアニメに妙な説得力が出てきました。

ところで何とはなしに、いろいろと「感づいていそう」なゆうぎり姐さんは史記の話なんて知ってるでしょうか。寝物語をせがんだときに、そんな話をしてくれた客がいても不思議はないですね。

ところで、たった今ゾンビランドサガの各話サブタイトルは「SAGA」を「さくら」に読み替えても意味が通じることに気がついて震えています(9話を除く(笑))。そして10話と11話…。

『ゾンビランドサガ』10話

予告編でゆうぎり姐さん回と見せかけて、さくら回でした。

9話はまだ佐賀推しや新曲披露、一本通ったサキの性格もあって楽しめましたが、今回はだいぶ低調でしたね。脚本担当によるアップダウンは仕方ないのかなぁ。メンバー間のからみも唐突だったり不自然なものばかりで、普段のようなゾンビランドサガらしさに欠けました。

一方で、いくつか謎が深堀りされた回でもあります。上滑りを繰り返すさくらを横目に、ゆうぎり姐さんが勝手に外出。居酒屋の巽のもとを訪れます。その際の不穏な一言。

「さくらはんには特別、やさしいのでありんすな」

未だ伏せられている巽とさくらの間の関係を示唆する言葉です。この時点で姐さんがなにか知っているのか、それとも何かあると思っているだけなのかも伏せられたままです。ただ、姐さんは巽の「佐賀を救う」が「さくらを救う」の言い換えだと考えているようです。

もうひとつ、さくらの記憶が蘇ったようですが、そのさいにフラッシュバックしたシーンにいくつか時系列的なヒントがありました。

  1. 学芸会(?)らしき催し物を一所懸命練習する姿
  2. おたふくかぜ(?)で寝込んでいる姿
  3. 受験勉強をする姿
  4. おばあちゃんを背負って焦っている姿
  5. 中学受験に失敗した(?)姿
  6. アイアン・フリルのステージに見入る姿

また、冒頭のアルピノを訪れるシーンでは、愛に「佐賀でのファーストライブの場所がここだった」というセリフ、さくらに「前にきたとかも」というセリフがありました。さらに、1話冒頭にはこんなセリフがあります。

「いつもはちょっとだめだめで、わたし持っとらんなぁと思ったこともあった」

こういったことや、繰り返しフラッシュバックするFantastic Ironライブのシーンのことを考えれば、

「何をやってもうまく行かない自分にふてくされていたが、アイアン・フリルの武道館ライブニュースに感動し、アルピノでのライブを自分の目で見て『アイドルになりたい』と心に決めた」

そんな少女の姿が浮かび上がります。1話の事故はその希望に満ち溢れたまさにそのときの出来事でした。

巽に関しては「さくらの兄ではないか」という憶測が繰り返し流れており、その憶測を裏付けるようなほのめかしもいくつか指摘されています(1話冒頭シーン、『徒花ネクロマンシー』歌詞ほか)。そもそも、巽とさくらの会話では、巽が勢いでごまかした点(どうしてゾンビになったのか、さくらにどのような刺激を与えたか)もあれば、さくらが気づかなかった謎もあります(なぜさくらが選ばれたのか、さくらにつけられなかった『伝説』、なぜためしに化粧をしたときに鏡を見て気絶したのか)。

また、巽がさくらに近い者であったのなら、上のような「努力したのに何をやってもだめだとしおれるさくら」を何度も見ていることになります。そして、シリーズ序盤、ほとんど練習なしにどんどんライブや営業にチャレンジさせていたことには別の意味が浮かび上がってきます。そしてまた、巽が言っている「一人ではなく仲間が必要」ということにも違う意味が見えてきます。

私の読みはいつも外れていますので上のようなことが本当に筋の通った話であるかどうかはわかりません。が、最終回までにはこういった謎が明かされそうではあります。

それにしても

  • ゆうぎり姐さんがメンバーに選ばれた理由
  • 意思疎通ができるようになってきた一方、ロメロと区別がつかなくなってきた山田たえ
  • 姿がころころ変わるロメロ

この辺の話はどうなるのでしょうね。姐さん回、ないのか…。

『ゾンビランドサガ』生者との接触

ゾンビランドサガは8話でリリィ、9話でサキが生前の関係者と接触する話でした。面白いことに、どちらのケースも生者がどう感じたかが描かれていません。

リリィの場合、言い残したこと、言って欲しかったことを歌で表現しました。ですから、彼女は伝えるべきことを伝えてしまい、ゾンビとして前に進むことができます。あの歌が父親にあらためて決別を告げる歌であるということは、以前に書きました。

しかしながら、リリィの父親がこれをどう受け取ったかは明確には描かれていません。彼は物販会に最後に現れる前、妻と正雄の位牌に

「あの子が正雄じゃないというのは、わかっとるんよ」

と語りかけています。位牌にそう言わなければならないくらい、リリィに動揺しているのですが、そんなことはありえないと自分に言い聞かせてもいるのです。その後の物販会でリリィは二度口を滑らせますが、彼はそのことに触れず、これで最後だと立ち去っています。

そして、リリィの『To My Dearest』を聞く間涙を流し続けた彼は、結局ラストのテレビCMのシーンまで、一切リリィについて話しませんでした。ラストシーンも泣いているのか、笑っているのかわからないような顔です。

一方、天吹(霧島)麗子については、サキの言動から死んだダチの名前を思わずつぶやいています。ここで振り返ったサキは

「誰だそれ」

の一言。サキはリリィよりずっとクールに死んでしまった自分を生前の自分と切り離しています。手を差し伸べる気はあっても、ジメジメした話にする気は毛頭ないようです。

そしてサキは、おそらくは21年前も同じだったろう頭の悪いアクセル捌きで宙を舞い、今度は爆炎を背に戻ってきます。ここでサキを殴りつけ、大声で怒鳴る麗子と、殴られて笑うサキの姿が印象的ですが、結果的にこの二人はサキが何者であるのか、いっさい触れませんでした。

豪剛雄が最終的にこのことをどう受け止めたのか、天吹麗子が最終的にこのことをどう受け止めたのかは描かれていません。はっきりしているのは、二人共、他人と切って捨てられないような人物とあってしまった、ということです。

ネットではいろいろな人がこの2つの出会いについて思いを巡らせており、解釈はそれぞれです。こんなところもゾンビランドサガの良さなのでしょう。

次はギャグ回と報じられていますが、早くも(だったらシリアス回に違いない)という見方が出されています。ゆうぎり姐さん回ではあるようなのですが、関係者がすべて鬼籍に入っている姐さんが今の自分をどう考えているか、ようやく本音を聞くことができるのでは。と、期待しています。

『ゾンビランドサガ』二階堂サキというキャラ

9話視聴しました。

いやおもしろかったです!最初っから最後まで「バカでまっすぐ突っ込むことしか知らない。やるからには気合、それから仲間!」なサキがブレること無く突っ走った回でしたね。

冒頭の麗子との会話でサキがアクセルを開けるだけの走り屋であること、ひとりでぶっこんでいく根っからの特攻隊長であることなどが明らかになります。あとはもう、この勢いで突っ走るだけ。

怒羅美のメンバーが河原で囲まれていたら後先考えずに車から飛び降りる、軽率な行動がグループを危険に晒すと諭されればたじろぐ。そしてやっぱり昔のダチの娘が危機と気づけば飛び出す。現場に駆けつけても勢いづいて止まれない。死因もやっぱりチキンレースで止まれなかったから。

そして最後、ライブに来た常連、年寄り、走り屋たちの笑顔を見て自分も最高の笑顔になるという、二階堂サキが徹頭徹尾二階堂サキであった回でした。

サキ役の田野アサミさんも熱演していました。代走に食って掛かる万梨阿に返した言葉。

「お前に命かける覚悟があるとか?」

声が震えてるんですよね。恐怖でも怒りでもない、こみ上げてくる何かがこもっています。

サキをぶん殴った麗子を見ながら、ああ、この人は本当は20年前にぶん殴って怒鳴りたかったんだろうなぁ、などと考えてしまいました。

ゾンビランドサガいいです。次回はゆうぎり姐さん回らしいのでまたまた楽しみです。

『ゾンビランドサガ』7話のリリーフシーン

伏線の多さ巧妙さというと今年の『宇宙よりも遠い場所』が実に素晴らしかったですが、『ゾンビランドサガ』も負けていません。数え上げたらきりがないという感想は、前のエントリにも書きました。

その中の一つ、7話のクライマックスであるステージのシーンに焦点を当ててみましょう。あのステージは1曲目の『アツクナレ』でフランシュシュがグループとして完成し、物語前半の終了を告げるという重要なステージでした。そして2曲目の『目覚めReturner』でフランシュシュがその名を佐賀に轟かせて物語後半の幕開きともなるのでした。

そのステージで純子は雷に怯える愛に助けに入ります。ここでの

「大丈夫。私がフォローします」

は、愛のことばを返しているわけですが、当然皮肉やあてつけの意味はありません。むしろ純子と愛の言葉が重なることは、巽の言う「互の思いを支えあう」を象徴しています。そしてこのシーンは、言葉だけではなく映像も愛と純子で重なりがあります。

愛が

「大丈夫、私がフォローするから」

と純子に言ったのは6話の冒頭のレッスンのシーンです。この言葉のあと、愛は他のメンバーを休ませて一人で全体の流れのチェックをします。歌よりダンスが得意な愛は踊りのレッスンを牽引しています。さてその姿。

6話冒頭。レッスンのシーン。

音楽がラジカセなので感じをつかみにくいですが、あとから見返すと明らかに愛がチェックしていたところと純子が助けに入ったところは同じです。

7話ステージ。純子によるリリーフのシーン。

もともと視聴者の間でも純子の声が際立っていることは話題になっていました。しかしながら、彼女がその実力を視聴者に見せ付けたのはこのシーン。さすがの声です。まさにカタルシス。

『アツクナレ』の歌詞は彼女達自身、特に6話7話の純子と愛の心情と綺麗に重なっています。無論、ここで歌詞と彼女達の気持ちが重なるように脚本と歌詞が練り上げられているわけです。

それに加えて「歌の純子」「ダンスの愛」を映像的にもこの一点で重ねることで、ストーリーと彼女達の気持ちと歌とダンスが一つになりました。互いの思いを支え合うフランシュシュというグループが本当の意味で完成を迎えたわけです。

ほんとに、いったいどこまで楽しませてくれるのでしょう。底の知れない作品です。

『ゾンビランドサガ』の映像表現

ツイッターの方ではもう殆ど毎日というか、日がな一日つぶやき状態になっているゾンビランドサガ。

多くの人が「ダークホース」「完全に視野の外だった」と語るこの作品は、今季のアニメの中でもひときわ面白い作品として注目されるようになりました。ゾンビにアイドルをやらせるという素っ頓狂な設定、徹底した佐賀推し、序盤を引っ張った巽幸太郎のぶっ飛びキャラ、デスメタル、ラップ・バトル、王道展開。この作品の魅力を数え上げるとそれこそきりがありません。

きりがないからいちいちブログに書いていられません。とはいえ、なにか吐き出しておかないと私も精神の安定を保てそうにないため、第1話から気になっていた映像表現について書いてみます。この作品は、すでに指摘しているように、いちいち言葉にせずに絵で絶妙に語るシーンが多いです。それが見るものに解釈の余地や余韻を残し、この作品の注目度を押し上げる要因の一つになっているようです。

雨樋から流れる水

第1話の衝撃的な事故のあと、目を覚ましたさくらは謎の洋館でゾンビに出くわし、その場から逃げ出します。豪雨の中を走るさくらが描かれますが、途中、何度か雨樋から汚れた水が流れる様子が挟まれます。

次第にアップになる雨樋。いやがおうにも不安をあおりますが、この絵はさくらの顔を覆っていたものが流れ落ちて不快な事実が表に出てくることを暗示しています。

繰り返し挿入される激しい雨水が、次第に不安を煽ってくる

というか、いまこれを書いていて気がついたのですが雨樋から汚れた水が流れてくるっておかしいですよね。降り始めはともかく、豪雨の最中なら透明な雨水が出てくるはずです。あからさまな暗示の絵でした。

戻るしか無い

第2話で脱走した愛と引きづられるようについていく純子。さくらは危ないから戻ろうと慰留します。そんなさくらに愛は一言。

「だったらあんた戻ればいいでしょ」

そして直後にガラスに写った自分を見て黙り込みます。

ゾンビになった自分の姿を見つめる

東京に行く、と言いつつ自分こそ洋館に戻る他に選択肢が無いことを愛は嫌というほど見せつけられます。この姿に愛は何もいいませんが、内心の不安がにじみ出る見事なカットでした。このシーンは「『ゾンビランドサガ』の展開が読めない」に書いたように重要なポイントを破綻なく詰め込んだ見事な構成になっています。その中でもこのカットは非常に印象が強く、作品に対する見方を変えるきっかけになりました。

あたしら終わってんだよ

第2話のラップバトルのカット。

グループがまとまらないままでの佐賀城での営業。あからさまにやる気のないメンバーでしたが、特にサキの態度に怒りが爆発したさくらとの間でラップバトルが始まります。この、喧嘩がラップへと発展していくシーケンスが実に見事なのですが、よくよく見ると照明が変わってからのサキの2回めのターンで背景が変わっています。それまでチラチラと背景に映っていた愛と純子が消え、壁だけが写ります。

そして一言。

「あたしら終わってんだよ。もう、何も変わりゃしないよ」

終わっている「あたしら」に数えられてしまう二人

再び写しこまれた二人はサキの言う「あたしら」に数えられています。7話まで視聴した我々は知っていますが、この二人はまだ生前の夢や目標を諦めきれていません。終わったと考えたくないのです。

しかし、「ゾンビがアイドルなんかできるわけ無い、無理だ」と繰り返して言ううちに、いつの間にか終わった人たちに数えられています。さくらとサキの対立なのに自分たちの立ち位置をあらわにされてしまうというシーンでした。サキはこのあとさくらと和解し、二人はグループの両輪となります。

口ずさむ

第3話のゲリラ・ライブのカット。

ゾンビにアイドルなんか無理。とゲリラライブ参加を拒否する愛と純子。二人は車内に残り5人だけのライブが始まります。

それでも、アイドルである二人はライブを完全に無視などできるわけがありません。車内ではほとんど喋らない彼女たちですが、声もなく動く唇が二人の胸中を物語っています。

不参加だが、曲に合わせて歌を口ずさんでいる

うん

第6話のラスト・シーンからのカット。

純子と愛の決裂が決定的になる中、さくらとサキはそれぞれの胸中を明かされて上辺だけの取り繕いではどうにもならないことを実感します。さくら同様眠れないのかベランダに現れるサキ。

2話の狂犬っぷりは鳴りを潜め、考えるのはフランシュシュのこと。

「とにかく、あの二人があやんか調子じゃうちらなんもできねぇ。早く、なんとかせないかんな」

それに対してさくらは弱弱しくも微笑みながら短く返事をします。

「うん」

このシーンだけ切り取って考えれば、ここは微笑むところではありません。しかし、振り返ってみると2話でサキがさくらに食って掛かったのは、まさにこの場所です。今やその二人はフランシュシュの両輪となって牽引しているわけで、さくらにしてみればばらばらだったグループがここまで来たことに多少の感慨もあるでしょう。

そう考えたくなる微笑です。

躊躇

第7話。雷のトラウマで歌えなくなった愛を背に、順子が立ちつくすシーン。

何も顔にださず、内心の声も回想もありませんが、この数秒の間はみごとな脚本でした。アニメずれした視聴者からすれば彼女がやるべきことは自明ですが、すぐに助けに行かず、ここで立ち尽くすことで彼女の内心の葛藤や決意がより強調されました。

何もいわず立ち尽くす純子

グループでの経験がなく、未熟さをファンに許してもらうことを良しとしない彼女にとっては、自分のダンスを放棄して助けに行くことは掲げている価値観と相容れません。一方で、巽にさとされた互いに助け合う場所としてのフランシュシュ、そこで何ができるか考えろという言葉は彼女に助けに行けとささやいたことでしょう。

別れの歌

第8話。エンディングから歌い終わりのカット。

再開できた父親に感謝の言葉をささげる歌ですが、同時に別れの歌です。最後に「夢の中で会えたらちゃんとほめてね」と歌いつつ、舞台の手前から奥へと仲間に囲まれる位置に後ろ向きに歩いていくリリィの姿は

(パピィとは一緒にいられない。この仲間達と歩いていく)

というゾンビになった身の悲しみを象徴しているようです。その一瞬のカット。

「ちゃんとほめてね」

なんだか泣き顔を我慢しているように見えるのは気のせいでしょうか。動画は間のこまで作画がゆがむことがありますからそのせいかもしれません。それでも、泣きたくなるのを我慢しながら歌ったんだなぁ、と思ってしまう一枚です。

天本さん

第8話。最後の事務所のシーンから。

リリィの父親と同じ事務所で働く天本さんは、父親のテレビ嫌いの理由を知っているほかは、シシリアン・ライスが大好きなおっさんでしかありません。

その天本さんが、リリィの父親がテレビのある事務所で昼飯を食べるといったときに見せた笑顔がすばらしいです。

何もいわず、豪さんを見て暖かく微笑む天本さん

何もいわず、ただリリィの父親の変化を好ましく受け入れる姿のすばらしいこと。こういう人がリリィの父親の近くにいると描かれるだけで、ひどく救われた気持ちになります。

あえて言葉にしないから妄想の余地がある

ゾンビランドサガは構成も脚本も考えつくされた作品です。加えてこのように言葉ではなく絵で表現する手法を織り込むことで作品により深みが出てきます。

残り4話になりましたが、ゾンビとアイドルとサガを存分に楽しんでいきましょう。