遊園地作戦

夏休みも大詰め。

気がつけば、蝉の鳴き声はひと月前と変わっている。つい最近まで熱くて仕方がなかった風も、ようやく人間いびりの手をゆるめたように思える。それでも夏は夏。やはり暑い。南側に高級マンションが建っているため直射日光にあぶられる事はないとはいえ、エコ思想への積極的な協力のため昼間はエアコンを切っているこのぼろ借家の二階の家では、なかなかにつらい日々が続いている。

その2DK。昼食後のけだるいひととき。

「竜児、やっちゃんの休みって、夏休み中はもう無いんだよね」

畳の上に転がったワンピースが声を出す。薄い赤のチェックの愛らしいワンピースは、スカートから生やした細い足をさっきからぱたぱたと振っている。袖から出た腕は目にまぶしい白、その腕の先についた小さな両の手のひらは、まるで人形のように整った顔を支えている。

逢坂大河、というのがそのワンピースの中身の名前だ。夏だというのに淡色の長い髪をまとめもせず自分の体の上にふわりと広げているのは、そういうコーディネーションがいたくお気に入りだからだろう。気に入るはずである。似合うのである。身長145センチ(自称)という、高校2年生とは思えない小柄な体と、歩く人皆振り返る儚げな美貌、白い肌、長い髪。まるで精緻な作りの人形に命を吹き込んだような少女。それが大河なのだ。

8月のいまでこそ涼しげなワンピースを来ているが、春先には布地を重ねてふっくらと形作られたワンピースにオーバースカートを重ね着し、その前を開けてボリューム感を強調していた。その姿はまさにお人形さん。夏になって、もこもこファッションを着なくなったとはいえ、美貌が消えて無くなるわけでもない。むしろ薄着に浮かび上がる華奢な体の線が一層作り物めいた印象を引き立て、彼女の周りだけひんやりとした清らかな空気が漂っているような雰囲気すら感じさせる。それこそ、これが大河でなければそのままガラスケースに飾りたいくらいだ。

そう、これだけの美貌と、モデルがたじろぐような清楚感あふれる体型を持っているにもかかわらず、大河を知るものならガラスケースに飾るなんて発想は逆立ちしたって出て来やしない。だって逢坂大河である。ケースに入れて3秒もたたずにぶち破って出て来るに決まっている。そしてケースに入れた奴を血祭りに上げる。そういう光景は実にくっきりと想像出来る。

乱暴なのである、逢坂大河は。いや、乱暴というと、少し表現が正確でないかもしれない。傲岸不遜、傍若無人、わがまま大王、口より先に手が出る、手を出さないなら相手が膝を折るような罵詈雑言を浴びせる、そんなこんなを全部足して5で割らない、それが逢坂大河である。そしてその5で割らない苛烈さと小柄な体を端的にいい表す言葉として、彼女が学ぶ大橋高校では「手乗りタイガー」なる称号が非公式に贈られている。

そんな手乗りタイガーに声をかけられて

「おう、あるぞ。バーベキュー・パーティーお前も行くんだろ?」

こたえたのは高須竜児。

親思いでやさしく、学校の成績もいい。スナックで働いている母親を支えるために鍛えた家事の腕はカリスマ主婦クラス。現在行方不明の父親(みかけはチンピラ。たぶん中身もチンピラ)から受け継いだ、狂気をはらんだ三白眼とつり上がったまなじりが誤解を呼ぶものの、色眼鏡抜きに見れば、竜児はいわゆるよい子である。

母ひとり子ひとりで慎ましく2DKで暮らしていたこの男の下に、何の因果かこの春転がり込んできたのが逢坂大河だった。目つき以外はどこに出しても恥ずかしくない(しかし学校ではヤンキーと思われている)竜児が、なぜ暴虐の女王である(しかし見た目だけは美少女の)手乗りタイガーと仲良くしているのか。そもそも、あらゆる交際申し込みを紙くずのようにぞんざいに扱い、あまたの男子生徒の心に消えぬ疵を残した手乗りタイガーは、なぜ竜児と仲良くしているのか。二人は恋人同士なのか、あるいは共闘して学校をしめようともくろんでいるのか。それは、大橋高校七不思議の一つと生徒の間でささやかれている。

「そっか。そうだったね。休みあと一回あるけど予定は埋まってるか。しょうがない。あんたと二人で行くしかないね」
「行くってどこに」

何とはなしに聞いただけなのに、ぎろりと横目で大河に睨まれて竜児がひるむ。

一部ではヤンキー高須などと言われているものの、竜児は至極まっとうな高校2年生である。手乗りタイガーと共闘して学校をしめる気も、手乗りタイガーとつきあっているつもりもない。ただ、何というか大河は高須家にとってデイタイムの居候なのである。親と折り合いが悪く、豪華な高級マンションでひとり暮らしをしていた大河と、母子二人で貧乏アパートに住んでいた竜児が出会ったのは偶然だった。偶然だったが、極端に生活能力に欠ける大河と、極端に家事が好きで困っている奴を放っておけない竜児のペアには、これ以上ないほどに「腐れ縁」という言葉がぴったりだった。

いつの間にか大河は高須家で朝晩を食べ、学校では竜児が作ったお弁当を食べ、休みの日にはお昼まで高須家で食べるようになっていたのだ。元々細かいことを気にせず、というか、気にすることが出来ない竜児の母、泰子は大河を初めから笑顔で迎え入れた。そしておそらくは家庭の暖かさに飢えていたせいだろう、大河も泰子の好意を無駄にすることなく、というか無神経にずかずかと高須家のプライベートに進入して、家族のような顔で食卓につくようになったのだ。

絵に描いたような美談。しかし、ただひとり、この疑似家族関係で割を食っている人間がいる。竜児である。

「まったく、竜児の駄犬ぶりはどこまで突き進むのかしら。本当に勘の悪い犬だこと」

ほとほと嫌気がさした、と言わんばかりの表情の大河は、相変わらず畳の上に寝そべって頬杖をついたまま。そんなだらしない姿で嫌みを言ってすら、ワンピース姿の大河は美しいのだから、この世には神も仏もあったものではない。

「勘もへったくれもあるか!初めから筋道たてて話せよ」

皿をふきながら毒つく竜児に大河がこれ見よがしのため息をつく。

「ほんとにもう。いいわ、説明してあげるからちゃんと聞いてなさい。『やっちゃんが行けないなら、二人で行く』ってことは、元々私が3人で行くって考えてたって事。やっちゃんが休みの日に行きたいってことは、それなりに時間がかかるって事。3人で休みの日に時間のかかる所に行くなら、あんたの大好きな生活臭漂うスーパーマーケットじゃなくて、どこか楽しげな所だってわかりそうなものでしょ?」
「お、おう」
「だったら『遊園地にでも行くのか』くらい言えそうなものじゃない。それを『行くってどこに』ですって。ああ、もう、なんてことかしら。どうしたら、その何でも人に頼るだらしない性格は直るの?せっかく二本足で歩いていても頭を使わないんじゃ、ダチョウと同じね。あんたに犬なんてもったいないわ。ダチョウよ。ダチョウ犬」
「犬かダチョウかはっきりしろよ!」
「大きな声出さないで。近所迷惑でしょ」

ふん、と鼻をならしてパタンと仰向けにひっくり返ると、大河はお気に入りの座布団を引き寄せて枕にした。

悔しいっ!

偉そうに寝っ転がっている大河をよそに、竜児は悔しさに身をよじる。目の前の古いキッチン・シンクを穴を開けんばかりににらみつけ、すれ違うもの皆目をそらす凶眼を眇める。なにが頭を使えだ。何が人に頼るだ。日頃自分がどれだけ大河のために頭を使っていると思っているのだ。どれだけ大河が自分に頼っていると思っているのだ。

家事能力のない大河の部屋を片付けているのは誰だ。俺だ。掃除してやっているのは誰だ。俺だ。バランスよく栄養豊かな食事を作ってやっているのも、弁当を作ってやっているのも全部俺だ。おまけに朝起こすのも俺だ!ああ、なのにダチョウ犬扱い。

く・や・し・い・!

悔しさに唇を噛み、肩を振るわせる。だが、さらにさらに悔しいことがある。口げんかで竜児が大河に勝ったことなど一度もないのだ。だから言い返すことも出来ない。そもそも竜児は口げんかに向いていない。口げんかとはどれだけ理不尽な言葉を短時間でぶつけられるかで勝敗が決まる、暴力の一形態である。理路整然とした話しなど必要ない。むしろ邪魔だ。生活環境どころか頭の中まできちんと整理された竜児と、生活環境どころか頭の中までごみごみしている大河では、初めからランクが違いすぎる。いきなりゴミを投げつけてくるような反則女に、歩く「キチントさん」である竜児が対抗できるはずがない。

不条理な大河の言動にあらがえぬ自分にため息をついて、竜児は会話を続ける。

「で、遊園地がどうしたんだ?」
「偵察よ」
「偵察?」
「そ。駄犬が役に立たないおかげで、遺憾にも私と北村君の仲は夏休みの旅行の間も全然進展してないわ。だけど、これからは猛チャージをかけるつもり。はっきり言えば、なんとか、デ、デートに誘うつもり。そのためにも、あらかじめデートにぴったりな遊園地を偵察しておくのよ。ついでと言っちゃいけないんだけど、日頃よくしてくれてるやっちゃんにも一緒に来てもらえば、お礼代わりに一緒に楽しめて一石二鳥と考えてたのよ。どう?感心した?私はあんたと違って台所の隅の埃ばかり追っかけている訳じゃないの。大局的、長期的視点でものを考えているの。少しは見習いなさい。駄目犬」

駄目犬…

駄目犬だと?勝手わがまま暴虐きわまりないメス虎の気持ちが読めない位で駄目犬呼ばわりとは。なんてこと、知らない間に世間はそこまで厳しくなっていたのか。竜児は悔しさを通り越して、そのまま自分の体から肉が腐り落ちていくような絶望感に身を震わせる。きっと自分など絶望にまみれて白骨化し、カタカタとアゴの骨を鳴らすだけの標本になる運命なのだろうと、唇を噛む。そうなっても、大河は白骨化した自分に言うに違いない。「駄目犬」と。やるせなさに絶命しそうな気持ちでキッチンを離れる。大河の横にあぐらをかいてすわり、見下ろしながら

「だったらお前ひとりで行けばいいじゃないか。駄目犬とは違う大河さんは、さぞかし自分ひとりで何でも出来るんだろうからな」

皮肉たっぷりに言ってやったのだが、それも結局、こてんぱんにのして貰うための準備体操くらいにしかならない。

「あらあら、自分の無能さを棚に上げて皮肉?そんなことに回す知恵があるのなら、少しは私の溢れるような優しい心が何を考えているか考えてみればいいのに。あんたは本当に物わかりが悪いから説明してあげるけど、北村君との、デ、デートにはみのりんも呼ぶのよ」

その一言にそれまで憮然としていた竜児が狂おしく目を眇めて、仰向けに寝っ転がっている大河をにらみつけた。このまま眠らせて香港に売り飛ばしてしまおう、と思っているのではない。驚いているのだ。

「櫛枝?北村とのデートなんだろ?」
「まだわからないの?北村君と…その…デートするったって、私と北村君はつきあってる訳じゃないのよ。恥ずかしくてデートに行きましょうなんて言えないじゃない。だから、みのりんとあんたも呼んで4人で遊ぼうって言うのよ。そして私は北村君とくっついて歩く。あんたはみのりんとくっついて歩く。そうしたら、自然じゃない。ほんとにもう。少しは考えてよね」

まぶたを重そうに話す大河の言葉に、竜児は雷に打たれでもしたようにショックを受ける。何だって?遊園地で櫛枝実乃梨と一緒に過ごす?

「それって、ダブルデートじゃねぇか」
「…だから、そう言ってるでしょう…」

半分目が閉じかかっている大河は本当に面倒くさそうだ。

だが、竜児はそれどころではない。えらいことになったとそわそわしている。4人で遊園地。ダブルデート。なんということだ。ドジっ子タイガーと思えない計画性。しかも、この計画はほとんど完璧に聞こえるじゃないか。

一年生の時からの片想いの相手である櫛枝実乃梨は、竜児にとって直視するのもはばかられる程まぶしい女神だ。ひまわりのような笑顔、鼻にかかったような甘い声、ぴょんぴょんと跳ねるように動く元気な姿、小麦色に焼けた肌。

ほとんどの人が最初は竜児の親譲りの凶悪な目つきを敬遠するのに、実乃梨は初対面の時から屈託のない笑顔で接してくれた。ろくすっぽ話もしていないときから、竜児の名前を覚えていてくれた。今年からは同じクラスになれた。初めの頃は二言三言言葉を交わすだけで、どうき、息切れ、眩暈、赤面、挙動不審、日本語でオK、ありとあらゆるパニックを経験させて貰ったが、最近では何とか普通の会話を交わせるようになっている。それどころか、なんとこの夏休みには一緒のグループで海に旅行にまで行ったのだ。

それもこれも、大河と重ねていった地道な共同作業の成果だ。実乃梨は大河の親友なのだ。そもそも、竜児が大河の親友である櫛枝実乃梨を、大河が竜児の親友である北村祐作を好きだということが、竜児と大河の奇妙な関係の基盤となっているのだ。

「だったら…」

ちゃんと遊園地のこと調べなきゃな、と言おうとして、竜児は口をつぐんだ。いつの間にか大河は座布団を枕に寝てしまっている。いつもはわがまま放題のくせに、こうやって寝てしまうと、大河は本当にあどけない顔をする。ふと、憎らしくなって、うっすらと汗をかいている柔らかそうなほっぺたをつねってやろうかと思うが、そんなことは絶対しないだろう自分がおかしくて苦笑。結局、どれだけぼろかすに言われようとも、竜児は大河を憎めない。それは多分、竜児の心の作りが人に意地悪できないようになっているからだろう。

まだ暑いとは言え、夏休みも大詰め。半月前のうだるような暑さとは違い、風にほんの少し秋の気配が混ざっている。腹を冷やさぬよう大河にタオルケットを掛けてやると、竜児も畳の上にごろんと横たわり、天井を見つめる。櫛枝実乃梨と行く遊園地。思い浮かべる楽しげな光景を、午後の眠気が柔らかく包んでいく。

◇ ◇ ◇ ◇

夏休み明けの最初の日曜日。

朝食を終えた大河が「じゃ、あとで」と席を立ったところで、珍しく午前中に起きてきた泰子が声をかけた。

「あれぇ?大河ちゃん、もう帰っちゃうの?」

もう帰っちゃうのではない。そんなことより、帰ってきてそのまま布団に倒れ込んだらしい泰子は髪が爆発して、ドリフの爆発コントのようになっている。こっちのほうが重大事。

「うん、今日はお出かけするから今から準備なの」

デイタイムの居候である大河は、休みの日には特に用がない限り高須家でゴロゴロしているのが普通である。朝飯が終わってもゴロゴロ。昼飯前もゴロゴロ。昼飯後もゴロゴロ。畳の上で昼寝して夕飯前もゴロゴロ。夕食後もゴロゴロ。デイタイム居候のくせに深夜までゴロゴロしている事もある。

年頃の女子が同じ年頃の男子の家に深夜まで二人っきりで過ごすなど、ふしだらにも程がある。が、ふしだら以前に大河は壊滅的にだらしないので一人で居れば水が上から下に流れていくように部屋を散らかしてしまうし、おなかをすかして貧血で倒れてしまう。だったら、いっそ高須家に留め置いていた方がいいのかもしれない。なにしろ散らかった大河の部屋を片付けるのも、貧血で倒れた大河の面倒をみるのも竜児の仕事になるに決まっている。そう思ったのは事実だが、実行に移してみてここまでひどくなるとは竜児も思わなかった。

泰子も泰子で、二人っきりで年頃の男女が深夜まで居ることに何の疑いも感じていない。保護者にあるまじき事である。

とにかく、夜寝るときとお風呂以外は高須家でゴロゴロしている居候が、食事も済んだし帰る等と言っているので泰子としては驚いているのだが、

「はへぇ~?どこ行くの?」
「どこ行くのって、昨日言ったろう。遊園地だよ」

しまりのない母親の言葉に業を煮やしたように長男が厳しい視線を送る。

泰子は言ったことをすぐに忘れるのか、覚えたことを思い出す気がないのか知らないが、ポロポロとご飯粒を落とすようにものを忘れる。そのたびにイライラしてしかるのも竜児の仕事だ。だが街の不良共が目をそらす三白眼も母親には効果ナッシング。日頃の言動から鑑みるに、一人息子からきつい目で睨まれるほど、喜んでいる節がある。

「あ、そっかぁ!二人はデートするんだよね☆やっちゃん忘れてた。てへっ」
「てへっじゃねぇ。それからデートでもねぇ。みんなで遊びにいく下見だって言っただろ!」

母子漫才は終わる様子がないと見たか、大河は困った顔で笑うと話を切り上げて泰子に手を振り、高須家を後にした。二人っきりになった茶の間で、ちゃぶ台の前に座りながら泰子がおおらかな微笑を浮かべる。

「竜ちゃんはぁ、幸せだね。大河ちゃんみたいな彼女が出来てぇ」
「だからあいつは彼女じゃないってんだろ」

プラスチックのポットから麦茶を注ぎながら竜児がいらついた声を出す。ぶっきらぼうなしゃべり口はいつものこと。大黒柱とはいえ、家ではかなり頼りない泰子を支えるため、竜児は幼いときから早く泰子を支えなければと思って育った。そのせいか、母親に対する口調には、幾分保護者めいた音色が混じる事が多い。だが、そんな竜児の声もどこ吹く風、泰子はにこにこと笑いながらいつも通りとんでもないことをさらりと言ってくれる。

「早く彼女にしちゃえばいいのにぃ」

大河を彼女に…想像して竜児は鳥肌を立てる。

確かに、大河はとんでもない美少女だ。ゴールデンウィーク開けに転校してきた川嶋亜美が何しろプロのモデルなので、学校一の美少女の栄冠が大河の上に輝くかどうかは際どいところだ。だが、ひいき目無しに見ても大河の美しさは際立っている。目、鼻、口、輪郭といったパーツの作り、それぞれの配置、まったく持って文句のつけようがない。見せびらかすのが目的なら、さぞすばらしい彼女だろう。

だが、なにしろ奴は『手乗りタイガー』だ。傲岸不遜のわがまま大王。気に入らなければ殴る、蹴る。おまけに北村祐作と櫛枝実乃梨と高須家の茶の間以外の世の中のありとあらゆる事が気にいらないらしい偏狭さ。あんな奴を恋人にするだなんて想像できない。きっと早死にするだろう。死因がストレス性胃潰瘍になるか内臓破裂になるかは神のみぞ知る、だ。それに泰子には言っていないが竜児の意中の人は櫛枝実乃梨だ。いつも明るく、誰にも分け隔て無くひまわりのような笑顔を振りまく実乃梨と、人皆道を譲る手乗りタイガーを比べるなど、竜児には思いも寄らないことだ。

そりゃ、大河を意識したことがないといったら嘘になる。ただ、それは恋愛感情とは違う。なんというか、大河は放っておけない奴なのだ。乱暴なくせに、傲岸なくせに、わがままなくせに、大河は誰よりも優しくて繊細な心を持っていた。人知れず一人で泣いていた。毎日のようにドジをかまし、いつもこけては柔らかい膝小僧をすりむいていた。

すりむいたと知ってしまえば、竜児は手当をせずにはいられない。服を汚したと知ってしまえば、竜児はしみぬきせずにはいられない。お腹をすかせていると知ってしまえば、竜児は料理を作ってやらずにはいられない。

一人で泣いていると知ってしまえば、竜児は横に居てやらずにはいられない。

それだけのことだ。竜児は大河と馴れ合っている。駄犬などと言われても取り合わずにかいがいしく世話を焼いている。だが、それは恋愛感情ではない。その証拠に、夜中、勉強の最中に前触れも無く竜児の脳裏に浮かんで苦しめるのは、大河の顔ではなく実乃梨の顔なのだ。

「いいから飲め。ぬるくなるぞ」
「竜ちゃん照れてる。かわいい!」
「もういいから。昨日も言ったけど、なるべく夕飯前には帰る。ただ、遅くなるかもしれないから夕飯は作って冷蔵庫の中に入れてある。もし遅れるようなら電話するからレンジで温めて食えよ」
「はーい。やっちゃん一人でご飯食べられるからぁ、二人でゆっくりしてきてね」

あくまで竜児と大河をくっつけたいらしい。もう一度寝るねぇ、と部屋に引っ込む泰子を見ながら、竜児はため息をつく。

◇ ◇ ◇ ◇

「お前、何なんだよその格好」

時間通りにマンションのエントランスに現れた大河を見て、竜児がため息をつく。まだ朝だというのに、ため息は本日2回目である。ペースが早すぎる。

「何って、何よ」

なんか文句があるの?聞いてやろうじゃない、拳で。と、言った表情で大河がにらみつける。現れた大河はミントグリーンのさわやかなワンピース。色つきのリップが、薔薇の花びらのような唇を美しく強調する。まるで絵画から切り出したよう。要するに、夏の旅行とおなじ格好だった。

気持ちはわかる。北村とのデートの予行演習なのだ。本番を思って胸ときめくものがあったのだろう。しかし。

「おい、今から行くのは遊園地だぞ。映画館じゃないんだ。雨ざらしの椅子に座ったりするんだよ。そんなきれいな格好で行ってどうする。汚れるかもしれないぞ。だいたいそんなひらひらスカートでジェットコースターとかに乗るつもりなのか?」

たたみかけるように話す竜児の前で、大河の口がピーナツのような形にみるみる開く。何て器用な表情。なんて情けない表情。

「どうしよう」
「どうしようじゃねぇ、着替えろ。まぁ、本番と同じ格好にしてきた点だけは誉めてやる。問題を洗い出すための下見だからな。ぶっつけ本番だったら遅刻だったろう。ほら、そんな情けない顔するな。あらかじめわかって良かったじゃないか」

半泣きになった大河に泣く暇を与えないよう、エレベーターに追い立てて押し込む。やっぱりこいつはだめだ。ドジすぎて、とても一人にしておけない。だいたい泣くような事じゃないだろうに。

パニック状態で新しい服を考えられない大河を説得して、デニムのパンツと濃い緑のTシャツで手を打たせる。

「こんな格好で北村君とデートなんかやだ」

と、だだをこねるがそもそも今日は北村は居ない。それ以前に「こんな格好」でそれなりに格好がつく大河がつくづくねたましい。竜児と来たら、いくら工夫してもさわやか少年にはなれないのに。

「デートの時の格好は帰ってきてから考えてれば間に合うだろう。ほら、すわれ。髪を編んでやるから」
「どうして編むのよ」
「風で乱れるだろう。遊園地の機械に巻き込まれたらどうすんんだよ。大惨事だぞ」
「なによ、わかってるなら先に言いなさいよ」
「さっき思いついたんだよ。行ってみるまでわかんねぇけど、手は打っとくもんだ」
「昨日の晩言ってくれたらちゃんと準備出来たのに。使えない駄犬なんだから」

駄犬なしでは遊園地にたどり着くことすらできそうもないご主人様の髪を編みながら、聞こえないようにこの朝3回目のため息をつく。本当にこのドジを北村に押しつけたまま、実乃梨と遊園地を楽しむなんて事が可能なのだろうか。

◇ ◇ ◇ ◇

行楽日和の良い天気。電車を乗り継いでようやく到着した遊園地の入り口で足を開いて踏ん張ると、つんと顎を上げて、むやみにえらそうに大河が薄い胸を反り返らせた。

「ふん、これが遊園地ね」

いったいどういうつもりで来ているのだろう。と、竜児は首をかしげる。北村とのデートの下見のはずだが、どう考えてもこれから遊園地と一戦交えるような鼻息の荒さを感じる。というか、いまのセリフには少々引っかかるものがある。

「お前、ひょっとして遊園地初めてなのか?」

こっちのほうに驚く。大河は竜児を睨みあげて、一言。

「悪かったわね。あんたはどうなのよ」

別に悪くはない。

いい悪いの話をすれば、大河と親の折り合いが悪いことは知っているし、折り合いが悪い程度の事で大金押しつけて娘ひとりを放り出す悪い親のことも、少しだけだが知っている。それにしても、あれだけの高級マンション、それもワンフロア貸し切りタイプをあてがえるほど金があるのだ。子どもの頃に遊園地くらい連れて行って貰っていると竜児は勝手に思っていた。

「俺は、あるな。子どもの頃に泰子が無理して連れてってくれたことがある」
「……そう」

大河は気勢を削がれたような相づちを打つ。

疲れた顔の泰子が無理して微笑みながら小さな竜児の手を引いて遊園地の乗り物をまわっている姿でも想像したのだろうか。だとしたら、その想像はかなりあたっている。スーパーお母さんを自称していた泰子は竜児の喜ぶことなら、どんなに自分が疲れていようと何でもしようとした。それこそ、体を壊してでも。当時わからなくて、今わかるようになったことは沢山ある。あの疲れた微笑みの記憶一つあれば、竜児は胸を張ってマザコンを自称していいと思っている。

なんにせよ、こんなところで不幸自慢をする必要など無いし、竜児は自分より大河の人生のほうがいろいろと重そうだと薄々思っている。せっかくの遊園地だ。それも快晴。下見とはいえ、お互い縁の薄いところなのだから存分に楽しめばいい。竜児は気分を入れ変えるように大股で歩き出す。

「よし、切符買うぞ!」
「なにそれ。入場券って言いなさいよ」
「かっこつけんな」
「あんたがダサ過ぎるのよ。ちょっと、待ちなさいよ!」
「早くしろ、置いてくぞー!」
「ちょっと!」

緑のTシャツにちょっとだけアンバランスな、白のつば広の帽子を手で押さえて大河が竜児のもとに駆け寄る。日焼けするからと無理に持ってこさせたものだ。ただでさえ海で焼けているのだ。この上重ね焼けしてしまうと、デート本番時には腕白小僧のように真っ黒になりかねない。

中身は腕白小僧なんだから、外見くらいは繕っておくべきだろう。

◇ ◇ ◇ ◇

「ねぇ竜児、どれから乗ろう」
「ちょっと待て、あそこに地図がある」

いきなり乗り物に着手しようとする大河をなだめて、看板に描かれた園内の地図を指さす。大河と来たら、まったく何の計画性もない。目についたものを順番に片付けるつもりなのだろうか。遊園地を計画的にこなしていくのも変と言えば変だが、そもそも今日は下見だ。無計画に当たっていくわけにはいかないではないか。それに何でもきちんとしておかないと気が済まない竜児としては、あらかじめどんなアトラクションがあるかを把握し、楽しむに当たってもっともよいアプローチは何かを事前に知っておきたいのだ。

地図によると、園内はおおよそ4つの区分からなる。ジェットコースターなどの絶叫マシン、コーヒーカップのようなおとなしいマシン、射的のようなゲームコーナー、それからショッピングコーナーやらレストランやらがごちゃごちゃと集まった区画。

「全部まわるのは無理ね」
「おう。ショッピングは無視していいだろう。北村は行けば楽しみそうだけど、遊園地に引っ張ってきてまでウィンドウショッピングにいく必要はねぇよ。レストランだけで十分だ」
「そうよね。ショッピングセンターなら地元にもあるものね」

地元のショッピングセンターはそれほど華やかでもないが、そもそも遊園地にまできてショッピング自体無理して行かなければならないものでもない。最後の最後に楽しかった一日の思い出の品を一つ買えばいいのだ。やっぱりショッピングコーナーは除外でいいだろう。ウィンドーショッピングは、大河と北村が仲良くなったら勝手に二人で行けばいい。

そうすると残りは三つだが。

「とりあえず、あれから片付けるか」

と、竜児が指さしたのは定番のジェットコースター。青空を背景に優美な曲線を描く巨大構造物の上には、頂点まで上り詰めた列車が見える。レールに沿って緩やかに体をたわめたコースターは、ちょうど下へと向きを変えるところ。大きなクレッシェントで盛り上がる悲鳴を轟音とともにまき散らしながらコースターは曲線をなぞって疾走していく。これぞ遊園地。おあつらえ向きというか、わざとそうしているのだろうが椅子も2列。カップルが到着そうそう遊園地気分を盛り上げるには最適だろう。

しかしそんな竜児の計画も大河には通じない。右から左に駄犬の提案を聞き流したご主人様は、まったく明後日の方を指さして

「あれにしよう」

特に感心もなげにつぶやいた。

「おう、そうするか」

提案を無視されることなど、既に慣れっこだ。痛み一つ感じずに息をするようにスルーできるようになった。これも大河によるトレーニングのおかげだ。4月以来与えられた言われなき罵倒、侮辱、名誉毀損の数は、数えなくとも数百を超える。今では軽い侮辱くらいなら何の傷も残さずにスルーできる。竜児は将来大河以外の人間にどんな屈辱を与えられても平気の平左で乗り越えていけるだろう。

それはともかく大河の小さな手が指さす先にはコーヒーカップがあった。超特大のそれでコーヒーを飲んだら、確実に胃を壊すこと請け合い。しかし、実乃梨と竜児がアベックで乗るにはちょうどいい大きさだ。

◇ ◇ ◇ ◇

男である竜児の視点で言えば、コーヒーカップというのは決して楽しそうな乗り物ではない。これに乗ってクルクルと回る事に何の愉快があるのか、冷静に考えれば考えるほど不安になる。とはいえ、もちろんそれは相手相手次第だ。たとえば、能登と二人で乗ったとしよう。いやいや待てと竜児は思う。想像するだけで面白くなさそうだ。もちろん相手が男だからというのが大きい。しかしそれだけではない。たとえば春田。なんだかあいつはコーヒーカップの上でアハハハハと意味もなく楽しげに笑っていられそうに思える。それはそれで楽しそうなのだ。

とはいえ、やはり一緒に乗って楽しそうなのは、なんと言っても櫛枝実乃梨だろう。普段からニコニコと微笑みを絶やさない天使のような実乃梨の事だ。こんなたわいもない乗り物にだってさえ、「高須君、これって何が楽しいんだい!」と、満面の笑みで笑いながら一緒の時間を過ごしてくれることだろう。やっぱりコーヒーカップは相手が重要なように思える。

じゃあ、相手として大河はどうなのだ?

と、思い至ったのは丁度二人の順番が回ってきた頃で、即座にその答えはもたらされた。

「なぁ、大河。何か不満でもあるのか?」

楽しげなアコーディオン音楽がスピーカーから流れる晴れた空の下、大河はにこりともせずに仏頂面でコーヒーカップに座っていた。正面に座った竜児としては居心地の悪いことこの上ない。おまけに動いているコーヒーカップからでは言い訳をして逃げるわけにも行かない。

「なによ。あんたまた私の気持ちを勘ぐって怒らせようってわけ?どんだけマゾなのよ」
「いや、そうじゃなくてよ」

わずかに目を眇めて殺気を放つ大河に、冷や汗を流しながら話を継ぐ。遊園地って楽しいところだよな、と思わず自問する。なんだか夏の終わりなのにこのカップの上だけ寒々しいのだが。

「お前、遊園地にデートの下見に来てるんだぞ。その仏頂面ぶら下げて北村とこれに乗るつもりか?」

想像して、思わず笑いそうになるのを必死でこらえた。笑ったら確実に殺されるだろう。それにしても、大河の暴虐に日頃から耐えている竜児ならともかく、北村にこの重苦しくも寒々しいコーヒーカップが耐えられるかどうか。

「別に北村君と乗るときに不機嫌になる気はないわよ。ないけど…」

と、大河はそこで言葉を探すような表情。ふと、その顔を見て竜児は思い当たった。そうか。そういうことか。相手が自分じゃ気分が乗らないわけだ。そういうことなら、仕方が無いと思う。日頃散々優しくしてやっているはずの自分と居て楽しくないなど、少々腹が立たないわけでもない。とはいえ、ついさっきまでその竜児本人が「乗るなら櫛枝と」と考えていたのだ。大河が「乗るなら北村君と」と考えていたとしても、竜児にそれを責める筋合いはない。そもそも、これは大河と北村のデートの下調べなのだし。

しかしながら、大河は

「ねえ竜児、これって何が面白いのかしら」

と、予想も付かないことを言ってのけた。いや、それはまさに竜児が抱いた疑問ではあったが、よもや大河の口から発せられるとは思いもしなかったのだ。

「何が面白いって……ええ?」

聞かれても竜児は困る。こういう乗り物は女の子向けのはずだ。それに大河が乗りたいと言ったのだ。大河は雑で乱暴だが、決して男っぽいわけじゃない。その証拠にファッション雑誌ばかり読んでいるし、おしゃれにも関心がある。関心どころかこだわりと言っていい。選ぶのはまるでお人形のような服ばかりで、それはつまり自分の容姿に一番似合うのが何か考えているしわかっていると言うことだ。そう、パンチ力、キック力、言葉の暴力いずれも竜児の数倍という大橋高校の女王虎は、紛れもない少女なのだ。

その女の子に「コーヒーカップって何が楽しいの?」と聞かれても、こちらが困る。想像の中で実乃梨も同じ事を聞いていたが、そもそも実乃梨は少々変な子だし、そこが実乃梨のかわいらしいところだ。向き合う他人を常に真っ正面から食い殺そうとしている手乗りタイガーにそんなことを聞かれても、何のかわいげもない。

「いや、その……」

険しい目を一層険しくして考えているうちに、コーヒーカップは止まってしまった。竜児の思考も止まったままである。
◇ ◇ ◇ ◇

続く女の子向けのファンシーなアトラクションでも大河の浮かない顔は変わらなかった。空飛ぶゾウに乗って宙をふわふわ漂うアトラクションも、カバに乗ってぷかぷかと水路を進んでいくアトラクションでも、大河の表情は緩まなかった。

表情が変わってしまったのは竜児のほうである。一体何なんだよと般若の表情で愚痴の一つも言いたくなる。当たり前である。デートの下見に行くからついて来いと言われてついてきたのは良いとしても、残暑の強い日差しにあぶられながら何を好き好んで、仏頂面の手乗りタイガーと歩かなければならないのか。あまり気の利かない設計のこの遊園地は植え込みが少なく、強い日差しに気温は上がるばかり。周りの人も汗だくで、気温に引きずられるように竜児の脱力指数も青天井だ。

いや、脱力だけではない。実のところ、結構フラストレーションがたまっている。どうしてお前はそんな顔してるんだと言ってやりたくて仕方ないのだ。

手乗りタイガーである大河に表情の話をするなど自殺行為だ。水泳の授業のころ、いらいら状態の大河の気持ちを読もうとしたために竜児はとてつもない精神的苦痛を何日も負うことになった。放っときゃいいのだ。こんな勝手な奴の気持ちなど読めるはずもないし、推し量ってやる必要もない。そりゃ、竜児はいつも大河と一緒にいるうちに同じ釜の飯を食った仲間のような気持ちを抱くに至っているが、じゃぁ大河がそれに応えてくれるかというと、その答えは幾分、いや随分微妙だ。

大河はどうやら竜児のことを仲間としてちゃんと認めてくれている。竜児は確かにそう思っている。しかしながら、じゃぁそれがいつも表に出てくるかというと、その確率は非常に低いのだ。ひねくれているのか、どうなのか、大河の竜児に対する態度は常に横柄だ。だからこの女との間に重要なのは距離感であり、その距離感を正しく保つ努力を竜児は常に心がけている。下手に手を突っ込めば手を食いちぎられる。

竜児は1日24時間、大河という歩く地雷が装備している見えないスイッチを踏みぬかないよう、気をつけて生きていかなければならない。

「ねぇ竜児、つぎはあれに乗りましょう」

そういって大河が指さした先には古びたメリーゴーラウンドがあった。だがしかし、竜児はすでにそんな気分ではない。このまま不機嫌タイガーと歩くなんて冗談じゃない。殴られるのは嫌だが我慢も限界になってきた。

「乗るのは構わねえけど、お前一体どういうつもりなんだ?さっきからニコリともしないじゃねぇか」
「はぁ、あんた何言ってるの?私に愛想笑い振り巻けとでもいうの?」
「言ってろ。そもそも遊園地に行くと言い出したのはお前だぞ」

重苦しい雰囲気に負けてとうとう竜児が核心を突く。

大河に「お前不機嫌そうだな」などと言うべきではないのだが、それでも竜児は状況に負けてしまった。もう我慢できない。

「私がどんな顔して生きていこうと勝手でしょう。それともなに?あんたは私が一番嫌いなことがまだ覚えられないの?あれだけ私の心を勝手に解釈するのは止めろって言ったでしょ。それとも…ちょっと、何してんのよ」

唸り声をあげ始めた大河に腰が引けつつも、竜児は黙って携帯を取り出すと問答無用でパシャリと一枚写真をとる。とっさにどう反応していいのか戸惑っている大河に、写った顔を見せてやる。

目を眇め、唇の端を醜くゆがめている肉食獣の写真がそこにあった。

「な、何よ。勝手に写真なんかとったりして」
「これがお前の顔だ。お前は北村とのデートの下見に来て、こんな顔をしている。大河。悪いことはいわねぇ。面白くないなら帰ろう」
「面白くないなんていってないじゃない」
「いや、言ったね。はっきり言った。お前が遊園地を楽しんでいるなら俺も付き合ってやる。でも全然楽しんでないじゃないか。こんな調子じゃ勇気をだして北村を誘ってきても、お前があいつに見せられるのはこのツラだ」

日陰にいるものの、風は結構熱い。湿度が低いからいいようなものの、重苦しい雰囲気で向き合ったまま立っているのは苦痛以外の何物でもなかった。大河のほうは竜児に噛みつきたくてたまらない風情だが、突き付けられた自分の顔に文句も言えず、せっかくのバラの蕾のような唇を真一文字に引き結んで何か言葉を探している。そしてようやく言葉を見つけたようだったのだが、

「でも私は…」

切りだしたところで、どぎゅるるるるる、と盛大に腹を鳴らす。出物腫れ物ところ構わずと言うが、こいつは腹の音だな。そう思いつつ竜児は天を仰ぐ。大きくため息をついて再びつば広帽子の大河を見降ろす。大河はというと、不機嫌そうな表情のまま、顔を赤らめて背けている。まぁ、いいか。

「なによ」
「飯食おうぜ。考えるのはそれからでいいだろう」

そう言ってくるりと向きを変えるとレストランに向かって歩き出す。勝手に仕切らないでよ、と言いつつも、大河も駆け寄って黙って横を歩く。

◇ ◇ ◇ ◇

「つまらないってわけじゃないのよ」

カツカレーのカツをスプーンの先で本当につまらなさそうにぶつ切りにしながら、大河がぼそりとつぶやく。飯の食い方に関して一家言ある竜児としては、「そんなまずそうな面してご飯を食べるんじゃない」、と小言の一つも言うべきシーンだが、残念ながら本当においしくないのだから竜児としても怒る気があまりしない。

カレーとトンカツの魅惑のコンビネーションを前に、大河はサンプル・ケースの前で散々悩みぬいた。辛口だったらどうしようと考えていたのだ。「ここは遊園地だから子供客が多い。カレーが辛口なんてことはあり得ねぇ」と竜児に太鼓判を押してもらってようやく注文するまで実に10分。別段こだわりのない竜児も付き合って同じカツカレーを頼んだが、出されたモノのを口にして、二人とも、もともと浮かない顔が一層暗くなってしまった。まぁ、日ごろから竜児手製のスペシャルスパイス・カレーだの、柔らかジューシー・トンカツなんぞを食べて舌が肥えてしまったこともあるのだが、それにしても(これで1180円は詐欺だろう)と竜児も思わざるを得ない。肉は薄いくせに妙に固くて衣もべちゃべちゃ。カレーだって全然煮込みが足りない。

そういうわけで二人ともぼそぼそと消化の悪そうな食事を続けていたのだった。先の大河の発言は、食べ始めて10分ほどたってからのことである。竜児はまだ半分ほど残っているが、大河はあらかたカレーライスをかたづけ、残ったカツも1/3ほどだ。

「じゃぁ、どうしてあんな浮かない顔するんだよ」

と、竜児。最初は北村ではなく竜児が相手だからだろうと思っていたが、大河の言葉を信じるならば、どうやらそうではないらしい。聞かれた大河はしばらくスプーンの先でカツをつついていたが、どうつついても走り出さないと納得したのか、仕方なさそうに、質問に質問で返す。

「竜児はさ、あれ、面白いって思う?」
「あれって、コーヒーカップとか、空飛ぶ象か?」
「うん」

結局その質問が来たか。と、思う。別に隠すことじゃない、ため息交じりに竜児はさっき考えたことをそのまま口にする。

「正直言って、すげえ楽しいとはおもわねぇ。まぁ、俺だけじゃねぇだろう。男はみんなそう感じると思うぜ。北村も」
「そっか」

と、大河は妙にしおらしい。ほんとに気落ちしているのかもしれない。

「北村君、誘ってもつまんないって思うかな」

意気消沈する大河に、竜児は言おうか言うまいかと逡巡する。お前次第なのだ、と。遊園地なんぞ、所詮は女子供のための場所なのだ。絶叫マシンを除けば、男が喜んでくるような場所ではない。では、なぜ世の男連中が来るかというと、結局のところ、一緒に来る女の子の笑顔を見るのが楽しいからだ。そのくらい、竜児にだってわかる。想像の中の櫛枝実乃梨は実に楽しそうに笑っていた。その笑顔さえあれば、女子供のための遊園地だろうがなんだろうが、竜児にとっては楽園に等しい。

だから、お前も笑え。竜児はそう思う。思うのだが、それを言ったところで解決するかどうか。解決しなければ単にこの猛獣の機嫌を損ねるだけかもしれない。しばらく迷った挙句、結局竜児は

「お前次第だろ」

口にしてしまった。こんな意気消沈した大河を前に言うべきことを言わないでおくなど、所詮竜児には無理なのだ。竜児は根っからのお人好しであり、落ち込んでいる大河を前に手を差し伸べないなんてことは、できるはずもなかった。

「私次第って?」

弱々しく見上げる大河に、なるべくゆっくりと噛んで含むように言ってやる。

「お前が仏頂面していれば、北村だってつまらないし、お前が笑えばあいつだって楽しいさ」
「そんな……」

とってつけたようなセリフ、とでも言おうとしたのだろうか。しかし、竜児はさえぎる。

「聞けよ。俺も男だからわかるけどさ、目の前で女の子が楽しそうに笑っていて、それで楽しくならない男なんていないって。好きかどうかなんて関係ない。特に北村は明るい奴だ。周りが楽しそうにしていればあいつだってハッピーな気分になるにきまってる」
「そうかな」
「絶対そうだ。あいつはそういう奴だ」

俺もそうだ、とは言わないが、竜児だって目の前の大河が楽しそうにしていれば、自分も楽しくなるのだ。いつもそうなのだ。櫛枝実乃梨という歴とした想い人がいても、目の前の大河が笑えば竜児もうれしかった。他の奴も同じに決まっている。大河を恐れている能登や春田だって、大河が目の前で楽しそうに笑えば、きっと楽しくなるに違いない。

黙っているところをみると、どうやら大河は不承不承竜児の言葉を信じることにしたようだった。だが、それでも表情は晴れない。当たり前だ。結局「どうしてお前は楽しめないんだ」という、最初の問いに戻ってしまったのだから。

◇ ◇ ◇ ◇

平らげた皿をテーブルに残して、二人はレストランの外で食休みをすることにした。幸い木陰に手ごろなベンチがあいており、大河を留守番にして竜児は自動販売機で飲み物を買う。竜児はブラックの缶コーヒー、大河にはヨーグルトドリンク。

「ほら」

差し出してやると、大河は素直に受け取って上目遣い。ちいさく「ありがと」とつぶやく。

「あのさ」
「おう」

しばらく黙って各々の飲み物を飲んだ後、大河がようやく口を開く。

「なんだか、自分でも変だと思うんだけどさ」
「……」
「こんな子供だましに乗せられてたまるかって、思っちゃってるみたい」

えええええぇぇぇぇぇぇ?!そりゃお門違いだろう逢坂大河!!とんでもない告白に竜児は盛大にため息をつく。

「なんだよそりゃ」
「やっぱり変かな。変だよね」
「変だ。つーか、ほんっっっと、なんなんだよ。お前が遊園地に行きたいって言ったんだぞ」

木陰だというのに竜児は頭がくらくらしてくる。熱中症ではない。途方に暮れているのだ。

「そうなんだけど……」

その憎たらしいつむじに地獄の底まで食い込むくらい突っ込んでやろうかという気分だし実際そういう顔なのだが、うつむいてつぶやく大河に竜児も突っ込んでいる場合ではないと言葉を呑む。全く面倒な奴だ。どこの世界に「こんな子供だまし」なんて思う子供がいるのだ。確かに大河は17歳だが、体のサイズも精神年齢も正真正銘子供だ。疑う奴がいるなら連れてこい、俺が保証する。そんな気分だ。

「あのな、遊園地って、子供だましなんだよ。そういう風に作ってあるんだよ。それにまんまとのっかってだまされるためにみんな大金払って入場してるんじゃないのかよ」
「でも竜児だってつまんないんでしょ」
「だから男は別だって。ここは女の子とか子供が楽しめるように作られてるんだよ。いいか、お前が主役なんだ。お前が楽しむようにって何もかもあつらえてあるんだよ」
「そう……だよね。たぶん。でもさ、なんだか作った人の思惑にまんまと載せられるって、癪じゃない?」

知るかっ、このあほ!と叫んで後ろ頭を思いっきりどつけたらどれほどすっきりするだろうか。このひねくれ小僧のねじれ曲がった根性を何とかしない限り、どう考えてもこの遊園地作戦は失敗だ。大河にしては名案などと喜んだ自分の愚かしさが恨めしい。

どうやら意識的にか無意識にか、「喜んだら負け」だと構えてしまっている大河を前に竜児は目をすがめる。こうなったらぐるぐる巻きにして観覧車のてっぺんから放り出してやろうという顔だが、そうではない。最後の手段を考えているのだ。

「まぁ、何となくわかったぜ。つまり、お前は決して遊園地が嫌いなわけじゃねぇけど、楽しんだら負けだと思ってるんだ」
「別に負けだとは思ってないけど……うん、そうかもね」

相変わらずローテンションの大河を前に、遊園地に似つかわしくない三白眼をぎらりと光らせて竜児が決意を固くする。

「よし。わかった。もうこうなったらあれしかない」
「あれって…」

立ち上がった竜児がビームでも発しそうな目をすがめて見る方向を大河も見、そして口をつぐむ。その方向には最初に竜児が提案してあっさりと却下された絶叫マシンが青空を背景に巨大な体をくねらさせている。

「…ジェットコースター?」
「ショック療法だ」
「どうするのよ」
「ようするに、おまえは自分でも認めているように生半可なアトラクションで楽しんじゃいけないんじゃないかって思ってる。だから、ジェットコースターでがつんとやろうってわけさ」
「そんなのでうまくいくの?」
「ああ、心配するな」

半信半疑の大河に竜児は自信満々に答える。

だが、面の皮一枚内側では竜児だってこんなとってつけたようなショック療法が絶対うまくいくだなんて思っていない。だって、へそを曲げているのは大河なのだ。こいつのへそ曲がりは骨身にしみている。ジェットコースターに乗ったくらいで「わーい!」と機嫌を直して遊園地を楽しんでくれるなら、これから毎週だって連れてきてもいい。

◇ ◇ ◇ ◇

ジェットコースターに乗ることに決めた二人は午後の太陽にあぶられながらその巨大な鉄の構造物目指して歩いていく。もう、ここに来たら腹を決めるだけだ。竜児も大河も何も言わない。

それでも、と竜児は一つ深呼吸。いちおうやるべきことはやっておかなければならない。実のところ、朝のやりとりでちょっとだけ引っかかっていたのだ。それを気づかなかったふりをして、あとで痛い目に遭うのは避けたい。

「なあ、大河」
「なによ」

ジェットコースターまで渋々ついてきた大河に竜児が切り出す。

「絶対笑わねぇから正直に答えてくれ」
「どんな理由であれあんたが私を笑うなんてことがあったら、それがあんたの人生最後の笑い声でしょうけどね。せいぜい私の機嫌を損ねないように言葉を選んで質問しなさいよ」

つば広の帽子をかぶったまま竜児を下からねめつけるように大河が答える。ちくしょう、もうこいつほったらかして帰っちまおうかなと竜児は考えるが、そんなことをすればその場で殺されるだろう。

「お前。ジェットコースター怖いか?」
「……」

しばし竜児と黙って目を合わせた後、大河が目をそらす。あちゃーと竜児は胸の奥で一言。作戦は失敗か。本当にジェットコースターが怖いなら、無理矢理乗せることなんてできない。そんなことをしたって、ますます遊園地が嫌いになるだけだ。万事休す、と目を閉じる竜児に、しかし、大河がちいさな声で返事をする。

「よくわかんない」

目を開けてみると、大河は不安げな目を挙動不審に揺らしながら、一言一言言葉を選ぶように継いでいく。

「あのさ、『怖いかも』って気はするのよ。だって、ほら。みんなきゃーきゃーいってるじゃない」
「まぁ、そういう乗り物だからな」

竜児としては正念場なので、ここは話がつながるように相づちをうってやる。

「でもさ、キャーキャーいっているけどみんな楽しそうじゃない。だから、あれって本当は楽しいいのかもって思うのよ」
「ああ、なんとなくいいたいことはわかる。どうする。乗るの、嫌か?」

問いかける竜児に大河は見上げて黙って首を横に振る。嫌じゃない、と。

「ねぇ、竜児は怖くないの」
「おう、おれか?俺はわからねぇ。乗ったことねぇし」
「なんだ、竜児も乗ったこと無いの?遊園地に来たことあるくせに」
「ガキだったから怖かったんだよ」
「ふーん、じゃぁ、条件は一緒か」

なんの条件だかしらないが、とにかく大河はこれで納得したようだった。

手乗りタイガーが腹を決めたというのなら、あとは竜児風情がぐずぐず考えることではない。黙って乗るだけだだ。乗って、大河が楽しめば、あるいはほかのアトラクションもなんとかなるかもしれない。大河がこれもつまらないというのなら、もう、遊園地はあきらめさせるしかない。本人が納得するかどうかはわからないが。

直射日光にあぶられながら15分ほど並んで、ようやく二人は先頭付近までたどり着いた。

「竜児、これ、次かしらね」
「おう、きわどいな。乗れるんじゃねぇか?」

首を横にのぞかせて大河が先頭からの距離を目測する。

これまでの列の進み方からすると、どうやら二人は次の回に乗ることになりそうだ。もう何回も繰り返し聞いた悲鳴をまき散らしてジェットコースターはぐねぐねとうねったレールの上を轟音を立てながら失踪している。スピードがある割に同じところを何度も行き来している様は、なんとなく水族館の中の魚を思わせる。

そうしてようやく戻ってきたコースターは、これも何度も見た風景だが、ヒー!ハー!と妙な笑い声をたてる男女の一段をはき出して空車となった。

「それでは乗車します。前の方からゆっくり歩いてください。乗車は二人ずつです。帽子など飛びそうな手荷物は係員にお預けください」

促されて列が動きだす。竜児も大河もだまって前の人について行く。一番前では係の人が数を数えながら二人ずつ乗り場に進めていて、そして

「はい、それではここまでです。恐れ入りますが次の回で乗車願います」
「え?!」
「おう?!」

二人の前でチェーンをかけてしまった。声を上げた竜児の方をみたお姉さんの笑顔が凍り付き、竜児のハートに新しい傷を刻む。

「ねぇ、竜児。これって……」

大河はその先を言いたくないように竜児を見上げるが、ことここに至って目をそらしても意味はない。

「おう。先頭だな」

ある種の人には垂涎の的であるらしいジェットコースターの先頭は、どうやらジェットコースター初体験のでこぼこコンビに回ってきたようだ。

◇ ◇ ◇ ◇

「大河、本当に大丈夫か?今なら後ろの人と変わってもらえるぞ」
「は、ははは。変な竜児。大丈夫に決まってるじゃない」

緊張のあまり妙に乾いた口調になる大河に、竜児はため息をつく。一周回ってきて乗客をはき出したコースターは今は空車。係の人に大河の帽子をあずけた二人は木の床を踏みしめて1両目に向かう。

「はいそれでは一人ずつご乗車ください。乗車したらガチャリと音がするまでバーを下げてください」

係の人に促されて、たぶんレディーファースト。大河を先に乗り込ませる。心もち狭そうな席に腰をかけると大河が頭上のバーに悪戦苦闘気味。

「ほれ」

上から引き下げてやって、クッションのついたバーが大河の体をしっかりホールドしているのを横目で確認する。係の人にあらかじめ言われたとおり、束ねた髪は前に回してバーと体の間に挟んでおく。実のところ大河の身長について少々不安があったのだが、手乗りサイズとはいえ遊園地は子供向けなのだから乗れないってことはないらしい。何の問題もなかった。竜児も自分のバーを下げる。もう逃げ場も何もない。さあどうにでもなりやがれと腹をくくる。

それでも、発車ベルが鳴り終わり、ゴトリとコースターが動き出すと「おう」と、思わず口にしてしまう。まだ動き出したばかりなのに、すでに挙動不審だ。

「動き出したね」
「おう、そうだな」

見ればわかることをわざわざ口にする大河も、かなり緊張しているのだろう。突っ込みを入れる気にもならないままに、コースターはカタカタと音を立てながら斜面を登り始める。

「うわぁ」

と、大河が声を漏らした理由も竜児にはわかった。コースターが上を向くにつれ、前方に見えていた景色が沈み、目の前には青空に向かって伸びるレールしか見えなくなる。そして、そのレールの先は唐突に消えているのだ。

「あそこが一番上なのかな」
「そうだな、あそこまで上って、それから下るんだろう」

緊張しているのは二人だけではない、後ろの席から聞こえる声もひそひ声が多い。別に大きな声を出すと笑われるとか、雪崩が起きるわけでもないのだが、ついつい声を潜めさせるものがあるのだろう。横を向くと遊園地の向こうの町並みが一望できて、突然どれほど高いところまで連れてこられたか、嫌というほど理解してしまう。

「竜児っ!レール!」

バーをつかんだまま大河が大声を出す。そりゃ声も出したくなるだろうと竜児も納得。目の前に伸びていたレールは頂点付近でふっと完全に視界から姿を消す。もう目の前には青空しか見えない。ああ、頂上かと思ううちに傾斜はみるみるかわって今度は失われていた地平線がせり上がってきた。

「ちょ、ちょ、ちょ、これ…」

このときの大河の顔を携帯のカメラで撮っておけば、さぞかしあとで大笑いできたろう。しかし、竜児の方もいっぱいいっぱい。目の前で急激に姿を変える世界のありさまに、目を見開いて大地を引き裂くような顔でバーを握るしかない。先頭車両に座っている二人はゆっくりと下に向きをかえ、こんどは人や、売店や、アトラクションや、道路や、車や、遠くのビルディングといった雑多なものを抱く大地が視界を覆い尽くす。コースターの先に伸びるレールは嫌な形でうねっていて、ものすごく不安をあおる。

やがて重心部分が頂点を超えたのだろう。それまでゆっくりと動いていたコースターは嫌々ながらという風に速度を上げ始め、そして瞬く間に猛スピードで坂を駆け下りだした。

「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ」
「おぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ」

恥も何もありゃしない。二人とも内臓が持ち上りそうな急降下に大声を上げる。というか、声でも上げていなければ力の抜けたハラワタがそのまま宙に漂い出しそうなのだ。二人どころかコースター1編成は丸々悲鳴をまき散らす移動装置に変身済みである。そして、急速に近づいてきた地面の先ではレールが嫌な形に歪んでおり、心臓をねじ曲げるような恐怖を与えてくる。

「ひぃっ!」
「おおぅ!」

歯を食いしばる間もあらばこそ。二人を乗せた車体は唐突に右に傾き、急コーナーを走り抜け、そして上昇に転じる。

「あー、びっくりした」
「おう、すげぇな」
「え、ちょっと、いやーーーー!りゅううううううううじいいいいいいいいいい!」
「うおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

二つ目の山は一つ目の山より低い。牽引されてゆっくり上った一つ目の山と異なり、瞬く間にコースターは山頂にたどり着くと、存分に速度を乗せたまま乱暴に向きを下に変え、一気に坂を駆け下りる。覚悟を決める間も減ったくれもない。平常心をなぶりつくすような速度で急降下したコースターは、今度はコルク抜きのようならせんを描いて乗客たちを翻弄する。大河も竜児も訳のわからない大声をだすだけだ。

二回転してコルク抜きから出てきたコースターはようやく速度を落とすと、クールダウンをするように小さな畝を二つ超え、そしてようやく乗り場が見えてきた。

「ひゃひゃ、あは、あはあああ、あは。竜児、これ、これ、すごいすごいすごい!」
「おう、すげえ、あははははっ!」

意味不明にテンションが高いのは二人だけではない。コースターは絶叫マシンの名に恥じない働きで乗客全員をハイ・テンションな笑いにたたき込み、そして静かに乗り場に帰ってきた。

◇ ◇ ◇ ◇

ジェットコースターを降りても二人の興奮は冷めない。コースターを降り、大河の帽子を受け取り、乗り場から外に出ても二人はひーひー言っていた。

「うふふふ………竜児、だめ。参ったわ!なにこれ、おもしろすぎ!」
「いやー、俺も頭がおかしくなるかと思ったぜ。ジェットコースターってすげぇな」
「もうびっくりよ、あの一番最初の山のところなんて、どうなるかとおもっちゃったけど」

と、大河が小さな手を伸ばして一番高い山の部分を指さすのを竜児もおいかける。最初はそれほど高くないと思っていたのだが、今考えるととんでもないところから落ちて行ったものである。

「おう、あのへんはもうどきどきしっぱなしだったな」
「そうそう。でさ、落ちるときにぐわーってなって、あとはもう叫びっぱなしよ」
「俺、はらわたが浮きそうな感じだったぜ」
「私も!」

妙な高揚感を引きずりながら、ひとしきりおしゃべりもおわり、さて、と二人とも黙り込む。

「じゃ、次行ってみるか?」
「うん、いいけど」

大河はさっきまで仏頂面だったのを思い出しているのか、すこし照れくさそうに笑う。じゃぁ、あれにするか、と竜児が指さしたのは、さきほど乗らずに引き返したメリーゴーラウンドである。

◇ ◇ ◇ ◇

それほど長い歴史のある遊園地だとは思えないのだが、このメリーゴーラウンドだけは、とても古いもののように思える。あるいは古く見えるような作りなのかもしれない。

ジェットコースターやカバの船といったアトラクションの周りには鉄柵がめぐらせてあったが、このメリーゴーラウンドだけは木の柵だし、それどころか、柱も屋根も全部木のようだ。そうして禿げた上に何度も塗りなおした跡のあるペンキが不思議な暖かさと親しみやすさを演出していた。

「じゃ、おれは見てるから大河乗ってこいよ」
「なによ、竜児は乗らないの?」
「そういうものらしいぜ、ほれ」

と、竜児が指したさきではメリーゴーラウンドの外から親や若い男が馬に乗っている子供や若い女たちに手を振っている。振られたほうも手を振り返す。

「そっか、じゃぁ乗ってくる。これ持ってて」

そう言って帽子を竜児に渡すと、大河はそれほど長くない列までトコトコと歩いて行った。竜児のほうは、あとはすることもない。入園からこっち、ようやく一人きりになれてほっと一息つきながら、メリーゴーラウンドを囲む柵まで歩く。

カランコカランコと妙に時間を忘れさせるような音楽とともに、木の馬が上下しながら目の前を通り過ぎていく。夢のような景色と言えば、そんな風にも思える。

やがて速度を落とした木馬はゆっくりと停止し、大河達の順番が回ってきた。木馬はそれなりの高さがあるため、小学生の子供らたちには係員が手を貸している。うっかり大河に手を貸そうとした女性は、かわいそうにひと睨みされて尻もちをついていた。大河と言えば、目の前の木馬を見上げて、「とりゃっ」と気合一閃。飛び上がってステップに足をかけると、勢いに任せて木馬にしっかりとしがみつく。無事、騎乗完了。

途中、ウマに襲いかかる雌のトラが見えた気がするが、またがってみると、木馬の上の小柄な大河は文句なしに可愛い。乗り方が正しいかどうか確認するようにきょろきょろしていたが、納得したのか、今度は周りを見回す。そして竜児を見つけると照れたように笑った。

竜児も手をあげて凶悪な笑みを返す。めんちを切っているのではない。微笑んでいるのだ。

全く大河としたら、傲岸不遜、わがまま放題、泣き虫の上、人の言うことを聞かないとんだじゃじゃ馬とくる。そのくせに、こんな夢のような風景に嫌というほど似合っているのだ。動き出したメリーゴーラウンドの馬の上でゆっくりと揺られる様は、絵本の中のお姫様のようだ。束ねた髪やデニムのパンツのせいでいつものふわふわコットンほどお姫様お姫様していないが、むしろあの格好で来ていたら絵になりすぎて浮いたかもしれない。いや、そんなことはないか、と竜児は思いなおす。きっとよく似合うだろう。

そして唐突に思い出すのはさっき自分が言った一言。こうしてメリーゴーラウンドに揺られている大河をみていると、まるでこの遊園地は本当に大河のために作られたかの様だ。

一周してきた大河が竜児を見つけて笑いながら手を振る。竜児も手を振りながら携帯のカメラで写真を撮る。あとで泰子にでも見せてやるつもりなのだ。周りではビデオカメラを回している人もいたりして、やはりこれは女の子向けのアトラクションの花形なんだと竜児も納得する。きっとみんなが我が子、我が恋人こそお姫様と思っているに違いない。

鈍感な北村だって、メリーゴーラウンドで笑う大河を見れば、いくらなんでも心が動くだろう。

◇ ◇ ◇ ◇

ジェットコースターで好感触をつかみ、メリーゴーラウンドで確信を得た後、二人は余勢をかって午前中に大河が仏頂面でやりすごしたコーヒーカップやら空飛ぶ象を片っ端から乗りなおしたのだった。結果は大成功。「お前、なんであんな顔していたんだ」と改めて竜児が突っ込んでも余裕で笑顔で返せるくらい、大河は子供だましの数々を楽しんだ。

当然、午前中に乗らなかったアトラクションや、一部絶叫マシン(ジェットコースターには2号機がある)でも、二人はにこにこしっぱなしだった。本来遊園地はそういうところだとは言うものの、絵にかいたような大成功に竜児も大河も笑いが止まらない。

「こりゃ、お前のアイデアは大当たりだな。北村とのデート、絶対成功するぞ」
「そう思う?北村君、楽しんでくれるかな?」

つば広の帽子の下から顔をのぞかせて、大河が竜児を見上げる。頬が染まっているように見えたのは、あながち見間違いでもないだろう。想い人との楽しいひと時を想像して胸を高鳴らせているに違いない。

「ああ、俺が保障する。あいつは絶対喜ぶ。こんなに楽しいところだとは思わなかったぜ。こんなに面白いってわかってりゃ、お前が言うとおり泰子を連れてくれば良かったな」

マザコンぶりを臆面もなく発揮する竜児に大河も

「そうよねぇ、やっちゃん絶対喜ぶわよ」

と、手放しで同調する。

「やっちゃんジェットコースター乗るかな?」
「乗るんじゃねぇか?あれで結構怖いもの知らずだぞ」
「『こわ~い』とか言いそうなのにね」
「言うくせに乗るんだよ」
「うふふ。乗ったらきっと楽しんでくれるわよね」
「ああ、楽しむさ。お前ですら悲鳴あげて喜んでたんだから」
「なによ。悲鳴って。自分だって叫んでたくせに」
「おう、叫んだ叫んだ。否定しねぇよ」

嫌らしい顔で笑いながら竜児が認める。遊園地をくるぶしまで浸かる血だまりに変えようと考えているのではない。思い出して楽しくて仕方ないのだ。

「まったく、誰が考えたんだよこんな機械。腹の底から声だしちまう」
「そうよねぇ」
「お前なんか、でっけぇ声で俺の名前叫んでたもんな」
「なによ、私竜児の名前なんか叫ばなかったわよ」

ん?

思い出し笑いが、ふと固まる。大河を見降ろすと、帽子のつばの下から笑顔をのぞかせて、 竜児とはこれまた違う「?」という表情。その笑顔につられるように竜児も笑顔を取り戻す。

「なんだよ、お前覚えないのか?でっけぇ声で叫んでたろ」
「やだ、竜児何言ってんのよ」

あれ?と大河を見降ろす。こんどは竜児のことなんか眼中にないのか、さらりと流して「次はあれに乗ろう」などと小さな手で指さしている。

ま、いいか。別に重要事じゃねぇし。と、今のやり取りを意識の端から追いやろうとして、竜児の歩みが止まる。電撃的に頭の中に浮かんだ情景に、遊園地気分など一瞬で消し飛んでいた。かき氷でも放り込まれたように背中が冷たくなる。空気の熱さとか周りの喧騒とか、軽い疲労感も全部わからなくなって、でも、それもほんのわずかの間。いやいやまてまてと竜児は思いなおす。あいつはプライドの無駄に高い女だ。きっとすっとぼけているのだ。心配なんかしなくたっていい。

下手に刺激したらまたへそを曲げるだけだ。今日だって、仏頂面の大河の気分を盛り上げるのにどれほど手を焼いたことか。これをまたおじゃんにするなんてとんでもない。毎度毎度消火に手を焼いているのだ。何も自分から放火して回る必要なんかないじゃないか。

「ねぇちょっと竜児ぃ、なにしてるのよ。早く歩きなさいよ。」

竜児が立ち止まっている間に先に行っていた大河が気づき、振り返って声をあげる。帽子のつばをつかんだ姿は本当に無垢な少女のように見える。見えるだけじゃない。乱暴な奴だが、こいつは正真正銘傷つきやすい少女だなのだ。きっと今はこの作戦がうまくいくことを露とも疑っていないのだろう。北村とのデートの日を楽しみにしているのだろう。

だめだ。

竜児は唇を引き結び、さっき思い浮かべた情景を再度かみしめるように記憶の中でなぞる。黙って帰るなんてできるわけがない。確かめなきゃいけない、と一歩踏み出す。大河はわがままで傲慢でどうしようもない暴力女だが、今ではもう、高須家の確かな一員なのだ。こいつが超特大のドジを踏むかもしれないと知って、そのうえで知らぬ顔を決め込むなど、最早竜児にはできっこなかった。わめかれようが、睨まれようが、蹴っ飛ばされようが、確かめるしかない。

「なぁ、大河。さっきのことだけど。お前本当に俺の名前を叫んだこと覚えていないのか?」
「なによ、本当にしつこいわね。あんたの名前なんて叫んでないって言ってるでしょう」
「照れ隠しなら必要ねぇ。笑わねぇから」
「あんた、いい加減にしなさいよ」

穏やかだった大河の顔は、今ではこわばり、それどころが容貌が一変している。唇の端は醜くまくれ上がり、せっかくの遊園地気分を台無しにした駄犬の首の骨をこの場でへし折ってやろうという強い意思がありありと見える。それでも、竜児は止めるわけにはいかない。

「なぐりたけりゃ殴れ。でもな、大河。殴るのはジェットコースターに乗りなおしてからだ」

大河をその場においてすたすたと歩き出す。

「勝手に逃げるんじゃない!だいたいジェットコースターに乗りなおすって何よ!」
「お前が俺の名前を叫ぶかどうか、もう一度確かめる」
「だからあんたの名前なんか」
「大河!」

わめき散らす大河にびびって押されないように、腹に力を入れ、より大きな声で竜児が叫ぶ。目は血走って、ちょっとしたどころではない悪人面だが、そんなことには構っていられない。ギラリと光る眼で大河を強く見つめ、言い聞かせるようにゆっくりと話す。

「お前はジェットコースターで、二回とも俺の名前を叫んでいた。それが俺が横にいるからだってのなら何の問題もねぇ。忘れてても構わねぇ。だけど、そうじゃなくて俺の名前を呼んだのをいちいち覚えておけないくらい癖になっているのが原因なら、これは見過ごせねぇ。本番じゃジェットコースターはパスしないといけねぇ」
「どうしてよ」

答えによっては殺すとでもいいかねない視線で大河が声を放つ。

「お前、北村の横で俺の名前を呼ぶつもりか」

その一言で、大河が凍りついたように動きを止めた。

◇ ◇ ◇ ◇

デートの最中に想い人の横で他の男の名前を叫ぶ。

いくらなんでも大河にそんなドジを踏ませるわけにはいかなかった。だからといって、最初からあきらめてしまうには、ジェットコースターはあまりにも魅力的過ぎる。ジェットコースターがどれほどのインパクトをメンバーの雰囲気に与えるかは、今日の大河の喜びようをみればわかる。だから、今、ここで問題にならないうちに事をはっきりさせておかなければならない。

すっかり無口になった大河といっしょにジェットコースターの列に並びながら、竜児は真一文字に唇を引き結び、前の人の背中に穴をあける勢いで目をぎらつかせている。紐を通して吊るしてやろうと考えているのではない。真剣なのだ。大河は二度「やっぱり乗りたくない」とぐずったが、説得して無理やり承知させたのだった。これは遊園地デートの肝になる重要な事態なのだと。これはしくじれない。

竜児たちの列の順番が来る。

「ほら、帽子預けるぞ」

ずっと大河の顔を隠していた帽子をとってやる。大河は下を向いたままで、どんな表情なのかは分からないが、とにかく竜児と一緒に歩きだす。乗り場の床の木は足音に合わせてごとごとと音を立てる。考えてみれば床を木で作るなんて贅沢な作りなのだろうが、いまの竜児にそれを味わう余裕はない。絶叫マシンの定番にわくわくする人々の顔も、竜児の顔に目をやってそむける係員も、いい感じにさびた鉄柵も今の竜児の目には入らない。目に入るのは目の前の手乗りサイズの女子高生だけだ。

大河を促してコースターに乗せ、バーを下ろしてやって竜児も自分のバーを下ろす。さすがに前回と異なり最前列ではない。ついさっきまでならそれを悔むくらいジェットコースターを好きになっていた。しかし、今はそれどころではない。引き下ろしたバーですら、嫌な感じに拘束を受けているように思える。

「いいか大河。これからお前の横に座っているのは北村だと思え」
「へっ?」

固い表情で黙っていた大河が竜児を見上げる。

「横に乗っているのが俺だから俺の名前を呼んだってのなら、それでいいんだ。だから横に北村がいると思え。俺はまぁ、叫び声くらいはあげるけどしゃべらないから。お前は横にいる奴は北村だと考えてろ。それで北村の名前が出てくるなら、安心していいだろう」
「ちょっと、私そんな」

大河はなにか言い返そうとしたようだった。ちょっとあわてたような表情。だが、ゴトリとコースターが動き出して、「ひぃっ」と逼迫した小さな悲鳴に変わる。

「もう引き返せねぇんだよ。いいか。俺は黙ってる。お前の横にいるのは北村だ」

ちらりと横を見ると、大河は緊張に目を見開いて、目の前のバーを握りしめていた。カタカタと乾いた音を立てて牽引されながらコースターが坂を登り始める。地平線が視界から消えていき、やがて目の前のレールも消える。世界は青空と目の前の人の後ろ頭だけ。そして再び地平線が浮かび上がり、そのまま大地が視界を覆い尽くす。

二人を乗せたジェットコースターが猛然と坂を下り始める。

はらわたが浮かんで飛んでいきそうな感覚に、竜児が目を眇める。

◇ ◇ ◇ ◇

大河は、コースターが止まるまで歯を食いしばったまま、とうとう一言も声を漏らさなかった。

◇ ◇ ◇ ◇

「なんでちゃんと声ださないんだよ!意味ねぇじゃないか。お前わかってんのか?北村とデートするためにわざわざ」
「うるさーーーーーーーーーーーーいっ!」

大声を上げる大河に、竜児が言葉を呑む。

ジェットコースターを降りても大河は一言も口をきかなかった。よろめく体を支えてやろうとする竜児の手を振り払い、引っさらうように帽子をとり返してかぶり、ジェットコースター乗り場を離れて、ようやく交わした会話がこれだった。

帽子のつばで顔は見えない。大河はこぶしを握り締め、小さな体を震わせてすこしうつむいている。怒っているのなら下から射殺すような視線で竜児を見上げるところだ。大河は竜児がそんなふうに睨まれるのを嫌がっているのを知っている。でも、大河は下を向いて体を震わせているだけ。まるで何かを我慢しているみたいに。

涙を我慢しているみたいに。

楽しげな音楽と声があふれる遊園地で、二人とも置き忘れられたように向き合って立っていた。大河は足元の地面を見ているよう。竜児はそんな大河の白い帽子を見ている。

「…私は…私はねぇ。そんな女じゃないのよ。…あんたの隣に座って、北村君の名前を呼ぶような女じゃないのよっ!馬鹿にしないでよ…」

何を言ってやがるんだこの馬鹿、と竜児は独りごちる。とうとう健忘症までわずらいやがったか。お前はいつも俺の横で北村北村って言ってるじゃないか。

それでも、大河の搾り出すような声のあとではそんなことはつぶやきようも無かった。二人の横をジェットコースターが駆け抜ける。轟音と歓声があたりの音楽をかき消す。

手に負えない女だ、と竜児は思う。馬鹿でドジでわがままで勝手で乱暴で人の話を聞かないくせに、どうしようもないほど繊細な顔をなんの前触れもなく見せてくる。もうすこし小出しに見せてくれれば竜児だって気の遣いようがあるのに。

だいたいどうしてここでそんな言葉が出てくるのか竜児にはわからない。そもそも、今日は大河と北村のデートの下見に来ているのであり、発案者は大河であり、竜児は命ぜられるままについてきたに過ぎない。そんな女じゃないって、じゃぁ、どんな女なのか教えてほしい。そもそも、大河が繊細だとして……まぁ、実のところ意外に繊細な奴だということは知っているのだが……いま、ここは泣くような場面だろうか。殴り込みをかけてきた日からちっとも変わっていない。何もかもがでたらめ。何もかもがちぐはぐ。何もかもが突拍子もない。

それでも、

「そうか。すまねぇ。気が利かなかったな」

不思議なくらい自然に詫びの言葉が出た。不思議なくらい、怒る気になれなかった。

勝手なのは大河なのに。でたらめなのは大河なのに。とは思う。でも、目の前で小さな体を震わせている女の子を見ていると、理屈なんかどうでもよくなってしまう。

「…っ!」

何も言わずに大河は顔を背ける。帽子に隠れて顔は見えない。ただ、強い日差しの下、涙がきらきらと光りながら飛び散ったのが見えただけ。どうやら詫びは受け入れてもらえたらしい。受け入れないなら罵倒が飛んで来たはず。大河は涙くらいで罵倒を飲み込むタマじゃない。

「なぁ、大河。アイスクリーム食べないか?おごるぞ」

なるべく明るく声をかける。

「食べ物で釣ろうっての?どこまで子ども扱いする気なのよ」

精一杯の憎々しげな声。涙声混じりで。

「そう言うと悪く聞こえるが、どうだ?詫びの印を受け取るくらいの器の大きさを見せてくれてもいいんじゃないか?ほら、そこで売ってるし」

竜児が指さしたほうには、オレンジと白のストライプの屋根のアイスクリーム・スタンドがあって、同じ色をあしらったシャツを着たお姉さんがアイスクリームを売っている。スタンドの方を見た大河が手の甲で目の辺りをこすろうとする。さっと横からハンカチを渡す。無言で受け取ってぬぐいながら

「なによ。ダブルじゃないと許さないんだから!」

きっと睨んできた顔を見て竜児はひと安心。そして睨まれて安堵している自分に可笑しくなる。

「よし、決まりだな」
「……」
「うれしくないのか?お、トリプルもあるぞ」
「え?!」

歩きながら、思わず大河が期待に満ちた驚きの声を小さく上げるのを竜児は聞き逃さない。泣いたカラスがもう笑った。はっと気づいて大河がぷいっと横を向く。

「なによ。文句あるの?」
「怒るな怒るな。トリプルにするか?」
「あんたがどうしてもっていうなら、やぶさかじゃないわね」
「じゃぁトリプルで決まりだ。ほら、いっぱいあるぞ。好きなの選べ」

スタンドの中にはバニラ、チョコチップ、バナナ、抹茶、オレンジ、レモン、アップル、グレープ、シナモン、トロピカル、ナッツなど色とりどりのクリームが並んでいる。どれが着色料が少なそうか考えている自分に気づいて、竜児は思わず苦笑。

隣の大河はさっきまでの泣き虫はどこへやら、ガラスに張り付いて、たった三つしか選べないフレーバーの選定中。それを見ながら竜児はちょっとだけ大河の体の小ささが癪に障る。帽子が邪魔だ。これでもう少し大河に背があれば、どんな顔をしてクリームを見ているのか分かるのに。きっと宝石のように光らせているだろう瞳を見ることが出来るだろうに。

たっぷり1分考えて

「じゃぁチョコとオレンジとバニラ」

決めたフレーバーをお姉さんがスプーンですくい取る。

出来上がったアイスクリームを受け取るために、背伸びして手を伸ばした大河の横顔が帽子の影から覗く。目を丸くして本当にうれしそうな笑顔を浮かべている。いけない、いけない。だまされるな、と竜児は苦笑い。例によって例のごとく、いつのまにか大河のペースに引き込まれている。笑顔に騙されてかけている。お前はこいつの本性を知っているはずだ。忘れるな、殴打と罵倒の日々。

そのくせ、

「じゃ、同じのをもう一つください」

などと言って大河をあきれさせているのは、どういうわけかうきうきしている心に正直なだけだったり。
◇ ◇ ◇ ◇

二人並んでベンチに腰掛けアイスクリームを食べている間、竜児は如何に自分が役に立たない駄犬であるかを延々と聞かされていた。苦笑いしている竜児に大河は、気が利かない、自主性に欠ける、デリカシーが無い、乙女心が分かってない、ムードを解しない、生意気である、などなど、反省すべき点を丁寧に指摘してくださった。

「じゃぁ、あれ乗って最後にするか」

延々聞かされた自分の短所に苦笑しながら、竜児が話を変える。目の前には大きな観覧車。

「なによ、いきなり話を変えて。ごまかす気?」
「ごまかしゃしねぇよ。あとで反省しますって。それよりさ、もうそろそろ時間だろ。あらかたお前が乗りたそうなものは乗ったしさ。あれ乗って帰ろうぜ」

絶叫マシンには乗りのこしがあるものの、ジェットコースターの結果が結果なので無視していい。とすると、残っているものの中でめぼしいものというと観覧車くらいである。

「そうね。そろそろ時間よね」

大河が出かけに手間取ったうえにジェットコースターを初め2度乗ったアトラクションがあるせいで、かなり予定より押している。青空と雲の作る陰影は昼よりいくらか濃さをましてきて、やがては赤く染まるだろう。

「よし、じゃぁ決まりだ」

そういって立ち上がる竜児につられるように大河も立ち上がる。観覧車の列は大したことはない。

◇ ◇ ◇ ◇

列が短かったせいか、観覧車のゴンドラには二人だけで乗せてくれた。4人乗りのゴンドラなので割と広々としているかと思いきや、思いの他窮屈だ。膝がつくほどではないとはいえ、閉所であるせいか目の前の大河の顔が急に意識されて、竜児は思わず外を見やる。大河の方は、何か見たものがあるわけでもなさそうだが、ずいぶん傾いた夏の太陽に逆光でてらされる街を見ている。

「なぁ、大河。そっち日が当たってまぶしいんじゃないか?」
「そうね。ちょっとまぶしいかも」
「こっち来いよ、ちょっとは日陰だぞ」

そういって横の席を叩く竜児に

「うん、そうする」

大河は意外なくらい素直に返事をして立ち上がる。大河の動きに連れてふわりと漂うコロンの香りが、不意にゴンドラの狭さを強調する。なんとなく気まづくなって顔をそらし、外の風景に目をやる。

「ねぇ」
「おう、なんだ?」

声を掛けられて振り向いた竜児だが、大河は反対側の窓を見ていた。竜児に見えるのは、いつものつむじをかくす白いつば広の帽子だけ。

「私、やっぱり北村くんとはうまくいかないのかな」

唐突な一言だった。

漏らした言葉は思いのほか乾いた声で、湿り気の無い分、その言葉が軽くないことを竜児に思い知らせる。今日の大河はアップダウンが激しい。朝から泣きそうな顔をするかと思うと、喧嘩腰で遊園地に乗り込むわ、ジェットコースターで泣くわと忙しい事この上ない。それにしても、今日の泣き虫には、それぞれ理由らしきものがあった。でも、今大河を覆っている諦めのような雰囲気は、ずいぶん唐突な気がする。

「どうしたんだ、急に。さっきのこと、引きずってんのか」
「ううん、別にさっきのことがどうのってわけじゃない。あんなのなんでもない。でも、なんだろう。……急にでもないんだけど。北村くんがものすごく遠く感じちゃって」

だめなのかな、と窓の外に広がる街を見ながらつぶやく。ゴンドラはゆっくりと昇っていき、それに連れて眼下の街も広がる。

「『遠い』って、手が届かないってことか?」
「だって、私こんなに頑張っても振り向いてくれないし。北村くん、私が好きなこと知ってるのに」

少しずつ、悲しげな色に染まっていく大河の声が竜児の胸を締め付けて、思わずため息をつく。そう、北村は大河の気持ちを知っている。春先に告白して断られているものの、大河が北村に好意を持ち続けていることは、北村だってはっきりわかっているはずだ。それに竜児は知らないことになっているが、そもそもの始まりは北村が大河に告白したことに端を発するのだ。そう考えれば、確かに北村はかたくなだ。一度は告白した女にこれほど距離を置くというのは、やはり大河に振り向く気が無いのかもしれない。

「ダメだと思うか」
「……私の事、見てくれない……」

つぶやくような大河の声に、ふと実乃梨の顔を思い描く。夏の旅行を期に、実乃梨は竜児のことを少し違う目で見てくれるようになったのではないかという淡い期待がある。一方で、その先に幾分の不安はあって、竜児なりに実は自分の方が大河より目標が遠い気がしていた。

「なぁ、大河。お前北村と付き合いたいんだろ」
「……うん」

消え入りそうな返事。

「それはつまり、北村がお前の事を好きになって欲しいってことだよな」
「……そうね。でも、そんなこと、ありえない気がしてきた」

もはやはっきりした泣き声になった大河の帽子に、言葉を返す。

「俺は、お前の恋が実らずに終わるなんて思ってない。むしろ、可能性はまだ高いって思っている」
「どうして?」

振り向いて見上げる大河の目は縁が真っ赤に染まっていて、お得意の皮肉も嫌味も軽口も返ってこない。それはもう、手乗りタイガーなんかではなくて、行き先の見えない片想いにおびえる少女そのもので、ただ、純粋に竜児の言葉を聞きたがっている。まるで、今ここで竜児が大丈夫と言わないとこの恋は終わるとでも言うように。春に知り合ってからこっち、誰も知らない大河のこんな顔を竜児は何度か目にしている。

「好きになってもらうってのは、自分のいいところを知ってもらわなきゃいけないってことだ。だったら、お前は大丈夫だ。お前にはいいところがあって、北村はまだそれに気づいていないだけだ。あいつはいいやつだけど、やっぱり他の連中と同じで、お前の事を詳しく知ってるわけじゃない。お前がどんな女か知っていけば、だんだん好きになるさ」
「私、いいとこなんかないじゃない」

うつむく大河は涙声。竜児には、また帽子しか見えなくなる。

「お前にはいいところがちゃんとある。俺は知っている」
「……嘘」

気休めなんか言わないでよね、と声の調子で竜児を突き放す。それでも竜児は言葉を継ぐ。だって竜児は知っている。大河にはみんなが知らない良いところがある。

「お前は……だれよりも優しい奴だ。自分の事をそんな風に思ってないことは知ってる。だけど、お前はこうと決めたら自分より相手のことを大事にする奴だ。そうして1人で傷ついても、文句一つ言わない」

大河は鼻をすすって顔を上げ、それでも泣き顔を見られたくないのか窓の外に顔を向ける。

「そんなこと……」
「……お前はどう思っているか知らねぇけど、俺はそれがどれだけすばらしいことか知ってる。お前は4月に知り合った頃、俺の事を『優しい奴だ』って言ったよな。だけど、お前が教室で暴れたのは、みんなの俺に対する誤解を解くためだった。それでお前への誤解が一層深まるのはわかってたのに、お前は躊躇しなかった。それにプールで俺が溺れたときもそうだ。そもそもお前自身が泳げないくせに、迷うことなく俺を助けに来てくれた。俺はお前がそんな奴だって知ってる。北村もそういうお前の良さがわかる奴だ。だから、お前のそんなところを知れば、きっとあいつはお前を新鮮な目で見直すことになる。お前にはチャンスがある。まだあきらめるのは早いって」

体温がそれとわかるほど上がっていた。きっと自分は今真っ赤な顔をしているだろうと竜児は思う。これではまるで、自分が大河を口説いているみたいじゃないか。思いのほかドキドキする状況に我知らず、挙動不審に視線を泳がせる。こんなに体が熱くなったのは、夏の旅行で櫛枝実乃梨と二人っきりで話して以来か。上昇する体温をもてあましている竜児に、しばらくして大河がつぶやくように声をかけた。

「『お前には』って……あんた……まるで自分にはチャンスがないみたいな言い方じゃない」

突然ど真ん中をえぐられて今度は体温が下がる番だった。冷え冷えとした気持ちに心を支配され、竜児が目をそらす。大河と目が合わないように窓の外の大して面白くない街並みを見る。ゴンドラはちょうど頂点付近で、横の窓を太いアームが横切っている。正面を向けばガラスの向こうに広い平野が広がっているが、自分の目を見られたくなくて、竜児はゴンドラのアームを見ている。

「……おう、俺にはもう……チャンスがねぇ気がする」
「何いってんのよ」

さっきまで涙声だったくせに、大河はそんなことを忘れたようにいきなり心配そうな声。

「何いってるもへったくれもねぇ。さっき言ったとおりだ。お前にはまだ北村が知らないいいところがある。でも、俺にはねぇ。櫛枝は、俺のいいところは全部知ってる。これ以上、あいつを驚かすようなカードが俺にはねぇ」

本心だった。

竜児には、もう切り札が無い。『俺はツラが悪いけど実はこんななんだぜ』と実乃梨を驚かせるものが、もう手元に残っていなかった。竜児は見た目と全然違う男子だ。それはまさしく出会ったころに大河が指摘したことで、竜児はこんな顔をしてるのにやさしい奴で、こんな顔をしているのにお料理が上手で、こんな顔をしているのに真面目な奴だ。だが、実乃梨はそういったことをもう全部知っている。

今、ようやくそれなりに親しくなれて、自分を知ってもらうことができた。そして、だからこそ竜児は呆然とする。もう、彼女に見せる自分が無い。あとは実乃梨の判定を待つだけ。そして、その実乃梨はどう見たって竜児に恋心を抱いてくれているようには思えない。

乾いた気持で外をみながら、我知らず笑いが込み上げてきた。

「なにがおかしいのよ」
「だってお前、もともとあいつは俺のツラなんか気にしちゃいなかった。みんながビビッて声をかけたかったのに、あいつだけは初めからおれにわけ隔てなく接してくれた。だから俺はあいつを好きになったんだ。いまさらあいつの知らない俺を探してどうしようってんだろうな、俺」

あらためて、自分が抱いている恋心の身の程知らず加減に苦い思いがこみ上げる。誰にでもわけ隔てなく笑顔を向け、部活に汗を流し、何をしたいのか空いた時間にひたすらバイトを重ねる、どこから見ても完璧な少女である実乃梨。それに比べて己はどうだ。単なる料理好きのおひとよしときたもんだ。

初めっから無理だったのかもしれない。

情けない顔を大河に向けたのは、別に慰めてほしかったからじゃない。特に何も期待していたわけじゃない。そこまで落ち込んでいるわけじゃなかったし、大河にすがらなきゃいけない理由もない。だからといって、

「いててててて!あにひやあんあ!」

まさかいきなり頬をつねられるとは思わなかった。

「暴れるんじゃない!この駄目犬!」

小さな手のどこにそんな力を隠しているのか、万力のような苛烈さで竜児の頬をつねりあげながら、大河は目を眇めて怒りの形相で説教をしてくださる。

「あんたはみのりんのことをお化け屋敷のお客さんかなにかと勘違いしてるわけ?はぁ?もう、みのりんを驚かすカードがない?驚かして女心を射止められると思っているなら、びっくり箱でも持ってきなさいよ、この馬鹿ハゲ能無しダチョウ犬!」

頬をつかんだ手でぐいと振り回されて、竜児の体がゴンドラの椅子に叩きつけられる。まったく何を食ったらこんな馬鹿力がわいてくるのかと胸の中で独りごちて、自分が作ってやっている飯だと思い当たる。これが本当の自業自得か。

「いってーな。何するんだこの暴力女!」
「うるさい!あんたみたいな馬鹿は、馬鹿なことを言うたびにお仕置きをしないとちゃんと覚えないでしょ!」

頬を押さえながら抗議をするが取り合ってくれない。これはこれで落ち込んだ竜児を励ましてくれている優しさなのか、あるいは単にむかついたから竜児を痛めつけているのか。まったくわからない。おそらく8割方後者だろう。

「あんたは最近自分の立場を忘れてるみたいだから、もう一度はっきりさせておくわ。あんたは私の犬。犬なんだから、主人の言うことだけを聞きなさい!あんたの仕事は私に仕えることなの。私と北村君の中を取り持つことなの。私の幸せがあんたの喜び。あんたの喜怒哀楽はすべて私のために取っておきなさい。いいこと?許可なく勝手に落ち込んでるんじゃないわよ!それから『みのりんに見せるものがない』なんてことで悩む暇があったら、どうすれば私が喜ぶか考えなさい!いいわね!」

でたらめにも程がある。現代日本で許される発言とも思えない。どうやら10割後者だったらしいと竜児が頬をさすっているうちに、ゴンドラは下へと着いた。

◇ ◇ ◇ ◇

「あーあ、せっかく最後はいい感じに観覧車でしめるはずだったのが、竜児のおかげで台無しだわ」

台無しになるような話題を振ったのはお前だよ。

と、言えるはずのない言葉を呑みこんで竜児がぎろりと目の前の白いつば広帽子を睨みつける。ちくしょう、隠しやがって。帽子さえなければつむじをビームで焼き切ってやるのに。と、ちょっと思っているのだ。

感情の起伏の激しかった一日の世話を散々竜児にさせた挙句、大河は「竜児のせいで気分が台無しだ」などとお気楽に言い放っている。もう、いい。どうでもいい、と竜児は天を仰ぐ。とにかく最後に乗ろうと決めた観覧車に乗ったのだ。あとは帰るだけだ。そうすればこの我がまま坊主からも解放される。明日も明後日も竜児が面倒を見なければならないことに変わりはないが、それはそれ、この面倒極まりない一日がとにかく終わるというのはめでたい。

しかし、大橋高校の手乗りタイガーがヤンキー高須ごときのささやかな願いを汲んでくれるはずもなかった。面と向かって言っても人の言うことを聞かない女だ。口に出さない願いなど、聞いてくれるはずがない。

「竜児、口直しにあれに乗って最後にしましょう」

そう言って大河の小さな手が指さす方向法を竜児も見る。指さした先には一本のまっすぐな棒が立っていた。ただの棒ではない。パンフレットによればこの遊園地最大の売り物にして最凶最悪の絶叫マシン、その名も「スカイスクレーパー」。

高さ100mの棒である。

◇ ◇ ◇ ◇

「45分待ちだってよ」
「いいじゃない。並ぶわよ」
「家に帰るころには飯の時間過ぎてるぞ」
「外食にしましょうよ。どうせあんたのことだからその辺はぬかりないんでしょ」
「当たり前だ。誰に向かって口きいてると思ってんだよ」

早めに帰って家で食事ができるようちゃんと食材は用意しているが、遅くなって外食してもいいように、消費期限が切れるようなものは冷蔵庫に入っていない。高須竜児。どんなときにも家事に抜かりはない。

「じゃ、決まりよ。どーんと構えて並んでればいいのよ」

お前みたいに小刻みでドジを繰り出す奴の横で、どうやってドーンと構えてられるんだよ。

ジェットコースターでの大騒ぎはどこへやら。大河は今日の締めくくりをこれ以上ない絶叫で飾るつもりらしい。一方、ドジを踏む、泣く、怒る、暴れると大車輪だった大河に振り回されて、すでに竜児はへとへとである。気配りエネルギーも消費しつくした感があって、大河の言葉にも、おう、おう、と適当な返事を返すだけ。

ぐだぐだのうちに終わってしまう下見をもとに、一体大河はどんなデートを計画するのか竜児には想像もつかない。だいたい、ジェットコースターをどうするつもりなのか。自分だけ乗らないつもりか、それともさっきみたいに歯を食いしばってやり過ごす気か、ああ、もうわからねぇ、と竜児は特大のため息を漏らす。

「なによ、竜児。ため息なんかついちゃって」
「疲れてるんだよ。てか、お前は疲れてねぇのかよ」
「『疲れた』っていうのは働いた人や勉強した人が言う言葉よ。あんた一日遊んでいたじゃない」

俺はお前の面倒を見るのに疲れたんだよ!とは言わない。ぶっ殺されるから。

「大河、俺ソフトクリーム買ってくるわ。列に並んでてくれ」

全身を覆うぐったりとした疲労感に、竜児の脳みそはさっきから『もっと糖分をよこせ!』とわめいている。いつも燃費の悪い大河は不思議なことにまだ平気なようで、ひょっとするとこいつは遊ぶ時だけ高燃費か?と竜児は眉を寄せる。

「さっき食べたばっかりじゃない。あ、でも私もほしい!竜児!バニラ!」

おう、と、背中で手を振って大河のそばを離れ、「すみません」と丁寧に声をかけてびっしり並んだ客の列を割っていく。時折「ちっ」、と舌打ちが聞こえるが、基本的にお詫びのために顔をあげると人波が割れる。もういい。疲れた。俺は落ち込まないぞ、と竜児はゾンビの表情で列を離れていく。

ぐったり疲れた体で売店まで辿りつき、メニューを見上げる。たかがソフトクリームに250円。さっきの3段アイスとはわけが違う。ごく普通のソフトクリームがだ。これが普段の竜児なら目じりを釣り上げてメニューをくまなく探し、妥当な価格でそこそこおいしそうな代用品を探し始めるところだ。だが、エネルギー切れを起こしている竜児の不完全な良心回路はで、とても良心的とはいえない値段付けにも目じりを釣り上げるなどできる分けもなく、素直に500円払って両手にソフトクリームを装備すると大河の待つ列まで引き返してきた。

帰りは楽なもので、「すみません」と声をかけると顔も見ずに通路をあけて通してくれた。みんな親切じゃないか、と竜児は低燃費で静かにむくれ気味である。

「ほら」
「やった!竜児が食いしんぼだからアイス食べ放題だわ」
「言ってろ。こいつもおごりだ」

えへへ、と嬉しそうにソフトクリームを受け取ると大河は、ぺろりとクリームのご神体をひとなめして

「あ」

いきなりドジってくださった。形のよい鼻には白いクリームがちょこんと付いている。盛大にため息をついて思わず突っ込む竜児だが、

「おまえいきなりなにやらかしてんだよ」
「うぇぇぇ、竜児、早く早く」

大河は聞いちゃいない。拭って、と顔を突きあげる。自分で拭うという発想はないらしい。まぁ、ハンカチを探している間にぽとりとクリームが落ちてしまう姿もありありと想像できるので、あるいは的確な判断なのだろう。

まったくよう、とつぶやきながらハンカチを取り出してぬぐってやろうとして、

「おう」

思わずガン見。

「え?何?」

これはこれで…ありかも。などと思ってしまう。もともとツラはいいのだから、鼻の先にクリームをつけるドジっ娘の姿は、なかなかどうしてかわいい。「北村君どうしよう!などと言わせれば、」あるいはこれで北村のハートを鷲掴みに。

「あー、いや。なんでもねぇ」

なわけねーか。と竜児は拭ってやる。鷲掴みにする前に、そんな計算高い演技を大河に求めるリスクの高さが恐ろしい。素直に食べようとしてこれなのだ。鼻につけろと指示したら目玉でアイスを舐めかねない。そしてそのドジのつけは全部竜児にまわってくる。

鼻を拭ってもらって大河は改めてソフトクリームをひと舐め。表情は帽子の下に隠れる。くぐもったような甘い声が聞こえてきて、ああ、満足そうだなと確認。竜児もガブリとクリームにかぶりつき、おう、甘い、と一息つく。

亀の歩みでしか進まない列の中でソフトクリームをなめているうちに、糖分補給が終わったせいか竜児にも少し余裕が出てきた。体の疲れは相変わらずだが、気分が少し楽になっている。少し余裕の出てきた頭で周りを見回して、先ほどからうっすらと感じていた妙な違和感の正体がわかった。

「なあ大河、これってあんまり絶叫してないな」
「ふぇ?あ、ほんとだ」

二人してスカイスクレーパーのご本尊を見上げる。

当遊園地最凶最悪などという大げさなレッテルを貼られている割には、さっきからそれほど客の悲鳴は大きくない。

アトラクションの構造はシンプルそのもので、天に向かって高さ100mの柱が一本立っているだけである。その柱を囲む形で4脚のいすが4つ背中合わせに配置されている。客がいすに座るとジェットコースターの時と同じようなバーで体を固定し、16人を椅子ごと真上に引き上げる。そして一番上についたらそのまま落としてしまうのだ。当然ブレーキはついているが、ブレーキがきき始めるまで、存分に自由落下を楽しめるわけだ。

「えーと、最初の1秒で…」
「竜児、あんた何ぶつぶつ言ってるの?」
「ちょ、ちょっと黙っててくれ。今計算してるんだ」

気でも狂ったかといぶかしげに見上げる大河の横で竜児はなにやら暗算。少したって、ようやくはっきりと言う。

「だいたい4秒くらい自由落下してるな」
「ふーん、計算でわかるんだ」
「ああ、物理の初歩だぜ。最初の1秒で重力加速度の係数の半分だけ落ちるんだ。地球上だとだいたい5mだな。あとは時間の自乗に比例した距離になる。4秒だとだいたい80mくらいか。最上部まで引き上げないだろうし、一番下に来る前にブレーキが始まるから、4秒弱だろう」

どうだ、理系志望の力を思い知ったかと晴れ晴れとした表情でタワーを見ながら竜児は解説するものの

「ふん、これだから理系犬は融通が利かないのよ。そんなの時計で計ればいいじゃない」

と、大河は一蹴、竜児に忘れていた疲れをもう一度思い出させる。

もっとも、時計で計るなら少し耳を澄ます必要がありそうだ。竜児たちのいるところからはタワーの頂上部分は見えないのだ。落ち始めは耳で確かめるしかないだろう。

二人が並んでいるところは大きな天幕による屋根が覆っており、強い日差しから守られている。雨の日にもぬれる心配もない。ジェットコースターや観覧車にはこんな天幕は無かったから、きっと遊園地一の絶叫マシンのために特別に作ったのだろう。天幕はタワー基部も覆っており、おそらくは高さ15mくらいのところにある穴をタワーが貫通する形になっている。

乗客は自由落下が終わって停止したあとや降りたときに、ひゃーとか、ふへーとかジェットコースターの降り場でも聞いた情けない笑い声を上げているくらいで、落下中に悲鳴を上げている人はほとんどいない。これならジェットコースターのほうがずっと悲鳴がやかましい。張り切って屋根まで作ったのだろうが、どうやらそれほど怖くないのかもしれない。

怖くないなら、それもいいかもしれないと竜児は思う。ジェットコースターで竜児の名前を叫んだことすら忘れるほど興奮した大河も、これくらいなら落ち着いて乗れるかもしれない。ならば、北村と最初にこれに乗ればいいのだ。うまいこと4人掛けだから、大河、北村、竜児、実乃梨で座ればいい。

いや、と竜児が目をすがめ、瞳を小さくする。3人ともてっぺんから突き落としてやる、と考えているでのはない。席順を考えているのだ。いきなり北村と大河だけだと不審がられるか。北村、大河、竜児、実乃梨の順がよさそうだ。これなら自然。

そんなことを考えたり、大河とおしゃべりをするうちに少しずつ列は前に進む。最近の弁当は肉が少ないとか、タンパク質より野菜を今は摂らなければならないとか、独身の授業は退屈だとか、お前宿題に名前書き忘れたらしいなとか、みのりんに前髪かわいいって言われたとか、北村の日焼けがはんぱねぇとか、やっちゃんお酒飲みすぎとか、この前おまえんちの冷蔵庫チェックしたらアイスとジュースだらけだったぞ、とか。どうでもいいことばかりだけど、気がつけば話しているのはお互いの友達と、それ以上にお互いのことだったりする。

当然と言えば当然か、と竜児はほほえむ。お互い想い人が相手の親友だから共同戦線を張ったのであり、おまけに虎と竜はワンセットなのだから。

学校以外の社会とほとんど接点を持たない上に共通の趣味なんかない二人の話題は、勢いお互いの友達か二人の身の回りのことばかりになる。

適当な会話を続けながら、いったい大河はどんなことを考えながらおしゃべりをしているのだろうと思う。このわがままで単細胞でどうしようもない気分屋が、実はみんなの知らない繊細な顔を持っていることを竜児は知っている。竜児とあった頃、大河はひとりで泣いていると言ったことがある。実際、竜児は大河が泣いているのを何度も見た。

親にかまってもらえない一人暮らしの中で、将来のことや、思うようにいかない北村のことを思って何度も泣いていたのだ。さっきの観覧車の件だってまるで今では無かったような顔をしているが、きっと明日になればやはり同じことを不安に思うのだろう。

大河と北村をくっつけるには、どうしたらいいのだろう。このどうしようもなく手のかかる女を親友と言える男に押しつけることに多少とも良心の呵責を感じることが無かったわけではない。しかし、心根は優しい女だし、北村への気持ちは本物なのだ。なんとかしてやりたいと思う。

遊園地デートがうまくいくかどうか、竜児にだって絶対とは言えない。どうすればうまくいくか、疲れがたまってきた体と頭では、正直よくわからない。でも、うまくいってほしいと思う。大河の恋が叶えばいいと思う。もちろん、竜児の恋だってかなえたい。

「竜児!何ぼうっとしているのよ。私たちの番よ!」

脇腹にいきなり肘をたたき込まれて思わず苦痛に顔をゆがめる。大河の大声に振り向いた前のカップルが竜児の苦悶にゆがむ顔を正面から見てしまい、慌てて目をそらす。待ち続けること45分。ようやく、本当にようやくだ。二人の番が回ってきた。

「ああ、もう私乗る前から疲れちゃった。列が長すぎるわよね」
「てか、俺は列に並ぶ前から疲れていたぞ」
「あんた犬なんだからスタミナくらいつけなさいよ」
「お前と会話するだけでHPを削られている気がする」

大河の帽子を預け、係員の指示通り靴を脱いで椅子に腰掛け、ジェットコースターの時と同じく上から降りてくるバーで前に回した髪ごと大河の体を固定してやる。竜児の方は、ようやく座れて人心地。絶叫マシンだろうがなんだろうが、椅子は椅子だ。

やがて全員の準備が終わるとベルが鳴り、ゴトリと揺れて乗客が小さな悲鳴を上げた。カタカタと音をたててゆっくりと登り始めた椅子は、すぐに人の目の高さを超える。

「竜児、結構並んでたんだね」
「おう、45分だからな。列が長いはずだぜ」

目の前には天幕の下に並ぶ人、人、人。仕切りのテープに沿ってぐねぐねと並ぶ何百人もの人の列が広がる。椅子が上昇するにつれ、列の見え方もかわっていく。

「ねぇ、竜児」
「おう」
「遊園地。北村君誘った方がいいと思う?」
「何だよお前のアイデアだろう」
「うん。そうだけど。いろいろあったじゃない。竜児はどう思う?」
「誘え」

竜児は断言する。北村はきっと喜ぶ、と。喜ばないはずがない。そして二人の仲は進展するだろうと思う。大河の片思いもそろそろ先に進んでいい頃だ。さっきは遊園地ダブルデートがいったいどうなるのか頭を抱えていた竜児だが、ソフトクリームによる糖分補給が追いついたせいか、あるいはようやく椅子に座れて落ち着いたか、今は前向きになっている。ジェットコースターが鬼門?ほかのアトラクションは楽しめるようになったのだからいいじゃないか。

「そっか。北村君喜ぶか。よし、誘おう」

すぐ横で、大河が顔をほころばせ、犬がしっぽを振るみたいに脚をぶらぶらと振る。そして、竜児に向かって顔を上げるのと同時、

「わあっ!」

と声を上げた。

大河だけじゃない。竜児もつられたように「わぁっ」と狂眼乙女全開に声をあげる。それどころか、いすに固定されて引き上げられている全員が声を上げた。乗客を乗せたいすは天幕の高さに到達し、そして天幕に開いた穴をくぐり抜けた。ここにきてはじめて竜児は大きな天幕が張ってあった理由を理解する。あれは日よけでも雨よけでもなかった。これを演出するためだったのだと。

天幕を抜けた竜児たちの上には突如として青い空が広がった。濃い青に沈みゆく空には鱗雲が浮いていて、暑いけどもう秋は始まっているのだと知らせる。そして、沈みゆく太陽がその雲を赤く染めている。濃い青と赤の作るコントラストに全員が息を呑んでいた。

「空、おおきいね」

大河がつぶやくように言う。透けるように白い肌は夕日にあかね色に照らされ、大きな瞳もきらきらと輝いている。

「おう。いつも建物に遮られてるけど、こうやって高いところに来ると空って広いな」

もちろん、河原に来れば空は広いし、校舎の2階から見る空もなかなかのものだ。だけど、やっぱり何か違う。高い柱に引き上げられながらむき出しの椅子から見上げる空はとてもとても雄大で、ジェットコースターには無かった心の余裕がある分、竜児の胸をさわやかにしてくれる。

一方、天幕は急速に遠ざかり、足下には遊園地広がり始める。いつの間にか椅子の高さはジェットコースターどころか観覧車を超えており、遊園地で一番になっている。うねうねとのたうつレールの上を、おもちゃのように疾走するコースターから悲鳴が聞こえる。遊園地の外の道を自動車が行き来している。遠くの線路を電車が走っている。

「なんだか全部おもちゃみたい」

大河がクスクスと笑う。

観覧車よりも高く、観覧車よりも開放的な景色だった。こりゃぁいい。センチになんかなりようがない。大河も大喜びらしく、竜児に「ほら、あのビル高い」とか、「飛行機が飛んでる」とか、「あれって野球場?」などと次々と指さす。そのたびに竜児は大河の紅葉のようなかわいらしい手が指し示す方向に目をやり、一つ一つ相づちをうったり、答えてやる。

「大河、遊園地来てよかったな」
「うん、本当にそう思う」

青空の中につり上げられたまま、二人顔を見合わせて笑う。意味もなく、幸せな気分になった。

「ねぇ竜児、北村君てさ」

大河がうれしそうに何かを言おうとした瞬間、椅子ががくんと揺れて停止した。おしゃべりに興じていた16人の乗客から口々に小さな悲鳴が漏れ、そして何が起きたのかを全員が理解する。

地上100m。スカイスクレーパー最上部にご到着である。

それまでの楽しげな雰囲気は一変し、全員が黙り込んだ。さもありなん、これでのんびりした空中散歩は終わったのだ。稼いだ高さをこれから一気に放出することになる。登る際にジェットコースターのような緊張感が無かった分、突然思い出したこれから起きることに全員が息を呑んでいる。

乗客が黙り込んだせいで、周囲に満ちあふれている町の喧噪が突然大きく感じられ、風の音が急に恐ろしい高さを思い知らせてくれた。そうだ、自分は今地上100mにあって、落下を待つ身なのだ。竜児も大河も表情を硬くし、バーにしがみついてその瞬間に身構えた。

ところが。

「あれ?」

大河が声を漏らす。大河だけではなかった。いぶかしむような声がほかの乗客からも漏れ始める。竜児も同じだ。上についたらすぐ落ちるものだとばかり思っていたのだが、椅子はぴくりとも動かない。息を呑んでいるうちに緊張が切れてきて何人かがひそひそと話を始める。

「竜児、落ちないね」
「おう、す」

ガチャンという大きな音とともに椅子が突然落ち始めた。すっかり警戒を解いていた竜児はなんの対応もできない。声も立てられなかった。聞こえるのは背後でレールがたてる轟音と、一気に暴力的な音量になる風の音だけ。ハラワタに羽が生えてふわふわ飛んでいきそうな妙な感覚に、大きく吸ったまま息を吐くこともできず、それどころか下手をしたら口から何か大事なものが漏れて飛んでいきそうな具合だった。すごい勢いで風の中を落ちていく椅子に座ったまま、竜児はバーにしがみつき、大河に鬼般若のような顔を向けてひたすら腹筋に力を入れるだけ。

大河も同じなのだろう。目と口をまん丸に開いて竜児の方を向いたまま、きゃーともひーとも言わずにバーにしがみついている。

誰も、何も言わない。悲鳴すら上げられない。

長く長く続いているような落下は、たぶん竜児がさっき計算したとおりたかだか3秒か4秒だったはずだ。いきなり背後でガーッという新しい音が鳴り響くと同時に全員が椅子に押しつけられ、そのまま天幕のあたりで椅子は制止した。

「ひゃー」
「ほぇー」
「ふあははは…」

まわりでうつろな声とも笑い声ともつかない声が上がる。竜児も大河も同じだ。怖くないだって?絶叫マシンとしては期待はずれだって?そうではない、悲鳴を上げることすらできなかったのだ!

カタカタと音を立てて降り続けた椅子が地面につくと、係員の合図でバーがあがる。靴を履いて立とうとして、おっといけない。竜児はよろめく。大河も同じらしく、しかもこいつは本当にこけそうになるが、竜児に腕を捕まれて危うくセーフ。顔を見合わせて、そしてようやく二人とも笑えるようになった。

「きゃははははは!何これ!」
「あははは!いや、すげぇ」

人の邪魔にならぬよう道を空けながら竜児は柱を振り返る。すでに新しい組が椅子に固定されてカタカタと柱を引き上げられていくところだ。なんてアトラクションだろう。本当に、悲鳴をあげることすらできなかった。

「これだったら、北村君と乗ってもいいよね」

満面の笑顔のまま、おかしそうに大河が言う。

「おう、これなら大丈夫だ」

ああ、いいとも。絶対大丈夫だ。だって悲鳴を上げることすらできなかったのだから。竜児の名前だろうが、北村の名前だろうが、口にすることすらできないだろう。決定だ。こいつがデートの最初のアトラクションだ。こいつでメンバーの頭をがつん!とたたいてやる。あとは遊園地気分で楽しく過ごせること請け合い。

「うふふふ、本当『最凶最悪』よね、ぐわーって落ちていって、私おなかがくすぐったくなっちゃった。あんたも変な顔してるし」
「ああ、すげぇーぜ。ははは、思い出すだけで笑えてくる。てか、顔のこと言うな。お前も相当だったぞ」
「何よ、ひどいんだから」
「なんかこう、気を抜くと口から魂がぬけちまいそうで」
「あ、わかるわかる!

ようやく。本当にこれで、デートのための下見が終わった気分だ。これで大丈夫。デートは絶対に成功する。大河の恋も竜児の恋も、きっと一歩前進だ。本当に遊園地に来てよかった。なんて楽しいところだ。

ようやく落ち着いてきた二人は、晴々した気持ちで最後に顔を見合わせてもう一度笑い声を上げる。しかし、しかしだ。

「やあ高須!逢坂!偶然だな。ずいぶん楽しそうじゃないか。これってそんなに楽しかったのか?」

声をかけられて振り返った竜児と大河が凍り付く。眉毛のあたりでびしっと前髪を切りそろえ、真っ黒に日焼けした顔の眼鏡の男が手を挙げて近づいてきていた。

北村祐作、なぜお前がそこにいる。

◇ ◇ ◇ ◇

二駅手前で目が覚めた。

大河と二人でがっくり落ち込んで、飯も食わず、話もせずに電車を乗り継いでこの電車に乗り換えた。最初は立っていて、席が空いたから大河を座らせた。大河はすかさず寝てしまい、隣の席が空いたのを見て竜児も座った。どうやら竜児も座るのとほとんど同時に寝てしまったらしい。よほど眠りが深かったのか、あるいは寝る前によほど疲れていたのか、妙に頭がすっきりしている。大河は竜児の肩に寄りかかって寝息を立てている。

ついてなかった。

すたすたと歩いてきた北村は「なんだ、デートか?相変わらず仲がいいな」などと軽口をたたいて二人をパニックに蹴落とした。言い訳などできるはずもない。「お前を陥落させるためのダブル・デートの下見だ」などといえるはずがなかった。

大河の

「やっちゃんを連れてこようって言ってたの」

という、苦し紛れの、しかしぎりぎり嘘ではない一言にすがるように

「おうそうだ。三人で来るはずが泰子が来れなくなったんだよ」

と、話をあわせて見るも、納得したのかしてないのか、少し話をして北村は戻っていったのだった。

北村は今日、女子ソフトボールチームの練習試合の応援で近所に来ており、帰りの経路に遊園地があったのでほんの少し立ち寄っただけだということだった。つまりは女子ソフトボール部も一緒だったのだ。

起き抜けの頭でそのときの会話を思い出しながら、そういえば女子ソフトボール部にいるはずの実乃梨が来なかったなと思い出す。北村によれば全員がスカイスクレーパーに並んでいたらしいのだが、だったら実乃梨だって、いや実乃梨こそ大河を見つけて駆け寄ってきそうなものだ。駆け寄って来られたら来られたで、言い訳を迫られただけだろうが。しかし、それにしてもなぜ。

ああ、わからねぇ。

小さくつぶやいて横で寝息を立てている大河を見下ろす。いったいどれだけがっかりしたことだろう。誘おうとした本人に見つかり、おまけに竜児とのデートと勘違いされたのでは、遊園地に誘ってでダブルデートなどできるはずもなかった。遊園地の話はお流れだ。

(私こんなに頑張っても振り向いてくれないし)

観覧車のゴンドラの中でそう言った大河を思い出す。今回だけはこいつのドジのせいじゃなかったのだ。ドジは確かに踏んだが、どれも何とかフォローできるものだった。ただ、最後についてなかった。

家に帰ったら泣くのだろうか。誰にも、竜児にも見せずに涙を流すのだろうか。

泣き虫め、冗談じゃねぇ、と思う。親に放り出されて、想い人に声すらかけられずに大河は一人で泣いていた。運が悪かったからって、これ以上泣く必要なんか無いのだ。

竜児だって同じだ。これで実乃梨との遊園地デートはお流れ。だからといっていちいち落ち込んではいられない。片思いとはそう言うものだ。次のアプローチを考えるだけだ、日々のアプローチを重ねていくだけだ。

「おい、大河。起きろ、もうすぐ着くぞ」

肩を揺すって小さく声をかける。よほど疲れていたのかなかなか起きない。ってこともないか。と、竜児は苦笑い。こいつはいつだって寝起きがしゃっきりしない。電車の中で大声を出すわけにも行かず、肩を大きく揺らし、肘でつついて起こしにかかる。

「!」

ふがっとか、ふにゃっとか言う声と同時に飛んできた裏拳に額を殴られて、竜児が無言で頭を押さえる。

電車の乗客は目の前でいきなり演じられたコントにぷっと吹き出すやら、にやにや笑やら楽しそうだが、手を下ろした竜児の血しぶきをまき散らしそうな凶眼に目をそらす。思わず席を立って去っていった人もいる。

ちくしょう、もう遠慮しねぇぞ。

さっと立ち上がって肩を抜くと、いきなり枕を失った大河がぐらりと揺れ、座席にぱっと手をついてようやく目を覚ました。

「ふぇ?」
「もうすぐ着くぞ、ほら」

返事を待たずに網棚に上げておいた、つば広の帽子をぽんとかぶせてやる。かぶせられた大河はつばを持って帽子をかぶり直すと、竜児を見上げる。まだ寝ぼけているのか、悲しさも、悔しさもない、あどけない顔で。ねぇ、どうして電車に乗ってるんだっけ?ご飯は?とでも言いそうな顔で。

それを見ていられなくて、

「早くしろって、ドアが開くぞ」

乱暴に言い放つと、くるりと向きを変えて一人電車を降りる。あ、待って!そう一声発して大河が立ち上がると電車から駆け下りる。

ドジのくせに走って降りたりして、こけても知らねぇぞ。

冷房の効いた車両から出てきたのでそれなりに暑さを感じるが、それでも昼間よりはだいぶましになった。それはそうだろう。いくら暑くたって、もう秋なのだ。

携帯をとり出して時間を見る。7時半過ぎ。まだ時間はある。

「大河」

なによ、と言う声を聞きながら、きっと今頃ようやく今日のことを思い出しているのだろうなと思う。

「飯、これから材料買うからスーパーについて来いよ」
「ええ?こんなに遅いのに?外で食べた方がいいんじゃない?」

思い出して、きっとまただめだったと落ち込むのだろう。

「だめだ。俺が納得できねぇ」
「納得できないって、何よ」

太陽はとっくに落ちてしまっていて、空の明かりだけが残っている。もうかぶっている意味のない帽子を取って体の前で持っている大河に向き直る。発車した電車が轟々と音を立てて二人の横を走っていく。どうしようもなく我が儘で、態度がでかくて、乱暴で、怒りっぽくて、ドジで、泣き虫で、どうしようもなく傷つきやすい大河。

「俺たちには作戦が失敗したなんて落ち込んでいる暇はねぇんだ。落ち込んでいる暇があったら次の作戦を考える。そのためには飯だ。うまい飯を食って、腹をいっぱいにして気分を切り替える」
「だからご飯は外で食べようって……うまい飯?」
「おう」

ぎろり、と不動明王の目つきで大河を見下ろす。卵に漬けてパン粉をまぶして揚げてやろうというのではない。好物を食わせてやろうというのだ。

「今日はトンカツにする」

厳かに言い放つ。

「でも時間が」
「とって置きの新レシピがあるんだ。ミルフィーユトンカツって知ってるか?」
「ミルフィーユトンカツ?」
「おう。薄切りにした豚肉を束ねて間に脂肉を挟んだトンカツだ。脂肉は小さく切るからお前の嫌いな固まりじゃなくて、肉汁になる。一口噛んだだけで旨みたっぷりの肉汁があふれ出してくるんだ。言うまでもないが衣はサクサクだ。昼間のまがい物なんかと比べものにならないくらい旨いトンカツだぞ。どうだ、食いたいだろう」

不道明王から一転して悪事へ誘うような凶悪な笑顔で見下ろす竜児を大河が見上げる。ごくりと、つばを飲んだのが喉の動きでわかる。あどけない表情が消えて、腹を空かせた猫の顔になる。

「私、もうおなかぺこぺこで死にそうなんだけど」
「我慢しろ。我慢するだけの価値のあるものを食わせてやる」

自信満々で言い放って、竜児は向きをかえると出口に向かって歩く。デートの段取りには自信はないが、料理のことなら絶対の自信がある。大河の味覚なんてとっくに把握済みだ。

後ろで駆け出す足音が聞こえて、大河が追いついてくる。

「何よ、待たせるだけ待たせて期待はずれだったら許さないんだから。覚悟しときなさいよ」
「お前じゃあるまいし俺がそんなドジ踏むかよ」
「何ですって!」

今では腹を減らした肉食獣の顔になった大河をいなしながら、竜児はスーパーで買うものを考える。今日はキャベツは安かっただろうか。

「なあ大河」
「何よ」
「北村のこと、あきらめないでがんばろうぜ」
「当たり前じゃない。あんたこそ私と北村君のためにきりきり働きなさいよ」
「はいはい」
「返事は一回!」

気がつけば虫の声がすっかり秋のそれになっている。タイムセールは終わっただろうか。

いや、閉店前でかえって安いかも。

(おしまい)

あとがき

長いこと未完成作品として公開していましたが、ようやく完成へとこぎ着けました。
もともとは「ARMS」SSを書いてみようかな、と随分前に密かに練っていたネタでした。
涼への気持ちを口に出来ないユーゴーへの複雑な思いから、恵はギャローズ・ベルへの出発前に、ブルーメンによる架空の都市警備演習「オペレーション・ワンダーランド」をでっち上げ、ユーゴーと涼に再建なった藍空市遊園地の偵察を命じる。しかし開園当日、遊園地にはいわくありげな人物が押し寄せるように訪れていた…
こっそりついてきた恵が羽をのばしに来たブルーメンに絶叫マシンの梯子に付き合わされるとか、武士とおにいちゃんっ娘のお化け屋敷探検とか、隼人と謎のお姉さんの知られざる接触とか、忍者が女豹とカフェテリアで大人の愛を語り合うとか、アルがキャロルにツンデレかますとか、絶叫マシンの上でジャヴァウォックが「力が欲しいか」とか、その横でユーゴーがテレパシーで悲鳴を撒き散らすとか、涼とユーゴーが遊園地スタッフに無理矢理「GS美神」コスプレをさせられるとか、それなりに見場所は考えていました。何もかもなつしい。
ネタをいくらかでも回収しようと竜児、大河で書いてみたのですが何となく縁起悪い話だったのかもしれません。結局完成まで1年を要しました。
夏休みの旅行から文化祭準備までのひと月ほどは、二人と周囲の友人たちの気持ちが急速に変化しているうえ、作者本人が「虎肥える秋」「ジ・エンド・オブ・なつやすみ」と比較的目立つスピン・オフを書いているため、SSとしてはつじつま合わせの難しい時期です。
この作品や「シリアル・クリーナー」が『腹一杯エンド』になっているのはその辺の事情があったりします。

初出 : 2010年8月30日

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。