たまには婚約者らしく

「ほう、高須の今日のおかずはエビフライか。うまそうだな」
「おう、食うか?」
「いやいや、そういう意味じゃない。純粋な賞賛だ」

びしっと眉の上で切りそろえた髪を揺らして北村祐作が笑う。かけたメガには曇り一つ無く、詰め襟の上までホックをびしっとかけ、姿勢正しく昼食をとる様は生徒会長を退いた今でさえ全校生徒の模範になりうる。

「北村、賞賛と言ってもこう毎日毎日弁当のチェックをされたら高須も困るんじゃないか?」

と横で笑っているのは二人の同級生で同じく生徒会庶務を退いたばかりの村瀬である。11月も押し詰まってきた進学クラス。昼休みの弁当は、たいてい北村、村瀬、高須の三人で日当たりのいい北村の机に集まって食べている。

「チェックとは何だ。人を舅みたいに」
「まあいいじゃねぇか。飯にしようぜ」

そういって切れ味鋭い三白眼を二人に走らせたのは、弁当をチェックされた高須竜児。血走った目は今にも北村の胸ぐらをつかんで『人の飯に因縁つけるとはいい度胸だ』とでも言いそうだが、そうではない。苦笑しているのだ。

母親と二人暮らしの竜児はもう長いこと弁当を自分で作っているので味には自信がある。まぁ、昨年北村の祖母の弁当を相手に誰も知らない孤独な戦いを挑んで敗れて以来、正直言って自分の弁当に対する北村の視線は幾分トラウマではあるものの、しかし、育ち盛りの高校三年生である。トラウマよりも空腹のほうが堪える。

11月にはいって生徒会長選が行われ、北村が退いて代替わりが終わってしまうと、竜児たちのクラスも受験に向けていよいよ緊張感が高まってきた。特にこのクラスは成績のいい生徒を集めているから、気負いも人一倍である。そんな中、昼食だけは安らぎの時間であり、竜児としては早いところ食事にかかりたいというのが本音なのだ。

別に異論のない村瀬も北村も笑いながら弁当のふたを開ける。

「では、いただきます」

きちんと合掌して北村が箸をつけるのと同時に竜児と村瀬も「いただきます」と口々に言って弁当をほおばる。

ちょうどそのとき、がらり、と教室の扉を開けた人物がいた。

ふっと顔をあげた竜児と目が合い、そして二人ともさっと顔色を赤くする。入り口に立っている小柄な少女は逢坂大河。去年は2-Cで竜児のクラスメイトだった少女であり、あまり知る人のいないことだが今は竜児の婚約者である。昨年まではその小柄な体躯とどう猛な性格から『手乗りタイガー』というありがたくない二つ名をちょうだいしていたが、竜児と婚約後はだいぶおとなしくなった。

「やあ、逢坂じゃないか」

大河に気づいた北村が声をかける。村瀬も振り返って手を挙げた。

だが大河は何かを言おうとして息を吸い、そのまま言えずにいるらしい。目を丸くして顔を赤くするばかりだ。はて、と北村は首をかしげるが、実はその横で竜児もどんどん顔を赤くしている。

「りゅ………」

と、一音だけ発してあえぐように細かく体を揺する大河に気づいた3-Aの生徒たちが何事かと首をかしげる。年度の初め頃には手乗りタイガーが竜児に会いに来るたびに教室に緊張が走ったものだが、最近ではさすがになれた。向き合う人を押しつぶすような暴虐の伝説の数々も、発動しなければなんと言うことはない。ちなみに竜児も見た目だけは怖いので「ヤンキー高須」というセンスのないニックネームをつけられている。

りゅ、りゅ、とつっかかったあと、もう一度深呼吸すると逢坂大河は大きな、みごとに裏返った声でようやく一言発した。

「竜児さん!」

げほっ、と北村が飲んでいたお茶をむせた。

普段は人と話ながら茶をすするような男ではないのだが、今回は大河が躊躇して間が開いたのが悪かった。北村はまだいい。背を向けて飯をかき込んでいた村瀬はぶほっ、と口を押さえて噴いた。誰にも言わなかったが鼻にご飯粒が逆流して涙を流している。

同じような被害が教室中でわき起こり、一挙に3-Aは騒然とした空気に包まれる。ただ、竜児と大河だけが赤くなって硬直している。

「りゅ、竜児さん…」
「おおおうっ!」
「お、お弁当、いっしょに食べていいかしら?」
「い、いいぞ」

二人ともまるであらかじめ用意していたような会話をぎごちなく交わす。距離は教室の入り口から窓際までおおよそ5,6メートル。しかし、大河は竜児の返事を聞いても動こうとせず、真っ赤になって硬直したまま。やがて教室中の視線に耐えかねたか、油の切れたような動作で回れ右すると、そのまま立ち去ってしまった。

独り取り残された竜児の背中に、ようやく落ち着きを取り戻したクラスメイトから好奇の視線が突き刺さる。

◇ ◇ ◇ ◇

遡ること24時間。

騒動の発端は日曜日の午後であった。試験勉強の合間を縫って土壇場までデートを続ける気満々の大河は、クラスメートが緊張の色を顔を隠せなくなってきたこの時期でも悠然と竜児の家に遊びに来ている。

竜児のほうもたまに「ちゃんと勉強しているのか」などと小姑のようなうるさい小言を口にするものの、大河が遊びに来れば来たで、うれしそうにフライパンを振ってチャーハンを作ってやっている。そういう、二人にとってはもはや団らんの一部になっている日曜の昼食の後のことだった。

大河に背を向けて食器を洗っていた竜児の背中越しに、緊張した風で大河が声をかけたのだ。

「りゅ、竜児さん!」

と。

声をかけた方もがちがちだったが、かけられた方も、死角から声をかけられた野良猫のようにピタリと洗い物の手を止めた。ぎ、ぎ、ぎ、とホラー映画のような動きで振り返ると、驚きと緊張が複雑に混じり合った表情で大河に問う。

「な、なんだ」
「えっ、あ、えーと。何でもない」
「そうじゃなくて。なんでそんな呼び方するんだ」
「竜児は……嫌いかしら?こんな風に呼ぶの」
「そういう質問じゃなくてよ」

と、竜児。

いったん前に向き直って皿をすすぐ。何事もやりかけは嫌いだ。手早く水を切って清潔な布巾で水を拭き取り、エプロンで手を拭く。居間に戻ってきてちゃぶ台の前に座ると

「なんでいきなり呼び方変えたんだ?」

と、質問を継続する。

そりゃ、竜児にしてみれば聞きたくもなる。一年半ほど前に知り合って以来、大河はほぼ一貫して「竜児」と呼びかけているのだ。いきなりさん付けで呼ばれてもくすぐったいし、却って他人行儀な気がする。そんな竜児の気持ちを知ってか知らずか、大河は座布団の上で心持ちうつむき加減。もじもじしながら

「やっぱり、前のほうがいい?」

などと聞く。

竜児としては話をはぐらかされているようでもある。

「いや、だからよ。いいとか悪いとかじゃなくて。何かあったのか?」
「ないけど……あのさ……」
「おう」
「私たち、婚約してるじゃない」
「おう」
「だからさ。あのさ。婚約者らしい……呼び方もいいんじゃないかなってさ。思ったのよ。竜児は、こんんなの嫌?」

ようやく口を割って出てきたのは、実にたわいない理由だった。

が、口にしたことで安堵したのか、目の前の大河は緊張がとれたよう。口元にとろけそうな微笑みを浮かべ、落ち着かない様子で両手の指をなにやら絡めている。星をちりばめたような瞳を左右に挙動不審に走らせ、「えへへ」などと声を漏らして頬を赤らめ、ちらり、ちらりと見やるのは竜児の表情。

一方の竜児は眉間にしわを寄せ、血走った両目をすがめて視線を突き立てるように大河をガン見している。乳くせぇこと言いやがって、このアマ。いいから酒買ってこい!と、言いたいのではない。胸がキュンとなっているのである。

「お、俺か。俺は…いや、嫌いじゃないぞ」

などと、口ごもりながら、にたぁと表情をだらしなく緩め、脂汗を流して照れる。

「そう……えへへ……じゃぁ、今日から『竜児さん』って呼ぶね」
「お、おう………………って、今日『から』?」
「うん」

脂汗を流してにやけているうちに、さらりと重大なことを言われた気がして思わず竜児が素に戻る。

「それって、明日もか」
「やだわ、竜児ったら…………竜児さんったら。いつになったら馬鹿犬を卒業して私の王子様になってくれるのかしら。今日からって言ったら明日も明後日もに決まっているじゃない」

大河のほうはちょっと大人な名前の呼び方が思いのほか気に入ったようで、目を線にして頬をぷくぷくとふくらませ、唇をすぼめて幸せそうに照れ笑いを浮かべている。その愛くるしい様に思わず釣り込まれそうになりながら、危ないところで竜児は踏みとどまった

「だけどよ、それ、学校でも言うのか」
「………あ、当たり前じゃない」

突然真っ赤になった大河を前にして竜児は思う。こいつ、全然考えていなかったな、と。いつ思いついたのか知らないが、こういうことを大河が口にして学校で何が起きるか、まるで想像していなかったらしい。

男をさんづけで呼ぶ。というのは大人の世界では常識である。恋人だからとかそういう事ではない。竜児が見るところ大人の世界ではむしろ逆で、ある程度の距離感を保つために名字をさん付けをしているのであって、親密になると呼び方が下の名前に変わり、さんが取れる。母の泰子が水商売をしていた頃は、客の名前が出るたびに竜児は神経をとがらせていたが、泰子は一貫して客をさん付けで呼んでいた。

大河がやろうとしているのは逆のことである。なれ合っていた子供が、相手を婚約者として意識し、それゆえにフォーマルにさん付けで呼ぼうと言うのである。その気持ちはわかるし、竜児もまんざらではない。

大河は馴れ馴れしいどころか、図々しくて偉そうな所から始めた女だから、ここに来てさん付けなどされて、竜児は結構ダメージを負っている。甘い気持ちで胸が一杯になって、しばらくは大河に小言なんか言えそうにない。

だが、第三者がそれをどう思うかとなると話は別だ。

大河が深窓の令嬢だと言うのなら話は早い。朝の挨拶が「ごきげんよう」などというどこかのお嬢様学校に通う女子が、婚約者に対してさん付けというのなら、いかにもという気がする。だが、逢坂大河である。ほしくもない手乗りタイガーなどという称号を勝手に与えられていた大河は、歩けば人波が割れ、睨み付ければ相手が腰が抜かすほど悪名が高い女なのだ。おまけに、木刀一本で先々代の生徒会長に衆人環視の中、がちの殴り込みをかけたエピソードは全校生徒の知るところである。

その手乗りタイガーが「竜児さん」とは、竜児以外の全員がちゃんちゃらおかしいと思うに違いない。

大河もその点気づいたようなのだが

「で、でも。学校でも呼ぶ。決めたから」

と、表情が硬い。竜児は

「なぁ、大河。まずは二人きりの時から始めてみないか」

と、軽くいなしてみるが

「やだ。学校でも呼ぶ。決めたんだもん」

と、いうと、顔を赤くしたまま目を閉じ、ぷいっと膨れて横を向いてしまった。

だめだ。こうなったらてこでも動かない。経験的に、てこを持ってくれば却ってこじれてしまう。これからしばらく巻き込まれそうなどたばたを想像して、竜児は聞こえないようにそっとため息を漏らした。

そういう事が、昨日あったのだ。

◇ ◇ ◇ ◇
「ねぇ竜児ぃ……竜児さん」
「おう」

二人並んで帰り道。いつもの呼びかけを慌てて言い直す大河。口調はちょっとおすまししたよう。

すっかり日が落ちるのが早くなった今日この頃。学校が引けたばかりだというのにぼやぼやしていると日が暮れそうな勢いだ。冷たい風に吹かれて、竜児とおそろいの赤いマフラーに首を埋めた大河が、竜児の顔を見ずに話しかける。

「あのあと、何か言われた?」
「あのあとって、昼休みか」
「うん」

そりゃもちろん、盛大に「何か」言われたさ、と竜児は独りごちる。

何かあったのか、と真顔で心配する北村を除くと、村瀬を含む全員がにやにや笑いを隠さずに、嫌らしい視線を注ぎ込んできたのだ。当然、一部男子から「高須…、熱いなおい」「説明を要求する!」などと冷やかしが飛んだし、それ以上に女子のくすくす笑いとひそひそ声はもっとこたえた。

しかしそれは置いといて

「まぁ、な」

と、竜児は軽くほほえんでみせる。

「なんだ?やっぱり止めるか?」

努めて明るく言うのは、大河が実は無駄に落ち込みやすい性格であることを、竜児は知っているからだ。全校生徒を震え上がらせた手乗りタイガーは誰よりも繊細な女の子なのだ。

「どうしよう」

そういって大河が立ち止まり、竜児を見上げたのはちょうど竜児の家の前。

「俺に聞くのかよ」
「だって」

ちょっとすねたような顔になる大河に、もう一度ほほえむ。

「正直、みんなの前で『竜児さん』って呼ばれるのは恥ずかしいな」
「やっぱり?」
「だけど、昨日、お前にそう呼ばれたときは、なんてか。その」

風に吹かれたのが理由のようなふりをして、竜児はすこしだけ言いよどむ。

「うれしかったぜ」

自分の頬が少し熱いのがわかる。

「ほんと?」

大河も頬を赤らめてぱっと表情を明るくした。

「嘘じゃない?」
「嘘じゃねぇよ」
「じゃぁ、時々呼んでいい?」
「まぁ、な。二人っきりの時だぞ」
「うん」

そういってうれしそうに微笑む恋人に、つい、たがが外れる。少し暗くなってきたのをいいことに、竜児はさっと目を左右に走らせ、大河を抱き寄せる。そして、

「ちょっ、竜児。なによ、まだ明るいのに」

あらがう間もあればこそ、優しく唇を奪う。大河といえども唇を奪われてしまってはどうしようもない。できることと言えば、昼間っから狼藉に及んだ恋人を、頬を染めて恨めしげに見上げることだけである。

「なんだよ。いいじゃねぇか。恋人なんだし」

と、顔を赤くしながら珍しくわがままを言う竜児に、しかし大河も顔を赤くしたままで噛みつけない。ちょっと唇をとがらせると、ようやくの思いで一言なじることができただけ。

「なによ。竜児さんの意地悪」

(お・し・ま・い)

初出 : 2011年2月6日

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