ねぇ、竜児ぃ

「ねぇ、竜児ぃ。今日のお昼ご飯、何?」
「さっき朝飯食ったばかりだろう。カレーチャーハンだ」

◇ ◇ ◇ ◇

「ねぇ、竜児ぃ。シャーペンの芯なくなっちゃった」
「机の一番上の引き出しだ」

◇ ◇ ◇ ◇

「ねぇ、竜児ぃ。カレー作らなくていいの?」
「昨日の残りだ。夕べ一緒に食ったろう」

◇ ◇ ◇ ◇

「ねぇ、竜児ぃ。シャーペン回せる?」
「気が散るからよせ」

◇ ◇ ◇ ◇

「ねぇ、竜児ぃ。消しゴム忘れてきちゃった」
「ほら、これ使え」

◇ ◇ ◇ ◇

「ねぇ、竜児ぃ。消しゴム折れちゃった」
「…」
「ねぇ、竜児ぃ。聞いてるの?」
「あーーーっ!うるっせーよ!」

頭をかきむしって珍しく感情むき出しに怒る竜児に、

「なによ」

大河がこれも珍しく様子見に出る。
品行方正、成績優秀、家事全般に優れ、立てばお掃除、座れば整理、歩く時にはエコバッグ。目をつぶればお嫁さんにしたい男子ナンバーワン確実といわれるその男こそ、大橋高校2年C組、高須竜児である。その竜児が、どこに出しても恥ずかしくない竜児が、いつも温厚な竜児が、お嫁さんにしたい多くの長所を軽く相殺して好印象を反対側まで振り切らせる可哀想なほどきつい目を、珍しくも怒りの炎に燃やしながら大河をにらみつけている。

「なによ」

気を取り直してもう一度問いただす大河に

「お前は朝からいったい何回俺の名前を呼べば気が済むんだ。一人じゃ何もできねぇのか?ねぇ竜児、ねぇ竜児、ねぇ竜児、ねぇ竜児!お前は、ねぇ竜児村の住人かっつーの」

イライラ全放射状態の人間レーザービーム兵器が食ってかかる。もちろん、ビームは目から出る。

「なによ、いつもの事じゃない。今更何言ってるのよ」
「『何言ってるのよ』じゃないだろう!忘れたのか!今日は期末試験に備えて勉強しようって話をしたろう。勉強しろよ!」
「してるわよ」
「勉強させろよ!」
「すればいいじゃない」
「気が散って集中できないんだよ!」
「はっ集中できないが聴いてあきれるわ。単に自分が注意力散漫なだけじゃない」

後ろに手をついた偉そうな格好で、大河が低い声でなじる。駄犬が吠えるから何かと思ったけど、しょうもない。躾が足りなかったみたい、と顔に書いてある。

「自分の甘ったれな態度を棚にあげてよくそんなことが言えるな」
「誰が甘ったれですって」

ずいと前に乗り出して、大河が目を眇める。普通ならびびるところだが、今日は竜児も日頃使っていないスイッチが入っている。瞳のあたりでピピピピピと聞こえてきそうな、エネルギー充填120%状態の視線を大河に突き刺しながら

「毎日毎日俺におんぶにだっこだから、その舌に俺の名前が染みついてんだよ」
「駄犬の分際で言うようになったじゃない。お仕置きが必要みたいね」
「これだよ。都合が悪くなるとすぐ暴力でごまかす」
「ごまかすって言ったわね。その辺にみっともない死体をさらす覚悟は出来てるんでしょうね」
「ごまかすって言われたくなかったら証明して見たらどうだ」

魂の取引を持ちかける悪魔のようにニタァと口を広げ

「証明?」
「おうよ。お前が俺べったりじゃないことを証明してみろ。夕飯までに俺の名前を一回呼ぶごとに罰金100円だ」

立ち上がった竜児が、料理に使ったコーンの空き缶を持ってくる。きれいに洗った空き缶をコンと勉強机代わりのちゃぶ台の真ん中に置く。

「何よそれ、私から金を巻き上げようっての?」
「馬鹿を言え。男高須竜児、女から巻き上げた金を懐に入れる趣味はねぇ。お前がいれた金は責任を持ってエコ募金に持って行ってやる。普段自堕落な暮らしをしているお前が傷ついた地球を救うんだ。負けても心がきれいになるぜ」
「このエコ犬。で何?私ばっかり払い損なの?」
「心配するな。お前が俺の名前を呼ぶ回数が10回未満なら俺の負けを認めてやる。その時は明日の晩飯は焼き肉だ。それも100g 1000円の肉を400gだぞ。家計からじゃない。俺の懐から肉代を出してやる」

ごくり、と大河の喉が鳴るのが聞こえた。

「ば、馬鹿にしないでよ。5回で十分よ。あんたの名前なんか呼ぶ必要ないんだから、この馬鹿犬」
「くくく、俺の寛大さをありがたく受け取っておけよ。10回だ」
「ちっ」

こうして、ある雨の蒸し暑い日曜日。ぼろアパートの2階にある2DKで、心底どうでもいい勝負が始まった。

「ねぇ竜児、終わりの時間は何時?」

ぷっと竜児が吹き出す。

「…」
「今のはノーカンにしてやる」
「あとで後悔するわよ」
「ノーカンだ。終わりは4時な。たっぷり6時間あるぞ。1時間に1.6回以下ならお前の勝ちだ。さぁ、どうなるか楽しみだなぁ」
ニヤリ。ギロリ。妙な表情を交換して勝負開始。しかし、事態は思わぬ展開を見せる。いや、思ったとおりと言うべきか。
「あーばっかみたい。こんな勝負。とにかく、関係ない話をしてれば私の楽勝なんだから。竜児も馬鹿な勝負に出たものね」
「……」

閻魔大王を罠にはめた悪人のようなツラで、竜児がニヤリと笑う。

「ふん、このくらいサービスよ。今からが勝負なんだから」

チャリン。

◇ ◇ ◇ ◇

「ほんとにつまんないこと考え出すんだから。だいたい竜児だって私のこと大河、大河って呼んでるじゃない」
「……」

チャリン。

◇ ◇ ◇ ◇

「あーあ、駄犬がつまんないこと考え出すから退屈になっちゃった。ねぇ、駄犬、今日のお昼何時に作るの?」
「駄犬呼ばわりしても返事しないぞ」
「何よ、竜児って呼ばないと返事しないつもり?」

チャリン。

◇ ◇ ◇ ◇

「ねぇ、お腹すいた」
「まだ10時半にもなってないだろう。いい加減にしろ」
「お菓子食べていいでしょ?」
「まったく。食い過ぎるなよ」

ぱっと明るい顔になった大河が立ち上がる。

「竜児、お菓子どこだっけ?」

チャリン。

◇ ◇ ◇ ◇

「竜児ぃ、チョコボールの封切っていいでしょ?」

チャリン。

◇ ◇ ◇ ◇

「もう絶っっっっ対にあんたの名前なんか呼んでやらないんだから。…あれ?竜児、見て見て!銀のエンゼル当たってるよ!」

チャリン。

◇ ◇ ◇ ◇

「お前なぁ、これは無いんじゃないか?」

ちゃぶ台を前に竜児がため息をつく。

大河なりに努力したのだろうが、あっさり10回に到達。現在11時20分。およそ8分に一度竜児の名前を呼んでいた計算になる。意識して却って呼ぶ回数が増えているんじゃないだろうか。あまりのことに大河も真っ白に燃え尽きて死んでいる。全力を尽くしたというより、自分の姿の映った鏡を見せられて死んだようなものだが。

「もういい。これでわかったろう。勝負はお前の負けだ。少し早いが飯にするぞ」

そう言って竜児が立ち上がる。カレーチャーハンと言うと聞こえはいいが、カレーのこびりついた鍋を暖め、冷えた飯をいれて混ぜるだけである。油だらけの鍋を洗う洗剤が減るのでエコだし、こびりついたカレーは丁度いい味加減になる。竜児はずっと前からこうしてカレーの後始末をしている。まぶしただけなので中辛でも大河の口に合うのも好都合。

「ほら、元気出せ。もう勝負は終わりだ。これ食って忘れろ」

大盛りの皿を目の前に置いてやる。真っ白になって死んでいた大河もカレーの香りで意識を取り戻したらしい。ぴくりと動いてカレーチャーハン(と竜児が呼んでいる食べ物)に目を落とす。死んだ虎をも蘇らせるとは恐るべしインドパワー。ついでにそのパワーで大河の性格も変えてくれないだろうか。変えてくれるなら日本印度化計画に協力してやってもいい。無理か。

やがてもそもそと食事を始めた大河を見て竜児がもう一度ため息をつく。これは面白く無いことになった。飯時にこんな陰気な顔をされるのはどうにも耐えられない。大河のいいところはうまそうにもりもりと飯を食う所なのだ。

しかし、カレーの香り立ちこめる部屋でアンニュイな気分に浸っていた竜児を余所に、大河はインドパワーのおかげか、徐々に持ち前の食欲を取り戻しつつあった。皿を1/3片付けたあたりでようやくトップスピードにのると、そのままスプーンで次々にカレーチャーハンを口に運んで竜児を安心させる。

「あんたねぇ」

大河がスプーンで竜児をびしっと指したのは、あらかた食べ終わった頃だ。

「スプーンで人を指すな。行儀の悪い」
「勝手に勝負を終わりにするんじゃないわよ」
「勝手もなにも、お前の負けだ。逆転なんかねぇ。それともエコ募金を増やしたいのか。だったら24時間受付中だぞ」

竜児の軽口に大河が全身の毛を逆立てる。ぶわっと、大河自身が大きくなるような気がするが、最近では竜児もびびってばかりではない。食事中にこいつが暴れたことは無い。経験的にも頭で考えても今は安全だろう。

「これは駄犬をしつけるための勝負よ。ご主人として犬をつけ上がらせるわけにはいかないのよ。だからあんたに私が本気をだしたらどうなるか見せてあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「馬鹿!食事中にべちゃくちゃしゃべるからだ」
「竜児どうしよう」
「あぁ、いじるな、今取ってやるから」

スプーンからカレーをまぶしたご飯がぽとりと落ちて、スカートの上についている。カレーライスではないからべっとり染みがつくことは無いだろうが、下手に触ってすり込んでしまうと厄介だ。

「染みにならない?」
「このくらいなら大丈夫だろう。洗濯して染みが取れないようだったらもってこい。俺が抜いてやる」

ご飯粒を慎重にとり、ウェットティッシュで丁寧に生地を湿らせてトントンたたく。どうやら染みにならない様子。

「よかった。何の話だったっけ。そう、あんたに本気を出した私の姿を見せるためにも、途中終了なんて許されないのよ」
「はいはい。で、どうするんだ」
「どうするもこうするも、4時まで続けるだけよ」
「好きにしろ。で、昼休みはどうするんだ?」
「勝負に昼休みも夏休みもないわよ」
「そうか、じゃ、さっきの分100円な」
「…ちっ」

チャリン。

◇ ◇ ◇ ◇

「ほんとにつまんないこと考え出すんだから。駄犬は駄犬ね」
「午前中も似たようなこと言ってなかったか」
「うるさい!竜児は黙ってて!」

チャリン。

◇ ◇ ◇ ◇

「竜児、デザートないの?」

チャリン。

◇ ◇ ◇ ◇

「もう寝る!いい?ちゃんと番犬として私の身に危機が及ばないように見張ってるのよ!」
「お前は数え切れないほどうちで寝ているが、一番やばかったのは涎をたらしたお前の寝顔だったぞ」
「うるさい!いいから黙ってなさい!…あ、ねぇ竜児座布団一枚とって」

チャリン。

◇ ◇ ◇ ◇

「ん…竜児、今何時?」
「おう、2時半だ」
「…そう、もうちょっと寝るわ」

◇ ◇ ◇ ◇

「ああぁ、よく寝た…竜児、アイス食べたい」
「バニラとチョコどっちがいい」
「バニラちょうだい」
「ほら。こぼすなよ」
「うん」
「うまいか」
「うん」
「目、さめたか」
「さめた」
「200円」
「……ちっ」

チャリン、チャリン。

◇ ◇ ◇ ◇

「ま、こんなもんだな」

時刻は4時。ひっくり返した空き缶の中には2300円入っていた。6時間のうち、2時間昼寝していることを考えると午後もほとんどペースを落とさずに竜児の名前を呼んでいたことになる。さすがの竜児もあきれるばかり。軽口をたたく気にもならない。駄犬にご主人様の本気云々といっていた大河も、歯を食いしばって体を震わせながら空き缶を睨みつけている。あと3分もすれば、いたたまれなくなって空き缶が逃げ出すだろう。

「ま、あんまり怒るな。お前も…」「うるさいっ!」

いきなり飛び出した叫び声に竜児が反応できたのは、傍目にはほとんど奇跡だった。怒りに任せて空き缶を叩き潰そうとした大河の右手を、野獣を上回るスピードでも出したか、あるいは大河のドジに筋肉レベルで反応できるようになったか、竜児の右手がパンと払いのけた。

「何するのよ!」

と、右手を押さえて竜児をにらみつける大河の顔が、さっと変わる。

「あんた、それどうしたの!」

大河のドジばっかり責めては居られないようだ。空き缶なんかを叩けば大河が怪我をする。だから手を払ったのは良かった。だが、空いた手で空き缶をひったくったのは余計だった。缶のふちで切ったのだろう。左手の指から血がちゃぶ台に滴り落ちている。

「心配するな。たいしたことねぇ」
「たいしたないって!どうしよう、救急車呼ばなきゃ!」
「待て。大きな声出すな。泰子がおきる」

今朝8時に帰ってきた泰子も、そろそろ起きる頃だ。血を見て騒がれた日には、治る傷も治らなくなる。

救急車を呼ぼうとする大河を落ちつかせてティッシュを取らせる。傷口を押さえて出血を止め、滴った血をぬぐう。黙って立ち上がってキッチンに行くと、輪ゴムとキッチンペーパーを引っつかんでそのまま洗面所に向かう。

「竜児、大丈夫?」
「おう」

輪ゴムで手首をきつく縛って流水で指を洗う。思ったより傷が深いせいだろう、次々に血があふれ出てくる。血の色のついた水がさっと、白い流しを紅に染める。しかし、色はにごっているから動脈を切ったわけではないようだ。単に傷が深かっただけ。縛ったのが効いてきてやがて血が止まる。

「そんなので止めていいの?」
「応急処置だ。おう、お前、自分で切ったときはこんなことをするなよ。俺を呼べ」

やおら振り向いた竜児がえらい迫力で大河を睨み付ける。

「何いってんのよ」
「勝手に手首縛ったりするなよ。却って大事になるからな。部屋が汚れてもいい、まず俺を呼べ、いいな」
「そんなことより傷…」
「怪我したらすぐ俺を呼ぶんだ。わかったな」

有無を言わさない調子に大河が頬を膨らませる。

「…わかったわよ。怪我したら竜児を呼ぶ」
「よし…」

血さえ止まれば、単なる切り傷に過ぎない。泰子に代わって一人で炊事を始めた頃にも似たような怪我をした。あの時は泰子を心配させないように絆創膏だけで止血したものだ。さすがに今はそこまでごまかす必要は無い。消毒してガーゼを当て、きつく包帯を巻いておしまい。

「病院で縫ってもらったほうがいいんじゃないの?」
「本当はそうなんだろうな。ま、これで治らないわけじゃない。貧乏人なんてこんなもんだ」
「…」

◇ ◇ ◇ ◇

ビニール袋に突っ込んだ左手で茄子を押さえ、包丁で切る。痛みもあるし、押さえが悪い分、自然手際も悪くなる。さすがにいつもの包丁さばきは披露できない。

「ねぇ、竜児」
「なんだ」
「その…………ごめん」
「怪我のことか。気にするな」
「でも」
「つまんねぇ事言い出した俺も悪いんだ。喧嘩両成敗だ。これで終わりにしよう。な」
「両成敗って、成敗されたの竜児だけじゃない」

くくく。と、まな板に目を落としたまま竜児が笑う。よほど心配なのだろう、さっきから大河は横に付きっ切りで、竜児の動きの邪魔をしている。おかげでいつもより悪い手際がいっそう悪くなる。まったく、朝から晩まで竜児竜児とうるさいことこの上ない。この手間のかかる子虎を、誰か何とかしてくれないものだろうか。

等と考えているくせに、我知らず、竜児は笑みを漏らす。

「ねぇ、竜児ぃ。本当に大丈夫?痛くない?」

(おしまい)

初出 : 2009年6月12日

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