Sundays, October 3/4

10月3回目の日曜日、竜児と大河は気分転換のために発奮して足を伸ばすことにした。

足を伸ばすとは、30分ほど先の乗り換え駅まで行くことであり、発奮とは片道480円ほどの電車賃を払うことである。無駄づかいなどもってのほか。竜児がああいう性格ということもあって、普段二人はあまり派手なところには行かない。しかし、もともと高級品に囲まれて育ったうえ、ファッションにもこだわりのある大河だ、ショッピングが嫌いなはずはない。

だから、二人でウィンドウ・ショッピングでもしようかと言うことになった。

大河の好きなデザインを扱っているアパレル・ショップをぶらぶらし、竜児の好きなデザインを扱っているキッチン洋品店を(万引と間違われないよう)ぶらぶら歩く。何もしない、何も決めない贅沢な時間を過ごしながら、二人で手をつないで歩く。

どこがと問われると答えに窮するだろうが、二人に親しい人物、たとえば櫛枝実乃梨に聞けば、以前とは何かが変わったと言うだろう。何か変わったか、と二人に聞けば、竜児と大河は顔を見合わせて困ったように笑うだろう。

結婚を先延ばしにすると泣きながら決めたことで、二人は余分な時間を手に入れた。毎晩のように二人を苦しめる激しい胸の痛みは別として、あせる必要がなくなったのかもしれない。川嶋亜美なら、それをモラトリアムと言うかもしれない。

「ねぇ、竜児。この後買いたいものがあるんだ。寄ってっていいよね」
「いいぞ。何買うんだ?」
「マフラー買って竜児にプレゼントしてあげるの!」

と、大河はうれしそう。しかし、

「はぁ?うれしいけど、泰子から買ってもらったあれ、まだ使えるぞ」

少々複雑な面持ちで竜児が言う。何しろ去年まで竜児は胸を張ってマザコンを自称するほど母親を大事にしていたのだ。今年の頭にあった一件で、幾分親離れが出来ているとはいえ、親にもらったものなら体だろうがマフラーだろうが粗末にはしない。

しかし大河は若干斜め上で

「そ、MOTTAINAIからあのマフラーは私に貸して?やっちゃんにはちゃんと私から話をしておくから」

などと言う。

「お前」

目を押さえながら、「いつも、このくらい分かりやすい奴だったらいいのに」と竜児は苦笑する。

「はいはいわかりました。ちゃんと泰子に説明しろよ。こういう言い方は嫌だけど、あれは泰子の給料からすると相当高かったんだぞ」

しつこいくらい釘を刺してくる竜児に大河は、涼しい顔で返事。

「わかってる。ちゃんと説明する。私だって今はそんなにお小遣い無いんだから。もし、駄目って言われたら、新しく買うマフラーは私が使う。で、竜児に貸すからちゃんと匂いつけして返してよね」

年頃の娘から『お父さん臭い』などと言われてへこんでいる全国の父親が聞いたら泣き出すようなことを言う。

「お前の考えることはどんどんめちゃめちゃになっていくな」

竜児のぼやきなど聞こえぬ風に、大河は紳士用品売り場でマフラーの品定めをうれしそうに始めた。あれにしようか、これにしようかと目を輝かせてマフラーを選ぶ大河を、つい今し方のぼやきも忘れて竜児は目を細めて見ている。自分のためにマフラーを選んでいる恋人を見ているのだ。あれこれさっ引いても、幸せな気分に浸れようというものだ。

が、やはり喧噪の中に生きる運命か。日曜日とはいえ、それなりに落ち着いた雰囲気の紳士用品売り場で、大河が

「きゃーっ!」

と、押し殺した悲鳴を上げたのは5分ばっかり物色を続けた後のこと。

竜児、これ見て、といわんばかりに目を見開き、その場でじたばたと足踏みをしている。小さな可愛い手に握られているのは、どこかで見た男物のカシミアのマフラー。

「おう、よく似てるな」
「違うわよ、同じよ、同じ!」

いったい違うのか、同じなのか。妙に興奮した様子で大河が竜児に笑う。

その取り乱した喜びように、竜児は首をひねる。泰子の生霊でも乗り移ったか。それは困る。ただでさえドジなのに、この上頭のねじまでばら撒かれたのでは手におえない。いくら竜児でも二人分の頭のねじの面倒は見切れない。

「私これ買う!」

と、はしゃぐ大河を、竜児がなだめる。

「落ち着けって。これ、俺にプレゼントしてくれるんだろ、同じものにしてどうすんだよ」
「いいじゃない、おそろいよ!私これにする!」

へらへらと笑いながらマフラーを抱きしめる大河に、竜児が説得を続ける。

「ばか言え、お前貸したり借りたりするつもりなんだろ。考えてもみろ、絶対どっちかわからなくなるぞ。俺は泰子から貰ったマフラーも、お前がくれるマフラーも大事にしたいんだ。ごっちゃにするなんて、嫌だからな」

しかしながら、大河様は名案を思いついて竜児の説得を一蹴。

「じゃぁ、竜児、名前刺繍して!」
「はぁ?」

マフラーに名前を刺繍?カシミアが泣くぞ。そんな竜児のマフラーへの暖かい心遣いはどこ吹く風、

「なんて刺繍してもらおうかな。Taiga? Ryuji? はっ!T to R? どうしよう、決まらない!」

マフラーを抱きかかえたまま、新しいアイデアが浮かぶたびに大河は、くねっ、くねっと体をよじる。

こんなところで知り合いに出くわしでもしたらどうなるだろう、と竜児は考える。たとえば、あのかわいそうな富家あたりは、腰を抜かして驚くかもしれない。亜美が見たらマシンガンのように侮蔑の言葉をあびせかけるだろう。案外、春田あたりは大河のひとりバカップル・オーラに同調して、へらへらくねくねと一緒に踊ってくれそうだ。

◇ ◇ ◇ ◇

大河ご執心のマフラーも無事購入。だが、お昼を食べるにはまだ少し早い。

ぶらぶらと二人で街を歩きながら、のんびりと休日を楽しむ。

大河はマフラーの入っている紙のバッグを大事そうに体の前で抱えている。「そんな風に持つと…」と言おうとして、竜児はやめた。大河の笑顔を見ていると、あまりにも自分が野暮に思えた。カシミアだし、少々きつく抱きしめても大丈夫だろう。というか、今後予想される、大河の「殴った手の方が痛い」的な意味で愛情あふれる少々手荒い巻き方を思うと、抱きしめたくらいでぺちゃんこになるようじゃ、困る。

まだ色づくには早いな、と竜児が銀杏の木を見上げている横で、大河が

「あっ」

と、小さな声を上げた。

頭の向いている方向を見やると、有名な大ホテルに大きな垂れ幕がかかっている。「秋のブライダル・フェア」。

うっと竜児は息を飲む。大河が傷ついたのではないだろうか。というか、竜児も軽く傷ついている。が、大河に関しては少し過剰に考えすぎていたらしい。

振り向いた大河は微笑みを浮かべて、

「ねえ竜児、行ってみない?」

問いかける。私ウェディング・ドレス見てみたい、と。

「おう、行って見るか」

大河さえOKならさほど異論はない。二人でホテルに向かう坂道を登って行く。

「俺はこんな大きなホテルを見るのは初めてだ」
「あら、電車から見えるわよ」
「そういう意味じゃねぇ」

などと話をするうちに、坂の上のホテルに到着した。

おお、これが回転扉か、などと感心しつつ押してはいる竜児に続いて、大河がとことこついてくる。

◇ ◇ ◇ ◇

内部は、想像以上に場違いだった。

床はピカピカに磨かれたきれいな石で、天井は高く、曲線を駆使した優雅なつくり。そしてもちろん、何百ものガラスからなるシャンデリアが頭上につるされており、カウンターや行きかう人々、ソファや重そうなテーブル、時計や絵画をはじめとする調度品を押さえたオレンジ色で照らす。

「俺たちスニーカーだぜ」

と、苦笑する竜児の背中をおどけたように大河が後ろからよいしょ、よいしょと押していく。

「大丈夫、お泊りじゃないんだから」

泊まりも悪くねぇ。いつかは大河をクリスマスにこんなホテルに連れて来てやって…。と考える竜児は、発情した赤鬼のようだが、大河は後ろにいるので幸い罵声を浴びせられずに済んだ。

しかし『ブライダル・フェア会場はこちら』という看板に導かれて別棟まで歩いてきた二人は、終点で自分たちが大きな勘違いをしていたらしいことに気づいた。

フェアは予約制だった。

ロビーの隅っこで、しばしぼけっと突っ立って二人が観察したところによると、どうやらこれは婚約して、会場を探している恋人達にウェディング・ドレスを見せたり、披露宴で出される食事を食べさせることで、ホテルでの挙式へと導くためのお試しイベントのようだった。

「有料の撒き餌ってわけね」

と、みもふたもない言葉で得心する大河に竜児が苦笑する。「私、ウェディング・ドレス見たい」と、言った大河は可愛かったのに。

ちょっとがっかり気味の竜児をよそに、早くも立ち直った大河はせっかくだから展示されているドレスだけでも見たいと言い出した。ロビーの数箇所に、ショーケースがあり、マネキン人形が着物や十二単やウェディング・ドレスを着飾って立っている。

ぶらぶらと二人で一つずつ見ていく。

十二単の前を歩きながら、私はちょっと違うかな、などと大河はつぶやいている。

「ねぇ、竜児はさ。2-Cの子だったら誰にこれ着せてみたい?」

いきなり素っ頓狂なことを聞かれて竜児が軽く切れる。

「何を言い出すんだよお前は!」
「大きな声ださないでよ。いいじゃない。私には似合いそうにないし」

動揺する竜児を他所に、大河のほうはあっさりしたもの。共通のクラスメイトの誰に結婚式の衣装を着せたいか、などという恐ろしいことを平気で婚約者に問う。これが男同士なら別に何の抵抗もない。相手が女でも、たとえば木原麻耶あたりとなら、いくらでも馬鹿話として盛り上がることができるかもしれない。

しかし、目下アツアツ交際中の婚約者と、「あの娘なら、この婚礼衣装が似合う」などと討論できるだろうか。いや、出来ない。

そう、考えるのだが、大河には倒置法が効かない。考えているだけだから普通の文法でも効かないが。

「ねぇねぇ誰がいい?」
「うーん。十二単なら香椎かな。お姫様っぽいよな」

押し切られた竜児が、女子に聞かれたら即座にセクハラ妄想野郎の烙印を押されかねないことを、とうとう口にする。

「なるほど、奈々子か。悪くないわね。そういえば、あの子あんたに料理教えてほしいって言ったわよ」
「残念ながら、あのキッチンには女は入れねぇ」

にやり。

竜児が凶悪な笑顔を浮かべる。香椎なら高値で香港に売れるだろう、などと思っているわけではない。2DKの安アパートにあるささやかな自分の城を思い出しているだけである。

「なによ、私は女のうちに入っていないの?」

と、ふくれてみせる大河だったが、残念。

「知ってるか?嫁さんとお袋と娘は女のうちに入らないらしいぞ」

ニヤニヤ顔の竜司に言われて、3秒後、みるみるうちに赤くなる。この勝負、竜児の勝ち。

「そんなこと言っても駄目なんだから」

と、何が駄目なのかさっぱりわからないが、竜児は

「はいはい」

と、上機嫌。

しかし、

「で、これは誰?」

と、大河が前に立った着物を前に、竜児はハタと困ってしまった。

着物は日本の伝統衣装だが、じゃぁ竜児がそんなものを着ている人たちと会うかというと、もちろんそんなことはない。2DKのぼろアパートと学校と、去年まで通い詰めた大河の部屋を除けば、スーパーマーケット以外の世間をほとんど知らない竜児にとって、着物というのは雑誌で見る写真にすぎない。そうすると、なんというか、クラスメイトの年齢層と合わないのだ。おばさん?の着るものじゃないのか?十二単のほうが現実離れしている分、想像しやすい。

「うーん」

かなり困ってしまった。

こういうどうでもいいことに真剣になってしまうのが、パラノイア体質の悲しいところである。

「竜児、そんなに悩むこと無いじゃない。ぱっと答えなさいよ」

と、大河の方も、振るネタを誤ったかと後悔気味。しかし竜児の方は旧2-Cの面々の顔を右から左に真剣に思い浮かべている。

「あんまり元気な衣装じゃねーよな。櫛枝とか木原じゃねーんだよ。もっとこう、地味な。うーん地味…」

いまいちぴんと来ない顔ばかり浮かんで首をかしげるばかり。大河の方が焦れて

「竜児、もう、いいわよ」

と、あきらめたところで竜児の頭のなかに光が差した。

「あ、あれだ」
「へ、誰?」

二人顔を見合わせる。旧2-Cで着物が似合いそうな、地味でちょっとおばさんくさそうな人と言えば…

「独身(31)」

ぷっ、と大河が竜児の顔を見ながら、噴いた。続いて口を押さえるが、

「ぷぷぷっはははは、何それ、ははっ、ちょちょちょ、たはっ…あ、だめ!」

そのままその場に座り込んでしまった。よほど笑いのつぼにヒットしたのだろう。竜児の方は自分が言ったくせに、

「お前、それ、いくら何でもウケすぎだろう。可哀想だぜ」

と、素知らぬ顔。

大河の方は、座り込んだまま「お腹痛い」「助けて」と、いいつつ、笑い溢れる幸福な世界をさまよっている。たっぷり1分、声を殺して笑った後、

「はぁー、死ぬかと思った。ちょっと竜児、どういうつもり?私が死んだら殺すわよ!」

ようやく立ち直った。竜児の方は、

「知るか」

の一言。

続いて最後のウェディング・ドレス。これは鉄板。

「やっぱり大河が一押しだぜ」

と、竜児はニヤケて見せる。

が、大河のほうは旧2-C婚礼衣装GPで頭がいっぱいになっているのか、珍しく赤面スイッチが作動しない。

「私はおいとくとして、次席は誰?」

と、何のひねりもなく竜児に聞く。さっきは赤面していたくせに。

熱い心をスルーされた竜児としては、幾分のがっかりを否めない。が、それでもウェディング・ドレスと言えば

「川嶋だろう」

と、思う。川嶋亜美。プロモデル。母親は美人売れっ子女優。8等身美人。受け継いだ遺伝子もその発現型も反則という超サラブレッドをさしおいて、ウェディング・ドレスが似合うクラスメイトを選ぶわけにはいかない。きっと神様もこの判断には不服がないだろう。

「そうだよねぇ。ばかちーだよね」

と、大河もこの判断には不服のない様子。

そんなこんなで、花も恥じらう旧クラスメイト(と、お疲れ気味の元担任)を肴に結婚式場の隅で地味に盛り上がる二人は、声をかけられるまで後ろに人が近づいたことに気づかなかった。

「あの、お客様。お式のご予定はいかがですか?」

二人同時に振り返る。

「「へ?」」

◇ ◇ ◇ ◇

振り向いた二人の前にいたのは、身なりからして結婚式場で働いている女性。営業スマイルの上に一瞬おびえが走ったのを竜児は見逃さなかったが、自分が傷つくだけなので見なかったことにした。

「いやぁ、俺たち…僕たち高校生なんです」

と、やり過ごす。

「あら、じゃぁ、お二人は恋人同士なんですね」

と、にっこり笑うお姉さん。話がこれで終われば日曜日イベントもこれで終わりだが、竜児の連れは大河である。はいっと、挙げなくてもいい手を挙げ、目を線のように細めて

「私たち、婚約中なのです!」

と、のたまわった。お姉さんの方は美女と野獣の意外な進み具合に

「えっ」

と、目を丸くするが、にこやかな笑みを途切れさせず、

「では、ご結婚のご予定はいつ頃で?」

瞬時に本来の営業ルートに戻ってきたのはさすがプロである。やっぱり大人は違う、と竜児も違うところで感心する。

しかし、大河もひと味違う。

「ゴールインは5年後の予定です!」

と、にこやかに返答。

こういう場面で5年後ってどうよ、と竜児は思うのだが、それでも先週が先週だったので、大河が暗くならずにさらっと5年後の未来を描いて見せたのは、すなおにうれしい。

しかし、しかし、しかしだ。

あれだけ痛い目にあっても、竜児は大人の世界を見くびっていた。まさか大河の5年返しを上回る技があるとは思いもしなかった。技の名前は「ぼけたふり」。

「そうですか!それは、おめでとうございます。もし、式場を決めていらっしゃらないのなら、本日のブライダル・フェアを覗いていらっしゃいませんか」

これがどのくらい二人にショックを与えたかというと、

「「は?」」

と、二人が返事をするまでたっぷり3秒かかった程である。

5年先の式場なんか決めているわけが無い。それ以前に、二人ともスニーカーである。

◇ ◇ ◇ ◇

「つまり、撒き餌があまったから餌付けに使っておこうってわけね」

と、いうのが二人に声をかけたお姉さんの話の、大河による要約。世界のほとんどの事をご飯か、ご飯でないかで片付けているだけのことはある。

「ドタキャンは対処できないからな。料金がどうなるかは知らないが、飯の仕込みは前の晩からだろう。いまさら材料返して来いってったって厨房も困るぜ。かといって、作った料理を捨てるのもMOTTAINAI。どうせ捨てるなら、いくらかでも可能性のある連中にタダで食わせたほうがいいからな」

と、いうのが竜児による要約。高校生らしさのかけらもない。むしろ、うざい。

とはいえ、声をかけてきたお姉さんもお姉さんだ。いくら金銭的にペイするといっても、向こう5年間式は挙げませんと言っている高校生カップルをブライダル・フェア会場にもぐりこませていいものか。

女の子の方はまだいい。一見小学生サイズとはいえ、その先入観さえぬぐってしまえば、容貌にはケチの付けようがない。かすかに青みを帯びたミルク色の頬は夢見るような曲線を描き、思わず甘い誘惑に手を伸ばして触れたくなる。つぶらな瞳が見ているのは現の世界か夢の世界か。伏せた目を覆う長いまつげが憂いがちな空気をはらみ、この世のものでは無いのではないかという疑念すら見るものに抱かせる。閉じた唇はバラの花のように薄く、はかなげ。そして腰まである髪がけぶるようにゆったりとその体をつつみ、いっそう現実感を淡くする。

美少女なのである。

着ているものと言えば、濃い茶のサマーセーターにデニムのパンツとシンプルにまとめているが、細い体の線とあいまって、中性的なきわどさを放っている。むしろ目を引くと言っていい。

問題は男の子の方である。際立つのが、思わず「その目は何だ」と注意したくなる目つきの悪さだが、人によってはむしろ目をそらしたくなるかもしれない。着ているものもTシャツの上に薄手のジャケットを羽織っただけの無難きわまりないファッション。同じデニムのパンツで横の彼女とこれほどまで差が出るかというほど、絵に描いたような「普通」さ。むろん高校生が街を歩く分には、これで何の問題も無い。が、これから連れて行くのがブライダル・フェアの会場だけに、よくぞまぁ、連れ込む気になったなと却って感心してしまう。

そういうわけで、「ただ飯食わせてもらえるみたいだし、いいか」位の気持ちでついてきた、このいろいろな意味での凸凹コンビは、試食会兼ファンッション・ショー会場に入れられて激しく後悔することになる。力の限りフォーマルだったのである。

会場にはおよそ30か40くらいの、テーブル・クロスもまぶしい丸テーブルがあり、抑えた色合いの品のいい皿や、照明にまばゆく輝くクリスタルのグラス、きらきらと光るナイフやフォークがナプキンと共にきちんと並べられてある。テーブルの中央にはアレンジ・フラワー。当然生花。天井には、「は、エコ?それっておいしいの?」と言わんばかりの巨大シャンデリアがつり下げられており、数百の電球が会場に過剰な灯りを与える。前方にはまばゆく照明されたステージがあり、おそらくウェディングドレスのファッションショーが行われるのだろう。

そしてなんと言っても、二人を威圧するのはそれぞれの丸テーブルに座る3組のカップル達である。

おそらくは平均年齢20代後半。男はスーツが圧倒的だが、女の方はスーツからちょっとおしゃれなドレスまで色とりどりの戦闘服でおめかししている。そこは圧倒的に大人の世界だった。「私たち、もうすぐ結婚しま~す」というオーラであふれかえっていた。

恋ヶ窪ゆりを連れて来たら、独!と膝をつくだろう。

◇ ◇ ◇ ◇

「ねぇ竜児。私たち、ちょっと浮いてない?」

しばし言葉を失った後にようやく大河が発したのがこの台詞だった。

ちなみに「しばし」というのは、会場に連れてこられ、やや前方で中央よりわずかに右よりという学校の席だったらちょっと嫌だなぁというテーブルに案内され、大河のために椅子を引いてくれた係のお姉さんが首をかすかにかしげるのを見て竜児が顔を小さく振りながら「お願いですから子供用の椅子だけは勘弁してください」とテレパシーを送り、やべ、ナイフとフォークって内側からだっけ外側からだっけと焦り、突如、同じテーブルどころかあちこちのテーブルから注目を浴びていることに気がつくまでの時間のことである。

ちょっと浮いているどころか、浮きまくっていた。

フォーマルな大人の集いのなかに、デニムとスニーカーで殴り込みをかけているのである。目立つのが美形の大河ならともかく、このフォーメーションだと目つきの悪い竜児が赤色灯つきの標識のように目立ってしまっている。

「もう、あきらめろ。俺は腹をくくった」

そういって、竜児が嘆息する。

結婚式で出される飯をただで食える。その言葉に釣られて大河が首を縦に振ったのが運の尽き。大橋高校No.1虎使いの異名をとる竜児といえども、こと食欲に関する限り、大河の突進を抑える自信はない。オヤツだけはなんとか言うことを聞くものの、食事そのものは手に負えない。で、渋々ついてきたらこれだ。まぁ、いい。大河のせいにするのはやめよう、と、気を取り直して回りを見回す。

試食会はちょうど始まるところで、ホテルの人がグラスに乾杯のシャンパンを注いでまわっている。

「では、皆さん。恐れ入りますがご起立お願いします」

と、司会がにこやかに言う。

立つのかよ、と独りごちながら、竜児の目は隣の椅子を注視。大河がよいしょ、と椅子から降りたところで後ろに引いてやる。

「かんぱーい!」

いまいちのりの悪い唱和に続いて会場中から恋人達が上質のグラスをかちんと鳴らす音が響く。竜児と大河も乾杯。

「竜児、シャンパン飲んでいいでしょ?」
「お前飲んだことあるのか?」
「うん、ちょっとだけなら」
「じゃ、軽く一口くらいにしとけ。俺もそうするから」
「うん」

竜児も飲んだことはある。

それも結構ある。泰子の元同僚達はのりがいいというか、飲むと理性のたがを自分で外しにかかる傾向があるため、「竜児君も飲みなよ~」と初めて目にする液体を無理矢理押しつけられたこと多数。シャンパンごとき、安いのから高いのまで、北村あたりには想像できないくらい飲んでいる。とはいえ、竜児も一回一口程度である。今回、大河同伴で未体験ゾーンに突入する気はないので、半口ぐらいにしておく。

拍手と共に着席。椅子から降りる場合に比べて若干微妙な大河を横からさりげなくアシスト。

乾杯とともにすっかり和んだ会場では、引き続き、パンと飲み物が手早くサーブされていく。ビールとワインが注がれたときには眉をひそめて相席のカップル達をびびらせた竜児だが、別のテーブルで水やジュースが注がれているのを見て一安心。周りを見回してパンに手を伸ばす。落ち着いてしまえば、気負っていた自分が馬鹿馬鹿しくも感じる。普段、雑誌の中でしか見ることの出来ないきれいな食器を使うのを楽しめばいい。

お、このバターナイフ、おしゃれだな。などと考えていると、

「ねぇ、竜児。ワイン飲んでいい?」

大河様は目の前の淡い色の飲み物に興味津々のご様子。

高校三年にもなれば、いかにくそまじめな竜児でもアルコールを絶対飲むなとまでは言わない。ただ、大河の場合はもともと小柄な上に麻酔アレルギーというやや特殊な病気を抱えている。飲酒と麻酔アレルギーの間に関係があるかどうか竜児は知らないが、知らないだけに慎重にしたい。シャンパンを飲めるのだから大丈夫だとは思うが。

「お前アレルギー持ってたろう。酒、大丈夫なのか?」
「わからない」

と、大河。

「じゃ、グビッとやるのは止めとけ。舌の上で味わうくらい。な」

そのくらいなら、何かあっても対処のしようがあるだろう。大河の方は駄目だと言われると思っていたのか、竜児が出した条件にも

「うん、そうする」

と、素直に頷いて、ワイングラスを手に取る。

グラスを顔の前にやって神妙に香りをかぐ姿は、実に絵になる。ツラのいい奴はうらやましいなぁ、と竜児が思っている間に、大河は一口含む。

「どうだ?」
「んー」

大河はしばらく考えて。

「大人の味」

と、やや情けなさそうな笑顔。

試しに竜児も半口含んでみる。確かにシャンパンほど甘くない。あまやかな香りと、ほのかな酸味。大人の味とはよく言ったものだ。

「味が淡いから白身の魚とか貝に合いそうだ」

と、感想を言うと、大人のコメントに驚いたのか

「竜児お酒飲んだことあるの?」

大河が目を丸くする。

たわいない会話だが、こういうのが楽しいということは竜児にもよくわかる。2DKで手料理を食べて寝そべってテレビを見るのもいいが、雰囲気のあるレストランでは自然と会話もいつもとは違うものになるだろう。世の男女が夢中になるはずだ、と竜児は一人納得。

スープ手をつけ始めたころに、お待ちかねのファッションショーが始まった。シャンデリアの灯りが幾分落とされ、スポットライトに照らされた舞台に、ウェディング・ドレスを着た女性が一人ずつ登場する。竜児はステージでポーズをとるだけだと思っていたのだが、意外にも彼女たちはステージから竜児達のテーブルの横を通って会場後方のドアへとゆっくり歩いて行く。

女性向けファッションには疎い竜児と違い、大河はさすがに女の子。ショーが始まるとスープを飲む手を止めて、目をきらきらさせながらドレスに見入っている。マネキンのときとは大違いだ。

大河はどんなドレスを着るのだろうか、と竜児はぼんやり考える。サイズがサイズなので、選び放題とはいかないだろう。おそらくは標準的な、無難なものか。大河がそれをどう思うかはわからないが、竜児としては突拍子のないものより、そういうオーソドックスなものの方が好きだ。

俺はそういった好みは保守的なくせに、女の子の好みは特別だったなぁ。と、ぼんやり苦笑していると、大河から声をかけられた。

「竜児、あれ、あれ見て!」

言われてステージを見る。

ちょうどスポットライトの下でポーズをとっているのは、これまでウェディングドレスを着ていた女性達より、ひとまわり若いモデルだ。こんなところでモデルをやっているくらいだから、どの女性もきれいだが、いま会場の左右に微笑みを振りまいている少女の美しさは格別だった。ふっくらしたドレスに包まれても、その体の線の美しさは隠しようもない。うらやましい位の小顔は8頭身。バンビが歩くように軽やかにステージから歩み出る。本来静かに歩くほうが似合う衣装だろうに、まるで彼女に合わせるかのように衣装も軽やかに舞う。年の頃なら竜児たちとおなじか。くりくりと愛らしい目はまるでチワワのようで…

「川嶋じゃねぇか」

思わずちょっとだけ大きな声でつぶやいた竜児に同じテーブルのお兄さん、お姉さんの視線が集まる。見返すと全員が顔を背ける。軽い屈辱を味わっている横で、大河が

「やっぱりばかちーだよね」

と竜児を見上げる。

雑誌モデルだとばかり思っていたが、こんな仕事もしていたのか、と食い入るように見入る。二人の視線を感じたのだろう、ちょうどテーブルの手前で亜美がこちらに気づいた。一瞬表れた驚きの表情をさっと隠したのはさすがにプロ。小さく手を振る竜児と大河にちらりと視線を送り、ブーケを持ったままにこやかに通り過ぎていった。

「ばかちーは本当にきれいなんだね」

と、さすがの手乗りタイガーもやや放心状態。喧嘩友達の真の実力に触れて、毒気を抜かれたようだ。

その後、気を取り直した二人はスープ、サラダ等に続いて出されたメインディッシュに取りかかるものの、正直味は微妙。大河の表情もさえない。好物の肉とは言え、あまりにも無難な味、おまけに冷えている。表情も曇ろうというものだ。

もっとも、いくらいい肉といえども、大河の好みを知り尽くした竜児の料理と比べるのは、少し酷かもしれない。竜児にしてみれば自分の株が上がるだろうという手応えを感じたので、これはこれでアリである。

試食会兼ファッションショーは、その後1時間ほど続いたが、ふたりとも特に大きなドジを踏むことなく、つつがなく乗り切った。会場を出たところで係の人に礼を言い、一応お世話になったので言われるがまま氏名と連絡先を用紙に書く。

「大河、アルコール大丈夫だったか?気分悪くないか?」

と、健康チェックをするものの、至って調子のいい様子。

笑顔にかげりもないので竜児も安心して会場を後にする。今日は思わぬハプニングもあったし、そろそろ電車で帰るか、などと話ながらホテルのロビーを歩いているときに、呼び止められた。

「高須君、タイガー!」

振り返ると、私服に着替えた川嶋亜美が手を振りながら小走りで寄ってくる。

「ばかちー」
「おう」

二人に駆け寄ると、驚きを隠せない様子で

「びっくりしちゃった。あんた達すぐ式を挙げるの?入籍だけなのかと思ってたんだけど」

と、二人の顔を見比べる。

「いや、それが」

と、大河と二人で苦笑しながら事の顛末を説明する。

「なーんだ、びっくりさせないでよもう」
「びっくりしたのは俺たちだ。雑誌だけじゃなくてこういう仕事もやってるんだな」
「まぁね。雑誌モデルだけでこの先も食っていけるほど人気があるわけじゃないのよ。まだまだ亜美ちゃんの美しさが世に知れ渡ってないの。みんな人生無駄にしてるよね。がんばってみんなに亜美ちゃんの魅力を教えてあげなきゃ」

亜美は機嫌がいいのか軽口も絶好調。

「そうだよね、ばかちー本当にきれいだったよ」

と、大河も珍しく亜美ちゃん様の美しさを褒め称える。

「でさ、あんた達何で帰るわけ?」
「電車」
「そうじゃなくて、どうして帰るのよ」
「どうしてって、飯も食ったからな。俺たちはもともと予約したわけじゃないし、金も払ってないし」
「あんたたち、ここのフェアの予約金知らないの?」
「知らないけど」

竜児と大河は顔を見合わせる。

「1000円よ」

ぷっと大河が吹き出した。

客寄せが目的なので赤字承知でやっているらしい。参加カップルが式を挙げれば100万円単位の金がはいるので、それでいいのだ。大河が言ったとおり撒き餌だったわけだ。

「だから遠慮しないでさ、試着していけばいいのに」

と言う亜美に、珍しく大河はしりごみする。

「いいよばかちー。私お嫁さんに行くのしばらく先だし」

何気ない一言だったかもしれないが、竜児の胸はずきりと痛む。顔に血が上って、さっと引いていくのを感じる。

そうだ。大河が竜児の元に嫁いでくるのはずっと先だ。それは2人で話し合って泣きながら決めたことだ。頭ではそう納得している。しかし、胸の痛みは納得していない。夜ごと竜児を苦しめているそれが、大河の何気ない一言で目を覚ましたらしい。軽く竜児をいたぶった後に、すっと姿を消していく。

竜児がひとり胸を痛めている間に、大河と亜美はずっとウェディング・ドレスの試着の話をしていた。結局妙に残念がっていた亜美も折れ、じゃぁ、荷物をとってくるから一緒に帰ろうよと、二人を置いてフェア会場に戻っていった。

◇ ◇ ◇ ◇

荷物を取ってくる、と言って消えた亜美を、二人はロビーのソファに座って待っていた。

行きかう人々を見ながら、荷物を持ってくるだけにしては嫌に待たせるな、と思い始めた頃に現れたのは、亜美ではなかった。付け加えるならば、女でもなく、かつ若くもなかった。

スーツをびしっと着こなして、オールバックをばしっと決めたおじさんである。

「高須様と逢坂様でいらっしゃいますか?」

なれない様付けに、思わず二人とも背筋を伸ばして立ち上がる。

「私、こういう者です」

生まれて初めて受け取った名刺によると、結婚式場のイベント責任者だった。

その人の話を要約すると、亜美から大河を紹介された、ぜひモデルのアルバイトをしてほしい、ということになる。つまり、亜美は二人をまんまとはめたわけだ。だが、竜児が瞬間的に感じたのは「やられた」と、いうことではなかった。

そんな馬鹿な話があるか。

そう思った。いくら人気とはいえ、たかが18歳の小娘モデルの口利きで、会ったこともない素人のところに式場のイベント責任者がわざわざ来るものか。そのくらいの道理はただの高校生の竜児にだって分かる。大人が生きている経済の厳しさは泰子の苦労を見ていれば少しはわかる。それがわざわざ責任者が来たというのなら、考えられる理由は一つ。亜美が一肌も二肌も脱いだのだ。

分厚い仮面の下に亜美が隠し持っている複雑な心をうかがい知ることは難しい。だが、今年の頭にその一部を垣間見ることができた。そのとき竜児が心打たれたのは、亜美の情の厚さと、迷いのない決断力だった。自分のこととなると、ぐじぐじするくせに、亜美はこれと決めた相手のこととなると、何の迷いも無く救いの手を差し伸べる。

今日、大河にアルバイトを紹介した本当の理由は竜児には分からない。だが、夏の別荘以来、竜児にはよく理解できない理由で大河の肩を持つと決めた亜美のことだ、おそらくは、大河にドレスを着せてやりたかったのだろう。そのために、亜美は何をしたのだろうか。ただ働きの約束?それは1回や2回なのか?事務所に無断でそんなことして大丈夫なのか?亜美はいつもこうだ。

「竜児、どうしよう」

促されて座ったソファから大河が見上げる。

竜児は唇を噛む。正直、亜美の気持ちに対する感謝と、自分が大河に着せてやることの出来ないウェディング・ドレスを亜美が着せる、ということに対する複雑な感情を扱いあぐねている。

「川嶋の気持ちだろう。無碍にするな。まずはバイトの条件を見せてもらって、気に入らなければそれからお断りしても遅くないだろう」

笑みを浮かべて二人を見比べていた責任者氏が、まったくそのとおりと、うなずく。

竜児に促されて、じゃぁ、とうなずいた大河に、急いで作ったらしい契約書を見せる。どうやら、春のブライダル・フェア用に大河のウェディング・ドレス姿を撮影し、それをパンフレットに載せるようだ。ざっと見た感じ、掲載されるのは表紙ではなく、パンフレットが配られるのはこの地域近辺、名前は公表しないし、ネット上での配布は無し。それからホテルの結婚式場施設で使うパネルでも写真を使用すると書いてあった。謝礼は、写真数枚と、竜児がびっくりするような金額。

どうしよう、と再び見上げる大河に竜児は

「期間限定だし、配布場所も広くない。名前も伏せてあるからあまり心配する必要は無いんじゃないか?プロに写真を撮ってもらうチャンスなんて、そんなに無いぞ」

と、言ってやる。

それに、まだ気持ちの整理がついていないとはいえ、竜児も亜美の好意は無にしたくない。

「そうね」

と、静かに言った後も大河はしばらく契約書を見つめていた。そして、ふと、何か思いついたような表情をすると、背筋を伸ばして責任者氏をまっすぐ見上げ、

「わかりました。よろしくお願いします」

と、頭を下げた。

めでたく契約成立。いっそう大きな笑顔になった責任者氏は、紙の下の部分を指差す。

「ありがとうございます。じゃ、ここにサインしてください」

渡されたボールペンを受け取って「逢坂大河」と、書くのを見ながら、ふと竜児は思った。

大河はいつまで逢坂を名乗るのだろう。

◇ ◇ ◇ ◇

大河が着替える間に、竜児は試着会場に通された。すでに試着の終わった女性が、ドレス姿を婚約者に披露している。どうやら男には試着はないらしく、まだ婚約者が現れない男性は、着てきた服のまま椅子に座って落ち着かない様子で待っている。

ドレス姿の女性もさまざまだ。緊張してがちがちの人もいれば、まるでデパートの試着のようにドレスの具合をあれこれ楽しげに自分でチェックしている人もいる。

大人たちのそんな姿を他所に、竜児はぼんやりと考えていた。大河はいつまで逢坂を名乗るのだろう。大河の母親は、大河に逢坂陸郎の匂いが残っていることを嫌っている。あまりに繊細な話題なので竜児も聞いていないが、おそらくは大河の姓を変えてしまうつもりだろう。実のところ、もう、変わっているのかもしれないと思っていた。しかし、先ほどの契約書には「逢坂」と書いていた。

引き離されるのでなければ、大河の姓がどうであっても竜児は気にしない。ただ、大河がそれで傷つかないか、それだけが心の端に引っかかっている。

自分の目の前のきれいに磨かれた床を見ながら、亜美が自分より先に大河にウェディング・ドレスを着せたことや、大河の名字のことを、ぼんやりと考えていた。だから、名前を呼ばれるまで気がつかなかった。

「竜児」

そう呼ばれて顔を上げた瞬間を、きっと竜児は一生忘れない。

目の前にウェディング・ドレス姿の大河が立っていた。

その姿で来ると分かっていたことだったが、それでも言葉が出なくなった。よくぞこのサイズがあったと思うほどぴったりの純白のウェディングドレスは、過剰な装飾も無くシンプルに、大河の美しさを引き立てている。ストラップで吊っただけの肩の辺りは、大河の体の華奢なくせに意外なほど女性的な曲線を優美に示してみせる。薄い胸板は貧相さなどかけらも感じさせず、それどころか、見る者がたじろぐほどの清純さを演出する。普段隠されている細い腰をコルセットが鮮やかに強調する。

ふんわりと優雅に広がったスカートは、きっと大河の好みにぴったりだろう。真珠色の肌の肩から伸びるほっそりとした腕は、ひじから先がやはり純白の手袋に包まれ、ただ、ただ、すばらしい。

そしていつもは大河の体を包む、灰色めいた長く美しい髪が、今は白いヴェールに包まれて、いっそう幻想感を強めている。

竜児はあまりのことに声が出なかった。心臓は、大河を見た瞬間から跳ね回っている。立ち上がろうとしてひざが震えていることに気がつく。しっかりしろ。自分に言い聞かせてようやく立ち上がる。

立ち上がってなお、竜児は呆然としている。目の前の大河は気恥ずかしさに目を上げることも出来ないのか、唇に困ったような淡い笑みを浮かべて心細げに床のあたりに目を泳がせている。その姿を言葉もなく見るうちに、竜児の心に風が吹いてきた。

風は、大河から吹いてきた。

その心地よい風は、どんどん強くなる。やがて嵐のように激しくなって、竜児の心の中に居座っていた大河の名字への心配を吹き飛ばした。亜美のウェディング・ドレスへのわだかまりを吹き飛ばした。5年という時間の痛みを吹き飛ばし、受験の心配を吹き飛ばし、家賃の心配を吹き飛ばし、今日の献立の心配を吹き飛ばし、一切合財の心配と、もやもやした気持ちと、不安を全部吹き飛ばしてしまった。

そしてすべてが吹き飛ばされて真っ白になった心の中に、大河がいた。

気恥ずかしげにうつむくウェディング・ドレス姿の大河をみて、改めて竜児は思う。俺はこの女を心底愛していると。

「高須様」

そう声をかけられて、はっとわれに返る。呆然と立ち尽くしたまま、じっと大河に見入っていたのだ。大河は見られるのが恥ずかしいのか、それともまだウェディング・ドレス姿が気恥ずかしいのか、さっきからまったくこちらを見ることも出来ない。まるで顔を上げることのできない魔法にでもかかったように、落ち着かない様子でそのあたりの椅子ばかり見ている。たまりかねて声をかけてくれた式場のお姉さんが

「ほら、逢坂様が待ってますよ」

竜児を促す。

待っている。そうだ、声をかけなければ。竜児の声を待っている大河にかけてやらなければ。大河がいかにすばらしいか、自分がいかに大河を愛しているか、大河がどれだけ自分の支えになっているか教えてやりたい。今、目の当たりにした幻視を大河に教えてやりたい。

しかし、竜児は言葉をつむげなかった。心の中のあふれるような気持ちを言葉に出来なかった。なんと言えばいいかすら思いつかなかった。かさかさに渇いた口の中をようやく湿らせて搾り出すように口にした言葉は、自分でもがっかりする程平凡だった。

「大河…きれいだ」

でも、その平凡な一言は大河にかけられていた魔法を解いた。

唇から困惑が消え、瞳から戸惑いが消える。桜色に染まっていた頬は薔薇のように赤みを増し、伏せていたまなざしが、幸せそうな柔らかい微笑みと共に、ようやく竜児に向けられる。

「…ありがとう…」

そして、少し見つめ合って

「竜児…私待ってるから」
「おう…必ず迎えに行くぜ」

言葉を交わした。

ようやく二言、三言と言葉を交わした若い二人を見ていたお姉さんは、もういいだろうと。大河を促す。これからスタジオで写真撮影があるのだとか。

侍従に付き添われてパーティー会場から去るお姫様のように、大河は竜児の前から消えていった。大河が居なくなっても、竜児はその場から動くことが出来なかった。

◇ ◇ ◇ ◇

貧乏人の子せがれが拾ったのは、王様の一家に捨てられたお人形だった。そのお人形は王様達が去ってしまった大きな家に、独りぽつんと残されていた。

わがままで、乱暴で、だけど泣き虫なお人形は、いつの間にかその子せがれと惹かれあうようになる。

やがて帰って来た王様達に、二人は結婚させてくださいと願い出た。

でも、その願いは聞いてもらえない。貧乏人の子せがれにお人形をあげるわけにはあかない。せめて、大人にならないといけない。

子せがれが大人になるまで、もう少しだけ、時間がいる。

◇ ◇ ◇ ◇

続く

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