You are too beautiful

TO: 麻耶; 奈々子; 実乃梨ちゃん; タイガー; 高須君; 祐作
FROM: 亜美
TITLE: 別荘

みんな元気?夏休み楽しんでる?私は初日から仕事ばっかりでちょっとうんざり。楽しみはみんなとの旅行だけだよ。

今年は一足先に母さんたちが使ったから、お掃除はそんなにしなくていいと思う。また盛り上がろうね。

亜美

◇ ◇ ◇ ◇

旧2-Cのみんなで今年も別荘に遊びに行こう!と言い出したのは亜美だった。

去年誘わなかった麻耶と奈々子もさそって、幾分大所帯となったが、もともと川嶋家の別荘は十分に広いので特に問題ではない。仕事が忙しくなって夏休みにとても遊べそうにない亜美からのたっての願いとあって…というわけでもなく、全員一も二もなく賛成した。高校最後の夏休み。静かな別荘で気心の知れた友達と過ごすなどすばらしいではないか。反対の出るはずもなかった。

夏休みに入ってから図書館に入り浸りで受験勉強をしている竜児と大河だが、受験勉強は受験勉強として、亜美の別荘に行ったらあれをしようこれをしようと早くもウキウキソワソワ。料理長を任命された竜児は友達のために料理の腕を振るうべく、献立作りに余念がない。援軍もある。奈々子と実乃梨からは、料理をぜひ手伝わせろと夏休みに入る前から言われており、心強いばかりだ。

料理に関しては、亜美と大河から激辛料理に反対する強い事前意見が出た。一方、実乃梨からは「ぜひ去年の方向で。今年は麻婆豆腐を」とのリクエストがあった。どっちにすればいいんだと思っているうちに、竜児には「今年は辛くない方向で」という結論だけが3人連名のメールで伝えられた。

水面下で亜美・大河連合と実乃梨の間にどんな暗闘が繰り広げられたのか、竜児は知らない。

大河は花火担当になっており、どんな花火があるのか買い物のたびに花火コーナーをチェックしている。この生まれついてのドジに花火を任せるとは命知らずな旅行だが、当然その件に関しては「火事や怪我人が出たらコ・ロ・ス」と、亜美からにっこり脅迫を受けている。竜児というブレーキあっての花火係である。

そんなこんなであっという間に時間は過ぎ、7月も大詰め。旅行まであと一週間と迫ったある日。すでに十分暑いのに、まだまだ暑さのピークはこの先という、とある晩。いつものように大河と二人で夕食を食べてテレビを見ていたときのことだった。

「なあ、大河。明日水着もってこいよ。念のために痛んだところがないか見といてやるから」

貧乏所帯に不相応な薄型テレビを見ながら声をかけた竜児に

「んーん。いい。今年泳がないから」

同じくテレビを見ながら大河がこたえた、その一言がきっかけだった。

「泳がないって、何でだよ」

思わず竜児が大河をにらみつける。身勝手なこと言いやがって。いつになったらそのわがままは直るんだ、この小娘。と、思っているわけではない。驚いているのだ。この夏休みは今までの夏休みとは違う。大河と恋人同士で過ごす最初で最後の高校の夏休みなのだ。みんなと一緒とはいえ、あのきれいで静かな海岸に一緒に行けるのだから、二人で海を満喫しようと竜児なりに考えていたのに。

「んん?だって泳げないもん。それに水着嫌いだし」
「パッド作ってやったろう」

パッドというのは、水着用の胸パッドのことだ。
昨年、哀れ乳を北村の前にさらしたくないと泣いた大河のために、竜児は夜なべして偽乳パッドを作ってやった。その後欠点を改良した2型は亜美の別荘に遊びに行ったときにも大活躍した。今年の水泳の授業では2型がそのまま使われ、問題ないことは実証済みである。あとは学校用の水着に移した2型を再び旅行用の水着に移すだけなのだ。見られることに何の問題もないはずだ。

「そうなんだけどさ。嫌なものは嫌なのよ」

大河はテレビのほうを向いたまま話す。

「何だよ。楽しみにしてたのによ」
「楽しみって?」
「だって、高校の夏休みはこれで終わりだぞ。せっかくお前と旅行いけるから楽しみにしてたのに」
「それは…わかるけど。でも、竜児も私の気持ち、わかってくれてるよね…」

ひっくり返って天井を見ながら愚痴る竜児に、大河の歯切れも悪い。大河だって、海に入って竜児と遊ぶことができたら楽しいとは思う。が、しかし、やはり人前で水着になるのは抵抗がある。

「だから、そのためにパッド作ったんじゃねぇか」
「それなんだけどさ…」

ちょっと去年と違うのよ。と、大河がため息をつく。それほど熱心に見ていた分けでもないテレビから竜児の方に顔を向ける。ほんの少し、悲しげな笑顔。

「竜児にいまさらかっこつけても仕方ないのかもしれないけどさ、私哀れ乳じゃない」
「俺はそう思ってないけどな」
「…ありがとう。でもね。やっぱり自分でも哀れって思うのよ。去年は『こんな格好北村君に見られたくない』ってわがまま言った私をあんたが助けてくれた。本当に感謝してる。でもね、でもね。今年は違うのよ」
「何が違うんだよ」
「だって、私が哀れな姿をさらしたくないのは、竜児だもん」

赤くなって、つまらなそうにつぶやく大河に、竜児も黙り込む。そういえば、今年はクラスが別々なので、水泳の授業も別々だ。大河の水着姿は見ていない。

「あんたには哀れな姿を見せたくないって思うのに、そのためのパッドを作ってくれてるのは竜児なわけよ。これってとっても複雑な心境よ。だって全部ばれてるじゃない。何が悲しくて、偽乳パッドをフィアンセに作ってもらわなきゃならないんだろうって。あっ!作ってくれてるのは本当に感謝してるのよ。ほんとだから!」

あわてて言いつくろう大河に

「おう」

竜児は相槌を打つのが精一杯。結局、その日は大河の

「だからさ。私は今年は泳がない。水着は着ない。ごめん」

笑顔に押し切られてしまった。

それがきっかけだった。大河にとって大変居心地の悪い事態を引き起こす雑誌記事を竜児が読んだのは、その晩のことである。

◇ ◇ ◇ ◇

友達と図書館で勉強してくる。ご飯は外で食べるからいい。

という言い訳がどこまで通じているのか知らない。が、大河の母親はその言葉を額面どおりに受け取ったように振舞っている。そういうわけで、若い恋人たちはあまり遅い時間でなければ、夏休み中二人きりの時間を持つことができる。9月に入れば大河の母親は育児休暇から仕事に復帰し、大河は約束通り放課後に弟の面倒を見なければならなくなる。デートの時間も、今までより制限される。そう言う意味でもこの夏休みは二人にとって特別な夏休みになるだろう。

8時ちょうどに大河を家に送り届けた竜児は、帰りの道すがら、大河との会話を思い出していた。

(あんたには哀れな姿を見せたくない)

その言葉に嘘はないだろうと思う。怒りっぽくて腕っ節が強いくせに、繊細で人一倍傷つきやすい大河の事だ。さらっと言った以上のつらい気持ちがきっとあるだろう。そういう大河を傷つけたくないと思う。強くそう思う。しかし、胸の中にある違和感をどうしてもぬぐい去れない。

竜児はこれまでも何度か大河の胸のサイズについて、全然哀れではないと繰り返している。それは心の底から本気で言っているのだ。竜児は大河の胸が哀れだとか変だとか、まったく思っていない。ひたすらに、大河が愛しいだけだ。なのに、大河は自分で自分を哀れ乳と呼び、竜児に見せられないと決めつけているのだ。

今となっては大河の定番自嘲言葉になった感がある『哀れ乳』だが、もともと心無い落書き写真が出回るまで、大河は自分の胸のサイズなど気にしていなかったのだ。今更ながら、こんな言葉を考え出した奴をとっつかまえて文句の一つでも言ってやりたくなる。

夏とはいえ、立秋も間近。暑さの方はこれからもう一山あるが、日のほうは少しずつ短くなってきた。8時ともなるとだいぶ暗い。煌々とそこだけ明るいコンビニの自動ドアをくぐりながら、竜児は大きなため息を一つ。泰子の分のデザートをカゴに放り込んで、とくに何を見るわけでもなく雑誌のコーナーを冷やかす。買いたい本があったわけではないのだが…幾分下品そうな雑誌の表紙にあった「女の不可解な行動は男のせい」というタイトルに手が伸びたのは、やはり偶然ではない。

大河が見たら2、3発殴った上に口をきいてくれなくなりそうなグラビアは飛ばし、目的の記事を開く。大げさで意味のない写真とインクの無駄としか思えない巨大なタイトルの下に、申し訳程度の記事が書いてある。

心底どうでもいい話の羅列に、雑誌を閉じようとした竜児だったが、最後に目に飛び込んできた文章に息を飲んだ。

「…外国ではアザラシのように太った女性でも、水着を着てリゾートを楽しんでいる。一方で日本人女性は十分綺麗な体をしていても水着を嫌がる…」

まったくだ、と思った。例えば実乃梨。ソフトボールで鍛え上げたしなやかな体のどこに不満があるのか、ひたすら腹の肉の話ばかりして水着を嫌がっていた。まぁ、亜美のような目立ちたがり屋の例外はあるものの、この記事が言いたいことは分かる。女ってのは、自分の体型を気にしすぎなのだ。

お前もそうだぞ、大河。そう思った矢先、続く一文が竜児の心臓を撃ち抜いた。

「なぜなら、男が女性の体を笑うからだ。やたら人の姿や、やることを気にする日本人男性は、あれこれ女性の体つきをうるさく言う。だったら、うるさくされないように水着になるのを止めてしまえ。それが日本人女性が水着を嫌がる理由である」

なるほど。確かにそうかもしれない。

竜児は雑誌を手に持ったまましばらくその場に立ちつくした。大河は以前は自分の胸のサイズなど気にしていなかったのだ。それが心ない落書きのせいで、男たちが自分をどう見ているのか知ってしまった。そして、北村が自分をどう見るか、泣くほど気にしてしまったのだ。じゃぁ、今はどうなんだ。大河は竜児に哀れな姿を見せたくないといった。竜児が大河を憐れむと、哀れだと笑うと思っているのだ。

伝わってないじゃないか。

自分の気持ちが全然伝わってない。帰りの道すがら、呆然とした気分で竜児は歩いていた。何てことだ。お前は哀れ乳なんかじゃないと何度繰り返しても、大河は考えを変えなかった。それは大河が頑固だからじゃないのだ。竜児の気持ちがちゃんと伝わっていなかったのだ。そして、自分のうかつさにも気がつく。たしか1,2度、自分も大河のことを軽い気持ちで「哀れ」とからかったことがある。何てことだ、俺が一番無神経じゃないか。自分が大河を傷つけていたじゃないか。

これは憂うべき事態である。蚊を追い払いながら竜児はそう思った。

◇ ◇ ◇ ◇

翌日の夕刻。

「なあ、大河」

夕食の後の片付けを終えた竜児が、テーブルの前に座る。

「なーに?」

返事をした大河が、竜児の姿を見て凍り付いた。口調こそいつも通りの穏やかな調子だが、竜児は正座。膝の間を拳4つ分あけて背筋を伸ばしてこちらを見ている。まるで「なにかあったら俺が盾に」と、若頭の後ろに控えるやくざのようだ。

つられて大河も思わず起き上がる。テーブルをはさんで竜児の向かい、枕にしていた座布団の上で可愛く正座。

「な、なに?」

ただならぬ雰囲気に思わず口ごもる。

「いや、大げさに構えるようなことじゃないんだが。まあいいか。あのさ、俺昨日のこと考え直したんだよ」
「昨日のこと?」

大河が首を傾げる。

「水着のことだよ」
「あー、あれ」

急に声のテンションが下がる。しつこいなぁという気持ちが声にも顔にもにじみ出ている。去年ならこの後粘着質だのなんだのと罵詈雑言をひとしきり浴びているところである。大河は随分丸くなった。

「お前が水着を嫌がる理由は分かっているつもりだ。去年散々話したしな。で、今年はお前が俺のことを想ってくれているからこそ、水着になりたくないと思ってる。それも分かったつもりだ」

ストレートに言われて、大河がばつの悪そうな顔で目を伏せる。ちょっと唇を尖らせているのが可愛い、と竜児は思う。

「俺はさ、前にも言ったけど、お前が傷つくようなことは嫌だ。耐えられない。だから水着の無理強いはしない。だけどさ、もし元々の原因が誤解だとしたら、俺はそれを解いてやりたい。そうしたら二人で楽しく海で遊べるじゃないか。な」
「…誤解って?」

竜児の肩を抱くような優しい言葉に押しきられて大河が問う。

「俺はお前のことを哀れ乳だなんて思ってないんだ」
「わかってるわよそんなこと」

ぷっと膨らむ大河。

「そう、そこだよ」

竜児が畳み掛ける。

「お前は分かっているって言ってるけどさ。こんなことを言うとまた怒るかもしれないけど、やっぱり分かってないと思うんだ。で、それは多分俺が悪いんだよ」
「あんた…ええ?」

何よっと頬を膨らませた大河の顔が一瞬で間の抜けた顔になり、頭の上に疑問符が点灯する。あきらかに、今の唐突な話の流れについて来ることが出来ていない。

俺さ、実は昨日読んだばかりなんだけど。と、竜児がコンビニで立ち読みした記事の話をする。お前が水着になるのをいやがるのは、俺があれこれ言うと思っているからだ。俺が笑うと思っているからだ。だから、俺のせいなんだよ、と。30秒前に置いてきぼりを喰らってしまった大河は、竜児の理屈から遠く後ろの平原でひとりぼっちである。

「ちょちょちょちょっと待ってよ竜児。何いってんのよ?私、訳分かんない」

怒りと言うより、必死の形相で竜児に問う。

「大丈夫。こっからが本論だから」

竜児は顔を赤くして大きく息を吸い込むと、目を丸くしている大河にはっきりと言い切った。

「いまから、俺がどれだけお前を綺麗だと思っているか、ちゃんと分かってもらうから」
「へっ?」

大河が口を開け、そのまま呆けたように固まってしまった。

◇ ◇ ◇ ◇

お前が水着姿を俺に見せたくないというのは、突き詰めれば俺の気持ちがお前に伝わっていないのが原因だ。だから、お前に俺の気持ちを知ってほしい。それが竜児の言っていることだった。

「何から話そう。そうだ。まず、顔だが、お前、すごい美少女だぞ」
「ななななななによ、美少女って。ままんあがとかアンニメじゃなんだから」
いきなりストレートのパンチを食らって、大河が猛烈に舌を噛む。だが竜児はかまってくれない。

「いや、冗談でも何でもない。だいたい俺は気づくのが遅すぎたくらいなんだが、作りが小さいからと言ってお前は全然童顔なんかじゃないんだよ。恐ろしく美しい」
「う、美しいって、あんた…」

声が出なくなって初めて、大河は自分がとんでもないアウェー戦に放り込まれていることに気づいた。

ここでは殴る、蹴る、投げる、ひっかく、噛みつく、頭突きをくらわす、ねじあげる、踏みつける、つねる、罵倒する、睨みつけるといった大河の得意な戦いかたが一切許されていないようだった。なにしろ目の前の敵…敵と言っていいのかわからないが…は、大河の恋人であり、しかもその本人が「俺はお前が好きだ!」と真っ正面から言っているのだ。ふざけているならともかく、これだけ真剣な竜児を殴るなどできない。

ずるい!大河はそう思う。これでは文句すら言いようがないではないか。見れば竜児も顔を赤らめ、目を見開いてこっちを睨みつけている。あれは怒っているのでも冗談で言っているのでもない。ましてや不動明王が大河のこれまでの悪行を裁くために地上に降りたったのでもない。竜児とそれなりの時間を共有してきた大河には、わかる。恥ずかしいと竜児自身が感じながらも、大河のために大真面目に心のうちをさらけ出してくれているのだ。ちなみに不動明王が大河を裁くために降臨してきたら、竜児は大河をかばって戦ってくれるだろう。大河にはその確信がある。

だが、その前にこの愛の地獄はどうだ。

「まず輪郭からして素晴らしい。時々、いや、いつも見とれるんだがお前の顎のラインの美しさってないぞ。生き物がどうやったらそんな綺麗なラインを持って生まれてくることができるのか、俺には理解できねぇ。なんというか、ほら、俺インテリアの雑誌とかよく見るだろ。たまにさ、ものすごく綺麗なガラス細工の写真が載るんだよ。シンプルなラインのくせに手間がかかっているって一目で分かる出来でさ。なんというか、無造作に見えるんだけど、いくら考えてもそのラインしかありえないものすごく繊細な一本の線が輪郭を作ってるんだよ。お前の顎のラインってそんな感じだぜ…」

顎だけでこれだ。

当然のことながら、大河に向かってこれほど顎を褒めた人間はいない。というか、顎って笑い飛ばすものだと思っていた。
ケツアゴ新八とか。
ほめられると思っていなかったところからほめられて、大河は言葉も発することができない。一方で竜児が話そうとしている話の全貌を思うに連れ、空恐ろしくなってくる。

「…でさ、ほっぺたがまた素敵なんだ。いや、俺みたいなツラの男が『素敵』なんて言うと思うとお前は笑うかもしれないけどな、本当にその言葉はお前の頬にぴったりなんだよ。まず色が素晴らしいだろ。なんていうか、そう、またインテリアの雑誌の話で申し訳ないけど、ウェッジウッドのティーセットなんかにミルクを入れた写真とかあるんだけど、それだよ。ミルクを溶かしたような色をしているんだよな。おまけにすごく柔らかそうだし。で、お前表情豊じゃないか。ぷくっと膨れてみせたり、にこっと笑って見せたり。その度にそのほっぺたの形が変わって本当に可愛いんだよ。ああ、すまねぇ。可愛いなんてありきたりな言葉じゃダメなんだけど。自分のボキャブラリーの貧困さが嫌になるな。もっと本を読んで表現を勉強しなきゃ…」

大河の体を震えが走った。これでほめ足りない?竜児がより深い表現を身につけたら、この愛の百叩きはより広く深く長くなるのだろうか。

「…でさ、色がまたいいんだ」

色の話終わったじゃない。ミルク色でいいじゃない…

「照れたときなんかに、さっと淡い桜色に染まるのがほんとによくってさ、その後真っ赤になっていくのも可愛いんだけど。そうかと思うと、おすまししているときにほんのり青みがかかってることもあって、あれって本当に綺麗だぜ」

…助けて…

大河の小さな心臓は壊れてしまったようだ。明らかにおかしなペースでトクトクトクトクトクトクトクトクトクと血液を全身に送り出している。頭の先からつま先まで真っ赤になって、大河は身も心もふらふら。顎と頬を褒められただけでどうしてこんなに、というほど赤面している。腕をつっぱらかして、手のひらは膝の上で握りこぶし。とても竜児の顔なんて正視できない。視線は目の前のテーブルに釘付けである。

「それからやっぱり目だよ。変な話だよな。目玉なんてみんな丸いし、単にまぶたが開いて瞳が見えてるだけだろ。みんな同じなのにさ、お前の目ってほんとに魅力的なんだよ。つぶらな瞳って言うのか?キラキラ星が散りばめてあるように輝いてさ。目ってほんとに輝くんだな。あれって光が反射してるのか?不思議だぜ。で、瞳が少しブラウンだろ。それがまたやさしい色合いなんだよな…」

いっそ竜児がフェチならば…と大河は思う。だったらぶん殴って「このエロ犬!」と罵倒すれば終わりなのだ。だが、違う。竜児は自分が思っている大河の素晴らしさを、持てる国語力を総動員して大河のためにつづってくれている。その間、大河にできるのは恥ずかしさによじれそうになる身をおさえつけて、座布団の上にちょこんと正座して硬直しつづけることだけである。うつむきながら。

「でさ、まつ毛がまたいいんだ」

まつ毛までほめるの!?

「長くってカールしたまつげがさ、お前がちょっと顔を伏せたときなんかに瞳のうえにかかって見えるんだ。それがものすごく雰囲気があるんだよ。何ていうか、憂いを帯びたって感じでさ…」

…まつ毛抜こうかな…

ほめられているのだから喜んでいいはずだが、大河は素直に喜べない。ほめられ慣れていないのだ。居たたまれないとはこのことだ。普段より50%能力の落ちた脳みその端で、改めて亜美のすごさに感心する。よくもまぁ、あれだけ自分の顔かたちの話をされて平気で居られるものだ。本当に馬鹿なんじゃないだろうか。

「それからやっぱり唇だよ。『薔薇の蕾のような唇』なんて言葉を前聞いたことがあって、なんてキザな台詞だと思ったんだけどさ、まさにお前の唇がそうだよ。なんていうか、まず形がいいよな。小さくて上品な感じに薄くて。でもって、色もきれいなんだよ。なんなんだよその色。地肌が白いからもっと唇の色が目立ちそうなんだけど、そんなことないんだよ。桜色ってのも違うと思うけど、もっと儚げな色でさ。それこそ淡い色を帯びた薔薇の花びらだよ。それでな、またお前の口の動きがかわいいんだよ。微笑んだときの口の形とかさ、ちょっとすねたときのとんがらせたかたちとかさ。あ、そうそう。とんかつ食べるときに本当に嬉しそうに口を開けるよな…」

もう、とんかつ食べられない…

そのあと、小さくて形の整った鼻が愛らしいこと、おでこが言葉にできないほどかわいらしいこと。時折見える耳の形が綺麗で惚れ惚れすること、一つ一つのパーツが綺麗な上に、それらが奇跡のようなバランスで美貌を構成していることを熱く語ったところでようやく、

「あ、すまねぇ。茶が空だな。てか、もうこんな時間だったか」

竜児が話をとぎらせた。緊張が一挙に解けて大河が喘ぐように深呼吸する。そしてお茶を用意している竜児の後ろで

「ひゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー」

素っ頓狂な声を出して体を崩した。

「どうした?!」

足が痺れていることにようやく気がついたのだ。足の痺れに気づかないほど追い詰められていたとは。

「馬鹿だなぁ。痺れているなら早く言えよ。ほら、そんな座りかたしていても辛いだろう。俺の座布団も使っていいから横になれ」
「…うん…」

普段より3割増のやさしい笑顔で座布団に寝かせてくれた竜児は、そのやさしい笑顔のまま、大河の横にきちんと正座して

「それから…」

大河の髪がいかに竜児の心をとらえて離さないか、切々と語り始めた。

◇ ◇ ◇ ◇

翌朝。

「おはよう竜児…」
「おう…っておい!どうした?」

いつもの時間に図書館に現れた大河は、見るからにやつれていた。熱でもあるんじゃないのかと聞く竜児に、力なく首を横に振る。

「ひょっとして、昨日の話。気分悪くしたか?だったらすまん」

本当に心配そうに話しかける竜児に大河は力なく微笑んで首を振る。大丈夫。ちょっと眠れなかっただけ。

そう、眠れなかったのだ。あまりにも強烈な愛の言葉にあてられて、興奮状態で眠れなかったのだ。こんなに興奮したのは、バレンタインデーの晩にプロポーズされたとき以来だ。あのときは二人で手をつないで、未だ見ぬ未来へと向かってジャンプするような興奮を覚えた。昨日のは違う。壁際に追い詰められて竜児が運転する愛のブルドーザーで押しつぶされるような興奮だった。

悪くないんだけど。

と、大河は思う。普段竜児が心に秘めている大河への溢れるような思いがよくわかる。竜児は本当に自分の事を愛してくれていると思う。だが、大河の心の中で困ったことが起きてしまった。竜児の目もくらむような言葉の数々が、気持ちを押し込めていた封を破ってしまったのかもしれない。昨日の晩、大河はベッドの上でひたすら竜児のことを考えながら3時過ぎまで眠れずにいた。

結局その日、勉強をする竜児の向かいで大河は本を読んでいただけだった。いや、読んでいた振りをしているだけだった。ページをめくれど文字は目に入らず、瞳は磁石で吸い付けられるように目の前の竜児の表情を追うばかりだった。
◇ ◇ ◇ ◇

「ねぇ竜児ぃ、とんかつの脂身っておいしくないけど、今日の豚の脂身っておいしかったよね」

ご飯の後だというのに行儀悪くごろごろと転がっている大河が、洗い物をしている竜児に声をかける。

今日のおかずは絶品だった。竜児から「豚キムチ揚げ」と聞いたときには(なにそのゲテモノ)と思ったものだが、意外にもというか、竜児のことだからやっぱりというか、とてもおいしかった。辛いものが苦手な大河のためにキムチからは唐辛子が除かれており、衣の中に閉じ込められた適度の辛さと豚の脂のうまみが見事なハーモニーとなって、体の中の猛暑の疲れを打ち砕いてくれるようだった。

「おう、旨かったか。豚の脂は本来旨みが豊かなんだが、とんかつの脂は大きいからな。しつこすぎるのは事実だな」
「そうよねぇ、何事も適度であるべきよね」

頬杖をついて大河はデニムの脚をぱたぱた動かし、上機嫌に笑っている。洗い物を終えた竜児は手をふき、エプロンを外すと居間に戻ってきた。その姿を微笑みながら追っていた大河の表情が、魔王の姿でも見てしまったかのように凍りつく。竜児はテーブルの前に正座し、両膝を拳4つ分開いて背筋をぴしっと伸ばしたのだ。

え?昨日で終わったんじゃないの?そう心でつぶやきながら、悪魔に魅入られたかのように大河も起き上がって正座。ありがたい愛の言葉を聞く準備をしてしまう。

「えーと、やっぱり照れるな」

と笑いながら、

「お前はとんでもない美少女だぞって話を昨日したわけだが」

と言葉を継ぐ。

「今日はスタイルも実はとてもいいんだって話を聞いてほしい」

ひぃ、と大河はのどの奥を小さく鳴らした。

ここに来て、この愛のガントレットのからくりに大河もようやく気づく。これが去年の今頃なら、竜児が正座しようが土下座しようが知ったことではなかった。大河様はお気に入りの座布団に寝そべったまま、「この駄犬」とか「エロ犬」とか「黙れ」など好きに罵声を浴びせれば良かったのだ。だが、今や形勢は大河にやや不利である。少々嫌な話であっても、大好きな竜司にこれほど居住まいを正されると、大河としても正座せざるを得ない。そして、先に脚が痺れるのは大河なのだ。

逃げる手段を真っ先に奪われてしまえば、大河といえども、もはや30ミリ7砲身のガトリング砲の前に据えられたフランス人形でしかない。弾体に甘い言葉を仕込んだ竜児特製の愛の徹甲弾は、どんな心の鎧もバターのように易々と貫通して大河の心をとろかしてしまうだろう。

そして今日はお待ちかね、体のコンプレックスの話である。

「俺だって、お前の体の事をあれこれ言うのは本当はいい気持ちじゃない。俺は他人の体の事をどうこう言う趣味はないんだ。でも、やっぱりお前がどれほどすばらしいかってのは、言っておかないといけないと思う」

大河がゴクリとつばを飲み込む。既に顔が赤い。

「お前、川嶋が転校してきたときに『どうして私はちびなの』って聞いたよな」
「う、うん」

いきなりコンプレックスの中心近くをえぐってくる竜児に大河がたじろぐ。

「お前はちびなんかじゃない。小柄なんだ」
「…い、一緒じゃない…」
「違う!」

ちょっとうつむいて口をとがらせ、弱々しく反論した大河だが、竜児に一蹴される。おまけに

「お前みたいに愛らしいちびが居るものか。ちびってのは蔑称だ。だが、お前くらいきれいな奴はほめられるべきなんだ。天使をちびって言うか?言わないだろう。天使は小さいんだ。小柄なんだ。だからお前も小柄だ。天使と言えば、昔の人が描いた絵をみてみろ、天使はみな小柄だろう。のっぽの天使なんかいない。デカ物には芸術性がないんだよ」

芸術性まで引っ張り出してきた。昨日より表現が大げさになっている。

「でででででも、私ガリガリだし」

体の特徴を取り上げられる羞恥に、大河は既にろれつがまわらなくなっている。それでも一所懸命コンプレックスを正当化してみるのだが

「違うな。お前はガリガリなんかじゃない」

これも一蹴。

「お前は華奢なんだ。ガラス細工のように繊細な体つきをしているんだ。その、何度かお前の手首を掴んだことがあるが…」

と、ここで竜児も赤面。

「びっくりするくらい細い。それは痩せてるとかじゃなくて、華奢なんだよ。ほんとうに、見ていてそっと優しく包んであげたくなるほどお前は儚い。存在自体が夢のようだ。まるで重さが無いんじゃないかと思うくらいだ。痛々しさとは別の次元にある壊れ物のような美しさなんだ。」

存在自体が夢のようだって…昨日はとんかつ食べる口の形どうのなんて話してたくせに…

突っ込みは入れてみるが心の中だけである。心の外は赤面したまま指一本動かせなくなっている。

「それから…えーと…去年、初めてお前の水着を見たときにな」
「…うん…」

あんたも見ればわかる、とばかりに大河の部屋で竜児相手に独占水着ショーを開いた晩の事だ。

「とても驚いたんだ。あのときまで、正直いっておれもお前は幼児体型だろうと思ってた。でも、それは俺の思い込みだったんだよ。それがわかったんだよ」
「…思い込み?」
「そうだ。あのとき、口にはしなかったが、俺はお前の体がとても女らしくて驚いたんだ。腰のラインは…その…すごくきれいにくびれていたし、肩のあたりも骨張っているなんていうふうには見えなかった。本当に驚いたよ。でも、これは本当に正直に言わないといけないけど、俺はそのとき自分がなぜそんなに驚いているか分からなかったんだよ。妙に罪悪感みたいなものに包まれて、お前の水着姿を直視し続けることができなかった。いまならわかるけど、あれは自分が持っていた勝手な想像と、お前の本当の姿が違いすぎてショックだったんだな。きっとお前に女を感じちゃいけないと思ってたんだ。だけど目の前に立ったお前の体は、なだらかで、女らしくて、優美で。華奢な骨格が本当に美しく包まれていたんだよ。ちっとも子供っぽさなんてなかった。もう、妖精としか言いようが無かったよ。女性の美しさを持っているくせに、小柄で華奢で、ありえないような姿なんだ、お前は。すごくきれいなシルエットだったんだよ」

…妖精って言った?私のこと?幼少の言い間違いでは?

大河のほうは正面切って自分の体の話をされているため、緊張が激しすぎて、やけくそなのか錯乱しているのか本人すらわからなくなってきている。

一方、今や竜児も火を噴きそうに真っ赤だ。本当は灯りを消して、二人ベッドの中で愛し合いながら優しく小さな声でささやいてやる方がいいのだが、残念ながら二人はまだキスまでしか経験していない。そういうロマンチックな場を作るのは竜児には荷が重い。

結果的に、安アパートの中で繰り広げられているのは生々しい少女体型談義である。

可愛そうに、大河ときたら煌々と光る蛍光灯の下、畳の部屋の座布団に正座させられて、顔は真っ赤、口は真一文字。まぶたをかっぴらいたまま逃げることもわめくことも出来ずに自分の体に下される評を聞いている。

かろうじて口を開くが、

「…シルエットがきれいって…私、真っ平らなのに」

さすがにつらくなってきたのか、大河のつぶやく声にちょっとだけ涙声が混じっている。

(すこし強引すぎたかな)と竜児は後悔しているが、それでもここが肝心なのだと思い直す。なんとしても、竜児の想いをきちんと伝えて、大河の誤解を解いてやりたい。大河が怒るなら仕方がない、あとで殴られてやる位の覚悟はある。殴るくらいで勘弁してくれるかどうかは賭だが。

すこし声の調子を落として柔らかく話しかける。

「なぁ、大河。俺は見たこと無いんだけど。お前、本当は真っ平らじゃないだろ」

「…………本当は…って?」

ちょっとだけ見上げる目はやっぱり涙で潤んでいるようだ。

「その、たとえばお風呂に入るとき、自分で見るだろ…胸を」
「…………うん」

ようやく意味が通じた。

「お風呂に入るとき見ても、真っ平らじゃないだろ?」
「それは…違うけど…」
「やっぱりな。本当に真っ平らだったら、前から気にしてたろうからな。たぶん、ほかの奴は気づいてないけど、お前、肉質が柔らかいから水着に押しつぶされてるんだよ」
「…どういうこと?」
「だからさ、その、俺も見たことはないから無責任なことは言えないけど、お前のは決して真っ平らじゃないと思う。だけど、柔らかいから水着に押しつぶされちゃって、それで真っ平らに見えるんだよ」
「…どうして竜児はそう思うの?」

小さな声で具体的な事を聞かれて、幾分たじろぎながら

「それは…その。だから水着を初めて見せてくれたときにさ、そう思ったんだよ。なんだか胸のあたりの肉が水着に外に押し出されてるって言うか…」

口篭もる竜児の言葉を、大河がうつむいたまま懸命に聞いている。昨日に続いて今日も心音はオーバーペース。医者が聞いたら即入院だろう。というか、入院させてほしい。救急車呼んだら助けに来てくれるだろうか。愛の病なんです。いえ、病的な愛じゃなくて。破裂しそうな心臓のせいなのかどうなのか、大河は息苦しくて仕方が無い。

「そんな…でも…でも、ほかの女の子はつぶれてないじゃない」
「それはさ、だから肉質なんだよ。きっと」

竜児はなるべく柔らかい声で、がちがちに緊張している大河に語りかける。話題が話題だけに緊張しているのは竜児も一緒だが、大河の場合、さっきから顔が赤くなりっぱなしだし、声も裏返っている。何しろ人一倍傷つきやすい大河に、延々と体の話をしているのだ。話題的にはものすごくつらいだろう。

「その、手を握ったりしてわかるんだけどさ、お前の肌ってすごく柔らかいんだよ。赤ん坊みたいにきめが細かくて。そんな肌って、望んで手に入るものじゃないんだろ。きっとほかの女の子達もうらやましがるぜ。結局そういうことなんだよ。お前の体が人間離れして、むしろ妖精とか天使に近いんだから、そこらへんの水着が合わないなんて、あたりまえなんだ」

客観的に言ってめちゃめちゃである。しかし、竜児としてはそれほど脚色しているつもりは無い。大まじめだ。

「俺はお前の体が哀れだなんて全然思ってねぇ。むしろお前はとんでもない美人で、きれいなスタイルだと思ってる。嘘じゃない。お世辞でもない。本当にそう思っている。心の底からお前に夢中なんだ。そもそも、出会ったときからお前はきれいだと思っていた。こうやって聞かされるのは照れくさかったと思うけど、それをちゃんとお前にわかってほしかった。まして、お前が自分を哀れだなんて思う必要はないんだって、知って欲しいんだ」
少し間があった。竜児は自分の言葉が大河の心に届くのを待つように、じっと大河を見ている。うつむいたままの大河は、しばらく言葉を探しているようだったが

「私、真っ平らじゃないけど、大きくもないよ」

ようやく、短い言葉を呟く。

「いいんだ、大きくなくて」
「ふ、普通サイズでもないよ」
「いいんだ。心配しなくて。お前はとてもきれいなんだから」
「…ちっちゃいよ」

「それがどうした。たとえ真っ平らだとしても、お前の美しさや魅力が変わるわけじゃない」

残っている不安を口にして、それは竜児が優しく手のひらに受けとって、怖がらなくていいと言ってくれる。

「ほかの子は…きっと笑うよ」
「それは」

と、竜児はちょっと微笑んで、優しくささやくように話してやる。

「俺だけが、お前の魅力をちゃんと知ってるって事だ」
「…そうなのかな…」
「おう、そうさ」
「そっか」

竜児の言葉をかみしめるかのように間を置いた後、ため息をつくと大河はそのままぽてっとテーブルに突っ伏した。

「おい、大丈夫か?」
「うん、足が痺れただけ」

よほど緊張していたのだろう。ぐんにゃりとテーブルに伏したままになってしまった。

「悪いことしたな。ほら、座布団使え」

そうやって立ち上がり、テーブルのこちら側に回り込んでくる。自分もあぐらをかいてぽんと座布団を叩く竜児に、やおら起き上がった大河が腕を伸ばし、首に絡みつけて引き寄せた。結果、体重の軽い大河が竜児の体へと引きずられ、竜児の膝の間にぽふんと、お尻が軟着陸。見事にだっこの姿勢になった。

「お、おい」
「悪いことってわかってやったのか、このバカ竜児」

唐突な大河の行動に狼狽する竜児の唇を唇でふさぎ、強く吸う。やがて竜児も大河の体に腕を回す。激しく長い口づけの後、ようやく竜児の唇を解放した大河に、

「…どうした、足が痺れてるんじゃなかったのか」

竜児が微笑みながら耳元でささやく。

「痺れてるわよ。じんじんして歩けない」
「そうか、じゃぁ、ゆっくり休んでいけ」

笑って抱きしめる竜児に、大河もしがみついて

「なによ、悪いって思ってたんじゃないの?ちっとも反省してないじゃない」

息を乱しながら揶揄するのだが

「おう、やっぱり怒ってたか。すまねぇ。ちと、やりすぎたかな」
「………謝らなくていい…………ほんとは嬉しかったから」

結局はトーンダウン。竜児の耳元で大河もささやく。

「でも、恥ずかしかったんだから。心臓が壊れるかと思っちゃったわよ」
「すまねぇ。もう言わねぇから」
「だめ!また言って。でも、今度はもっとロマンチックにお願い」
「お、おう」

◇ ◇ ◇ ◇

夜とはいえ夏真っ盛り。おまけに緊張して心臓フルスロットルだった大河は体が熱くて仕方がない。それは竜児も同じだろう。抱き合ったまま、二人は汗びっしょりになっているが、それでもどちらも離れようとは言わない。

竜児に抱きしめられて痺れるような幸福感に浸りながら、大河はぼんやりと昨晩考えたことを思い出していた。

竜児に抱かれたい。

押し倒してほしい。着ているものを?いで、奪うものを奪ってほしい。この体に傷跡を残してほしい。竜児のものになったという痕跡を残してほしい。したたる血で消えぬ印を肌に描き、お前は俺の女だと言ってほしい。なんならそのまま殺してくれたっていい。ばらばらに体を引き裂き、心臓を取り出してその目で見てほしい。きっとその心臓は竜児への焼けるような想いで一杯だから。

こんなのは、きっと性欲とは言わないのだろうと大河は思う。

本や雑誌で読むそういった話とは、大河の中の衝動は違うように思うのだ。女の子の一番大事なものをあげる、などという甘いものとは、自分が抱えている激しい想いはあまりにも違いすぎる。

「…竜児…」

おもわずつぶやいた名前に、竜児が抱きしめる力を強くする。脊柱から頭へと駆け上る幸福感に漏れる声を押しとどめられない。自分の漏らす声があられもないものになりそうで、竜児を強く強く抱きしめ返す。

竜児が好きだ。

その気持ちをいったいどう表現したらいいのか分からない。恋人としてつきあい始めた頃、何度か伝えてみようとしたが、結局複雑で強すぎる気持ちは大河には言葉に出来なかった。自分がどれほど竜児を愛しているか、どれほど竜児を必要としているか、どれほど竜児の役に立ちたいと思っているか、どれほど竜児なしの人生が空虚だったか、たたきつけるように教えてあげたいのに、それができなかった。
伝えることをあきらめて、なんとか心の奥底の引き出しにしまい込んでいたのだ。この激しい気持ちは伝えられないから。でも、その荒々しい感情を、竜児が浴びせかけてくれた言葉が呼び覚ましてしまった。早く竜児のものになりたいという乾きに似た気持ちは、自分の体を食い破ってしまいそうにも思える。

「…好き…」

なんて心細い言葉なんだろうと大河は思う。

自分の気持ちを言い表せない苛立たしさにあぶられて、いっそう強く竜児にしがみつく。こうやって強くしがみつく以外に表現方法がないとしたら、この狂おしい気持ちに焼かれたまま自分は死んでしまうのかもしれない。かきむしりたいほどの胸の痛みに声を漏らしそうになる。竜児の腕の中にいるというのに。

竜児のせいだ。竜児があんなことをするからいけないのだ。あんなことを言われつづけたら、幸せすぎて気が狂ってしまっても仕方が無いではないか。
竜児はこんな自分をどう思うだろうかと、大河は不安になる。狂っていると思うだろうか。おかしいと思うだろうか。あきれるだろうか。恐れるだろうか。嫌いになるだろうか。捨てるだろうか。

それとも、変わらず愛おしいと思ってくれるだろうか。

◇ ◇ ◇ ◇

「ちょっと竜児!なにそれ」

家に帰る大河を送るために火の点検をしていた竜児を見て、大河が声をあげた。

「なんだ?」
「血が出てるじゃない!背中!」

目を丸くして心配そうな顔で駆け寄ってきた大河に、

「そうか、血が出てるか」

竜児は苦笑い。

「そうかって、こんな怪我いつしたのよ!」

大河はおろおろ問いただすが、竜児は苦笑いしながら大河を見つめるばかり。

「……………………………………へ?」
「わかんないか?」
「わ、私?…嘘…嘘!嘘!嘘!いつ?いつ?」
「だから、さっき。ぎゅっとやったときに」
「!!!」

事態に気づいた大河が両手で口を押さえて、すでに十分見開かれていた目をさらに見開く。がりっとやっちゃったのだ。狂おしい気持ちに身もだえするうちに。

だが、大河の口から出た言葉は「ごめんなさい」でも「恥ずかしい」でも「どうしよう」でも「遺憾だわ」でもなかった。

「…大変!なぜ早く言わないのよ。ばい菌が入っちゃう」

心配そうにうろたえる大河に、竜児は優しい笑顔で答えるのだが

「心配するな。たいしたことない。ほら、行くぞ」
「だめよ、ほっとくなんて。ほら、ちゃんと見せて」

大河はそのまま手を引っ張って竜児を板の間に座らせ、Tシャツをたくし上げる。

「っ!」
「ごめん、痛かった?大丈夫?」
「心配するな。ほんとたいしたこと無いんだから」

Tシャツに滲んだ血が固まっていたのが、無理やり引っ剥がされて痛みが走った。たいしたこと無い。痛みより、大河を心配させたことの方が、竜児にはこたえている。

「やだ、こんなになって。痛いでしょ」
「大丈夫だって、大騒ぎしすぎなんだよ」
「だって、こんなに…そうだ!」

いきなり駆け出すと、大河は泰子の部屋に駆け込んで、丸い鏡を持って戻ってきた。竜児の後ろに陣取って、鏡を構える。

「ほら、見える?」
「ああ、ちょっと右向けて。反対、反対。おう、こりゃすげぇーな」

竜児は思わず笑い出した。

なによ、笑い事じゃないわよ、と大河が膨れるのだが、これが笑わずにいられようか。

竜児の背中にはちょうど大河の指を広げたサイズで、がりっと内側から外に引っかいたような傷あとがある。背骨の両側、綺麗なハの字で。すみません、ちょっと気持ちよくなりすぎちゃいました的な傷あとは、とても世間様にはお見せできない。もちろん、大河はそんな理由で傷を付けたわけじゃないのだが、よしんば釈明したとして、世間様は納得しないだろう。

「いやぁ、Tシャツの上からでも見事にえぐれるものなんだな」
「感心してる場合じゃないでしょ!お薬どこっ?」
「いいからほっとけって」
「ダメよ!旅行にいけなくなっちゃう」
「しょうがねぇなぁ」

立ち上がろうとした竜児を押しとどめて大河が場所を聞き出し、薬箱を持ってくる。

「おいおい、いきなり絆創膏貼るなよ」
「え?何?」
「最初に血を拭って消毒しろって」

「消毒?どれ?」

気持ちばっかり先走る大河に面倒そうにあれこれ指示を出しながら、そのくせ竜児はうれしくてしかたがない。自分の怪我に慌てふためていて、一所懸命手当てをしてくれようとする大河。いいじゃないか。微笑みが浮かぶのを押さえきれない。幸い、背中を向けているので「何ニヤけてるのよ!」と怒られる恐れはないが、これはこれで大河の表情が見えないのが不満だ。

次は腕でも怪我をするか、と胸のなかでつぶやく。

◇ ◇ ◇ ◇

痛くない?大丈夫?ほんと?嘘ついてない?痛くない?と、そればっかりだった大河も、家につくころには落ち着きを取り戻していた。いつもより15分ほど遅い。大河がしかられなければいいが、などと考える。

「ねえ竜児、私、旅行のときに水着を着るね」

「おう、決心したか。無理に着なくてもいいんだぞ」
「なによ、着ろっていったの竜児じゃない」
「膨れるな膨れるな。最初は一緒に海で泳ぎたかったけどな、そのうち俺の気持ちを伝えるほうが大事になっちまって」

竜児は苦笑い。大河は少し気勢をそがれたようで。

「そ、そう。でもね。やっぱり水着になる。みんなとも遊びたいもん」
「おう、そうしろ」
「そうよね。せっかく海にいくんだもん」
「そうだそうだ。一緒に入れないのが残念だ」
「そうね、残念よね……って……え?……ちょ、ちょっと待って何よそれ!」

大河が大声を出す。

だってこの傷じゃ、と言っても、海に行くころにはふさがっているはずだと言い張る。それはその通りなのだが、もはやこれは痛い痛くないの問題ではないのだ。世間様で痛々しく受け取られる問題なのだ。こんな傷、亜美に見られたら何といわれるか分かったものではない。そこに来て奈々子と麻耶だ。あの二人は表立っては何も言わないかもしれないが、その分、噂話が好きそうで恐ろしい。

が、

「さすがにこの傷は他人には見せられないだろう」
「なんで?」

小鳥のように首をかしげる大河を前に、息をのむ。こいつ、本当に理解してないんだ、と。

「いや、やっぱり怪我なんか他人に見せるものじゃないんだよ。ほら、香椎とか木原とか、お前の傷跡いやがってたろ」

「大丈夫よ。あれはかさぶたを剥いて見せるって言ったから怖がったのよ。竜児のはさすがにそこまで治らないでしょ。それに、男の子なんだし、怪我なんか当たり前よ」

こんなところ怪我する男の子なんかいねーっ!しかし、心の叫びは大河には伝わらない。

翌日から2日間、大河に一緒に海に入ってくれないと嫌だとお願いされ続けることになった。そして結局は、何故この傷を世間には見せてはならないかを大変居心地悪く説明する羽目になったのだ。

(おしまい)

 あとがき

本来4部作として終わっていたはずの「クリーム・ソーダ」シリーズに、後から書き加えた一編です。蛇足と言えば蛇足ですが、「原作の地の分で書かれている大河の美しさを、竜児に言わせたらどうなるだろう」という思いつきが楽しくて、書いてしまいました。

「クリーム・ソーダ」は、原作に対する私の欲求不満がベースになっています。「もっといちゃいちゃしてほしい!」「もっと、互いに好きだって言えよ!」「散々現実の重さを書いておいて、いきなり入籍に突入なのか?」などなど、余計な物ばかりですね。

前半と後半のつなぎが悪かったシリーズですが、この作品で大河の心の内を補足する形になったので、続く「蹴っ飛ばしてやろうか」への流れが自然になったのではないかと思います。

 初出 : 2009年5月11日

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