君と二人で 2/4

「大河、お前んところクラス展示なんになった?」
「いきなり何なのよ。『おう』とか『おはよう』とか言ってくれないの?」

少しずつ空が高くなり、ひんやりとしてきた朝の通学路。顔を見るなり食いつくように質問をしてきた竜児に揶揄を飛ばすのはちんまりとした少女。脚を開いて両手を腰にやり、バッグは斜めがけ。薄い胸をそらして「愛が足りないわ」といわんばかりに見上げているこの少女こそ、竜児の恋人、逢坂大河である。

「おう、すまねぇ。おはようがまだだったな。そいでさ、お前んとこクラス展示なんなんだよ」

いつも一緒に帰るのだが、昨日はクラス展示の打ち合わせがあったので先に帰ってもらったのだ。塾こそ行っていないものの、今年生まれたばかり弟の世話は大河がすることになっている。だから、大河のクラスの展示がなにか、竜児はまだ知らない。ちなみに大河のクラスは3-B、国立文系選抜コース。お隣だ。

「なによまったく。あんたそんなに文化祭好きだったっけ?」
「そうじゃねぇけど、気になるんだよ」

二人並んでいつもの通学路を歩く。木々の葉はすっかり色づいている。二人が長く苦しい日々のあと、ついに心を通じ合わせたのは今年の聖バレンタインデー。それまで大河は竜児のアパートの隣のマンションに住んでいた。

見かけの可憐さとまったく逆に、出会った頃の大河は他者に対する呵責の無い攻撃性を隠そうともせず、全方位360度に殺意を放ち、全世界を敵に回す覚悟すらしているような強烈な女だった。その桁外れの非寛容さ、容赦の無さと、一風変わった名前、高校生とは思えないちんまりした体つきからついたあだ名が「手乗りタイガー」。

見かけばかり凶悪で、実は象のお母さんのように心優しい竜児。見かけばかり可憐で、実はけだもののように凶暴な大河。

偶然お隣同士で、偶然、互いの友達に片想いしていた二人は、ふとしたことから共同戦線を張ることになった。ふとしたことと言うのは大河のドジとそれに続く親しいものの間でも知られていない高須竜児襲撃事件のことだが。

その大河がいつの間にか半居候になるまでさほど時間はかからなかった。大河は生活能力が限りなくゼロに近いのだ。そして、竜児は困っている奴を頬って置けないたちだった。後から考えてみれば、お約束のように二人は互いをかけがえの無い相手だと想う様になり、ついにその心のうちを互いに伝えたのが、聖バレンタインデーの夜だった。

実のところ、二人はその場で婚約までしているのだが、それはそれ、まだ高校生である。今はただ、毎日を二人面白おかしくすごしている。変わったのは、大河が竜児の隣のマンションでの一人暮らしをやめ、実の母親の元で新しい家族と暮らしていることと、少しおとなしくなったことだけ。

そう言うわけで、もともと『手乗りタイガー』『ヤンキー高須』として全校を震え上がらせていた二人だが、バレンタインデーの次の日に学校で二人が駆け落ち騒ぎを起こしたこともあって、今では全校に知らぬ者が居ないほど有名なカップルである。

「うちのクラス展示『文系って何?』よ。大学で文系の勉強って言ってもぴんと来ないから、調べてみんなで展示するんだって」
「え?」

竜児が眉をひそめる。とりあえずコスプレ喫茶とか、チャイナメイド喫茶などという破廉恥な展示でないことはいい。しかし、あまりにもどこかで聞いたことのある内容じゃないか。

「竜児のクラスはどうなのよ」
「おう、俺のところは、その…」

悪いことをしているわけでもないのに、しどろもどろになるのは

「『理系展示』。理系に進むっていってもぴんとこないし、どうせ親にも説明するんだから、みんなで調べようぜって」

あんまりにも似ているからだ。

「なにそれ!まるっきり同じじゃない」

大河も驚いて目を丸くする。あ、かわいい。

「…あのさ、大河。お前のクラス、文化祭実行委員だれ?」
「ほら、あの子よ。竜児覚えているでしょ?クリスマスパーティーで私やばかちーと一緒に歌った子。あ、名前ど忘れした!」
「書記女史かよ」

生徒会じゃねぇか。日に日に高くなる青空を見上げながら、竜児は唐突に村瀬の顔を思いだす。

◇ ◇ ◇ ◇

「高須!」
「おう、おはよう。なんだ、どうした?」

教室に入るなり北村に声を掛けられて返事をした竜児は、クラスメイトの視線が自分に集まっていることに気づいてたじろぐ。あれ、俺何かしたっけ?最初に自分に非がないか問いかけるあたり、竜児の奥ゆかしさが出ていると言える。これが去年の今頃の大河なら、「なに見てるのよっ!」と、いきなり睨み付けて低い声で「殺すわよ」と恫喝するところだ。今年の大河はそんなことはない。「なに見てるのよっ!」と、いきなり睨み付けて低い声で唸るのが関の山だろう。丸くなったものだ。

「高須、隣の展示聞いたか?」
「おう、道すがら大河から聞いたぞ。『文系って何?』だろ」

そうそう、といった感じにクラス中が頷いて、しんとなっていた教室が再びがやがやし始める。なんだ、と竜児は胸をなで下ろす。俺が何かしたんじゃなくて、何か知ってるかを聞きたかったのか。

「北村、お前の仕込みだと思っていたんだけど、違うのか?」

かまを掛けてみるが、

「馬鹿をいえ、隣のクラスと同じ展示なんて、相談なしにやるものか」

これはハズレらしい。とすると、犯人は…いやいや、ここで犯人というのはちょっと早計に過ぎるかもしれない。なにしろ、隣のクラスと内容がかぶっているのは偶然かもしれないからだ。去年の文化祭など、校内にメイド喫茶が乱立していた。あれだけかぶっていたんだから、隣のクラスと展示内容がかぶるのだって…無理があるか。こんなマイナーなネタでかぶるなど、ちょっと考えにくい。

「そうか、じゃぁやっぱり」

と、みんなが顔を見合わせたところに、

「おはよう」

丁度村瀬が登場した。水をうったように静かになる教室。えっ?と戸惑う村瀬。

「村瀬、ちょっと質問があるんだが、いいか」

クラスを代表して北村が話しかける。別にクラスを代表してくれと頼んだわけでもないし、北村も、よし、一丁俺がなどと意気込んでいるわけではない。だが、クラス委員と生徒会長の兼務などと言う面倒なことを平気な顔で自分から引き受ける男だ。自然、クラスの代表のような空気をまとってしまう。

「何?どうしたんだよ」
「隣のクラスの展示、お前が仕組んだのか?」

そこまでストレートに聞かなくても、と竜児は切れそうな視線を泳がせる。ものには順序があるし、そもそも人間は機械ではないのだから相手の顔色をうかがいながら、といった気遣いが必要だ。だが、北村はわざとやっているのか、そういった気遣いのようなものを平然と踏み倒してしまうことがある。360度全方位にやたらに気を遣って生きている竜児は、時々北村のこの手の無神経さがうらやましく感じることがある。

北村のストレートな質問に、村瀬は柔らかい、だがちょっと困った様な笑みを浮かべた。

「仕組んだ、と来たか。参ったな。答えはNOであり、YESだ」
「なんだよ、はっきりしろ」

眼鏡の奥の目を怒ったように細めて北村が詰問する。

「そうだな。たいした話じゃないんだが、あっちもほら、文化祭実行委員だろ」

そういいながら、村瀬は自分の机の横に鞄をかけ、顔を上げて机に腰掛ける。『あっち』とは、生徒会の書記女史のことだろう。村瀬は庶務だ。あっちね。と、その微妙な距離感を感じさせる言葉に竜児は妙に引っかかる。

「だから、前、生徒会室でどうしようって話したことがあるんだよ。三年だから、みんな文化祭どころじゃないかもしれないし、誰も提案しないかもしれないってね」
「まあ、確かにその通りだな。毎年3年生の展示はなかなか決まらないし、今年もまだ決まって無いところがある」

と、北村が同意する。

「そうなのか?」

これは竜児。

「ああ、正確には決まっているのはうちと隣だけだ。だからといって、事前に示し合うことは無いんじゃないか?」
「いや、そうじゃない。誰も提案しないかもしれないから、あらかじめ考えた方がいいかなっていう話をしてたんだ。そのときに俺が『理系だし、理系がどんなものか展示したら面白いかな』って言ったら、『そのアイデアもらい!こっちは文系で行く』って言ってたんだよ。それだけさ。昨日は誰も提案しなかったし、だから前に考えてたことを提案したんだ。隣の経緯は知らないけど、同じじゃないかな」

そうか、そういうことか。と、独り言のようにトーンの落ちた北村と同様、クラスの他の連中も納得する。もともと怒っていたわけではないから、特に食い下がる奴も居ない。偶然隣のクラスと展示の方向が一緒だったというそれだけなのだ。『今朝、フォルクスワーゲンを2台見たよ』『俺も見た』程度の話でしかない。いきなり詰問口調の北村が大げさ過ぎだ。

だからそれほど気にする必要はないのだが、村瀬は

「なぁ、みんな。もし気を悪くしたんなら謝る。先生からは判を貰っているけど、事情を話せば変えさせてくれると思うよ」

譲る姿勢を見せる。この辺は村瀬らしいところだろう。もっとも、村瀬自身何も提案がないときのためのアイデアと言っていたからこだわる必要もないのかもしれないが。

しかし村瀬の譲歩については北村が制した。

「いや、そこまでは言ってない。どうだろう、みんな。ちょっと戸惑っただけだし、村瀬の提案は面白いと思うぞ。まだ来ていない奴も居るから、あとで席の近い奴が説明してあげてくれ。反対いるか?」

誰もいない。何も問題無いだろ?という声が教室の端からあがり、みな同意した。

◇ ◇ ◇ ◇

帰りのSHRのあと、何も用の無い連中が集まって、昨日と同じく計画を練った。塾のスケジュールも人それぞれなので、昨日と面子が少し変わっている。あるいは、まったく塾に行っていない竜児や大河のほうが少数派かもれない。

作業中、数学班のひとりが

「いっそ3-Bと共同企画にしたらどうだろう」

と、言い出した。似たような展示を違う方向でやるのなら、タイトルだけでもそろえると面白いかもしれない。

「おお、エレガントな解」

と喜んでいるのは数学班のリーダーの木下。エレガントかどうかは別として、竜児も悪くない意見だと思う。そして、ちらりと村瀬の顔を見る。予想通り、嬉しそうだ。どんな企画にしようか。と、みんなに問いかける。

いやいやいや、と竜児は首を振る。去年、自分と大河の事を人があれこれ噂していたときどうだったか。嫌だったはずだ。だったら、自分もゲスの勘ぐりは止めようじゃないか。そう、言い聞かせて話し合いに注意を戻す。

翌朝、担任に5分もらってクラスに村瀬が共同企画案を説明。特に反対もなく、そのまま昼休みに隣の文化祭実行委員…生徒会の書記女史に打診することになった。付け加えておくと、一番嬉しそうだったのは村瀬じゃなくて担任。先生とは、生徒が積極性を見せると無条件にうれしいものらしい。

結局、文化祭の準備三日目にして、両クラスの生徒並びに担任同意の下、3-Aと3-Bは共同企画に舵を切った。展示内容はそれぞれ変更無し。特に共同作業も無し。ただ、タイトルが変わる。

3-A「理系の世界」

3-B「文系の世界」

文化祭まで、あと10日。

◇ ◇ ◇ ◇

中々火がつかなかった文化祭の展示の準備も、木曜日に行った大学学生課への訪問と、図書館への潜入の結果が出てくると少しずつ方向が見えて来た。

「時間割のコピー貰ってきたんだけどさ、これ1年生。こっち2年。で、これが3年。4年は研究だからスカスカだな。必須とA選択、B選択ってのがあるんだって」
「おいおい、びっちりじゃん。必須だけ取ってればいいんだろ?」
「いや、1年のときは全部とれっていわれたぞ」
「な、なんだってーっ!」

金曜日の朝、SHRの前に教室の中央に首を突っ込んでいる生徒達が大声をあげる。自分たちが進む世界の片鱗が、急に具体的に示されたせいだろうか。大学についてある程度調べていた連中には自明のことらしかったが、後手に回っている連中には新鮮な話題だ。

「大学って遊べるところじゃないのかよ」
「生協にいた学生さんに同じ事聞いてみたら『理系なめるな(w』だって」

今度は笑い声が教室に響く。大学に入ったら授業なんか出ないで楽しいキャンパスライフを満喫して……と考えるほど世間の経済情勢にうとくもないのだが、やはり長く息苦しい受験勉強が終わったら、ちょっとは楽な大学生活が待っていると考えたい。しかし時間割を見る限り無理そうだ。

「やべー、文系に変えようかな」

などと不謹慎な発言も飛び出すが、

「文系なめるな(w」

と、端から茶々が入り、また笑い声がはじける。今朝はみんな妙に陽気だ。

「2年までが教養課程で、3年から専門課程になるんだって」
「教養……解析学、偏微分方程式論、線形代数?教養なのか?」
「これ、工学部のだから」
「数学は科学の女王だよ。なめんなよ、猫」

これは数学班の濃いリーダーこと木下。数学の前にひれ伏して拝めといわんばかりの顔をしている。数学が苦手な連中は露骨に苦い顔をして笑っている。いつになったら数学から解放されるのかと考えているのだろう。しかし時間割を見る限り、この科学の女王様はそう簡単には手を放してくれそうにない。

「4年の研究って、何するの?」
「大学のサイト見ろって」
「『ググレカス』って言われた?」
「何それ」
「知らねぇの?ググレカスってのは神聖ローマ帝国の元老議員でさ、」
「もういい、もういい」

どうやら哲人ググレカスを知っているらしい村瀬が笑いながら手を振って話を止める。クラスのほぼ全員がその場に集まっており、きらきらした目を村瀬に向ける。選抜コースはクラスメイトが少なくて、時に寂しいが、こういうふうに盛り上がるときの一体感は大きなクラスより強いように竜児は思う。

「よし、訪問部隊はいい成果を上げたみたいだね。図書館部隊は?」
「おう、俺達だな」

と、これは竜児。夏休みの間、図書館にこもって大河と勉強したので志願したのだ。

「雑誌コーナーにその月に出た雑誌が展示してあるんだ。片っ端から読んでみたけど面白かったぞ。『月刊むし』って本があって」

いきなりコースを外れる竜児だが、

「おい、高須。手短に頼むよ」

村瀬が制止する。

「おう、すまねぇ。一般向けの科学解説雑誌があったな。本屋で見たことはあるんだが、初めて読んだよ。これが毎月いろいろな分野の最先端の研究を易しく説明しているから、バックナンバーを読んでいけば、興味深い話はいくらでも拾えそうだぞ」
「なんて雑誌?」
「『日経サイエンス』だ。同じような雑誌も何冊かあった」

「あ、それ毎月読んでるよ」

と、物理班のリーダーの田口。意外だった。田口は柔道部だ。屈強な体をしている。国立選抜に居るくらいだから勉強は出来るが、自分から進んで科学雑誌を読んでいるなど、竜児は考えもしなかった。もちろん、人は見かけによらない。見かけで言えば、竜児が料理好きなど誰にも想像出来ない。

「あれはいいよ。いろいろ目新しい話が載っているから、あの雑誌の記事をとっかかりにしてネットで調べるといくらでも面白い話が出てくる」
「私も読んでる。お兄ちゃんが100冊くらいバックナンバー持ってるよ」

おお、お兄ちゃんすげぇ。と、声が上がったところで担任が教室に入ってきた。

「君たち、何してる。席に着きなさい」

ばらばらと散っていく生徒達が席に着くまもなく、北村が号令を掛ける。

「起立。礼。着席」

調べ物?何するの?という雰囲気もようやくぬぐい去ることが出来て、3-Aの文化祭展示もいよいよエンジンがかかる。

◇ ◇ ◇ ◇

「おじゃましまーす」

金曜日の昼休み,

普段聞かないきれいな声に先導されて、ぞろぞろと3-Bの生徒が入ってくる。

せっかくの共同企画なんだからリーダー同士ランチ・ミーティングをして情報を交換しようと村瀬が提案したのだ。あらかじめいそいそと用意しておいた机に案内して、それぞれ席に着く。ちなみに机を貸してくれた連中は、表で青空を眺めながら昼飯を食っているはずだ。多謝。

女子も居るとは言え、幾分男臭さの強い3-Aは実行委員の村瀬に加え、リーダーは4人とも男。それに対して3-Bはさすが文系。実行委員の書記女史に加え、リーダー6人中3人が女子だ。

ぱっと花が咲いたように華やかになった昼食会に、むさい男共が頬を染める。目の毒だ。とくに竜児の目の前に座っているちっこい女子の愛らしさときたら、

「大河。お前班長だったのかよ」
「班長?なにそのかび臭い言葉。リーダーって言ってよね」

手乗りタイガーその人ではないか。

短気で鳴らした大河をリーダーに選出するとは、いくら今年になっておとなしくなったとは言え

「3-Bは正気なのか?」

無謀すぎるだろう。

大河はドジだ。本当にドジだ。魚が海を泳ぐように自然にドジを踏む。歩くとコケ、皿を洗うと割り、汁物はこぼし、カレーは垂らし、トーストを持たせると落とす。それもバターの面を下にしてだ。大河に何かをさせると言うことは、その何かを危険にさらすことと同義である。3-Bは今回クラス展示を危険にさらしてる。しかも短気な大河にリーダーを任せるなど、結束を踏みつぶしてくださいとお願いしているような物だ。度胸あるぜ。

案の定、

「何よ」

久々の瞬間湯沸かし器。目を眇めて大声を出す大河に、竜児も

「だって、お前。普通あり得ない人選だろう」

と、空気を読まずに応戦する。ボルテージのあがる二人に、よせばいいのに数学班のリーダーの木下が

「これが有名な2-C名物『夫婦漫才』か」

などと茶々を入れ、

「なにっ?」
「なんですって?」

いきなり二人から睨みつけられて椅子から転げ落ちた。

盛大に跳ねた弁当箱は、前に座った3-Bの女子が押さえてくれたおかげで危うく落下を免れる。ちょっと緊張気味だった一座は大爆笑。初っぱなから騒々しいことこの上ない。

あきれた村瀬が

「おいおい、飯くらい落ち着いて食べようよ」

苦笑すると、村瀬の正面に座っている書記女史も

「高須君、逢坂さんはムードメーカーなのよ。彼女の英文学班はうちのクラスで一番賑やかなの」

と、フォローを入れて場を和ませようとする。

へぇ、そうなのか。こいつ俺の見ていないうちにすっかりクラスに溶け込んで。と、竜児はちょっと嬉しい。そんな気持ちを知ってか知らずか、大河は薄い胸を張って形のいい顎を斜め上についと向け、得意そうな笑みを浮かべている。

「とりあえず飯、飯」

という物理班のリーダー、田口の声に推されるように、全員が

「いただきます」

の唱和。そして賑やかなランチ・ミーティングになった。

竜児と大河による冒頭のコントが効いたのか、座は最初から和気あいあい。

「俺たち昨日、大学の学生課行ってきたよ」
「え?何聞いてきたの?」
「カリキュラムとか」
「わー、面白そう。私達まねしちゃっていい?」
「どうぞどうぞ。あ、でも時間割はあげない」
「えー?どうして?ちょうだいちょうだい!」
「あらだめよ、私達も自分たちで調べよう?」
「ちぇ、残念」
「てか、逢坂さんのお弁当、高須君と違うじゃない」
「あ、本当だ。噂と違う」
「久しぶりだよ高須、久しぶりだよ。タイガーの弁当お前が作ってたんじゃないの?」
「おう、居たのか能登。つーか、お前等いつの話してるんだ?俺が大河の弁当作ってたのは去年だぞ」
「そうよ、今はママに作ってもらってるんだもん」
「きゃーっ、やっぱり高須君が作ってあげてたんだ」
「おう。いや、大河がどうのじゃなくて。ほら隣だったしな。まぁ、一人分作るも二人分作るも同じだし」
「なにそのツンデレ」
「お前等何の話しに来たんだよ」

一同再度爆笑。今日はなんだかみんな楽しげだ。3-Bの面々は、たとえて言えば潤いの少ない砂漠に現れたオアシス。いや、3-Aにオアシスがないといっているわけではない。少ないのだ。今日のオアシスは一味違うぞ。

とはいえ、このままいじられ続けるのはたまらない。竜児は何とか話をクラス展示に戻そうとするが、

「高須君のお母さんて、『弁財天国』の店長さんなんだよね」
「へ?あのお好み焼き屋さん?」
「そうそう、高須のお袋さんの店、うまいよ」
「おい、本当か?あそこの店長さんめちゃめちゃきれいじゃないか。うちの後輩なんか店長さん目当てで毎日通ってたぞ。あの店長さんからどうしてこんな………………いや、すまん」
「お、おう。後輩にはお好み焼きなんかで身を持ち崩さないよう、くれぐれも伝えてくれ。あと、人の親に横恋慕するの止めてくれないか」

一度狂った舵は、もう元には戻らない。それでも展示の紙どうしようとか、油性マジック臭いよねとか、パネル使うのとか、うちのクラスには秘密兵器の美術部が居るぜとか、おほほほほうちは書道部よ、とか、それなりに有用(?)な情報交換もできた。

楽しい情報交換会、というか、お昼ご飯も終わり。今度は来週の火曜日ね、じゃぁ次は3-Bが招待するね、と笑顔を交わしてお開きとなった。去年の2-Cは灰神楽の立つような騒がしさの中で文化祭の準備を楽しんだが、今年のような和気あいあいとした準備もいいな、と竜児は独り微笑む。

そして、あれ?と気づいた。北村はどこだ?

◇ ◇ ◇ ◇

明けて月曜日の朝、がらりと扉を開けて教室に入ってきた竜児に、クラスメイトが息を呑む。

「おはよう」
「おう」
「…高須…どうした」
「あぁ、何がだ?」

と、村瀬を見つめ返す目は、普段より30%くらい狂気の光が強い。叫び声を上げそうな心をねじ伏せてよく見てみると、眼の周りにくまが。

「いや、なんだか怒ってるかなぁとか。あははは」
「怒ってねえぞ。目つきの悪いのは生まれつきだ。寝不足で人相が悪くなってるがな」

と答える竜児は嘘25%ほど。ちょっと不機嫌なのだ。週末、図書館にもぐって調べものをするつもりだった竜児は大河に一緒に行こうと誘った。ところが、答えはNO。

「ごめん、文化祭の準備があるんだ」

と、あっさり袖にされてしまった。いや、大河はちょっと悲しそうな顔で謝ったのだが、竜児の絶望感はそんな大河の貴重な顔でも癒されることは無かった。おまけに、これからは朝も早く出るとかで、登校も別々になってしまった。もともと弟の世話があるので大河は下校時も5時くらいには学校を出なければならない。最近文化祭の用事で遅くなっている竜児とは、これで朝晩会えなくなった。

バレンタインデーの騒ぎの後、二人は離れ離れになっていたことがある。そのころの竜児は周囲に「いつまでも大河を待つ」と言っていた。だが、今ではすっかり大河分の欠乏が精神に不調をきたすようになっている。言い換えると、竜児は軟弱になった。

それはともかく、嘘25%だから、残りの75%は嘘じゃない。つまり、寝不足なのは本当だ。

「ちょっとこれ見てくれ」

半分ほど集まった教室の真ん中に分厚い紙の束を置く。たいていは広告の裏紙だが、びっちりと竜児の字で書き込みがしてある。図書館にもぐりこんで集めた資料を、夜遅くまでまとめた成果だ。

「スポーツ医学について調べていたんだけど、ランニングのフォームとかって、今はコンピュータで解析するんだってな」

指差したところにには、文献名と引用した一節。下には鉛筆で書いたランナーとカメラ、そしてコンピュータの絵。

「ああ、そうだよ。モデル化するんだよ。だいぶ前からだけどね」

コンピュータ班のメンバーが覗き込みながら言う。

「そう、それだよ。モデル化するって書いてあった。で、それって『物理モデル』って書いてあったぞ」
「そうだけど…」

それがどうかしたのか、と言うように竜児を見つめ返す。言いたいことが伝わらない。竜児は昨日図書館で突然得たイメージに任せてしゃべっているので説明不足になっているのだが、それに気づいていない。なかなか理解してくれないクラスメイトに多少いらいらしながら、

「人間の体の動きを物理運動に置き換えるんだよ」

物理班のリーダーの顔を見上げる。

「そうだな。シミュレーションの基本だ」
「ああ、そう書いてあったよ。で、物理運動に置き換えると、数学で解析できる。そうだよな」

と、今度は数学班のメンバーに問う。

「うん」
「ああ、どうして伝わらないんだ。お前らには常識なのか?全部つながっているんだぞ!」
「いや、そうだけど。何が言いたいんだ」
「だからさ、俺たちが進学した後の勉強も研究も、ばらばらに見えるけど全部つながっているんだよ!」

教室が、一瞬しんと静まり返る。クラスメイトたちは竜児の顔を見つめ、校庭からは朝連をしている後輩たちの声が聞こえる。

「うわ、なんか鳥肌たったぞ」
「ああ、そうか。そうだよな。本で読んで知っていたけど、実感したのは初めてだ。つながっているのか」

ぽかんとしているクラスメイトも多い。一方で、6、7人ほどが、感化されやすいのだろうか、竜児が言い出したことにひどく興奮している。

「学際ってやつかな」

と、物理学班のリーダー、田口。

「学際?」
「ああ、だいぶ前にはやったらしい。専門が深すぎて視野が狭くなるから他の分野と交流して新しい考え方を吹き込もうって考え方」
「それそれ。いや、違うかな。ああ、わからねぇ。とにかく、考えたんだよ。たとえばスポーツ医学のところでコンピュータでフォームを改良する話をしたらさ、『コンピュータ科学のコーナーも読んでくれ』って書くんだよ。そうしたら医学とコンピュータがつながっているって分かるだろ。で、コンピュータの説明で運動の話が出たら物理のコーナーを読んでくれって書くんだ。そうしたら『ここに書いてあることは別々のことじゃなくて関連がありますよ』ってわかるだろ」
「ハイパーテキスト」
「なんだそれ?」
「今高須が言ったとおりだよ。文書の中に出てきた単語をクリックして、その単語の解説を読めるような文書」
「あ、ネットのあれね。ハイパーテキストって言うんだ」
「おう、それだよ。俺が言いたいのは。教室全体をハイパーテキストにしようぜ」
「客を次の文書まで歩かせるのかよ」

笑い声が上がる。竜児が凶悪な笑みを浮かべてクラスメイトを見渡した。

「歩かせろ!」

◇ ◇ ◇ ◇

その日の1時間目のおわり、3-Aの教室の前の入り口から女の子がひょいっと中を覗き込んだ。ノートを見直している竜児の方を見て声をかける。

「高須君、ね、ね」
「おう。どうした?村瀬か?」

書記女史だった。

「ううん、ちがうの」

のそりと立ち上がって扉に歩いて来る竜児を見ておののいたに違いない、ずりずりと後ずさる。ちょっと傷つきながら教室の外に出ると、

「あのね。この前のランチミーティングのとき、数学班のリーダーの子っていたじゃない。呼んでくれないかな。展示のことで相談したいんだけど」

そういう書記女史の後ろに、やっぱりランチミーティングのときにいた女の子が控えていて、ぺこりと頭を下げる。

「おう、いいよ。木下!なんか相談らしいぞ!」

ぐいと後ろにのけぞって教室に頭を突っ込んだ竜児が声をかける。

やせぎすのコンピュータ班リーダーが頭をあげて、のこのこ出てくる。扉を出て、顔つきが変わった。明らかに動転している。断言してもいいが、こいつの生涯で女子二人に呼び出されたのは初めてのことだ。挙動不審すぎる。そういえば2年生の頭の頃は、俺も櫛枝に声をかけられるとこんな感じだったかもな、と竜児は一瞬遠い目。

書記女史の後ろの女の子が話し始めた。

「ごめんなさい、いそがしいのに。えと、吉田です。この前のランチミーティングにも出ました。昨日図書館で社会学の展示の調べ物してたんだけど、数学の言葉が多くて。教科書をみても、よくわからないし、うちのクラスの子ってみんな数学苦手で。教えてくれないかな」
「ちょっと見せて」

木下と竜児が二人して吉田さんの手元のメモを覗く。正規分布、マルコフ過程といった言葉が丁寧な字で書いてある。あらかた竜児にもわかるが、知らない言葉もある。マルコフ過程?

「ええと、今説明するの?」

困惑して顔を上げた木下が聞く。いや、絶対無理だろう。

「ううん。今じゃなくていいです。放課後でいいからちょっと教えてもらえないかな」

もう一度メモを見てちょっと考えた後、木下が顔を上げる。

「いいよ。メモ預かっていい?」
「わぁ!ありがとう。助かります」

吉田さんと書記女史が顔を見合わせてうれしそうに笑う。そっと差し出されたメモを両手で受け取って木下が

「じゃ、あとで」

と頬を赤らめた。

あーあ、と竜児は思う。これは日本で一番、恋ヶ窪ゆり(31)に見せてはならないシーンだ。

◇ ◇ ◇ ◇

「おい、木下どこだよ」
「え?チャイム鳴ったらすっ飛んでいったよ」
「なんだよ、ミーティングするって言ったのに」

同じく月曜日の昼休み、週末の文化祭に向けて方向性が見えてきた3-Aの展示は、竜児の悪夢のようなやり過ぎオーラに引きずられる形で、敵前大回頭を行いつつある。これまで集めてきた資料を見直し、原稿案を破棄し、展示内容をつながり重視に書き換えようというのだ。このまま行くか、方針変更するか。昼休みに飯を食いながらリーダー同士で話し合うはずだったのに、数学班のリーダーがいない。濃い数学マニアの木下の提案で数学コーナーだけはかなり個性的な展示に向かっていた。方針変更となると、彼の意見も聞くべきだが。

「しかたがねぇ。話し合いをするってちゃんと知らせたんだ。来ないほうが悪い」
「そうだな。じゃ、はじめようか」

村瀬が所用ではずしているのでリーダー3人だけで飯を食いながらの話し合いが始まった。

「おう、じゃ俺からだな。朝も話したけど、いろんな分野がつながってるってのは、俺には新鮮だった。こう、手繰っていくのが面白いんだよ。原稿がどのくらい無駄になるかわからないけど、書き換える価値はあると思う」
「俺はいいよ、賛成だ」

と、いきなり一票投じたのは物理学班リーダーの田口。

「おう、いいのか?そんな簡単で」

気を使う竜児に手を振って、すでに班の同意は取ってあるという。もともと科学雑誌を読んでいるくらいなので、こういう見方が好きなのかもしれない。

「でもさ、そうとう作業は増えるんじゃない?」

これはコンピュータ班。来たな、と竜児は思う。当然このタイミングでの書き換えは反対がでる。竜児のように暇ならいいが、塾と掛け持ちで参加している連中はつらい。ここで言いくるめたり、無理やり数でねじ伏せても展示はうまくいかない。どれほど面白いか、竜児が説明するしかない。

紛糾、と言うほどではないが、話し合いは昼休みいっぱいかかった。チャイムぎりぎりでようやく方針を変えようと3人全員が同意した。方針変更の言いだしっぺである以上、竜児の展示に対する責任は大きくなった。

チャイムがなると同時に、木下が教室に飛び込んできた。

◇ ◇ ◇ ◇

「高須、ちょっと高須」
「おう、木下。お前さっきすっぽかしやがって」

5時間目の終わり、後ろから声をかけてきた木下を睨みつける。びびりながら木下はごめん、ごめんと繰り返し、竜児の腕を掴んで廊下に引っ張り出す。

「何だよお前、6時間目始まるぞ」

竜児は授業の前に教科書とノート、シャーペンをびしっと並べておかないと落ち着かないのだ。正しい生活は整理整頓から。これこそ生活の活力。それを何の権利があって邪魔をしようというのか。いぶかる竜児の腕をつかんで、ちょっと、ちょっと、と3-Bの前まで引っ張ってきた木下は、逼迫した表情で

「吉田さん、呼んで」

などと、頭のおかしなことを言い出した。

「あほか。自分で呼べ!」
「無理無理無理!俺、高須みたいに女の子慣れしていないもん」
「おう、俺のどこが女の子慣れしてるだと?」

むかっ腹を立てて剃刀のような目で睨みつける竜児だが、木下は目をそらしながら食い下がる。

「頼む。お願い!呼んで」
「知るか、お前が呼べ」

ぐいと木下の背中を押して3-Bに押し込む。竜児は世話焼きだが、わがままを聞くのは大河だけと決めている。何が悲しくて野郎のわがままを聞かなければならないのか。

あうっと声を上げた木下は3-B全員の視線をあびて、石化の呪文を受けたように固まる。しかし、偉かった。石化したのに、扉に近い生徒に向かって、一応言葉らしきものを搾り出した。

「すすすすみません、よよよよ」
「あ、木下くん」

泣き崩れるような声を出していた木下を救ったのは吉田さんの声。髪を揺らしながらたたたっと小走りに駆け寄ってくる吉田さんと、あわてて廊下に後ずさった木下を比べて、竜児はため息をつく。こりゃだめだ。

吉田さんにはきっと彼氏がいる。どう見たっている。逆立ちしたって居る。木下がどういうつもりか知らないが、たとえ吉田さんがフリーでも、こりゃだめだろう。うん、だめだ。木下、安らかに眠れ。

心の中で念仏を唱える竜児の前で、木下がレポート用紙の束を吉田さんに渡した。こいつ、ミーティングさぼってこれ書いてやがったな。量からして、授業中も書いていたに違いない。

◇ ◇ ◇ ◇

帰りのSHRが終わると、帰宅組を除いて3-Aの面々は修羅へと変わる。竜児が引きずり込んだ『やり過ぎワールド』の中で、これまで集めた資料の山の再検討と関連づけを行うのだ。予定では今日、月曜日のうちに再検討を終え、火、水、木でレポート用紙に下書きを作り上げ、金曜日に清書を行う事になっている。同時に、美術部の平原が各班のリーダーと話し合って、イラストの検討を始める。

コンピュータ班のメンバーからの提案で、「こっちも読んでね」のマークは色つき矢印と番号に決まった。それぞれのパネル(単なる紙)の上に色と番号を打っておき、教室を見回して一目で歩いて行く先をわかるようにするのだ。色は分野別になっている。

数学班の木下を抜きに決めたことだったが、事後連絡で方針変更を伝えても、木下は別に文句を言わなかった。

「え?異分野のつながり?おもしろそうじゃん」

で、終わりである。

肩すかしを食らったクラスメイトを余所に、竜児は竜児で心当たりがあるのだが、黙っておくことにする。茶化している場合ではない、竜児の提案でやり直しになったのだ。やるべきことをやらなければならない。ふと、結局去年と同じくドタバタなになりそうだとニヤケて、そういえばと怪訝な顔になる。

北村はどこだ?

◇ ◇ ◇ ◇

夜、母親の泰子とお休みの挨拶を交わした後、竜児は自分の部屋でぼんやりと今日のことを考えていた。買ってきた本を開いてみるが、今日は頭に入りそうにない。

北村が、放課後の教室に居なかった理由はわかる。いつも居ないからだ。生徒会長として何かと忙しい北村は、たいてい放課後になると生徒会室にすっ飛んでいく。しかし、ここ1週間ほど竜児は北村の顔をろくすっぽ見ていない。

朝、北村が教室に入るのはぎりぎり。昼休みになるといつの間にか姿を消す。放課後も居ない。いくら忙しくても、自分のクラスの展示の準備に声ひとつかけない奴ではないはずだが。

ふと、窓の外のマンションを見る。去年まで大河が住んでいた部屋には、今は知らない誰かが住んでいる。

◇ ◇ ◇ ◇

「おう、北村。ちょっと待て。話がある」
「なんだ高須。すまんが急いでるんだ」

火曜日の昼休み。チャイムが鳴ると同時に駆け出そうとする北村に声を掛けた竜児だったが、いきなり全力ダッシュで振り切られた。だが、振り切られたことより、すれ違った瞬間の顔色の悪さにぞっとする。思ったよりはるかに事態が深刻であることに気づいて、竜児は立ちすくんでしまった。なんてこった、また北村の変調に気づかなかった。そうだ、村瀬、と思ったところで名前を呼ばれていることに気づく。

「高須、いくぞ!」

教室の後ろに固まっているのは村瀬とリーダー連中。今日は合同企画のためのランチミーティングだが、実情は先週の合同ランチのお返しだ。木下の嬉しそうなこと。

しかし、竜児はそれどころじゃない。北村の蒼白な顔が目に焼き付いているのだ。弁当箱をひっつかんで教室の後ろに歩き、一団に合流する。さぁ、来た来たと歩き出す中から村瀬の肘を引っ張って引き寄せる。

「何だよ、高須」
「なんだじゃねぇ。北村はどうなってんだ。顔が真っ青だったぞ」

きっ、と村瀬が唇を結ぶ。やはり何かあったのだ。

「後で話すよ。今は行こう」

高須、村瀬、早く行こうぜと廊下から声が聞こえる。

「順番間違えてねぇか?どう考えても北村のほうが深刻だろう」

小さな瞳を揺らせて村瀬をにらみつけるが、村瀬はまじめな顔のまま竜児の目を真っすぐに見る。

「間違えてないよ。せっかくクラス展示が盛り上がってるんだ。雰囲気を壊したくない。北村だって同じ気持ちだ」

ちょっとの間、互いの顔を見つめあった後、口をへの字にして竜児が息を大きく吐く。

「わかった。納得はしてねぇが、わかった。終わったらちゃんと説明しろよ」
「ああ、ありがとう」

◇ ◇ ◇ ◇

3-Bでは、なんというかほんの少し居心地の悪さを感じた。

理由は視線である。前回3-Aがそうしたように一部クラスメイトに退席願って机を作っているのだが、譲ったのはほとんど男なのだろう。結果的に竜児達は女の子とご飯を食べる様子を、別の女の子達からちらちらと見られる形になった。見ても面白いものではないはずだが。

ため息をつきながら、ふと横をみて竜児はあれっと目を見張る。

「おう、木下。弁当忘れたのか?なんでパン買ってこなかったんだよ」

竜児のつっこみに、村瀬が

「木下は今日は弁当持ってきてないんだ」

説明になっていないことを言う。えっ?と振り向くと、村瀬はニヤニヤ笑い。事情を知っているのか書記女史も困った様に笑っている。そしてもう一度木下のほうを向いた竜児は驚異の衝撃映像を見てしまった。

「木下君、昨日は数学のこと教えてくれてありがとう。とっても助かりました。これはお礼です」
「あ、いや、そんな。何でもないよ。僕こそありがとう」

吉 田 さ ん が 木 下 に 両 手 で 弁 当 を 渡 し て る ぞ 。

一瞬、その場がシンとなる。木下も吉田さんも真っ赤。前を見ると、目をまん丸に開いて大河も真っ赤になっている。他の連中も同じだ。赤くなったままフリーズ。あらためて、竜児も自分の体温が上昇していることに気づく。

「「「「「「「えーーーーっ!」」」」」」」

っと、驚愕の声を上げるリーダーの面々。後ろでも女子がキャーキャー言っている。これか、視線を浴びていた原因は。一部女子は知っていたな。

「何これ」
「え、何?」
「いや、あれ?」

パニック状態の面々に、

「木下は、昨日社会学関係の数学がわからないって聞きに来た吉田さんに詳しく説明してあげたんだ。で、お礼にお弁当をって申し出が、文化祭実行委員経由であってね」

村瀬が解説する。いや、しかし。

「吉田さん、早まりすぎです」

いち早くパニックから立ち直った田口が、筋肉質の体に似合わない柔らかい笑顔で教育的指導を行う。

「おう、そうだ。木下、お前いい気になるなよ。みんなの前で渡されたって事を忘れるな。これはクラス展示のお礼だからな。それ以外の意味があるなんて思うのは100万年早いぞ」

仁王のような形相で、むやみにつらく当たる竜児。村瀬に向けて誓った気遣いは、衝撃映像のせいでどこかに消し飛んでいる。コンピュータ班のリーダーもそうだそうだと笑っている。

「あ、いや、そんな。いい気になんてなってないよ。吉田さん、ありがとう!」

ゆでだこのように赤くなって汗を流す木下。同じく赤くなり、うつむいてこくんと頷く吉田さん。畜生、何だこの雰囲気は。持って行き場のない怒りを抱いたまま、ランチミーティングが始まった。

3-Aから、ご飯を食べながら昨日決まった方針変更と作業の状況を説明することになった。説明するのは言い出しっぺの竜児。あらかた説明が終わったところで放たれた、

「ねぇ、竜児。今更そんな変更して間に合うの?」

という大河の感想は実に正鵠を射ている。

昨日以上に竜児は寝不足だし、他のメンバーも目をしょぼしょぼさせている。が、やると決めた以上、やるしかない。

「でも、急に盛り上がってきたし、楽しいよ」

とは、村瀬のフォロー。物理班の田口が体に似合わぬ柔和な笑顔で

「そうだな、やっているって充実感が出てきたし。最初の目論見通り自分たちがこれから進む道の大きさがわかって楽しいよ」

と続けると、3-Aは一同うんうん、と頷く。さすが柔道部。言葉に重量感がある。

「3-Bは予定通りです。だけど、ちょっと心配なのはパネルかな」

そうねぇ、と書記女史の説明にみんなが同意する。どうやらパネルレイアウトを凝った形にする予定のため、金曜日の夕方に突貫工事を行うらしい。問題は大工仕事をする男手が圧倒的に足りないこと。元々男手が少ない上に、塾人口が多いのは3-Aと同じだ。立ち直った吉田さんも少し心配げ。木下も心配そうだが、そんなことはどうでもいい。村瀬が

「な、いざというときは3-Aから手伝ったらどうだろう。せっかくの合同企画だし」

提案すると、3-Aのリーダー連中は一様にいいアイデアだと賛同する。が、3-B側がちょっと複雑な顔をした。それまで存在感の無かった能登が口を開くものの

「まぁ、何とかなると思うよ」

と、それだけ。

何だろうと考えて、竜児は真相に思い当たった。プライドだ。男が少ないだけに3-Bの男子としてはかっこいいところを見せたいのだろう。女子もそれを察しているから顔をつぶすわけにはいかない。まいったな、と思う。プライドの問題はデリケートなだけに、竜児はあまり得意ではない。竜児自身は細やかな気遣いができるのだが、それがアダになって相手のプライドを気遣い、二進も三進もいかなくなるのだ。

共同企画の前に立ちはだかった問題に頭を悩ませる竜児の横で、

「ところでさ、展示の内容ってどんな感じなの?」

脳天気にも木下が吉田さんに聞いている。竜児のまなじりがきっ、と吊り上がる。こいつ、みんなの前でアプローチしてやがるぞ。

「社会学の概要を調べて、まとめてるの」

「……」
「何だよ木下」

軟派か?この野郎。と、悪意ばりばりでにらみつける竜児の視線も気づかないまま、木下は浮かない顔で何か思案している。

「うーん。文系の研究って想像がつかなくて」

え?と吉田さんが表情を変える。見ると、大河初め3-Bの面々も同じような表情。つまり、なぜわからないの?という顔をしている。

「高須、わかる?」

話を振られるが、面と向かって聞かれると竜児にもいまいちわからない。

「おう、俺か?俺は……わからん」
「ちょっと、竜児何言ってるのよ」

大河がいきなりふくれてみせる。

「いや、だってさ……」

言いよどむ竜児を継いで田口が

「木下や高須が言ってるのは、例えば英語の勉強だったらわかるんだよ。英単語覚えて文法覚えて、発音覚えて。だけど、英文学の研究って、いや、文学の研究って何だろうって思う。そうだろ?」
「田口の言うとおりだよ。ごめん、ちょっとぴんと来ない」

まとめたのは木下。

「数学だったら未発見の定理、未証明の仮説がある。物理もおなじだよね、未発見の現象、未解決の問題がある。だから研究する。でも、社会学の研究って、何?」

3-Bの面々に向かって熱っぽい演説をぶってみせる。意外だな、と竜児はびっくり。

「おう、それだよそれ。わからねぇんだよ。社会学とか、文学とか」
「あら嫌だ」

急に気取った声に変わった大河を全員が注目する。

「竜児ったら本当にわからないの?いい?文学を研究すると、その当時の文化とか、思想なんかがわかっちゃうのよ。すごいでしょ?」

どうせクラス展示で仕入れた知識のくせに、腹が立つほど態度がでかい。一方、そうそう、と3-B連はうなずくが、3-A連の大半はまだ納得できていない。

「でもさ、大河。それって、研究っていうより趣味っぽくないか?なんていうか、あまり役に立たないというか」

思わず口を滑らした竜児に大河が眉をつりあげ

「なんですって?」

目を眇めてにらみつける。周りは笑顔を引きつらせ、去年の大河を知っている能登に至っては既に腰を半分浮かせている。しかし、大河は大声を出すことなく、再び気取った言い方に戻ると竜児に言い放った。

「竜児は理系犬だからわからないわよね。でもね、それが豊かさってものなのよ」

ふんっと気取ってみせる大河に、3-B側はくすくす笑い。やがてその笑いは大きくなって、教室挙げて、やんややんやの大喝采になる。3-A側はなんとなく丸め込まれたみたいで、気まずそうに笑うばかり。

そんなこんなで、特に暗雲たちこめるわけでもないが、双方とも追い込みに向けて状況は厳しい事を爆笑のうちに確認しあった。必要な部材や困っていること、アイデアの交換を終えたところで、前回より10分早く、村瀬がお開きを宣言した。

そう、この後大切な話がある。

足りない大河分をもう少し補給したいが、そんな場合ではない。

◇ ◇ ◇ ◇

踊り場は人通りもあるが、その分騒がしい。人に聞かれずに話をするのはうってつけだ。

「で、北村はどうしたんだ」

声を潜めて問いただす竜児に、村瀬は

「あいつは頑張りすぎてるんだ」

ため息混じりに漏らす。

どう考えても、北村は先代生徒会長だった狩野すみれを意識しすぎている。とっくの昔に振られたくせに、忘れられないのだろう。この文化祭を是が非でも成功させたいのだ。それはいい。だからといって、昼飯も食わずに校舎の様子を見て回る必要など無いし、毎放課後、一人で全クラスの状況の聞き取りと相談なんか行う必要など無い。

「全クラスやってんのか!」
「うちと3-Bだけはやってない。さすがに俺たち二人は信用されているんだろう」

村瀬が苦笑いする。全クラスの状況を毎日まとめて、クラスごとの進捗がわかるように整理し、起こりうる問題をあらかじめ予測し、物資の搬入やゴミの始末のプランを作り、ミスコンの実行委員会と会議を開き…。

「あいつはアホだ。寝てるのか?」
「たぶん、ほとんど寝ていないよ。高須から何か言ってやってくれないか?一番仲がいいだろう」
「お前だっていいじゃないか」
「ああ、そのつもりだったけど」

と、答えたところで生徒が階段を上ってくる。黙ってやり過ごした後、村瀬が言葉を継ぐ。

「全然耳を傾けてくれない。仕事を分担させろといっても聞かないし、そこまでやる必要なんかないといっても暖簾に腕押しだよ。正直、俺はあいつの友達なのか自信がなくなってきたよ」

再びため息をつく村瀬に

「あいつは」

と、竜児は言葉を切り、目を眇めて床をにらみつける。

「友達を自信喪失に追い込む天才なんだよ」

◇ ◇ ◇ ◇

水曜日、相変わらず大河とはすれ違い。頭に来るほど突き抜けて青い空を恨めしげに見上げるだけだ。携帯でメッセージを送るのも照れくさくて、やってない。それ以前に、「寂しい」など打てるわけがない。男が廃る。

そして竜児は寝不足三日目である。そしてそして、さらに仕事が増えた。昨日の階段会議で村瀬とは事実上役割交代となったのだ。3-Aの文化祭の展示とミスコンの準備は竜児がリードする。村瀬は名目だけ残して生徒会に顔を出し、わがままメガネの仕事をなるべく横取りする。

これが竜児と村瀬の作戦だった。昼休みになると同時に教室を飛び出した北村を、村瀬が追いかける。竜児はリーダー連とミーティングをしながら昼飯をかきこむ。弁当箱を洗ったらミスコンに出場する湯川と打ち合わせだ。

「大丈夫、私、アイデアあるんだ。化粧品もコスチュームもいらない。いい方法があるの」
「すまねぇ、俺たち男連中が役に立たないばっかりに」
「役に立たない?高須君の針裁きは噂に聞いてるんだけどな。大丈夫。忙しいの知ってるから」

いたずらっぽく笑った後に、ウィンクしてみせる。以前は、これほどおちゃめな表情は見せてくれなかった。いきなりクラスメイトが仲良くなるのも、文化祭の魔力だろう。

「すまねぇ」
「私さ、どうせ美人じゃないし、楽しむつもりなんだ。そんな風におちこまないでよ」

自分を美人じゃないなんて言うなよ、湯川、結構いけてると思うぞ。そう喉まで出かかって、竜児は危うく言葉を呑み込む。彼女にも、そう言ってほしい相手がいるかもしれない。竜児が言うことじゃない。

「コスチュームはお兄ちゃんから借りるし」
「え、お兄ちゃんから?」

聞いてはいけない家族の秘密を聞いたような気がして動揺する竜児に、もう一度ウインクが飛んできた。

「まだ内緒」

◇ ◇ ◇ ◇

そして昼休みが終わる前に竜児はもう一つ片付けなければならない。3-Bに行くと、いきなり大河と目があった。ラッキー。

手を振りながら、てとてと歩いてきた大河に、

「書記女史呼んでくれないかな」

と、頼むと、大声で呼んでくれた。

「なに?高須君」
「話伝わってると思うけど、村瀬が忙しくてさ。俺が代理をすることになった」

ここまで話して竜児は自分のうかつさに突然背中が冷えた。ドライアイスを背中に放り込まれたようなパニック感。横で大河が聞いている。何がラッキーだ。話を聞かれたらつまらないことで心配させてしまう。しかし、残念ながらこんな時だけ大河は察しがいい。

「ん?生徒会」

書記女史が大河をちらりと横目で見て、あらま、といった表情を浮かべる。仕方がない。女の子に嘘をつかせるのもなんだ。

「北村が働き過ぎでな。村瀬がサポートに入る。だから俺が村瀬のサポートをする」
「え、北村君が」

と、言った大河の顔には本当に心配そうな表情が浮かんでいる。

そりゃそうだろう。かつては泣くほど好きだった男だ。働き過ぎと聞いて、落ち着いていられるはずがない。もともと、大河は北村のことが好きで、なんとか恋人にして欲しいと願っていた。いろいろあって、その恋を応援していたのが竜児だ。その後更にいろいろあって今は竜児と大河が恋人同士だ。が、それで今は大河が北村のことをどうでもいいと思っているかというと、そんなことは無い。

普段のわがままぶりからは想像出来ないが、大河は情の厚い優しい女だ。北村が体を壊しそうなほど働いていると聞けば、自分の事のように心を痛めるだろう。

そして大河が少しでもつらそうな顔をすると、竜児は胸が張り裂けそうに痛む。

「大丈夫だ。村瀬がちゃんとサポートするから。心配するなって。そういうことで3-Aは俺がやるよ。よろしく」

心配そうな大河をなだめながら、書記女史に挨拶をする。が、

「こちらこそよろしくね」

そういって微笑んだ後、書記女史も表情を曇らせる。

「高須君、私も生徒会に顔をだしたほうがいいかな。北村君からはクラスに専念しろといわれてるんだけど」

こうしてみんなが心配するのだから、一人で抱え込まないで初めから適切に仕事を振っておくべきだったのだ。今更大幅に仕事を変更しようとしたって、クラスごとに事情がある。3-Aは村瀬と竜児の連携でうまくしのいでいるが、3-Bまでそれを押しつけるのは酷だ。北村の奴、まったく世話を焼かせる。

「いや、まだいいよ。いざというときには村瀬をバックアップしてやってくれ。その時が来たら俺から頼むよ。今は、いい」

そうなだめてやると、きれいな瞳を輝かせて安心したように書記女史は微笑んだ。

二人と別れたあと、ふと竜児は足を止めて3-Bに戻る。

「大河」

それほど遠くに行っていなかった大河が、小さな声に気づいて振り向く。

「なに?」

戻ってきた大河に小声で

「あのさ、明日の朝も一緒に登校できないのか?」

問うのだが、大河も困った様な顔をする。

「うん。まだだめなのよ。ごめん。文化祭当日は、また一緒に登校できるから」

大河の寂しげな笑顔に胸が痛むが、しかたない。

「わかった。それから、土曜日はキャンプファイヤーまで残るよな」
「うん。弟の世話はその日はしなくていいから。打ち上げもあるしね。竜児も残るよね」

微笑む大河に竜児も微笑んでやる。

「おう、残るさ。じゃ、お前体に気をつけろ」
「竜児もね…ねぇ、竜児。北村君大丈夫かな」

教室の中から聞こえる音が、急に大きくなった。

「おう、大丈夫だ」

◇ ◇ ◇ ◇

放課後も3-Aは大車輪で文化祭の準備に邁進する。昨日の階段での話し合いの後、竜児は作業予定表を作って教室の後ろに張り出している。それによると、水曜日の今日が山場だ。今日、すべての原稿を大まかに決めたあと、明日、最終チェックを全員でしながらリンク張りをする。そうすれば、金曜日に一気に清書をすることが出来る。

3-Aは来場者に教室の中を歩かせるため、展示はシンプルに仕上げる。すべての机を教室の後ろに重ね、暗幕で隠してその上に数学展示。校庭側も暗幕を垂らしてコンピュータ科学の展示。廊下も暗幕を付けたいところだが、息が詰まるのでそれは我慢して窓の上に物理学班の展示を貼る。正面は導入部の役割を果たす医学のコーナー。元々スポーツ医学だったが、方針転換ですこし幅を持たせることになった。

展示は大判の紙にマジックで一気に書き上げる。色と番号で来場者を誘導する色つき画用紙は、美術部の提案で目立つように白の縁取りをしている。これなら暗幕に貼り付けても目立つ。

『木下は浮かれていないか』

軍法会議を行いながら、3-Aの面々はプレッシャーの下で楽しげに原稿をまとめ続けた。

文化祭まで、あと3日。

◇ ◇ ◇ ◇

恐れていた事がおきたのは、木曜日の5時間目のあとだった。

教師が教室を出て行った後、椅子から崩れ落ちるように北村が倒れたのだ。

「北村!」
「大丈夫か?!」

飛んできたクラスメイトが黒山の人だかりをつくる。その中心で、差し出された手を振り払いながら、北村が独りで立ち上がる。

「なんだお前達。大げさだなぁ。大丈夫、足がすべっただけだ」
「座ったまま足を滑らせる馬鹿がどこにいる」
「バナナの皮が落ちてたんだ」
「あほか。どこにもないぞ」
「窓から飛んでいったよ。さあ、6時間目が始まるぞ」
「いや、だけど」
「席に戻れ。ほら、先生がいらっしゃった」

しぶしぶ戻るクラスメイトをよそに、北村が号令をかける。ふらふらしているのに教師は気づかないらしい。気づけよ!というテレパシーを飛ばすが、何事も起きずに授業を始めてしまった。

◇ ◇ ◇ ◇

「高須、そんなところで何をしている、ほら、今日は追い込みなんだから展示の準備をしろよ」
「顔面蒼白で目にくま張っつけてる奴が何言ってんだよ」

帰りのホームルームの後、例によって全校の教室チェックに出向こうとする北村と、教室の出口で仁王立ちの竜児が睨み合う。クラスメイトが固唾を呑んで二人を見つめている。塾に行く連中も教室から出ずに二人を見守っている。

「北村、お前は馬鹿だ。生徒会長が倒れるようじゃ文化祭は失敗するぞ。今日は帰って休め」
「俺が倒れる?馬鹿を言え」
「だから馬鹿はお前…おい!」

いきなり、がっくりと膝が折れて沈む北村に教室のあちこちから慌てたような声が上がり、思わず竜児がかけよる。その刹那、さっと体をかわして北村が廊下に滑り出た。

「わはははは。高須。クロスプレーで俺と対等にやりあおうなど100年早いぞ」

そう言い残すと、廊下を走って行く。生徒会長のくせに走りやがって。狩野すみれに言いつけてやろうか。

「高須……」

ぎらぎらと目を光る目を眇めて廊下を睨みつけていた竜児に村瀬が声をかける。

「村瀬、俺はもう腹を決めたぞ。あいつの首に縄をかけてでも家に連れて帰る」

村瀬もまっすぐ見つめ返してくる。

「ああ」
「みんな、ちょっと集まってくれ。早く帰る奴もちょっと待ってくれ!」

教室の窓際の隅に竜児が全員を集める。25人しかいないクラスならではのコンパクトな集会。竜児が全員の顔を見回して口を開く。

「手短に言う。北村は馬鹿だ。一人で文化祭を成功させる気でいやがる。けど、あのままじゃ土曜まで持つわけがない。だいたい、誰かが倒れるような文化祭なんかやっちゃいけないんだよ」
「ああ、そうだな」

と、田口がうなずく。つられて、みなもそうだ、と同意する。だが、

「今日は俺があいつを首に縄を掛けて引っ張ってでも連れて帰って休ませる。だから、あいつが倒れたことは黙っておいてくれないか。ほかのクラスが動揺する」

さすがにこれは敷居が高い。全員共犯になれ、という竜児の言葉に、クラスが沈黙する。本当ならきちんと担任に報告すべき事だ。誰も口を開かず、気まずい空気が流れるが、

「高須。北村の世話女房までやるとは、お前も恋多き男だな」
「あほか!」

田口の軽口に、緊張していた面々が声を上げて笑う。おかげで場がほぐれた。

「よし、俺はいいよ」
「私も」
「ああ、俺もいい。黙っとく」
「高須の目つきに免じて黙っていてやろう。異議のあるやつはいるか?」

誰も異議を唱えなかった。

「おう、みんなすまねぇ。恩に着るよ。帰る奴、引き留めて悪かったな」

いいって、いいって。手を振りながら、帰宅組が教室を去る。それを見送りながら、

「さて、今日の作業だが。もう一つ頼みがある」

竜児が残った面々を見回しながら、硬い表情で口を開いた。

「威勢のいいことを言ったのはいいが、正直、もみ合ってあいつに勝つ自信は無え。そこで折り入って頼むが、二人ばっかり、俺と一緒に北村を連れて帰ってくれないか」

竜児の発言に今度こそ、正真正銘クラスが沈黙する。たっぷり10秒誰も何も言わなかった。最初に口を開いたのは、やはり、というべきか田口。

「高須、腕尽くでやるつもりか」

全員が田口と竜児を見比べる。

「いや、俺はこんなツラだが、暴力沙汰は柄じゃない。あいつを説得する自信はある。だが、途中で逃げられたらとても俺ひとりじゃ押さえ切れねぇ。だから手助けがいる」
「そういうことか」
「おう」

暴力沙汰にはしないという竜児の言葉を聞いて、一同ほっとしたようだ。田口が、

「わかった、俺が行こう。物理班のほうは、あとは原稿最終チェックとリンク張りだけだ。問題無いよな」

名乗り出て、班のメンバーに確認する。

「ああ、任せとけ」
「すまねぇな。あと一人、誰か」
「谷本がいいだろう。どうだ?」

田口に指名された数学班のメンバーが、ふっと笑顔を浮かべる。

「いいよ。かけっこなら負けない」
「おう、陸上部なら鉄板だな。よし。これで決まりだ。みんなすまねぇ。なるべく早く片付けて戻るから」

OK,OK,喧嘩するなよという声を背中に受けて、廊下に出た。

「村瀬、お前は教室に残ってくれ。必要になったら連絡する」
「いや、これは生徒会のことだから俺も行くよ」
「生徒会のことだからこそ、お前はついてくるな。北村を連れて帰ったら生徒会はガタガタになる。お前が引っ張れ。その時は、共犯じゃないほうがいい」
「いやしかし」
「いいから。連絡するから。あと、必要だと思ったら書記女史に応援を頼め」
「……そうか。すまない」

教室に戻る村瀬の背中を見つめた後、三人で顔を見合わせる。田口が口を開き、竜児をあわてさせるような事を言い出した。

「高須、3-Bから一人連れてくるから待っていてくれ」
「待て、よそのクラスを巻き込むなよ」
「大丈夫だ。心配するな」

そう言って、すたすたと3-Bに入ってしまう。竜児は、隣の組まで巻き込みたくないという気持ちと、大河に見つかるとまずいという気持ちでいらいらしながら田口を待つ。これから起きるかもしれないことは、大河には見せたくない。

田口は、引き締まった体つきの男を連れてきた。

「剣道部の横川だ。うちの高須。谷本は知っているな」
「よろしく」
「よろしく。すまねぇ、巻き込んじまって」
「水くさいな。北村は生徒会長だろ。おれも生徒だよ。無関係じゃない」

竜児にはとてもまねできない、さわやかな顔で横川が笑う。高校生活も残り少ないが、この文化祭でいい奴とまた知り合いになれたようだ。

「高須、家に連れて帰ったとして、北村はまた逃げ出すんじゃないか?」
「いや、俺に考えがある」
「そうか」

お前がそう言うなら大丈夫だろう。田口が人のよさそうな柔らかい笑顔を浮かべる。

「よし、行こうか」

4人が、緊張した面持ちで生徒会室に向かって歩き出した。

◇ ◇ ◇ ◇

「最後にもう一度聞くが、暴力沙汰は無いんだな」
「ああ、ない。ここで暴れても文化祭がつぶされるだけだ。冗談じゃない。俺はうちのクラスの展示を石にかじりついてもやるぞ。一芝居うつかもしれないけど、信用してくれ」
「わかった。それだけ聞けば十分だ」
「よし、行くか」
「おう」

生徒会室の前でひそひそ話をやったあと、ぐわらりと扉を開いて、やおら竜児が大声を出す。

「北村は居るか!」

居なかった。生徒会室には男子生徒が一人いるだけ、驚いて目を丸くしている。二年の富家だ。

「あ、高須先輩」
「北村は居るかって聞いてんだよ」
「い、いません!」

いきなり柄の悪い竜児に、ついてきた三人がうっと息を呑む。が、そこはそれ、黙って表情を険しくしている。

「そうか、じゃ、待たせて貰うぞ」

手近な椅子を引き寄せると、背もたれを前にして足を大きく開いて座る。肘を背もたれについてギンっと音のするような目つきで富家を見つめるあたり、素人離れした雰囲気を放っている。竜児にあわせて田口達もその辺の椅子や机に座る。

「お前、なんてったけな。見たことあるな」
「は、はいっ。2年の富家幸太ですっ!そ、その節はお世話になりました!」

富家幸太は、竜児や大河と絡んだことがある。北村とつきあいが長いから、竜児の根っこが善人であることくらい知っているはずだ。だが、ここで待っていても、たぶん北村は2時間や3時間帰ってこないだろう。だったら、富家の気の小ささにかけるしかない。竜児は血走った目を見開いて、意味なく富家を睨み付けている。

「あ、あの」
「なんだ」
「と、トイレに行ってきます!」

あわてて出て行く富家を見て、竜児はしてやったりの表情。田口達の表情もゆるむ。

「高須、堂に入ってるな」
「やめろよ」
「素人とは思えん。これからは高須さんと呼ばせてもらう」
「落ち込むからよせ」

田口がニヤニヤしながらからかう。それにしても殺風景な部屋だ。北村の色気のなさが原因だな、などと竜児は考える。確か1年も入れて女子が3人いるはずだが。もうすこしなんとかならないのか。生徒会は会長独裁制か?

「高須、あいつ逃げたんじゃないか?」
「かもしれねぇ。そうしたら俺たちはここで2,3時間待ちぼうけだ」
「どうするんだよ」
「どうしようもねぇ。だけど、そうすると富家は生徒会の他の生徒を見捨てることになる。何も知らないで来る奴がいるだろうからな。その時はそいつと話をする。それか、富家は職員室に行ったかもしれない。先生が来たらブリッ子をかますぞ」
「古いな」
「おう、うちのお袋のお家芸だ。けど、あいつは職員室には行かないだろう。生徒会室で揉め事が起きたなんて、どれほどの問題になるか馬鹿でもわかるはずだ。だから俺はあいつは北村を携帯で呼んでいると思う。あいつの気の小ささに賭けよう。北村は俺たちに耳を貸さなくても、後輩が助けを求めれば必ず飛んで来る」

一同押し黙る。文化祭まであと2日。只でさえ北村を送るロスがきついのに、2,3時間の追加ロスは痛すぎる。

しかし、竜児の賭はあたった。

「高須、何をしている。田口と谷本まで」

眉をひそめて入ってきたのはメガネ生徒会長。倒れたときほどではないが、相変わらず顔色が悪い。

「お前を引きずって帰る為に来たんだよ」
「馬鹿を言え。仕事があるんだ。俺は帰らんぞ」
「さっきも言ったが馬鹿はお前だ。生徒会長が過労で倒れてみろ、学校はそれみたことかと来年から文化祭を縮小するぞ。お前、後輩達になんて申し開きする気だ」
「俺は倒れてなんか」
「いい加減にしろ!」

竜児が大声をだす。

「北村、もうお前と話をしても無駄だ。無理矢理連れて帰ってやる」
「なんだ、腕尽くか。高須、見損なったぞ」

硬い顔でにらみつける北村に竜児が苦笑いする。

「なんとでも言え。自慢じゃないが腕尽くでお前に勝てるなんてこれっぽっちも思ってねぇ。悪いが人質を取らして貰う」

いつの間にか、入り口から富家幸太と一緒に中を心配そうに覗いていた狩野さくらが、ひっと声を漏らす。自分が人質にされるとでも思ったのだろうか。

「後輩に手を出すな!」

どうやら北村もそう思ったらしい。生徒会はどうなってるんだ。人を顔で判断するなよ。

「見損なうなよ。お前の後輩なんか人質に取る必要はないぜ。人質は文化祭だ」
「なんだって?」
「田口、谷本、横川、外に出てくれ。お前等も離れていろ」

竜児に睨まれて富家幸太と狩野さくらが慌ててあとずさる。

「連中の内申書に傷をつけるまでもねぇ。俺一人で十分だ。生徒会室で生徒が暴れたら、文化祭はどうなるだろうな。ガラス何枚くらいまでなら事故で済むんだ?」

部屋の端に転がっていた木の棒を拾って、竜児がゆらゆらと振る。

「脅しても無駄だぞ。お前は物を壊したりできる奴じゃないだろう」

ガシャン!と音がして窓ガラスが砕ける。全員が目を見開いたまま、声を出せない。おそらくその場の誰も、竜児が窓ガラスを本当に割るなどと思っていなかったろう。

「お前と無駄話なんかする気は無いんだよ。おとなしく帰る気になったら、そう言え。さあ、2枚目だ」

物を壊してしまった。

身の回りの物という物すべてに愛着を注いで生きている竜児にとって、ガラスを自分から割るなどということは初めてだった。汚物を呑み込んでしまったようなどす黒い不快感に縁取られた自己嫌悪と、こんな事態に追い込んでくれた北村への少々不当なほど大きな怒りが竜児の全身を焼く。

「わかった、帰るよ。それでいいのか」

怒りの表情で北村が声を震わせ、同じく顔をゆがめている竜児とにらみ合う。

「帰ったら夕飯食って風呂入ってさっさと寝ろ。それが要求だ」
「引き継ぎだけさせてくれ」
「だめだ!何が引き継ぎだ。自分一人で文化祭回してるつもりでいい気になってた事を存分に後悔しやがれ。さあ、表に出ろ」

唇を噛んで渋々表に出る北村に続いて、竜児も続く。田口達が当惑した表情で二人を見ている。よほど展開に驚いたことだろう。あとで謝らなければ。とにかく、今は北村を連れて帰るのが先決だ。そう考えているとき、予想していなかった声をかけられた。

「竜児、あんた何してるのよ!」

驚いて振り向くと、大河が目を丸くして竜児を見上げている。

「大河、なんでここにいるんだ。教室に戻れ」
「何よ、何しているのよ。北村君もどうしてそんな顔してるの?!」
「俺はこの馬鹿を連れて家に帰らせる。お前は」
「何よえらそうにっ!どうして何も話してくれないのよっ!!」

大河が顔を真っ赤にして大声を上げる。まずい、と竜児は唇を噛む。こんなところを見せたくなかった。それに話が通じそうにない。

「大河、あとで説明するからお前は」
「うるさいっ!うるさいっ!何よ子ども扱いして!」

地団駄を踏んで絶叫する大河に、廊下の向こうの生徒が気づいたようだ。まずいことになってきた。と、田口が音もなく竜児と大河の間に割って入る。

「逢坂さん、話を聞いてくれ」

突然現れた障害物に、大河は全身の毛をぶわっと逆立てる。拳を握り込み、姿勢を低くし、うなり声を上げはじめた。目を眇め、鼻にしわを寄せ、唇の端が怒りにめくれあがる。

「どけよ肉だるま。ぶっ殺すわよ」

地獄から響くような低音。

三年生になって、はじめて大河が見せる虎の本性。竜児と付き合いだして丸くなったなんて、とんでもない思い違いだった。虎はおとなしくなっても虎。仮面を脱いだ手乗りタイガーは、以前と同じく目の前の邪魔者を容赦なく片付けようとする。

「北村も、高須も文化祭をなんとしても成功させたいんだ」
「どけっていってんのよ!」

最悪の展開に竜児が総毛立つ。せっかく何とか北村を連れて帰ることの出来る所だったのに、これでは何もかもめちゃめちゃになってしまう。一度怒り出した大河は話の通じる相手ではない。最悪なら廊下で乱闘。一番よくても廊下で乱闘だ。

「大河!」

前に出ようとする竜児を、だが田口が制した。

「文化祭は成功させたい。でも、二人とも譲れない。譲れなくてこんな事になった。もし、ここで暴力沙汰にでもなったら、二人がぎりぎりのところで守ろうとしている文化祭がおじゃんになってしまう。そんなことにしたくない。わかってくれ」

焼き切るような殺気を帯びた目を光らせたまま、大河が田口を下からねめつける。永遠にも思える数秒の後、「ちっ」と舌打ちすると竜児をにらみつけた。奇跡のような展開、と竜児は思った。それとも、大河は本当に丸くなっていて……

「竜児、命拾いしたわね」

そう吐き捨てるとくるりと背を向けて、どすどすと廊下の向こうへ去っていく。田口が振り返り、竜児にほほえみかける。それが合図だったように、その場で固まっていた全員が息をつく。ただ、北村だけがどう言うつもりか外を見つめていた。

その横で狩野さくらが、割れたガラスを片付けようとかがみこむ。竜児は二年生をにらみつけて

「狩野、さがってろ。富家、女に割れたガラスを片付けさせるな」

腹の中の不愉快な気持ちをそのまま叩きつける。自分が割ったくせに。

◇ ◇ ◇ ◇

真っ青に晴れ渡った青空の下。川に架かった橋の上を、犯人護送の一団が押し黙ったまま歩いて行く。前を田口と横川。後ろを谷本、間を竜児と北村のフォーメーション。

学校を出て15分経ったころ、ようやく北村が口を開いた。

「高須、大げさすぎないか。彼等も忙しいんだ。俺はこんな事しなくても逃げないぞ」
「黙ってろ。お前の信用は地に落ちてるんだよ」

それっきり、最後まで誰も口を開かなかった。

◇ ◇ ◇ ◇

北村の母親は、家の前で待っていた。竜児が頭を下げると母親も頭を下げる。

「すみません、お騒がせして」
「高須君、電話くれてありがとう。ごめんなさいね、迷惑掛けて。みなさんもごめんなさい」

頭を深々と下げる北村の母親に、全員ぺこりと頭を下げる。その横で、北村だけはそこに居るはずのない母親に目を丸くしていた。北村の両親は共働きだ。平日のこんな時間に家にいるはずがない。

「高須、お袋に電話したのか」
「悪いがお前の家出騒ぎの恩を十分に利用させて貰った。泰子に電話してお袋さんの電話番号教えて貰ったのさ」
「…高須、お前がどう言うつもりでやっているのかは理解しているが、こんなやり方は俺は気に入らんぞ」
「月曜になったら存分に話を聞いてやる。今日は寝ろ。言っとくが、お袋さんに監視をお願いしてるからな。自分の母親突き飛ばして逃げるようなまねするなよ」
「お前に言われたくないよ」

そう捨て台詞をはいて、北村は家に入っていった。北村の母親が竜児に駆け寄る。

「高須君、ごめんなさいね。うちの祐作が」
「いえ、疲れているはずですから、寝かせてやってください」

そう言って微笑むと、4人で礼をしてその場を立ち去った。少し歩いたところで、竜児が3人を振り返る。

「すまねぇ、つまんないことに巻き込んじまって」
「水くさいぞ」

そのまんま、さっきの会話の繰り返し。

「みんな学校に帰るのか」
「そのつもりだけど」
「飯は?」
「パンでも買うよ」

みな、文化祭を前にして暗くなるまで作業の予定だ。こんなに明るいのに教室で頑張っているクラスメイトを放り出して帰るわけにはいかない。

「だったら、少し遠回りしてうちによって行かないか。礼と言っちゃ何だけど、飯食わせてやるぜ」
「えっ、いいのか?!」

横川が目を丸くする。

「おう、チャーハンくらいしか出せないけどな」
「チャーハン?!俺、行くよ!」

やたらとはしゃぐ横川を、田口が図々しいぞ、と肘でつつく。

◇ ◇ ◇ ◇

2DKのぼろアパートにあがりこんだ体格のいい3人組の前にチャーハンが出されたのは、それから30分ほどしての事だ。ごま油とにんにくで香り付けされた

チャーハンが、野郎共の空腹感を暴力的にあおりたてる。

「おお」
「うまい!」
「高須の料理の腕前は噂に聞いていたが、これほどとは」

元運動部の食べ盛り3人組にかかって、3合飯のチャーハンは見る見る間に無くなってしまった。一人でこのくらいを平らげる奴を竜児は知っているが、この連中に教えるのは忍びない。いくら大河が無神経といっても可哀想だ。

「しまった!写メ撮るの忘れたぁ!」

横川が声を上げたのは、からになった皿が下げられ、お茶を飲んでいるときである。ちなみに、竜児は気配すら感じさせずに皿を洗い終わっている。

うわぁ、あんまり旨いんで夢中になって食っちまった…と頭を抱える横川を、変態でも見るような目つきで田口が見ている。

「横川、なれなれしい上にうるさいぞ」
「だってお前、高須君のチャーハン、超有名だぞ」
「高須でいいよ。てか、なんだよそれ」

どっかりとあぐらをかいて、座に加わった竜児が横川に聞く。

「うちのクラスは逢坂さんに高須のノロケ話ばっかり聞かされてるからな。なかでもチャーハンがうまいって話は耳タコだ。あんまり聞かされたんで夢に見た奴も居る。死刑前夜にロープか高須のチャーハンの差し入れを選べって夢だったらしい。そいつ迷わずチャーハンを選んだって言ってたよ。ロープだったら脱獄できるのにな」

竜児は話の途中からうつむいて、目のあたりを手で押さえている。大河、お前はアホだ。

「高須のチャーハン食ったってだけで、俺は今日から3-Bの貴族だ」
「愛されてるな、高須」

からかう谷本を、馬鹿言えと竜児がにらみつける。

「見ただろう。あいつ、俺の事殺す気だったぞ。ああなったら機嫌を戻すまで大変なんだ。田口、危ない目にあわせてすまなかったな」
「ははは、やっぱり危なかったか。見事なくらい本物だったな。あれは」
「やめろよ。誉めてないぞ、それ」
「高須、逢坂さんを柔道部にくれ」
「アホか、絶対やらねぇ」

◇ ◇ ◇ ◇

金曜日の昼休み。

号令の後、いきなり飛び出していく北村を竜児は目で追いながら、飛び出していっても仕事はないぞとほくそ笑む。北村が作り上げた悪夢のようなルーチンワークは、昨日のうちに村瀬と書記女史が全部強制終了している。各クラスには生徒会からのチェックおよび相談は終了と通達済みだ。アホみたいに細かく記されたノートにはそのこともはっきり書いてあるはずで、生徒会室でそれを知ることになる北村がどんな顔をするのか、竜児は想像するだけでおかしくなる。『馬鹿め』と、電報でも打ってやろうか。

北村の名誉のために一つだけ付け加えておくと、特に1年生のクラスは相談が終了と聞いて残念がったらしい。

あるいはひとあがきするかもしれないが、あとは知らない。一晩たっぷり寝たことだし、体力馬鹿の北村は十分回復したことだろう。北村のおかげで竜児は電話もメールも大河に無視されているのだ。これ以上誰が面倒なんか見てやるものか。

「高須、飯だ」
「おう」

今日の午後は授業はない。昼飯が終わったら大車輪で展示の製作が始まる。飯を食いながらのリーダー会議で最後の手順と必要な物資の確認が行われる。

「用紙は色紙もあわせて二度枚数をチェックした。少し多めに用意したが、書き損じ過ぎると足りないから気を付けろ」
「脅かすなよ」
「馬鹿野郎、気合いを入れて書け!書き損じても破ったりするなよ。MOTTAINAIからな。別の紙を小さく切って上から貼るんだ。マジックも用意している。床にうつさないように新聞紙を下に敷くのを忘れるな。暗幕の配布は2時からだ。俺と田口と谷本で取りに行く。暗幕用の画鋲は十分用意した。テープも糊もある」
「平原は何時だ?」

美術部に所属している平原は、部の出展があるのでクラス展示には参加していない。だが、3-Aの展示の美術顧問と、仕上げのイラストを引き受けてくれている。

「4時だ」

展示内容を書き終わる時間がそのくらいだろうと予想して頼んである。

「こんなものかな」
「そうだな」
「高須が居るおかげで、準備万端だな」
「いいお嫁さんになれるぜ!」
「おう、よせ照れるだろう」

そんなにお嫁さんと呼ばれるのが嬉しいのか。と、いぶかしむクラスメイトをよそに、竜児は顔を赤らめて喜んでいる。

◇ ◇ ◇ ◇

「高須」
「おう」

田口が谷本と二人で相談があると、近づいてきたのは3時ごろのことだった。

「物理班は4時には書き終わる。数学班も似たようなものだ。イラストが終わればあとは貼り付けるだけだろう。で、物は相談だが、隣の手伝いに行ってきていいか」

隣、というのは3-Bだ。確かに今日の大工作業は手が足りていないはずだが

「連中、断ってたろう」
「面子もあるんもんな。だから」

と、言葉を切って田口がひとの良さそうな笑顔を浮かべる。

「昨日横川を借りたお詫びとして手伝う」
「おう、お前まさか」

全部言わせずに、田口がウィンクを飛ばす。ぜんぜん似合わない。

「わかった。俺からも頼むわ。恩に着るぜ」

笑いながらひらひらと手を振って田口と谷本が教室を出て行った。

昨日、メガネ生徒会長を拉致するために、3-Aは3-Bから横川を借りている。そのお詫びとして手伝うなら、向こうも面子が立つだろう。昨日は大工仕事が無かったので、借りたときのダメージは少なかったはずだ。で、今日は喉から手が出るほど欲しいだろう助けを、お詫びとして提供する。あの一瞬で、田口はどうやらそこまで計算したらしかった。

◇ ◇ ◇ ◇

今日は大回転で用意だ!と思っていたのだが、実のところ4時頃には、ほぼ全部おわってしまっていた。あまり装飾が多いと、ごてごてしてうるさいから。という平原の意見を受け入れて、イラストを入れるのは数学展示だけになっている。他のコーナーは既に飾り付け済みだ。来場者を歩き回らせるためのシンプルなレイアウトが功を奏した。なにより、午後の授業が無いので塾に行く奴も時間まで一緒に働くことが出来た。文化祭の準備を始めて以来、全員で作業したのは初めてだ。

「ごめんごめん、遅れちゃった」

平原の到着は4時30分。カラフルに汚れたつなぎ姿で、なんだか両手に一杯荷物を抱えている。

「おう、すまねぇな。部の展示忙しいのに」
「いやいや、手伝えなくてごめん」

荷物を下ろすのを手伝って貰いながら平原が詫びる。クラス展示と違って文化部の展示は3年間の総決算の意味がある。その点、すでに引退して文化祭にはイベントの無い運動部とは違う。詫びる必要なんか無い。むしろ時間を割いてくれている分ありがたい。

「いわれたとおり紙は全部文字で埋めたぞ。よかったのか?」
「細工は流々仕上げをご覧じろ」
「お前もおっさん臭いやっちゃなー」

竜児達に笑われながら、黒いケースから大きな竹ひご細工をとりだした。

「うわっ、すげぇーっ!」

真っ先に反応したのは、数学班の濃いリーダーこと木下。やせぎすの体を激しく意味なく動かして興奮している。

「なんだよ」
「高須わかんないのかよ!ピタゴラスの定理だよ!」
「…おう、そういえばそんな風に見えるな」

その繊細な作りの模型は、『直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい』という、例の定理の証明過程を竹ひごと凧糸で作り上げた物だった。おー、すげぇなぁと感心する竜児達の横から、もう一つ模型が取り出される。

「ぎゃーっ!別解か。うひゃひゃ、もう一つ!うぉーっ」

どうやら平原はピタゴラスの定理の証明のうちの6種類を竹ひご細工で作り上げてきたらしい。

「なぁ、これ全部一人で作ったんだろ?なんで俺たちに言わないんだよ。クラス展示だから俺たちが作ったのに」
「まぁそうだけどね。平面に収まるよう作るのは難しいんだ。自分で作った方が早いよ。結構楽しかったしね」

その横で壁に立てかけられた繊細な模型達にかぶりつくように見つめながら、木下は

「すげぇーっ!萌える、これは萌える!ピタゴラすげぇーっ!」

と体をくねらせている。

おい、誰か吉田さん呼んで来いよ。真の姿見てもらおうよ。と、いうクラスメイトの声も気にならないらしい。

そして竜児達の思いも寄らなかった方法で短時間のうちにイラストを仕上げると、平原は満足そうにそれらを眺めた。

「よし。できあがりだ」

金曜日の5時30分、最後の展示を暗幕に貼って、3-Aの文化祭展示は完成した。

◇ ◇ ◇ ◇

3/4に続く

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