えるの世界

困ったときの神頼みと言うが、そもそも神頼みに合理性があるかどうかというと、実は俺は神頼みには合理性があると思っている。もちろん、何もしないで神頼みをしても仕方がない。やるべき事をやって手を尽くした場合に限り、空いた時間で神に頼むのは有りだと思っている。

神が居ないとしても、やることはやっているのだから祈ることが無駄になるだけで損にはならない。もし居るのなら、祈った分御利益があるだろう。頼んでも頼まなくても損がないのなら、最後の最後は頼んだ方がいい。

もちろん、信頼できる神様に限るが。

◇ ◇ ◇ ◇

ベッドの上に転がったまま、ぼんやりとしていた。

ついさっき、階下の居間にあるデスクトップPCで千反田と話をした。学校の専用チャットルームというらしいが、あんなものがあったとは知らなかったし、なにより千反田がそんなものを使っていたこと自体が驚きだった。当人はおよそコンピュータなどという雰囲気ではないのだが。入須から試写会に誘われたのもチャットルームらしい。紳士淑女の社交場にでもなっているのか。だとしたら近づかないようにしよう。知らないやつに声をかけられて何かに巻き込まれたら面倒だ。

千反田によって持ち込まれた「女帝」入須冬美の依頼は彼らの自主製作映画の犯人探しというものだったが、とんでもない、結局俺は女帝の掌の上で踊らされて脚本家の仕事をやらされていたのだった。まぁ、考えようによってはこれも「千反田が持ち込んだ面倒事」の一つのうちに数えてもいいのだが、その場合女帝が仕組んだ罠だけは数に数えないようにしないと千反田がかわいそうというものだろう。やつも知らずに利用されただけだ。

俺がやったのが探偵役なのか脚本家なのかというのは、2年F組から見ればどうでもいいことだ。古典部としても比較的どうでもいいことに過ぎない。俺たちにとっておそらく一番重要なことは、今の時期は文化祭に向けて文集を仕上げることである。さもないと伊原が怒る。それは避けたい。つまり、踊らされたのなんだのというのは、俺の個人的な、しかも瑣末な問題にすぎないのだ。

そういうわけで、女帝事件についてこれ以上騒ぐ理由はなく、本日の千反田とのチャットで幕を閉じた。俺は女帝の真意を暴く際に気が付いた本郷の真意をもとに、脚本の後半部分を再推理し、チャットルームで千反田に披露した。その内容は実に味気ないものだったが、ともかく千反田は納得していたのでそれでいい。

俺の推理に過ぎないが、本郷の脚本では海藤は死なないはずだ。里志のヒントで分かったが、ホームズの短編集にあった印は殺人が行われているか否かの印だった。人が殺されない話は〇。死ぬ話は×。本郷は明らかに人が死なない話を好む。それがわかれば話は簡単だ。

海藤は死ななかった。ならば密室は刺された海藤が作ればいい。そうなれば、部屋の中で殺す必要はない。用意されたザイルを使って登山部の鴻巣が二階の窓から一階に降り、窓から侵入して廊下で海藤を刺す。あとはザイルを使って二階に戻ればいい。本郷は人が死なないミステリーを書こうとしたが、撮影班の暴走により海藤が死んでしまったため、後半を発表できなくなった。発表すれば誰かが責められる。それが撮影版であれ、自身であれ、本郷はそのようないさかいを望まなかったのだろう。

俺の案だと、海藤は鴻巣を逃がしている。千反田も同じ意見だった。「逃がす」という甘い展開が奴の感性に合うのだろう。鴻巣がなぜ刺したのか、海藤がなぜ逃がしたのかを本郷がどう描こうとしたのか気になるといっていた。実に奴らしい。そして俺に話を振ってこなかったのでどうでもいい。

千反田らしいといえば、「人の亡くなるお話は、嫌いなのです」はよかった。なるほど千反田らしい。だからあれほど謎好きなのにミステリを読まないのだろう。まったく、奴らしい。

そして俺はベッドから跳ね起きた。

◇ ◇ ◇ ◇

翌日、俺は一日中いらいらした気持ちに捉えられていた。前の晩に気づいた些細なことがきっかけだった。それは些細な、本当にどうでもいいことだったが、俺を捉えて離さなかった。そして気が付いてみれば深夜の2時、俺はどうしようもないほどおかしな考えに取り憑かれていた。

俺が捉えられたのは考えても仕方のないような類のことだ。だから省エネ主義者としては放って置けばいいのだが、なぜだが頭のあたりにまとわりついた考えを振り払えない。千反田なら『わたし、気になります』と俺に振ってくるところなのだろう。あれを言うとき、奴はこんな気持ちなのだろうか。

そして、この混乱をいくらかでも整理するためには、話の発端となった些細な謎をはっきりさせなければならない。俺はその時を待って、一日をじりじりとした気分ですごした。

放課後、いつにない早足で部室に向かった俺は、扉を開けて安堵の息をついた。やつが来ていたからだ。

「あ、折木」
「折木さんこんにちは」
「やあホータロー」

挨拶をしてくる連中に適当に手をひらひらさせて挨拶を返すと、荷物を降ろすのももどかしく、俺はやつの座っている前の椅子をひいて、前後反対に跨いだ。

「千反田、聞きたいことがある」
「はい、何でしょうか」

普段の俺らしくない行動にぎょっとしているのだろう、目を丸くしている。

「お前、本郷のプロファイリングをしていたのか?」

◇ ◇ ◇ ◇

千反田は本郷は自分に似たところがあるからわかるといった。だが、千反田は本郷に会った事がないはずだ。やつは入須から話を受けて知らずに俺たちをつれてきただけの案内役だったに過ぎない。それなのに、面識のない本郷を自分に似ていると言う。それに引っかかった俺は、昨晩これまでおきたことを整理してみた。その結果を集約したものがこの質問だ。

「プロファイリング、ですか?」

かくん、と千反田の首が傾く。ほっそりして楚々とした容姿のこいつがこうして首をかしげると、それなりに絵になる。

「そうだ、やっていたのか」
「あの…」

ひょっとしたら、勢い込みすぎたのかもしれない。言葉に詰まる千反田の後ろからいきなり援護射撃が俺に火を噴いた。

「折木、あんたちーちゃんに何してるのよ、来て早々挨拶もなしに」
「俺は何もしていない。質問をしているだけだ」
「質問を『している』でしょ」
「ともかく、俺は」
「まあまあ二人とも落ち着いて」

こういうとき、里志は実に落ち着いている。落ち着くというより、高見の見物を決め込むことができるので、場の雰囲気に飲まれにくい。

「千反田さん、『プロファイリング』ってわかるかい?」
「いえ、すみません。何のことでしょう」
「これはホータローが悪いね」
「何だ、里志」
「ミステリを読まないちーちゃんが、プロファイリングなんて知ってるわけないでしょ。質問する前にちょっとは頭を使いなさいよ」

うむ。ぐうの音も出ないな。憮然とする俺を無視して、里志が千反田に解説を始める。俺はといえば、伊原の刺すような視線から目をそらせるのに手一杯で、一時休止だ。

「プロファイリングってのは、被害者や加害者の人物像を証拠や証言から組み立てる作業のことさ。つまり、ホータローは、千反田さんは本郷先輩がどんな人物か知りたくて調べていたのか聞いてるのさ」

そうだ。俺が聞きたかったのはまさにそれだ。

「そういうことですか」

緊張が緩んだように、千反田がわずかに肩の力を抜く。どうやら本当に食ってかかるような勢いだったのかもしれない。だが、謝るよりも俺はいま、奴の答えを聞きたい。それが俺らしくないことは十分わかっている。

「で、どうなんだ?」
「そうですね、確かに本郷さんがどんな人か気になって、いろいろお聞きしていました」
「やっぱりそうか」

その言葉を聴いて椅子の背に体重を預ける俺に、伊原の鋭い声が飛ぶ。

「ちょっと折木、さっきから何の話をしているのよ。ちーちゃんが何してたって言うの?」
「そうだね、僕もそろそろ聞き着たいところだよ。ホータロー、いったい何事なんだい?」

俺は千反田越しに二人を見やった。そして千反田と目を合わせる。不安そうな目をしているのは、あるいは自分が説明するべきかと思っているのだろう。もっとも、その心配には及ばない。これは俺が言い出した問題だから、俺にとってのやるべきことだ。千反田が何かをする必要は無い。

「そうだな、お前たちも話しておくか」

そうして俺は、昨晩千反田と交わしたチャット内容の概略を二人に話して聞かせた。

◇ ◇ ◇ ◇

「なるほどね、その脚本なら本郷先輩の脚本として矛盾はなさそうだね」
「そうね。ザイルも使ってるし、先輩達の証言とか映像とも矛盾しないわね。だけどそれとプロファイリングは何の関係があるのよ」

俺が脚本のことを考えていた間、千反田は本郷の事を考えていた。それは千反田が俺の案に批判を突きつけたときに気づいたことだ。だが、俺はその先に気づかなかった。千反田は考えていただけではない、調べまわっていたのだ。愚者として。

「関係があるのは本郷案そのものじゃない。千反田が『人の死なないミステリ』を本郷案として適切だと感じた事だ。なんにしろ伊原の質問に答えるには、もう少し千反田に確認する必要がある」

そういうと、千反田が少し身を固くした。俺にあれこれ考えろと迫るのには慣れていても、自分が質問攻めにあうのは緊張するらしい。

「千反田。お前は、本郷と自分が似ていると言った。それはお前達が知り合いだったからわかったんじゃない。そうじゃなくて、お前は本郷がどんな人物か興味を持って資料を集め、読み、関係者に質問した。俺たちが犯人捜しをしている間に。そうだな」
「ええ、そう言うつもりがはっきりあったかどうかはわかりませんが、確かにずっと本郷先輩はどんな方だったんだろうと思って聞いたり読んだりしていました」
「だろうな。それがプロファイリングだ。そしてそれで説明が付く」
「説明が付くって、何にだい?」

部員全員を代表して里志が聞く。というか、千反田。なぜお前までそんな不思議そうな顔をしているんだ。

「千反田は最初、何となく中城の案に反対していた、次に羽場の案に反対するときにはもう少しトーンが強くなっている。最後は酒の勢いがあったとは言え、沢木口案には火を噴くような調子で反対していた」
「火を噴くようだなんて、わたし、そんな」

千反田が顔を赤らめるが、今はかかわっている場合ではない。

「これは千反田が本郷像をゆっくりと構成していったからだ。最初はおそらく中城の言葉だ。線の細い少女。それから本郷は声が大きく騒がしい中城とはそれほど懇意じゃなかった。次に江波の本郷像。責任感が強くて優しく繊細な女生徒。物静かで責任感が強く優しい。そんな本郷像を千反田は自分と重ねた」
「多分、そうだと思います」
「なるほど、そうか」
「ちーちゃんそんな事してたんだ。全然気がつかなかった」
「だからお前は本郷が自分と同じように、人の死ぬ小説は嫌いだろうと感じた。理屈じゃない。心でだ。そう考えれば、次第に反対の調子が強くなるのもわかる。おまけに最後は沢木口だ。大量殺戮案に強く反対したくもなるだろう」
「そうですね。そんな感じでした」

千反田は先ほどの赤面から立ち直っていつものように姿勢を正しくして受け答えしているが、なんと言えばいいのやら。俺はこいつがそんな事をしているとは露とも気付かなかった。こいつも、自分がやっていることを理解されていないことに気づかなかったんじゃないか?

「ちょっと待って。じゃぁ何よ。折木はこんな事確認するためにちーちゃんに食ってかかったわけ?」
「食ってかかったわけじゃない」
「いやぁ、あれは。ちょっとね」

里志が苦笑する。どうやら旗色が悪い。

「そうか。すまん。気を悪くしたなら許してくれ」

頭を下げると、千反田は小さく微笑んだ。許す、と言わないのは慎みだろうか。俺にはよくわからない。

◇ ◇ ◇ ◇

「で、どうなんだい。まさかホータロー、これで終わりじゃないよね」
「いや、終わりだ」
「嘘だね。そんなわけがない。この程度のことで省エネ主義のホータローが血相変えて千反田さんに迫るなんてあり得ないよ」

里志のテレパスが久々に発動したようだ。千反田と伊原は何事かと俺たちを見比べている。しらを切り通してもいいが、正直、それも面倒だ。仕方が無い、色々と面倒だが俺の考えた馬鹿話に連中も巻き込むことにした。俺が悪いんじゃない。悪い奴が居るとしたら里志だ。

「わかった。仕方が無い。あらかじめ言っておくがつまらない話だ。聞いた後で怒るなよ」
「それは話の内容によるわよ」

伊原はそうだろう。

「だったら聞くなよ」
「わたしが頼んだんじゃないわ」
「そうか。じゃあ話が早い。これでやめにしよう」
「ちょっと待った」
「待ってください」

順調に険悪になった俺と伊原に里志と千反田が割ってはいる。

「まぁまぁ摩耶花、ここはホータローの話を聞こうよ」
「折木さんが何を考えているのか、わたし、気になります」

変なところで千反田の好奇心が発動してしまったが、今回に限っては既に頭を使う必要は無いのでエネルギー消費の観点から言えばそれほど困らない。伊原の方は不服なようだが、とりあえず刀を鞘に収めることにしたらしい。そのまま鯉口を接着剤で固定してくれればいいが。

「そうだな。とりあえず絵を描くから見てくれないか」

俺は鞄からノートとボールペンを取り出すと、連中の前で簡単な絵を描いた。

endroll1

「これは最初の推理をまとめたものだ。入須の問いかけに対して3人が推理を行い、俺たちがそれをなで斬りにした」
「ホータロー、謙遜する必要はないよ。そこに自分が書いたとおり、なで斬りにしたのはホータローだ」
「そうか。で、その後俺が作った案は入須に受け入れられたが、お前たちからはそれぞれ批判を食らった。つまり、本郷案ではないという結論だ。これが今回の事件の大筋だった」
「そうだね」
「そうだったわね」

いつの間にか古典部全員がひとつの机を囲んでいる。少々暑苦しいが仕方がない。里志と伊原が相槌を打つ間にはさまれて、千反田は黙って聞いている。

「ところが今話したように、実は俺が推理している横で、千反田も本郷のプロファイリングをしていた。それを描き込むとこうなる」

俺は先ほどの紙に千反田によるプロファイリングを描き込む。描き込む量は決して少なくない。

「ちょっと折木、それプロファイリングと関係ないでしょ」
「そのとおりだ。だが少し待ってくれ。これが重要なんだ。描き終わったら俺の馬鹿話を全部説明してやる」

途中里志から茶々が入ったりしたが、描き終わるころには静かになっている。

endroll2

「これはまた。全部ホータローが考えたのかい?」
「そうだ」
「ちょっとこじつけが酷いんじゃない?」
「そうかもな」
「あのこれは」

気を取り直してしゃべり始めた里志と伊原の横で、千反田がほっそりした指を伸ばして紙の上の一点を指差した。二人ともその指先を注視する。

「どういうことでしょうか」

千反田のきれいな指は『入須による視点のずらし』を指している。当然、そこを突いてくるだろうとは思っていた。正直、何もかも話すのは気が引けるのだが、一方でこれを説明せずには全体を説明することもできない。

「入須は千反田を使って引き出した俺たちに犯人探しを依頼したんじゃない。脚本を考えさせたんだ」
「え」
「ちょっと、ほんとなの?」
「本当だ。本人に問いただした」
「認めたのね」
「『否定しない』と言った」
「これは…なるほど。脚本家なんて地味な仕事、誰もやりたがらない。ましてやこのスケジュールだしね。でも、探偵役なら喜んでやるってことか。さすが女帝だよ。ひとの使い方がうまいや」
「千反田、ばらした後にこんなことを言うのもなんだが、これでお前と入須の関係がギクシャクしたりすると困る」

千反田はやわらかく微笑むと即答した。

「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。それにしても、私も入須さんが何を考えているかなんて、気づきませんでした」

本当ならギクシャクしても俺が気に病むことはない。入須ははじめから魂胆があって知り合いである千反田を利用した。その背後の理由が何であれ、俺はそれに責任を負わない。もっとも、俺と入須が話した内容までは、千反田に話す気はない。話せばさすがの千反田も入須に対して何か含むかもしれない。入須の責任とはいえ、それは俺が望むところではない。俺のくだらない馬鹿話のせいですべてが明るみに出、千反田が心を痛めるというのでは気分が悪い。

「いいか、よく聞いてくれ。これからが馬鹿話の本番だ。
まずひとつ。千反田は俺が推理をしている横でプロファイリングをしていたが、俺たちはそれに気づかなかった。これはいいな。
第二に、2年F組の探偵志望者の案は、あつらえたようにミステリのショーケースになっている。それぞれ二時間ドラマ的なショー、密室による本格ミステリ、スプラッタ・ホラーだ」
「偶然でしょ」
「そうかもしれない」

伊原の短く鋭い言葉に相槌をうつ。とりあえずここはいなしておいたほうがいい。この先はもっと抵抗が大きくなるだろう。

「第三に、お前たちの俺の案への反論はタロットのシンボルに基づいている」
「ちょっとそれは」
「同語反復だね」

珍しく伊原の言葉をさえぎる里志に全員が注目する。

「ホータロー。タロットのシンボルは、僕がみんなの個性にあわせて割り当てたものだ。確かに僕らの反論はタロットのシンボルにしたがっているんだけど、それはタロットの秘術に導かれたわけじゃない。僕らが僕らの個性に基づいて行動しただけだ。何も説明していない。同語反復だよ」

いつもの薄ら笑いを顔に張り付かせているが、目が笑っていない。この段階で俺が言いたいことがわかったとも思えないが、あるいは背後の不気味さには感づいたのか。

「否定はしない。
だが、もうひとつ付け加えるなら、俺はタロットのシンボルの件で入須の視点ずらしに気づいた。まあいい。俺がこれを第三の点として数えたことだけ覚えていてくれ」
「ひょっとしてまだあるの?」
「ある。
第四に、お前達の反論だが、あれは考えてみれば俺が推理を始めるときにはお前達には準備のできていたことだ。つまり、あの日部室で俺が推理した際、もし横に居れば俺の推理の助けとなったはずのものだ。だが、実際には誰も同席できなかった」
「これも偶然でしょ」
「否定しない。
最後に、俺が考えた『万人の死角』は、里志が指摘したとおり叙述トリックだ。これは視点のずらしといえる。脚本が視点のずらし、入須による視点のずらし、」
「偶然よ」

伊原がさえぎるが、俺は続ける。

「そして、この千反田の言葉を隠した視点のずらしが存在する。一回の事件に視点のずらしが三回。しかも入れ子だ」

全員が黙り込んだ。

◇ ◇ ◇ ◇

「最後のは納得できない。変よ」
「ほかは納得できるのか」
「ごまかさないで。最後のは変よ。言いたい事はわかる。ちーちゃんが『気になります』って言ったことを聞き逃さなかったら、本郷先輩の心理を見落とさずにすんだって事でしょ。でもそれってあんたが聞き損ねただけじゃない」

伊原は鋭い視線で俺をにらみつけている。一歩も引かないという強い決意すら感じる。とすると、伊原も感づいたのだろうか。この強気は不安の裏返しと考えるのは、うがちすぎだろうか。

「否定はしない」
「あんたさっきからそればっかり」
「そうだな」
「ホータロー。つまりこういうことを言いたいんだろう。一つ一つは弱いけど、全部そろったら偶然とは思えないって」
「そのとおりだ」

この事件はおかしい。あまりにも偶然が重なりすぎている。千反田が俺たちに気づかれずにプロファイリングを行い、2年F組の案はミステリのショーケースになっており、俺への反論はタロットのシンボルに沿っており、そしてそれらが俺の助けにならないような事情が発生し、三重の視点のずらしが張り巡らされている。できすぎだ。

「裏で糸を引いている人が居るって事?だとしても変よ。私たちがあんたに反論したのは私たちの意志でやったのよ。誰かにそそのかされたわけじゃないわ。ちーちゃんがプロファイリングしたのだってちーちゃんが自分の意思でやったことよ。誰も、後ろから糸なんてひいてない。それに図書委員の用事は最初から決まってたわ」
「ああそうだな」
「じゃあ何だって言うのよ!」
「ようするに」

声を大きくする伊原を継いだのは里志だった。

「後ろから糸を引いている人は居ないけど、上から糸を操っている人が居るって言いたいんだよ、ホータローは」

今日の里志はテレパシーが冴え渡っている。まるで誰かの差し金であるかのようだ。

「そうだ。そういう作為を感じる」
「作為って…」

伊原が黙り込む。さっきまでの激しさは鳴りを潜めている。里志はにやにや笑いをまだ保っているが目は笑っていない。千反田は黙って俺たちの会話を聞いている。

「俺は馬鹿話だと言ったはずだぞ」
「ああ、言ったね。そして僕は聞きたいって言ったよ。まだ終わってないんだろ。続けてよホータロー」
「そうか。
昨日の晩、もともと俺が気になったのは千反田がプロファイリングを行ったんじゃないかということだった。だが、その件を考えているうちにほかにもいろいろなことに気が付いた。それがさっき描いた絵だ。それは我ながらあまりにもできすぎていると思った。で、俺はふと思い出したんだ」
「何をだい?」
「昔読んだことのある本の話だ。書名を思い出せないんだが、お前たちは知っているんじゃないか?」
「どんな話なのよ」
「主人公の女の子は戦場の父親から手紙をもらう。その一連の手紙は哲学の入門になっていて」
「『ソフィーの世界』だね」
「『ソフィーの世界』よ」
「『ソフィーの世界』ですね」

三方向からいっせいにハーモニーを聞かされて俺は言葉を失う。

「そんなに有名なのか」
「有名な本だよ。世界的なベストセラーになった。ホータローはそんな事も知らずに読んだのかい?」
「古本屋のワゴンセール品を買ったんだ」
「まぁ、ホータローらしいね」
「里志はいつ読んだ」
「読んで無いよ」

読んで無いのに読んだ俺よりよく知っている。さすがデータベースだ。

「とにかく、その本の中にあった話を覚えていないか。たしか、人の営みはすべて神の心の働きでしかないとか言う説だが」
「バークリーですね」

◇ ◇ ◇ ◇

これは千反田が即答した。我が部は読書家揃いで頼もしい。

「確かそんな名前だった。で、千反田。俺の記憶だとそのエピソードから突然物語が動き出したと思うのだが」
「そうです。人が感じることや思う事は神の心の働きでしかないと言う考えは、ソフィーに自分は本の中の登場人物ではないのかという疑いを持たせます」
「ふーん。それは面白いね。ホータローは、僕たちが物語の中の登場人物だって言いたいのかい」
「違う、そう言う馬鹿な話を思いついたって事だ」
「ふーん。まぁ、楽しい話だと思うよ。それで、その後ソフィーはどうなるんだい?読んで無いからわからないんだ」
「福部さん」

千反田が真面目な顔で里志に呼びかける。

「『ソフィーの世界』のどんな内容をお話ししても大丈夫ですか?」
「かまわないよ千反田さん」
「じゃあ、もし途中で気が変わったら耳をふさいでくださいね」
「ああ、大丈夫さ」
「ソフィーはその後、彼女の先生であるもうひとりの登場人物の助けを得て、本の中から脱出を図ります」
「へえ。じゃあホータロー説だとこの後僕たちはどうなるんだい?誰かが作ったお話から脱出を図るのかな」
「そういう二番煎じの登場人物でないことを祈るばかりだな」

軽口に、それぞれから笑いが漏れる。

「まあそう言う事だ。俺の馬鹿話はこれで終わりだ。伊原、俺を睨むなよ。聞かせろと言ったのは千反田と里志だ」
「わかってるわよ」

と言う割には、伊原は不機嫌そうだ。だが、それだけではないらしい。

「確かに馬鹿話だと思うわ。時間の無駄ね。だけど、一つだけ納得できることがあるわ。これが手紙じゃなくて、推理小説作家の仕業だとしたら、ありかもね」

そう言って用心深く俺を見上げる伊原に里志があきれたように声を上げる。

「へえ、摩耶花がホータローを擁護するとはね。まぁ、だからこそ『正義』のシンボルがふさわしくもあるんだけど。 考えてみれば確かにこれだけ面倒なトリックを考えつくのは推理作家だね。だけどことさら感心するようなことかい」
「違うわ、ふくちゃん。わたしが言っているのはこれよ」

そう言って伊原が俺が描いた絵の真ん中を指でとんとんと叩く。俺と千反田の名前が並んでいる部分だ。

「折木はこの事件をトリックだけ見れば解決できると思って取り組んだ。結果的にそれは失敗したわね。一方、その横でちーちゃんは本郷先輩の人物像を作り上げていた。もし、ちーちゃんがその人物像を折木に話すチャンスがあったら、多分折木は躓かなかったと思うの」
「だろうな」
「それはホータローが千反田さんの『気になります』をちゃんと聞かなきゃいけないって事だろ」

茶々を入れる里志を睨み付ける。千反田は千反田で少しばかり慌てているようだ。

「違うわ。これはね、考えようによっちゃミステリの歴史を暗示しているの」
「歴史?」
「そう。元々ミステリ小説はトリック重視の推理小説だったのよ。ホームズがそうでしょう?」
「確かにそうだね」
「だけど、だんだんトリックだけじゃつまらないって話になって、もっと人間を描こうって流れになったのよ。たとえばアメリカの探偵物って、聞き込みしながら被害者像を作り上げていったりするでしょう」
「確かにそう言うイメージはあるね。トレンチコートの探偵がたばこを吸いながらバーで聞き込みをする。だんだん被害者の悲しい人生が明らかになってくる」
「折木とちーちゃんのこの取り合わせは、何となくそれを暗示しているわ」
「ふーん、でもさ。もし千反田さんの助言を得て、ホータローが最初に本郷脚本の真実に肉薄していたとしたら、きっと2年F組の映画はつまらないものになったよね。だって、誰も死なないんだから」

確かに千反田からプロファイル結果を受け取っていたら、俺は誰も死なない本郷案にまっすぐ到達できたろう。だが、俺が考える脚本はともかく、全部が全部つまらないと言えるかどうか。

「いえ、それは違うと思います」

千反田だ。当然、やつは里志に反対するだろう。そう思っていた。

「本郷さんの脚本では、おそらく鴻巣さんと海藤さんは話をするのです。そして、何故刺したのか聞いた海藤さんは、鴻巣さんを逃がします。本郷さんはなぜ二人がそうしたのかをきっと人間味のある話として描いたはずです。わたしは人が亡くなることが、ミステリのおもしろさに不可欠だとは思いません」
「そうね。わたしもちーちゃんに賛成。結局の所、ミステリの歴史が暗示するのはそれなのよ。トリックがすべてじゃない。人間の物語が大事なの」
「ふーん、そんなものかね。ホータローはどう思うんだい?」
「正直、もうどうでもいい」

ぷっと、里志が吹き出して伊原のまなじりがつり上がる。そんな事を言っても、俺の馬鹿話は既に終わっている。あとで伊原がどんな理由付けをしようとも、それは伊原の好みであって俺の問題じゃない。横で里志が背伸びをしながら言う。

「ホータローらしいや。いや、まったく。いい気分転換ができたよ。実に楽しい話だったね。これで気分一新して手芸部の課題に取り組めそうだ。じゃあ、僕はこの辺で失礼するよ」
「ちょっとふくちゃん」

笑顔だけを残して部室を去ろうとした里志だったが、後ろから伊原ががっしと襟首をつかむ。里志の笑顔が凍り付く。つくづく甘いやつだ。そんな事で伊原を煙にまける思っているのか。

「手芸部に行きたいのはわかるけど、それは原稿を書いてからにしてちょうだい」
「でも、摩耶花」
「言い訳は聞かないわよ。ほら、早く原稿に向かって!」

◇ ◇ ◇ ◇

部室の端でコントを繰り広げる二人から視線を戻すと、千反田と目があった。ちょっと上の空のような色が瞳にある。珍しい表情だ。

「なんだ。どうかしたか」
「いえ、あの。とても面白い話でした」

口元に微笑みが浮かぶ。

「お粗末様だ。何度も言ったがただの馬鹿話だからな。あまり真に受けるな」
「はい。わかってます」

そう言って言葉を切った千反田は、だが、まだ聞きたいことがあるようだった。

「あの、折木さんは神様は居ると思いますか?」

神様か。

折木家では父親がクリスマスケーキを買って帰り、紅白歌合戦を見た後に年越しそばを啜りながら除夜の鐘を聞いている。姉貴が家に居た頃は初詣に引きずられていった。死んだら寺に納骨されるはずだ。もっとも、俺自身は白いひげの年寄りはフライドチキン屋以外信じないことにしている。

だが、千反田が聞いているのはもちろんそんな話ではない。

俺が連中にしなかった話がある。

中城、羽場、沢木口の案はそれぞれ「犯人の心理として不可」「証拠映像と矛盾」「証言と矛盾」であるとして葬り去られた。それに対して里志と伊原の俺に対する反論は「証拠資料と矛盾」「証言と矛盾」だった。千反田だけが違う。やつは俺に『本郷のが脚本を開かさない理由を示していない』と言った。こいつの意見だけが異質だ。

千反田は、羽場や沢木口の意見がプロファイリングで得られた本郷像と矛盾することからその案に反対を唱えた。だったら俺の案に対しても、同じ趣旨で反論できたはずだ。だが、やつはそうしなかった。それを何故と問えば、千反田は答えを渋るだろう。きっと俺に同情したのだ。『お前の案は脚本家の殺人忌避心理と矛盾する』という冷酷な一撃を放つのではなく、『わたしの疑問に答えていない』という柔らかい物言いを選んだに違いない。実に千反田らしい。

だが、俺はこれこそが作為の表れだと感じる。千反田が『脚本家の心理と矛盾する』といえば、俺が行った批判と、俺への批判が綺麗な対称になるのだ。なのに、千反田は沢木口へ行った批判の根拠を俺にぶつけなかった。そのために対称性が崩れている。もちろん、『なぜ本郷が脚本案を言わなかったかを説明していない』であっても、『脚本家心理と矛盾する』と言えないことはない。だが、ではなぜ『殺人忌避心理と矛盾する』ではいけないのか。まるであとから推敲したみたいじゃないか。

千反田が脚本家の殺人忌避心理を持ち出さなかったことで、この作為をもちこんだ者はいくつかのメリットを得る。まず、千反田がプロファイリングを行ったことを最後まで伏せたままにできる。次に、俺に対して自力で本郷の心理に切り込むことを強要できる。最後にこれが肝心だが伊原と里志が指摘したとおり『気になります』を無視してはいけないのだと、警告を送ることができる。誰に?

読者にだ。

馬鹿馬鹿しい妄想だと思いつつも、昨日の晩、俺はこの考えを振り払えなかった。そして今でも振り払えないでいる。もし、その作為を持ち込んだ者が居るとしたら、そいつはこれまでの俺の人生を操ってきたはずだ。そして俺を古典部に放り込み、関谷純が置かれた苛烈な薔薇色の高校時代を俺たちに見せつけた。温泉合宿に俺たちを連れ出し、俺に千反田のささやかな夢をぶち壊させた。自主製作映画の試写会に俺たちを引き込み、俺に全能感と挫折の両方を味わわせた。入須冬美の計略など子供だましにさえ見える。俺はそいつに踊らされ続けている。そしてどうやらいい友達にはなれそうにない。

◇ ◇ ◇ ◇

「折木さん?」

千反田の声にはっとした。少し考え込んでいたらしい。

「すまん」
「なにか気になることでも?」
「いやそうじゃない。『神様は居ると思うか』、という話だったな」
「はい」
「わからん」

千反田がきゅっと口元をすぼめて笑顔になる。こらえきれず、と言ったところか。長考してそれが答えか、と思われたに違いない。といって、さっき考えたことは千反田に話すような類の代物でもない。何しろ馬鹿話に輪をかけた与太話だ。苦笑いでごまかしながら千反田に問い返す。

「で、お前はどう思うんだ」
「そうですね。わたしもわかりません」

微笑みを浮かべたまま、眼を細めて首をかしげてみせる。品のいい笑顔だ。

「でも、もし居るのなら、優しい神様であって欲しいと思います」

そう言った千反田の笑顔に、すこし悲しそうな表情が混じった。俺の思い過ごしなのだろうと思う。

(初出 2012/07/06)

One Response to えるの世界

  1. jun.wat says:

    折木姉…。

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