名前を呼ぶだけで

不意打ちだった。

去年も来たし、という気安さもあった。

折木奉太郎、神山高校二年生の夏休みは特にエネルギー消費の激しいイベントもなく。という訳にはいかない。昨年の文化祭のミスを挽回しようと張り切っている同じ古典部の伊原が、連日火のような激しさで俺たちを追い立てて原稿用紙に向かわせたのだ。音を上げた里志を見かねた部長の千反田が、昨年の検討会同様、「氷菓合宿」を提案して千反田邸で開く事になった。合宿と言っても日帰り3日間である。泊まりになったら伊原に夜まで噛みつかれる里志が持たないだろう。

豪農千反田家の屋敷が一年で縮むわけもなく、相変わらずでかい屋敷の門の前に来ると、俺は何も考えずに呼び鈴を押して待った。去年は里志と一緒だったが、今年は用があるらしく、ヤツは遅れてくる。ミンミンとうるさい蝉の声を聞いていると、通用門が開いた。開けたのは千反田ではなかった。いや、正確に言うと、多分千反田さんであるだろう人物だったのだが。

「いらっしゃい」

にこりともせず、そう俺に声をかけたのは褐色に焼けた中年の男性だった。虚を突かれた。同級生で古典部部長である千反田えるが出てくると思っていたのだ。だが、眼の前に立っている男性は、明らかに「える」などと言う名前ではない。これは、音に聞く豪農千反田家現当主、鉄吾氏に違いない。そして、一瞬動いたその目には、俺を値踏みするような色があった。

「あの」

と声を上げて、自分が緊張していることに気づく。とにかく挨拶をしなければ。高校二年生にもなって、挨拶もできない男と思われてはたまらない。何がたまらないのか自分でもよくわからないが、とにかく何か口にしようとしたところに、間の悪い千反田が駆けて来てタイミングが乱れる。

「折木さん!すみません。私が出ようと思ったのに」
「える。行儀の悪い」
「ごめんなさい」

千反田が走るなんて珍しいなぁと思って見ていたら、幾分強い調子でたしなめられた。やはり日頃から躾けが厳しいのか。

「あの」

もう一度声を上げる。こちらを振り向いた、多分千反田鉄吾さんで間違い無い人物の顔をちゃんと見て頭を下げる。

「神山高校二年、折木奉太郎です。えるさんとは同じ部活をさせていただいています」

他意はなかったのだ。ただ、眼の前の人物は目上の者の当然として目下の俺が名乗るのを待っており、俺にとっては謎の人物のままだ。鉄吾さんである可能性は限りなく100%に近いが、間違いは犯したくない。だから、お嬢さん、と言う言葉は不適切だと思った。

それ故、「えるさん」と、言ったのだ。それだけだ。が、その名前を口にしただけで心臓が跳ねた。不意打ちだった。自分の体の予想外の反応に取り乱さないよう懸命に気持ちを抑えながら顔を上げる。相変わらず、にこりともしない日焼けした顔が俺を見ていた。

「君が折木君か。えるの父です。娘がお世話になっております」
「いえ、こちらこそ。えるさんにはいつもお世話になっております」

二度、口にしてまた心臓が跳ねる。体温が上がり汗が吹き出す。この場を逃げ出したくなる。ふと、後ろの千反田を見やる。しかられてばつが悪いのか、俺と同じく真っ赤な顔をして俯いていた。

(おしまい)

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8 Responses to 名前を呼ぶだけで

  1. キノ says:

    「鉄吾さんは奉太郎をどう認識してるのかな、奉太郎と同じく実は緊張してるんじゃ…とニヤリとさせられました。がんばれ、奉太郎!できれば続編も読みたいです。

    • みとっち says:

      コメントありがとうございます。地域の重鎮ですからねぇ動じることはないと思いますが、娘さんが団らんの席で度々披露する「今日もはこんな事があったんですよ」という話をどんな思いで聞いているやら。

  2. says:

    おお、千反田さんのお父上、初登場ですね!
    でもこの口ぶりだと娘から何か聞かされてるっぽい・・・。そこがすごく気になります。
    「あきまして」で連れまわしてたし「雛」でも、なので、なんらかの噂を耳にしていて娘にツッコんでる可能性もありますしね。

    しかし、どっかでも言われてましたが、チタンに鉄って固い名前ですよね。
    どうしてもいかつい頑固親父を想像してしまうのは仕方のないことですww

  3. Kishi says:

    以前述べられていた『米澤穂信の女性達』を思い出しながら、この話を読みました。
    古典部シリーズでは特段親父像のようなものが米澤先生本人から出てませんので、親父の強さ、娘への想い、鉄吾さんだと家づきあいで、いろいろな人やえるさんに合いそうな男の子がいそうな気もします。鉄吾さんの目に行く奉太郎像は……と考えるとニヤニヤしてしまいます。「あきまして」でも「いい子してました」ってセリフがあるので、誇りもそうですがスゲー厳しい昭和初期の親父さんって感じもするんですよね。

    久しぶりのSSに感激しつつ、古典部4名の家族も非常に気がかりです。
    (供恵さんは何回も出てるし、論じられてますけど……)

    • みとっち says:

      こんにちは。コメントありがとうございます。
      供恵さんは存在しませんので原作で論じられた家族としては鉄吾さんと里志の妹だけですww

      あの「いい子してました」は、言いセリフですよね。その一言だけで彼女だけじゃなく回りの情景まで目に浮かびます。千反田さんは子供の頃にお母さんと死に別れた(あるいは両親が離婚した)節があります。どんな親娘なんでしょうね。何にせよ、娘の口に上る男の子の名前は気になっているはずです。

  4. jun.wat says:

    なぜかウキウキしている娘の様子を見て、豪農の当主ならではの勘働きから、娘よりも玄関近くで待機。或いは別の用事を言い付けて来たるべき脅威に対峙した鉄悟であった。
    まあ、米澤さんの感じからして、威圧的とは逆の印象の人に思える。失踪した叔父のイメージからも。ほうたるvsちたんだ父の会話が楽しみだ。

  5. らるれ says:

    本当に素敵な表現をしますね。
    特に最後の一行。
    みんな「分かってる」前提の、逆表現。
    これも始終によによしながら読ませて頂きました。

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