春の夜

思い浮かべたのは折木さんの姿でした。

傘持ちを引き受けてくれる子に心当たりはないかと聞かれたのは夕食の後の団らんの事でした。考えるより早く、「あります」と答えていたことには自分でも少し驚きました。きっと顔には出ていなかったと思います。

折木さんと出会ってから、1年経ちました。

「やらなければいけないことなら、手短に。やらなくてもいいことなら、やらない」

そう言っていつも面倒ごとを遠ざけるわりには、わたしが困っていると助けてくれました。それを折木さんが、「千反田に抵抗するだけエネルギーの無駄だ」と嘆息していることは知っています。でも、本当に嫌ならば折木さんは「嫌だ」と言えばすむことです。

いくつかの小さな事件と叔父の昔の事件に関わる謎を折木さんが解いた頃には、わたしにとって折木さんは特別な人になっていました。

特別、といってもそれは好きになっていたということではないようです。わたしはまだ恋をしたことがありません。ですから、これが好きということなのか、好きということでないのかと考えてみると、本当はよくわからないのです。でも、本で読むいろいろな恋の話とくらべてみても、わたしのこの気持ちはどうやら恋ではありません。折木さんの事を考えるだけで胸が痛くなったり、自然と目があの人の姿を追ったり、声をかけられるだけで心臓がどきどきするといったことは、わたしにはありません。

きっと折木さんはわたしにとって、これまでで一番仲のいい男の方、ということなのだと思います。折木さんがどうやって、謎を解くのか、わたしは気になります。もちろん、それはわたしが理解できることではないのでしょうけれど、それでも折木さんが謎を解く姿を横で見ていると、わたしは嬉しくなります。折木さんが謎を鮮やかに解く姿を、何度でも見たいと思います。

先月、摩耶花さんのチョコレート作りのお手伝いをしました。といっても、私がお手伝いしたのはチョコレートの味見くらいものです。摩耶花さんが丁寧に彫刻を施した木枠で型を取ったチョコレートは、紆余曲折がありましたが、折木さんのおかげで無事福部さんのもとに届いたそうです。

その出来事を見ていて、折木さんの事を考えるようになりました。

私は、大学に進んで農業技術の勉強をします。そして、この土地へ帰ってきます。千反田家が長く運営しているこの地方の農業は、今では栄えているとは言えません。千反田の娘として、いくらか元気のなくなったこの地方の農業に対して何らかの貢献をしたいと考えています。そのために大学に進んで、勉強をして、そして帰ってきます。

バレンタインデーの事件のあと、折木さんの事と、この土地の事を何度も考えました。私にとって折木さんはどのような方なのでしょう。もし、長いおつきあいをしたいと考えたとして、私が大学に進み、この土地に帰ってくるということと、折り合わないのではないでしょうか。私がそれを望んだとしても、折木さんはこの土地に戻ってくることを望むでしょうか。

わたしたちの年頃で、そんな先のおつきあいまで考える必要はないのかもしれません。でも、この土地に戻ってくると決めている私にとっては、おつきあいにしても、その、戻ってくるという、既に決めたことの上でしかできないことなのです。

何度も何度も、そのことを考えました。

折木さんは私にとって、特別な人です。一番親しい男の方です。いつも、面倒なことは嫌だというくせに、私には思いもしない方法で、謎の核心までたどり着くことができます。はたから見えるよりも、ずっと優しい心を持った方です。折木さんが謎を解く姿を見るのが、好きです。

この気持ちを、先へと進めてみようと思います。この気持ちは恋へと変わるのでしょうか。恋へと変わったら、私にはどんな風に折木さんが見えるようになるのでしょうか。その恋は、これからわたしたちが卒業するまで、そして卒業してからも続くでしょうか。

わたしの生きる世界を折木さんに紹介するところから始めてみます。

あした、折木さんに電話をします。

初出 : 2011年9月12日

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