コミック版『氷菓』、安定のおもしろさ

本日発売のコミックエース誌に、コミック版『氷菓』、第三話が掲載されています。

話の内容は「愛無き愛読書事件」前半です。内容は、言うこと無しです。そもそも古典部シリーズは推理のネタが割れても読み物としての面白みが減らないところが持ち味なわけですから、筋を知っている事はマイナスになりません。そこにきて、活き活きとした絵が付いているのですから、千反田さんによる奉太郎の振り回されっぷりのおかしみも増えようというものです。

前回、時系列順で間にはさむ形になった短編『やるべきことは手短に』ともうまくつなげてあります。

ただねぇ、不思議な事に24ページしかないんです。来月26日発売のコミック版『氷菓』第一巻は180ページだそうで、計算が合いません。ひょっとすると放送開始と会わせるために4話の雑誌掲載とコミック発売を同時に行うのでしょうか。

今期のアニメももうすぐ終わり

『あの夏で待ってる』

第11話はお迎えに来たお姉ちゃんがイチカ先輩に帰国説得。でもなんだかんだで海人と逃げることになります。過去に異星人と接触した証拠を見せれば、地球を文化的に隔離する必要が無くなって強制帰国の理由が無くなるのだとか。

まあ色々考えちゃうんですよ。かつてハードSFを愛読した身としては。ちょっとぬるいですかね。過去に接触したご先祖様がDNAの中にその記憶を植え付けたって事になっていますが、それ、連盟だか連邦からは認知されていませんよね。ということは、秘匿されていたわけで…ご先祖様、なんかやばいこと隠していたんじゃないですか?というか、このご先祖様にしてこの子孫ですか。

宇宙人と人類のカップルは獣姦だぞ!とか私は言いませんから。言ったのはニーヴンです。

それにしても、今週も柑菜はいいことを言いました。「好きな人には幸せになってほしい」言えないよな。なかなか。愛は与えるものだって言うのは簡単だけど、振られた生傷がじくじく痛む最中には言えないです。

今週は哲朗がようやく美桜の方を向いてくれました。映画見に行かないかって、さすがイケメン。「付き合おう」、でもなく、「好きだ」、でもなく、「映画見に行かないか。二人で」。美桜の嬉しそうな顔が印象的でした。直前のシーンで「私も一緒に行く」という美桜の言葉の意味が深くて、単に危険を冒す哲朗に同行するわけではなく、「常に横に居たい」という気持ちの暗喩になっています。それを受けての二人で映画ですから、ねぇ。

『Another』

同じく11話。ちょっとテンション落ちたかな。

ぎゃーっ!大殺戮!って事なんでしょうけど、せっかくこれまでホラーの雰囲気を盛り上げてきたのに、ここでスプラッターかよって気がします。この作品の監督さん、Blood-Cの残虐なだけのストーリー運びでかなり評判を落としたのですが、根っこは変わっていないかも知れません。

この作品は前半の「見崎鳴は幽霊ではないのか」という疑惑に縁取られた忍び寄るような恐怖に始まり、発動した災厄によって誰がいつ死ぬかわからないという息をひそめるような緊張、死者は誰なのか、災厄を止めることはできるのかといった重苦しい疑問が持ち味でした。

今回は勅使河原・望月コンビの不手際からパニックと恐怖が伝染してしまいます。いまいちおばちゃんが狂った理由がわかりませんが、惨殺と火事という、屋敷ものには不可欠の要素が投入されました。

そして先に書いたように、この恐怖に煽られたクラスメイト達による見崎鳴への殺意は、しかし映像としてみると、しらっとした印象しか受けません。何が理由であれ、同じクラスで学んだ少女を、死者かも知れないと言うだけで、あんなに顔をゆがめて殺す気満々で対峙できるものでしょうか。そりゃ確かに4ヶ月間死の恐怖と隣り合わせだったわけですが、中学生の殺意というものが他の一切の感情無しで持ちうるとしているあたりに妙な薄っぺらさを感じざるを得ません。

転落死した小椋さんの死体の描写などを見ても、水嶋監督という人は人の生死に対して浅薄な見方しか持ち合わせていないのでしょう。

前回の終わり、死者を知っていると言う鳴の肩をつかんでを恒一が引き寄せルシーンがあります。あのときの、力なくただされるがままに引き寄せられる鳴の動きに随分感心したものです。見崎鳴という、人生に対する意欲が希薄で能動性の薄い少女をよく描いていると思ったのです。いろいろな細かい仕草が描けていて全体的にAnotherは好きなのですが、今回は少ししらけました。

古典部シリーズ、特大帯

アニメ化に合わせて、文庫本に特大帯を装丁して発売だそうです。

「帯って、カバーじゃねぇか!」

あれですかね。ぺろってめくると通常版のちゃんとしたカバーがあるって奴ですかね。

そりゃそうとせっかく4人を各巻に散らしたんだから、もう少し季節感があっても良さそうなものです。千反田さんから始めて春夏秋冬にすればいいんですよ。で、奉太郎は白いコート(w

みんなのため

Another 第10話で、赤沢泉美は自分の対策係としての落ち度を認めた上で、「見崎鳴が謝罪の一つもしない」とつるし上げましたが、それはやはりおかしな言いぐさです。

鳴は災厄が恒一の登校前から始まったことを知っており、泉美は知りませんがそれは横に置いておきます。

泉美を初めとする3年3組の面々がクラスの決め事を通そうとするときに必ず言う言葉が「クラスのみんなのため」です。「みんなのためだから」仕方ない。「みんなのためだから」我慢してくれ、と。その大義名分、錦の御旗を掲げ、はっきりと「嫌です」と言った鳴を居ない者として扱ったわけです。

であれば、鳴を居ない者とする責務は一人鳴だけが負うべきものではありません。みんなのためにするのですから、みんながその責務を負うべきなのです。クラスメイトの命がかかっているというのなら、対策係が学校を休んだくらいで、転校生に事情を説明するというクリティカルな仕事を怠った無能どもは全員未必の故意で有罪です。

役に応じた責任があるというのなら、役に応じた権利もあるべきです。しかし、鳴には一切の権利がありません。「居ない者」役がその重圧に耐えられなかったから一昨年の対策が失敗したのであり、その災厄で兄を失った泉美こそ、その点をはっきり理解しているはずです。

そんなに悪い子に思えないのですが、やっぱり恒一のことが好きなんですかねぇ。

りつ子とみさき

ふと思ったのですが、恒一の死んだ母親、りつ子は、始まりの年に死んだ夜見山みさき君の事を好きだったのではないでしょうか。

集合写真に写っていたみさき君は、実に不気味な姿でした。それは、担任であった千曳ですら、怖くなって処分するほどの物です。しかし、りつ子はその写真を捨てずに大切に実家に保存していました。考えれば変な話です。普通、心霊写真など、よほどその手の現象に興味がない限り手元に置きたいとは思いません。

26年前、みさきが死んだ後、クラスメイトの一人が「みさきは死んでいない」と言い出しました。それが、災厄の引き金になった事件でした。

「みさきは死んでいない。生きている」と言い出したのは彼のことを好きだったりつ子なのかもしれません。だから、「よりによってりつ子君か」なのかもしれません。

コミック『氷菓』1巻、その他

アニメ放送開始までおおよそ1ヶ月、ようやく各種情報に熱気をはらむ慌ただしさが伴ってきました。いいですねぇ。

コミック『氷菓』

コミック版の第1巻は、amazon.co.jpによれば、4月26日発売です。この日は『氷菓』第4話が掲載される少年エースの発売日ですから、自動的にコミック第1巻には第3話までが収録されることになります。原作では時間軸に従って以下のエピソードでしょう。

  • 「伝統ある古典部の再生」
  • 『やるべきことなら手短に』(短編集『遠まわりする雛』収録)
  • 「名誉ある古典部の活動」(愛無き愛読書事件)

第3話は予想ですが、間違い無いでしょう。第1話が57ページ、第2話が44ページ、コミックは180ページとのことですから、諸々さっ引いても第3話は60ページ前後になりそうです。だとすると、第3話は愛無き愛読書事件だけでなく、「事情ある古典部の末裔」も含んでいるかも知れません。

アニメは21あるいは22話

テレビ局に電話で聞いた方がいらっしゃるらしく、『氷菓』は21話あるいは22話になるとのこと。『遠まわりする雛』まで含めてじっくりと描かれた古典部を堪能できそうです。

京アニのサイトがリニューアル

京都アニメーションのサイトはこれまでディザー・サイトの位置づけでしたが、公式サイト・オープンに伴い、3月23日より『TVアニメ「氷菓」京アニサイト』としてリニューアル・オープンするとのこと。

PV感想

公式サイトにPV第一弾が公開されています。PVだからでしょうか、テレビアニメと思えないほどすさまじく高いクオリティの描写になっていて、びっくりです。こう言うのを見て「ワーキング・プア」等という言葉が浮かぶあたり、悲しき社会人である自覚はあります。話としては文集のバックナンバーを探すあたりまでが収録されているようです。

さて感想ですが、「千反田さん、目が妖怪みたいwww」

まぁ、冗談はさておきこの動画を見てアニメ版の方向が少しわかった気がします。

もともと古典部シリーズはアニメ化しても地味に過ぎやしないかとは言われていました。原作は落ち着いた文体に支えられた柔らかいストーリーです。宇宙人、未来人、超能力者、異世界人も出てこず、その手のストーリーに大抵一人いるべき巨乳な萌えキャラも眼鏡ッ子もいません。

ライトノベルにありがちな派手な記号性、エロ、萌えとは無縁で、その代わり推理小説らしい精度が高く密度の濃い文章に支えられた落ち着いた青春劇が展開されます。まぁ、深夜アニメの視聴者層が求める世界観とは違うわけです。

その世界観を代表するのがヒロインの千反田さんで、名家の一人娘である彼女はすらりとした線の細い長身、大げさな表情を表に出さず、楚々とした振る舞いの「女子高生というより女学生」然とした少女です。

原作ファンのほとんどが重要視していたと思われる彼女のビジュアルが、原作から想起される物からかなり変わっていたことは、当初かなり違和感を感じさせました。

アニメ版のキャラ設定では、彼女は「比較的テンプレ的な黒髪ロングの少女」像に押し込まれており、ぱっと見て線が細いとか、長身とか、育ちの良さそうな楚々とした感じはまとっていません。一方摩耶花もPVのナレーションこそ「小柄で童顔」と紹介していますが、公開されている画像や動画からはそう言ったビジュアルではありません。原作を最初から読んでいたファンの間では、「摩耶花の方が千反田さんより美少女」という認識が強かったようですが、アニメのキャラ設定ではそうなっていません(短編「やるべきことなら手短に」が発表されるまで、千反田さんが美人か否かは不明だった)。里志も小説とは異なるイメージのビジュアルです(ただし彼にはほとんど違和感を感じない)。

キャラクターデザインが原作から乖離している背景は二つあるのではないかと思っています。

一つは、そもそも原作が容姿の描写を生かせていないこと。確かにヒロインである千反田さんの姿はかなり細かに描かれていますが、それは彼女のイメージにはなっても、本質的にストーリーには絡んでいません。奉太郎がちょいちょい「見た目の清楚さと反する好奇心」にぼやいているくらいです。ですから、ストーリーの雰囲気を変えるのなら、彼らのビジュアルはそれほど原作に忠実である必要はありません。

そして、これが肝心なのですが、PVを見るに、アニメスタッフは原作の持つ雰囲気に忠実に作るのではなく、もっと「アニメーション」らしい活気を吹き込もうとしているのではないかと思うのです。原作で省エネ主義者を貫く奉太郎ですが、そもそも古典部の面々は極端におとなしく、動きを見せません。何しろ原作中彼らが走るのは片手の指でも多すぎるくらいの回数でしかありません(第5巻を除く)

原作付のアニメなら、原作のおもしろさをアニメ化しなければどうしようもないわけですが、逆に言えばこれだけは譲れないと言う点を除けば少々変えてもいいことになります。とすれば、古典部シリーズのおもしろさとは何か、譲れないこととは何か、と言う話になります。

古典部シリーズの特徴は、言うまでもなく

  • 推理小説としてのおもしろさ
  • 青春の苦味や痛みを描いた群像劇
  • 淡い恋愛模様

といった点です。

PVを見て思ったのは、スタッフはそう言う点を残してアニメ向きに再構築しようとしたのではないかということです。PV中、千反田さんが原作ではあり得ないような動きで奉太郎を引っ張るシーンがありますが、あれだってアニメの記号性としては当然アリなわけです。

わたしとしては上の三つの項目さえ守られていれば、まぁ、よほど突飛な事でない限りOKかなというスタンスでして、花が咲き乱れるシーン(笑)まで含めてスタッフのお手並み拝見という気分で居ます。

第10話 「先輩とぼくらの。」

あの夏 第10話。ようやく監督や脚本がやりたいことがわかってきました。

監督・キャラデザの長井/田中コンビが再度岡田脚本と組んだことで注目を浴びた『あの日見た花の名前を僕たちは忘れない』は、良くも悪くも岡田ワールドでした。そこに描かれたのは生々しい青春の苦渋であり、決して一つ筋縄では解決しないもつれた感情です。

同じ長井/田中でも黒田脚本の『あの夏で待ってる』は、全く違う方向を目指しているようです。美桜→哲朗→柑菜→海人→←イチカ、と複雑な関係だった彼らですが、ここまで一度もドロドロとした愛憎を表に出していません。むしろ全員が全員自分の気持ちを胸の中にたたみ込んで必死に笑顔であろうと、よき人であろうとしていました。そんな彼らも、哲朗に背中を押されて美桜が、檸檬に背中を押されて海人が、柑菜に背中を押されてイチカが想いをそれぞれの想い人に伝えました。そして、今週、美桜に背中を押された哲朗が、哲朗に背中を押された柑菜がやはり想いを相手に伝えます。

その伝え方はみな、前向きです。自分が振られるとわかっていても告白し、そして相手の恋を応援する。そう言う前向きな形に全部をまとめ上げて、それでもなおさわやかであるのがこの作品の持ち味でしょう。

前回、イチカの背中を歯を食いしばって押した柑菜は、何日も泣きはらしてなお、イチカに対して恨みも後悔もありません。ただ単に悲しい。その柑菜に想いを告げた後、哲朗は「お前はお前のままでいろ」と背中を押してやります。

海人の元へと走る柑菜の姿は、そのまま『あの花』1話のじんたんへのオマージュです。振り切ることのできない過去への後悔から、めんまの姿を探して夜を駆け、叫び声を上げたじんたん。彼の頭の中は悔恨の念で一杯です。一方の柑菜は中学生時代から胸の中の恋心を振り返りながら、海人にその気持ちを伝えるべく大きな夏空の下を駆け、叫び声を上げます。その叫びは、ただひとつ海人への純粋な想いにあふれています。

振られて嬉しかろうはずもありません。しかし、まっすぐに自分の想いを伝え、その場で振られても、柑菜は「知ってた」と微笑み、そして笑顔で「映画を成功させよう」と言うことができました。

メッセージを探すとすれば、それは「胸の中の想いを言葉にすることは強さだ」ということなのでしょう。それを一番体現しているのが美桜です。長い間、想い人の片想いをそっと見守ってきた彼女は、哲朗が力尽きたその瞬間に現れて、「泣いてもいいんだよ」と優しくもたれかかります。それは優しさではありますが、ずるさです。ずるさだと臆してしまえば、哲朗を支えなければならないまさにそのとき、支える事はできなかったでしょう。彼女は自分のずるさを自覚した上で、しかし、臆することなく優しく支えようとします。

いい作品です。あと二回。まだどう転ぶかわかりませんが、きちんと見届けたいです。