第10話 女帝、奉太郎を打ち倒す

8話から「愚者のエンドロール」編が続いています。9話からこっち、「この物語はフィクションであり」とアバンタイトルで表示されます。8話に無いところを見ると、お遊びで入れてるのでしょうね。8話は演出上、こんな字幕が入ると雰囲気が削がれます。

中城達の案を葬った奉太郎は下校途中で「女帝」入須冬美に呼び止められます。連れて行かれた茶屋で入須は奉太郎と面談し、謎解きを再依頼します。

会話劇の演出が光る話でした。原作から大胆に変更された硬軟交えた入須の話術が非常な緊迫感をもって奉太郎を包み、揺さぶる様が見事に描かれていました。里志の自分自身の素質に対する辛辣な評価のシーンは坂口さんの演技がお見事でした。あと、茅野さんによって順調に一次元の魔界に引きずり込まれている気がしますので、誰か助けてください。

奉太郎の推理のシーンも、この特殊な事件における「現場百回」をうまく映像化しています。話の切れ目にしても、小説におけるリズムと連続番組における引きは違うのだ、と見せつけられた思いです。入須との2回目の面談シーンでは、二人がゆっくりと奉太郎の仮説の中に没頭していく様がフィルムっぽく描かれています。ビデオ作品なのに!こうして作品としてのビデオと、想像シーンを区別しているわけです。推理シーンは、推理/解説者である奉太郎と、推理される登場人物達の描きわけや、女帝のつっこみに奉太郎がにやりと笑う場面での会話の流れと音楽の同期など、非常に繊細に作られています。見事です。

そして「羽場の?」と、奉太郎が呟いたときの摩耶花のおののくような表情。この回はこれまでで一番すばらしい回かも知れません。

それにしても、アニメ化作品で映像化の批評が語られるとは、何ともシュールです。「映像がつまらなくて見る人の興味を引かないから、謎が引き立たないのよ」とは、辛辣な台詞じゃないですか。原作にもあるセリフですが京アニのスタッフは嫌な汗をかきながら作ったことでしょうね。

折木供恵について

以下、米澤穂信の古典部シリーズに関する話には、幾分のネタバレを含んでいます。ただ、それ以上に我ながらぶっ飛んでいるなと思ったので、その点だけは一応警告しておきます。ええ、ちょっととち狂ってます。また、話の都合上、現時点でアニメ未放送の話題が出てくる点も警告しておきます。

さて、古典部シリーズの中で、奉太郎の姉である折木供恵の立ち位置は、なかなかぶっ飛んだものです。立ち位置と言うより、まつられている位置と言うほうが適切ではないかと思うくらい、その行動は超越的であり、物事を見通しています。そして長編には必ず顔を出します。

『氷菓』においては奉太郎を古典部へと導いた後、彼が必要とする情報をすべて先回りして与えました。これらの情報無しに奉太郎が短時間で謎に迫りきることができたかというと、かなり疑問が残ります。可能性があるとしても、摩耶花が世間話の途中でOBの存在に気づく程度でしょう。

『愚者のエンドロール』においては、一層その不気味さを増しています。彼女が出てきたのはチャットシーンだけですが、よくよく考えてみれば、あれが折木供恵であったという証拠は一切ありません。奉太郎(と思われる人物)への口の悪い評やログの状況から折木供恵と思われるとしか言えません。

『クドリャフカの順番』で、彼女は初めて折木家の中で描かれます。シリーズを通して彼女が誰かの目の前に姿を現したのはこれが初めてです。彼女はその後奉太郎に対して決定的な物を二度渡します。

『ふたりの距離の概算』においても、彼女は折木家のリビングで奉太郎と会話を行っています。

このように、供恵はシリーズ長編の全巻にその名前を残しており、そのうち3巻で決定的な役割を担っています。しかしながら、『ふたりの距離の概算』を読みながら、私は突然妙な考えにとらわれました。

折木供恵は本当に存在しているのでしょうか。

もちろん、彼女は米澤穂信が考え出して古典部シリーズの中に置いた架空の人物です。私が言っているのはそういう意味ではなく、供恵は本当に古典部シリーズの中で呼吸をし、世界を旅している実在の人物なのかという事なのです。

折木供恵には外見がない

ミステリ小説、というか推理小説の作法に則っているのでしょう、古典部シリーズでは主要な人物が現れたときには必ず外見描写があります。

ヒロインの千反田さんに対しては「女子としては背が高い方」「ほっそりとしている」「楚々とした雰囲気」「瞳が大きい」「肌が白い」等との容姿の描写の他に、所作なども詳しく記述されています。同様に摩耶花や里志の背格好などもきちんと描かれています。さらに糸魚川先生や2-Fの面々まで体格や印象などが説明されています。

しかし、供恵には外観描写がありません。本人が外国にいた『氷菓』『愚者のエンドロール』は仕方が無いとしても、彼女が折木家に居て奉太郎と言葉を交わした『クドリャフカの順番』『ふたりの距離の概算』にすら、彼女の外見描写はありません。逆にバスタオルを被っているなどとして、外観描写を避けているくらいです。これは妙なことです。

これに対して、「いや、供恵の外観描写はあった」と指摘する人もいるでしょう。『クドリャフカの順番』で千反田さんが彼女を見たときにその姿が描写されていると。

しかし考えてみてください。あのシーンで千反田さんが見た女性が供恵であったというはっきりした証拠は無いのです。見た目の雰囲気であるとか、その後の話の展開であるといった状況証拠は、すべてがその女性を供恵であると言っています。しかし、それでもその女性が供恵であったと言うきちんとした証拠や証言はありません。

折木供恵には目撃証言がない

千反田さんが見た女性が供恵かどうかわからない、というのは強弁に過ぎると感じられるかも知れません。しかし、不気味なことに、実のところ奉太郎以外の人物が供恵と会った、話をした、という確実なシーンはシリーズを通してひとつも無いのです。

『氷菓』では手紙でしか登場していません。里志は供恵を知っているようですが、会ったことがあるのか、それもと奉太郎から聞き知っているのかは不明です。後で説明するように里志は会っていない可能性が強いです。

『愚者のエンドロール』では供恵と思われる人物がチャットに現れます。その話の内容やログ番号からすると供恵であると考えられますが、あくまで可能性でしかありません。客観的にその人物が供恵であるという証拠は提示されていません。

『クドリャフカの順番』では先に書いたように供恵らしき人物が千反田さんに目撃されていますが、証拠はありません。

『ふたりの距離の概算』では千反田さんと電話で話していますが、実は電話で話したと言っているのは奉太郎です。千反田さんではありません。客観証言とは言えないものです。しかも里志は奉太郎の自宅に来たことがないと言い切りました。4歳上とされる供恵と会ったことがあるのか、疑わしいです。

奉太郎に多大な影響を与え、長編のうち3編の進行に決定的な力をもっていた折木供恵には、奉太郎以外がその存在を客観的に認めているシーンが一つもありません。

折木供恵とは何か

シリーズ全体の動きを左右し主人公の姉という立場でありながら、外見描写が徹底的に排除され第三者による目撃が一度も成されていない折木供恵。彼女はいったい何者なのでしょうか。

折木奉太郎の姉であり、物語中に実在している、と言う線はアリだと思います。これだけ引っ張ってこんな事を言うのもナンですが、このような記述の異常は単に米澤穂信のお遊びである可能性だって十分あります。むしろ、彼の作風を考えればお遊びとして納得する方が気分がいいかもしれません。

奉太郎の妄想という可能性はアリでしょうか。折木供恵の名前が現れるのは、奉太郎視点の時だけです。供恵とは、ウルトラ省エネで精神的には引きこもりであっても不思議ではない奉太郎が心の平衡を保つために作り出した幻覚、あるいは二重人格という可能性です。『氷菓』だけで終わっていたらならアリかもしれません。手紙は奉太郎の二人目の人格であるトモエが書いており、奉太郎は時折彼女の幻覚を見ているだけかも知れません。『愚者のエンドロール』だって、供恵と匂わせて、チャットに現れた人物は全然違う人の可能性もあります。しかし、シリーズがこれだけ大きくなると、あまりにもそれでは悲しいと感じます。だってそれじゃ千反田さんの横に居る折木奉太郎は病気なのかって話ですよ。そんなオチは嫌だ。

折木供恵はイベントなのかもしれない

私は思うのですが、供恵はキャラクターとしてではなく、イベントとして描かれているのではないでしょうか。

奉太郎は冷静に考えれば、超人的な探偵ではありません。割と間違いますし、完全な答えを導き出した率は低かったりします。与えられた環境ではとてもではありませんが問題を解くことはできません。たとえば『氷菓』しかり、『クドリャフカの順番』しかり。そんな彼のために少々卑怯ながらヒントを投げ込むための便宜上のキャラクターとして描かれているのが供恵と考えると、彼女が異質に描かれていることも割としっくり来るのです。

つまり彼女は登場自体がイベントであり、奉太郎が彼女とやりとりすると、必ず奉太郎に何らかのヒントが与えられるようになってる機構にすぎません。これは結局米澤穂信のお遊びと言うことになりますけどね。「みなさん、ここで作者が奉太郎にヒントを与えます!」という印です。踊る人が持っている旗のようなものです。

あるいは、供恵とはキャラの仮面を被った米澤穂信と言っていいかもしれません。

折木供恵は最新話で何をしているか

これを読んだ方は、あるいは考え過ぎと笑うかも知れません。私もそう思います。でも、折木供恵が最新長編『ふたりの距離の概算』で何をしているか考えると、ちょっと面白いのです。

彼女は謎解きの手伝いをしていません。しかし、奉太郎が千反田さんと行き違わないように間に入っているんです。

ね、面白いと思いませんか?

『氷菓』 第9話

横に並べた推理をなで切りにしていく話でした。1話に3説詰め込みってことで心配していたのですが、見て見ると確かに一度に全部見た方がいいです。

2年F組の江波先輩に連れられて出向いた古典部一同は、2-Fの探偵役志望である3人と面接をすることになります。それぞれが披露したのはまさにミステリーのショーケースでした。ドラマ的娯楽説を押す中城、本格的推理説を推す羽場、スプラッター・ホラー説を推す沢木口。しかし三つの説いずれも奉太郎は難ありとして却下してしまいます。

下敷きになった古典的ミステリ『毒入りチョコレート事件』どおり複数の探偵役の説が開陳されては却下されていく横で、同じく『毒入りチョコレート事件』同様、美しい女性がチョコレート・ボンボンの「毒」にあたって倒れてしまいます(笑)。

30分間ノリノリのエンターテイメントでした。基本的に教室の中で5人が話しているだけという退屈な絵が続くなか、例によって仮説のビジュアル化がうまく行われています。3人の探偵役もそれぞれくせ者揃いで会話も楽しめました。探偵役を映すときもわざと右や左を思いっきり空けて面白い構図が工夫されていましたね。羽場が入ってくるときの江波さんの動きが足下だけで描かれたりとあちこち楽しめます。鴻巣さんが登山部であることが明かされましたが、確かに彼女はフィルム中でもただ1人長袖でしたよ。この辺細かいです。あと、千反田さんが酔うにつれてだんだんと挙動がおかしくなって行く細かい描写が面白かったです。人と話しながらお菓子の包みを畳むような事しない人ですよねぇ。ただ、チョコレートの数を変えたのは、アニメ化スタッフが「7個」の理由を知らなかったのでしょうね。本論と関係ないネタなのでどうでもいいですが。

声優さんの方は相変わらず摩耶花役の茅野さんの器用さが目立ちました。楽しんで演技をしている感じですね。

今回初めて気になったことがあります。バックが精緻に描き込まれていてその上をアニメの人物が動いています。これって、妙にゲーム画面を連想させるんですよね。少ない工程可能な限りリアリティを高めようとするゲームと、方向がぴったり合ってしまったと言うことでしょうね。

あと、出血の下りとか、緻密な脚本を稚拙な映像化で台無しにしているわけですが、アニメ化って事で考えると苦笑する話ですよね。

それにしても、『愚者のエンドロール』は感想を書くのが難しいです。うわー、書きてぇ、と思いつつ、ネタバレを恐れて書けないことに躓いたりします。

第8話 詰め込みと呼吸

アニメ『氷菓』第8話は「試写会に行こう!」。待ちに待った原作『愚者のエンドロール』が始まります。今回はその第1回。

アバンタイトルは夜のシーン。夏の終わりを思わせる虫の音を背景に、急ぎの用らしい会話が携帯メールで交わされます。どうやらトラブルらしいそのやりとりが終わると、メールを打っていた主はPCでチャットを始めます。それまで虫の音だけだったところにフォーレの「シチリア舞曲」が流れだすいい演出。余計な言葉もなく、ただ、コーヒーの減り方で時間の経過が描かれるなか、先輩に助けを求めたものの、無理との返答に画面に映っている人物は別の人物の紹介を求めます。そして、最後に”L”を名乗る後輩らしき人物に倶楽部の友達と一緒に来いと誘います。古典部の仲間と来い、と。

ここの演出はさすが、の一言に尽きます。がしかし、本編では違う方向でうなってしまいました。

今回はあまり楽しめませんでした。一つには詰め込みすぎて会話の呼吸がおかしくなっていることです。千反田さんに誘われて試写会に来た奉太郎は、ボンヤリと自主製作映画に臨みます。しかし、気づいてみるとまるでリングの上でジャブ一つ放たないボクサーにコーナーポストまで追い込まれてしまったような不気味な緊迫感があるはずのシーンでした。なのに、会話が間を大事にしていないために、どうにも緊張感が高まりません。

もうひとつ。登場が期待されていた女帝こと入須先輩役の声優さんがあまりにもミスマッチに聞こえます。というか、演技の解釈がおかしく感じます。うわずり気味の声とあわせて、どうにも女帝と言うよりお姫様といった感じが強すぎます。聞いていて入り込む事ができませんでした。もっと低い声の人が良かったなぁ。

あと、千反田さん迎えに来ちゃいましたね。全国でうめき声が上がったんじゃないでしょうか。

冒頭の試写会の話も唐突で、編集会議はどうなったんだとこっちが心配してしまう始末。かなり不安な出だしでした。でも、江波先輩の「私の親友です」は優しい声で、それまでの不満がだいぶちゃらになりました。

最後に一言。動いてる沢木口先輩、チャーミングすぎてやばい。

氷菓11.5話の放送日時の混乱について

「愚者のエンドロール」「クドリャフカの順番」の間と思われるオリジナル・エピソード「持つべきものは」が、11.5話としてUSTREAMで配信されます。ただ、この配信が何日の何時にあるのか、混乱があるように思えてなりません

京都アニメーションの古典部サイトでは5月11日にこの情報を告知しました。今でも特に訂正されていないその内容は以下のとおりです。

7月8日(日) 24:00から「古典部USTREAM」にて先行配信予定。
※7月7日(土) 23:50から配信待機に入ります。

……

この記述だと、配信待機が24時間10分続きますが、そうじゃないですよね。

  • 7月7日23:50から配信待機
  • 7月7日24:00 (7月8日0:00)から配信

が正しいスケジュールだと思われます。放送業界の30時間制の慣習に「24:00という時間はないが、あえて言うなら何時か」という、よくある混乱がそのまま持ち込まれたてわけがわからなくなっているようです。公式サイトが何も言っていない以上、もしやということもありえます。視聴を計画している皆さんご注意を。

第7話 あれ?

アニメ『氷菓』 第7話 「正体見たり」。

関谷純の件でお世話になったお礼(?)にみんなで温泉に行きましょうという千反田さん。押し切られた奉太郎は山奥の温泉に向かいます。リラックスする面々でしたが、時ならぬ幽霊騒ぎに千反田さんは大喜び。眼を輝かせ、奉太郎を謎解きへと誘います。しかし、奉太郎が暴いた謎の正体は、千反田さんの表情を曇らせたのでした。

もともと温泉回として原作既読者の間で期待されていた回でしたが、妙に力の入った作画で描かれた千反田さんの入浴シーンはあきれるほど色っぽかったです。ちょっと前まで中学生だっちゅーの。まぁ、原作の元々の設定は大学生で、それをさっ引いても20代半ばに思える二人ではありますが。

さて、アニメでは謎解きをしつつ、奉太郎と千反田さんの心境の変化が描かれます。

千反田さんは、すっかり奉太郎の推理のファンになっているようです。もともと謎に眼がなく、気になってしょうがない彼女ですが、氷菓事件、大罪事件を通して何度も見せられた奉太郎の推理力に魅せられたというところでしょう。幽霊騒ぎの謎を考える奉太郎の横で、同じポーズで口をへの字にして腕組みをする姿など、「恋とは違う、ファン心理」がにじみ出ています。

奉太郎の方は、千反田さんを過剰に意識している描写が何度かありました。千反田さんが奉太郎の部屋に入ったときには眼を剥きましたが、里志がいびきかいて寝てました。さすがに二人っきりにはなりませんね。

壁がのっぺりしてるなぁ、手抜きだなぁと思ったら微妙な濃淡がかけられていたり、千反田さんが子供に対するときの態度が微笑ましかったり、二人で歩くときの背景がべらぼうに細かかったりと、作画は相変わらずです。謎のベールを剥いで事実を陽の下に晒した奉太郎と千反田さんが向き合うシーンもよかったです。木陰で自分が夢見ていたものを奉太郎に告げる千反田さん。その彼女が、儚い夢を掌から零して現実と向き合う気持ちと、彼女が西日の元に歩き出してくる姿が重なります。いい演出です。

ただねぇ、どうしてああ言う結末にしたんでしょう。

アニメでは最後に理絵が嘉代を気遣う姿を見て千反田さんがうれしそうに奉太郎を振り返る所で終わります。いい話ですねぇ。でも、かわりに原作が描いていた奉太郎の気持ちがどこかに行ってしまいました。

調べてみると、短編『正体見たり』は、角川のライトノベル雑誌「ザ・スニーカー」の2002年4月号で発表されています(掲載時のタイトルは『影法師は独白する』)。前年10月に角川スニーカー文庫で出版された米澤穂信の第一長編『氷菓』と、2002年7月出版に向けて動いていた第二長編『愚者のエンドロール』のちょうど中間に掲載されており、内容から二つの物語の橋渡しとなる作品として書かれたことが想像されます。そして奉太郎のモノローグ的な陳述から始まり、話の根幹がそのモノローグに戻ってくる構造も二つの長編と同じです。

この作品の中で、米澤は奉太郎と千反田さんの微妙な心理状態の変化を描いています。千反田さんについてはアニメでも描かれているとおり、奉太郎の推理のファンとしての立場が確立されています。一方で奉太郎についてはもう少し苦い心情が描かれています。

短編小説『正体見たり』の冒頭で、奉太郎は世の中の多くの謎が次々と正体を暴かれて枯れ尾花へと地位を落としている現代では、幽霊を幽霊のままにしておくことは難しいのだろうと述べます。彼はそれを難しいことだと言っただけですが、古典部の面々は言葉の表面を取り上げて奉太郎にロマンのかけらもないと烙印を押します。

そして、奉太郎は事件の謎を解いた後、自分も一つの夢を枯れ尾花へと貶めてしまったことに気づきます。小説の奉太郎はそのことを悔いており、それだけではなく、「謎を解けば千反田さんが悲しむであろう事を想像できるだけの材料はそろっていたのに、それに思い至らなかった」事を悔やみます。

彼女の心を思いやろうとする点が一つの変化ですが、もっと重要なのは(謎を解くというテクニカルな事には威力を発揮する彼の頭が)千反田さんの心を思いやれなかった事を彼が悔いていることです。周りの友達とは少し違うらしい自分の心を氷菓事件の中で何度か考えた奉太郎ですが、その、「鈍感」というには少し温度の低すぎる心は、千反田さんの夢を夢のままにしておけなくしてしまいました。

彼のこの性質は今後も物語の中で重要な鍵であり続けるのですが、はて、京アニは何故上記のような改変を行ったのでしょうか。アニメ化とは、原作の完全なトレースでない事くらいわかってますので多少の改変でがたがた騒ぐ気はありません。ただ、次週からの「愚者のエンドロール」にどのくらい響くか、あるいは全く響かないのか、固唾を飲んで見守っているところです。

氷菓を見ているとなんだか心配になる

何が心配って、製作に関わっている人たちですよ。倒れたりしないんでしょうか。

アニメの製作ってあまり関心が無かったので、監督の名前だって長井龍雪監督の名前を、つい最近フルネームで言えるようになったくらいです。ああ、もちろん有名どころは知ってています。ジブリの。何て言いましたっけ、あのおじいちゃん。

監督の名前すら知りませんから、まして脚本(最近、岡田まりって人の名前覚えました。漢字知りません)、音響監督なんかわかるわけもありません。と、こんな私ですが「氷菓」にかかっている手間が凄まじいものであることくらい、うっすらとですが想像は付きます。

確か「ワンピース」の始まりのローグタウン編だったと思いますが、町中をあふれる洪水がCGだと気づいて感心したのを覚えています。へー、手がかかってるなって。厳密には金がかかってるわけですよね。全部手でやっていたのをCG導入して描写を細かくしたわけです。「頭文字D」でも車がCG表現されていましたが、何に驚いたって、手書きの景色とコンピュータで生成した車を破綻無く合成していることに驚きました。今でこそARなんていって、コンピュータの画像を外部風景に合成する技術が確立していますが、余所で描いている風景にあわせるなて、どうやったんだろうと思います。あの作品も、シリーズが進むにつれて動きやカメラワークが進歩しているのがわかって面白かったです。アニメの表現もどんどん向上してきました。

で、氷菓ですが。なにこれ、と改めて驚くわけです。

まずどうでもいいことから言えば、窓の外で人が動く動く。6話でも奉太郎達の会話シーンで窓の外が写っていましたが、あれ、外の人が動く必要なんて、全くありませんよね。なのに動く。運動してる。学校生活を表現するだけのシーンも止め絵ではなくて動画が使われているのです。3話でも千反田さんの何気ないセリフに奉太郎が戦慄する「学!校!中!?」のシーン。音に合わせてカンカンカンと切り替わる絵のなかで人が動いています。必要ないですよね!

あるいは例のサボテン。毎度毎度机の上で位置が変わってます。もう、いいやん!と思うのですが変わっているのです。6話では窓際に置かれていました。梅雨の間日当たりが悪かったのを千反田さんか摩耶花が気にしたのでしょうか。そして部室と言えば、部室のカレンダー、1話では4月、2話では5月、3,5話では6月にちゃんと変わっています。当然6話では7月です。そして1話では何も無かった窓際に、2話からは千反田さんが飾ったのでしょう、鉱物標本らしき石と観葉植物が並べてあります。

とにかく、凄まじく手が込んでいます。背景の美術が美しいだけではなく、それらが、登場人物達の生活に触れて少しずつ変わっていく様が恐ろしい気遣いで描かれています。

冒頭に書いたように、わたしはアニメ製作の事はほとんどわかっていません。ただ、こういった美術の細かい作業に加えて、膨大な労力が画面エフェクトに投入されていることだけはなんとかわかります。校舎4階の校庭向きの部屋にある古典部は光を一杯に浴びる位置にあります。そして窓から入る強い光を受けて、奉太郎達の顔は逆光であったり、横からの光であったりと様々にライティングが変わります。当然、それに合わせて背景の光も変わります。これらの陰影のエフェクトが、おそらく全部手作業であたえられているはずです。ある程度の自動化は成されているだろうとは言え、晴れの日、雨の日、雨上がり、校舎の中、外、と次々に変わる場面と動く画面に当てるエフェクトの手間を考えると、気が遠くなりそうです。

ほとんど確信に近いですが、おそらくは上に描いたことなど京アニが投入している手間の数分の1でしょう。そういった惜しみない手間の数々に支えられているから、「氷菓」というアニメは安心してみることができるのかなぁなどと考えるのです。京料理みたいですね。

そうそう、スタッフコメントを読むのが毎回楽しみです。こんな事は初めてです。