摩耶花の部屋

13話で初めて出てきた摩耶花の部屋が印象的でした。

米澤穂信はあまり情景描写に重きを置きません。幾分の例外もあるとはいえ、描写が発生するところは後にヒントになるのではないかとこちらが構える程で、下手をすると真っ白な部屋の中で古典部員が部活をしていてもありだなと思えます。一方、アニメとは映像化ですから、元々原作で空白だった背景にこれでもかと細部を描き込んできた京アニには、「この作品を『京アニの作品』にする」という気迫すら感じました。

さて、摩耶花の部屋です。実に現代っ子らしい漫画・漫画・漫画にあふれた部屋でした。壁にはポスターがあり、本棚にはずらりと漫画や雑誌。そして床やベッドに置かれたぬいぐるみ。窓のカーテンはお姫様もびっくりのレースです。

直前のラブコメシーンの印象が強すぎてうっかり見逃しそうですが、これは原作の『白い薬』の代りですね。原作ではカンヤ祭前夜に眠れぬ摩耶花が睡眠導入剤らしき物を飲むシーンがあります。あまりの生々しさにおののいてしまいましたが、その後ほとんどいかされていないこの設定は、『クドリャフカの順番』を貫く「奉太郎が知らない古典部のメンバーそれぞれの顔」の一つです。「伊原の厳しさは自分にも向けられている」などと暢気に奉太郎が考えている陰で、摩耶花はおそらくはその厳しさが自分に作用して睡眠障害でも起こしているのでしょう、眠るために薬を処方してもらっています。

あまりにも生々しすぎると考えたのか、京アニはこの設定を削って代わりに摩耶花の部屋のヴィジュアルを思いっきりファンシーに仕上げました。確かに奉太郎の知らない摩耶花ではあります。

部屋の様子は摩耶花以外の部員もそれぞれに合わせて作られています。

奉太郎が覗いた千反田さんの部屋は和室の趣を活かしたまま使用しており、ポスターや余計な飾りのない落ち着いた部屋です。ただし、名家の一人娘の部屋がこんなに暗い部屋というのは、日本家屋的にあり得ないと私は思います。この辺はスタッフの取材不足なのでしょう。噛みついても仕方ありません。

同じく飾り気のない奉太郎の部屋ですが、こちらは千反田邸が日本家屋であるのに対して木造モルタル(?)なために、飾り気のない部屋は恐ろしく殺風景になっています。やらなくてもいいことはやらないというか、窓にカーテンくらい引けといいたくなります。

京アニは古典部の面々向けに、それぞれが使っていそうな部屋を考えてデザインしています。15話あたりで里志の部屋も出てくると思われますが、どんな部屋になるか楽しみです。

氷菓 第14話 イエーイ

アニメ『氷菓』第14話 「ワイルド・ファイア」を見ました。

カンヤ祭前半のクライマックス、野外料理大会「ワイルド・ファイア」で古典部の名を広め、文集を売ろうとする古典部の面々。しかし、主将の摩耶花が現れません、古典部の命運や如何に!

なんとなくテンポが悪いというか、乗れないまま見てました。間を空けるべき所で間が空かず、間を空けてはならないところで間延びするといった感じです。製菓研究会はもっとエネルギッシュな騒がしさだと思ってましたし、演出も「そこで奉太郎の手元見せちゃだめでしょう」みたいなところがあったり。あー、文句ばかりですね。いいところもありました。敵役の料理人がテンプレ過ぎです(笑)。

それにしても、ひょっとしてスルーされるかとびくびくしていた入須先輩と千反田さんの会話シーンがあったので胸をなで下ろしました。全古典部シリーズ中、私が一番ニヤニヤできるシーンです。

文集の販売を依頼した後、ものの頼み方を教えて欲しいとお願いする千反田さんに入須先輩は以下の3点を伝授しました。

  • 相手に「自分は期待されている」と思わせる
  • 「自分には些細だが、相手にはそこそこ大事らしい」と思わせる
  • 人目に付かないところで異性に頼む

これって、まるっきり入須先輩が奉太郎を一二三で籠絡したやり口そのまんまですよ。もちろん、女帝・入須冬美のことです。折木奉太郎の事なんぞ、かけらも思い出してないことでしょう。一方の千反田さんも「なんだかすごいことを聞きました」みたいな顔をしていますが、実のところ彼女がパイナップル・サンドで奉太郎に依頼した方法そのものなんですよね。天然怖い。

文化祭に浮かれる校舎の片隅で主人公の天敵二人が「依頼相手の絡め取り方」を語りあっているとは。奉太郎哀れ、な14話でした。

京アニの恋愛推しはどうなるのかな

アニメ『氷菓』13話を見ました。ひょっとすると『連峰は晴れているか』もアニメ化されるんじゃないかという儚い予想の元では『クドリャフカの順番』が何話で放送されるかわかりませんが、なんとなく6話になりそうです。だとすると、二日目の午前中パートとなる次回が前半のクライマックスで、その後、捜査推理編に突入することになります。進行中の事件の捜査は古典部シリーズ初というわけではありませんが、解決に向けて明確なデッドラインがある進行中の事件はこれが初めてです。緊張感をどう盛り上げていくのか見物です。

さて、13話にはアニメ・オリジナルの話として千反田さんのコスプレ写真を奉太郎が見てしまったために二人とも微笑ましい気まずさに包まれるシーンがありました。もともと少々色気にかける原作に花を添えて盛り上げようと言うことだと思います。が、これ大丈夫なんでしょうか。

もともとアニメ『氷菓』は、初回から恋愛方面で飛ばし気味でした。第1話で奉太郎が千反田さんに絡め取られるシーンや、入部届を出すシーンは、明らかに彼が千反田さんに魂を奪われている表現です。その後の『正体見たり』ではかなり露骨に奉太郎が千反田さんを意識している描写がありました。

アニメではストレートな描写が必要だと言うことはわかるんです。しかし、古典部シリーズの恋愛模様はそうじゃない、と思ってしまいます。果たして彼らは互いに好意を持っているのか、いや、いるんだろうけどそれは恋愛感情なのか、というのがわからないくらい微かに、しかし、ちゃんと描かれていると言うもどかしさがこのシリーズの1年次の持ち味です。ストレートな恋愛模様を描かないからこそ可能なストーリー展開があるわけで、そう考えると今の恋愛推しは心配です。

ぶっちゃけ、「千反田さんって、ひょっとして奉太郎好きなの?」と言える描写は原作『クドリャフカの順番』にはたった一カ所しか無いわけで、その一カ所を愛でる気持ちは、こういうストレートな表現と合わないんですよね。

ブチブチいっても仕方ありませんので、このくらいにして、今週放送の14話を楽しみに待つことにします。世間では『クドリャフカの順番』中最大のエンターテイメントである「ワイルド・ファイア」への注目が高まっています(予断)が、私は全古典部シリーズ最大のニヤニヤシーンである千反田さんと入須先輩の会談が楽しみです。

氷菓新OPの結末

「納得いかない。奉太郎はあそこで走って追っかけない!」という声を聞きました。なるほどそうですね。

最後のシーンだけ、二人きりになった部室で、建前上憮然とした表情のまま、おとなしく千反田さんにいたずら書きをぬぐってもらう奉太郎を妄想するのも一興かと。

米澤穂信の女性達

わたしの読書歴ですが、米澤穂信に関しては文庫化されている作品 + 雑誌で読んだ作品数本程度のカバー率しかありません。ベルーフ・シリーズはまったく読んでいませんし、評判の『折れた竜骨』も未読。短編だと『茄子のよう』を読み損ねたのが惜しまれます。古本で取り寄せたので『連邦は晴れているか』を読むことが出来たのが救いでしょうか。

そう言う状況でこんな大上段に振りかぶったタイトルを付けるのもどうかと思いますが、暑い夜の紛らわしくらいに読んでいただければ幸です。

米澤作品で目を引く女性といえば、真っ先にあげたいのが「お嬢様」です。彼の描くお嬢様はテレビなどでテンプレ的に扱われるお金持ちのご令嬢とはやや趣を異にしています。それが特徴的に現れているのが『儚い羊たちの祝宴』に登場する女性達で、いずれも

  • 品が良く
  • 礼儀と教養を身につけている

点で共通しています。生まれが貧しく教養が身につけられなくても品を失わない点が特徴でしょうか。この方向の女性を、言葉は悪いですが徹底的に磨き上げた女性達が米澤作品における一つの類型と言えると思います。

底知れぬ女性達

品が良く、教養があって、美しい所作を身につけた女性達。『インシテミル』の須和名祥子、『山荘秘聞』の屋島守子、『満願』の鵜川妙子。あるいは『愚者のエンドロール』の入須冬美をここに加えてもいいかもしれません。

彼女らは、いずれも近づきがたいほどの完全性を携えて紙面に現れます。『インシテミル』の主人公は須和名祥子の完璧さを評して女神とまで呼びます。屋島守子は忍耐強く、正確な仕事で雇い主から「誇り」と呼ばれます。鵜川妙子はあまりの出来の良さに夫が息苦しさを感じたほどでした。

そして須和名祥子と屋島守子はストーリーが絶望の中に沈んでいくのとあゆみを同じくして、ゆっくりとその姿を変えていきます。その様子は一種独特です。化けの皮が剥がれるとか、メッキが剥がれるといった風ではありません。彼女たちが高い教育と厳しいしつけから身につけた礼儀や作法は決して偽物ではありません。すべて本物です。しかし本物であるからこそ、彼女たちが「ああ、この人にここまでする必要は無いのだ」と考えたときにに現れる金属のような肌とのコントラストが際立つのです。彼女たちの礼儀作法は完璧でありながら繊細にして薄く、いつ、その美しい衣を脱いだのかわからないほどなめらかに印象が変化していきます。これは非常に印象的です。

「ミステリー小説に現れるミステリアスな女性」と言うと、男を惑わす妖艶な女性を思い浮かべますが、米澤穂信が考えるミステリアスな女性は、むしろ近づきがたい程の完成された礼儀作法をもつ女性のようです。

快活な女性達

一方で、三人ほど、その快活さで印象深い女性達がいます。

一人は言うまでもなく『氷菓』の折木供恵です。彼女は大学生ながら世界を股にかけて歩き、女だてらに格闘技の段持ち。そのバイタリティーと頭の回転には限界が無いようです。

二人目は『ボトルネック』のサキで、やはり快活さが目立つ女性です。そしてもうひとり、『犬はどこだ』の川村梓をあげてもいいでしょう。

このうち、梓はあまり主人公に影響を与えていません。そこで最初の二人に注目すると面白いことに気づきます。彼女たちは二人とも主人公の『姉』であり、自信満々で、いずれも弟の生気を搾り取ってるのではないかと思うくらい、元気です。これは偶然でしょうか。あるいは単に米澤穂信が供恵を気に入ってもう一度使ったのでしょうか。『ボトルネック』は学生時代から暖めていた作品と言うことなので、若い頃の彼は「供恵- 奉太郎」あるいは「サキ – リョウ」的な関係について強いこだわりがあったのかも知れません。

『正体見たり』の千反田さんが言う「きょうだいが欲しかったんです。尊敬できる姉か、可愛い弟が」という言葉も、こういう視点か見直してみると面白そうです。

女性像

米澤作品に特徴的な女性達を列挙してみましたが、彼女たちを含めて彼の作品に現れる女性達は Stand Alone だなぁと感じます。男無しでも立っていられるどころか、下手をすれば親兄弟まで切り捨てかねない強く、たくましく、賢く、そして必要に応じてそれらを隠せる品を備えた女達。そうそう、こういうくくりなら『春期限定いちごタルト事件』の小佐内さんを忘れてはいけません。なんだか書いていて怖くなってきます。

そして明らかに千反田えるは須和名祥子の系譜に連なっています。というか、彼女こそが米澤穂信が自作のヒロインとして世に問うた最初の女性であり、おそらくは若い頃の彼の理想の女性像に近いところに作り上げられています。完璧なお嬢様として躾られた彼女は、同時に内側の強さを見せつけるかのように、奉太郎に向かって自分が描いた未来のビジョンを話して聞かせています。

でも、彼女はそれだけではないんですよね。彼女だけが、一人では生きていけない弱さを感じさせます。いえ、それは弱さではないはずですが、誰かが手をさしのべて横を歩いて行かないといけないように思えます。

古典部シリーズがどの方向に進むのか予断を許しませんが、奉太郎が千反田さんの横に立って歩きたいと考えるのならば、助言できる事は、『インシテミル』『山荘秘聞』『満願』を読んでおけ、と言ったところでしょうか。

『鏡には映らない』 ネタバレ感想

ふくちゃんなら、どうして鏡には像が映るのか、説明してくれるだろう。

『野性時代』 2012年8月号掲載の、米澤穂信『鏡には映らない』を読みました。2009年の11月号から連載された『ふたりの距離の概算』から実に3年ぶりの古典部シリーズ新作です。昨年から読み始めた私には実感がわきませんが、古くからのファンの方々には随分待ちどおしかったと思います。

買い物の帰りに中学時代の友人と会った摩耶花は、自分が奉太郎を不快に思う原因の一端となったある事件を思い出します。奉太郎が中学校の卒業生全員から恨まれても仕方ないその事件は、しかし摩耶花にある疑問を抱かせます。

画材店への買い物から始まるこの短編は、終始摩耶花視点で書かれています。いくつか引っかかる点があるとは言え、紛れもなく米澤穂信、間違い無く古典部でした。卒業制作事件の謎を追って証人を次々と手繰っていく摩耶花を軸に、古典部を中心とした、あるいはうきうきする、あるいはほのかな恋模様が描かれているのはファンに対する特大のプレゼントと言っていいでしょう。一方で、不快感と言えば言い過ぎですが、何とも言えない割り切れなさをうっすらと引きずるところはやはり米澤穂信の古典部シリーズです。

物語の主軸は、間違い無く摩耶花の奉太郎に対する見方の変化です。元々の「あわない」性格も合ってか奉太郎に噛みつくことの多い彼女でしたが、その嫌悪感の大きな割合を占める卒業制作事件を見つめ直したとき、摩耶花はその事件の奉太郎像と、自分が1年間古典部で見てきた奉太郎像がかみ合わない事に気がつきます。そして証言者達を手繰っていった彼女は、1年半前に奉太郎が暗躍した事件の真相にたどり着いたのでした。真相と向き合ってそれを奉太郎に告げ、そして誤解していたと詫びる摩耶花のさわやかさこそ、里志が愛して尽きない所なのかも知れません。

しかし、例によってこの作品ではいくつもの事柄が明らかにされず謎のまま放置されています。これまで何回か書いたように、わたしはそれを米澤穂信の故意だと考えていますが、読書子の末席を汚す身としては、やはり一つ一つ読み取っていきたいところです。

鏡が意味するもの

タイトルに使われている『鏡』とは、もちろん鏑矢中学卒業生である奉太郎、里志、摩耶花達が関わった卒業制作『想い出の鏡』から来ています。しかし、改めて読んでみれば、この言葉には全編を通して繰り返し現れる虚像と実像を暗示するイコンとしての役割が与えられていることに気がつきます。

物語の引き金を引くことになった摩耶花の同級生、池平は見た目と中身が違う少女です。再会した彼女は髪を染め化粧をして中学の頃とは違うイメージですが、一方で好きな音楽でがんばっているという話をして、摩耶花に好感を与えます。そして池平とあって摩耶花が思い出した話に現れる三島は当初の取っきにくいイメージに反して、一緒にいて気の置けない友達になりました。さらに鷹栖亜美は、虚像と実像のギャップの大きさを見せつけて、摩耶花を戸惑わせます。そしてなにより、このストーリーは摩耶花が漫画を描いているという実像を池平に隠すシーンから始まります。

奉太郎の虚と実の二つの像を追いながら、一方で摩耶花の周りには過去と現在の二つの像が入れ替わり立ち替わり現れます。それは中学時代から成長した友人達の姿であり、卒業写真の中の里志であり、高校に進学して驚くほど変わってしまった鳥羽麻美の姿です。摩耶花と校舎の屋上で向き合った鳥羽麻美は、まるで彼女こそ時間の経過を表す象徴であると強調するかのように、カメラで写真を撮っています。

男子組の陰

摩耶花は自分の調査の結論として「折木奉太郎は福部里志の力を借りて1人の女の子への呪いを解いてやったのだ」という結論に達します。そして彼女はそれを知らずにいたことを悔い、奉太郎に謝罪します。それどころか摩耶花は「言ってくれれば自分も手伝えたのに」とすら考えます。

しかし、二人の男子がやったことは美談として周囲に話すことのできる類のものではありません。摩耶花は気づいているはずですが、おそらく千反田さんに話せば顔を曇らせるでしょう。奉太郎は呪いを解いたのではなく、呪いを鏡のように跳ね返したのでした。そして里志は悪意を放った者が一生忘れられないようにそれを壁にピン留めしてしまったのです。

呪いを解くのが目的であれば、タイミングがどうであれ先生に一言「これは悪意のこもったメッセージです」と話すだけで用は足ります。例えそれが鏡の完成後であっても学校は躊躇無く降ろしたことでしょう。これほどの悪意を見逃したと指弾されて受けて立つ度胸が中学教諭にあるはずもありません。守るメリットもありません。

しかし、奉太郎と里志はそうしませんでした。呪いの対象者を突き止めたのはおそらく里志です。そして、突き止めると決めた時点で、二人は処理をどうするか鳥羽麻美にゆだねると決めていたに違いありません。一方で、人に言われるままに唯々諾々と奉太郎と里志が復讐に手を染めたとも考えにくいです。おそらく、里志は三つの案を持って鳥羽麻美の前に現れたはずです。

  • 里志が先生に申し出て、このまま悪事をやめさせる
  • 熱海
  • まっすぐなツタに置き換える

結果的に鳥羽麻美は復讐を選びました。彼女が奉太郎と里志、特に奉太郎をヒーローと讃えるのは当然です。多分、彼女は奉太郎とは面識が無かったと思われますが、面識が無いどころか、おそらくは中学時代から友達を拒んできた彼女にとって、突然眼の前に現れて自分へのイジメをくじき、それどころか意趣返しのために平気で泥を被ってくれた奉太郎は、ヒーロー以外の何者でもありません。

奉太郎にとって、悪意あるメッセージを見抜いてそれを里志に知らせるところまでは、やるべき事でした。しかし、意趣返しはやらなくてもいいことのはずです。それを踏み越えて汚名を着せられながらも鳥羽麻美に手を貸したと言うことが、奉太郎をもって赤面せしめる事なのでしょう。それは確かに侠気です。でも、やはり黒々としたものを感じます。

摩耶花は卒業制作の鏡の前に立ったとき、そこに名前が残らなくて良かったと感じています。首謀者はそこに陰湿なメッセージを呪いとして彫り込んでやろうと画策しました。そのメッセージは、鏡によって自分に跳ね返ってきたときに、泣き崩れ、先生の前で「ぶっ殺す」「死んで謝れ」とわめき散らしてしまうほど毒のこもったものです。今、そのメッセージは「首謀者はこの人です」という里志の乾いた糾弾を添えて母校の壁に磔にされています。

良いとか、正しい、と言った言葉とはあまりにもかけ離れています。

意外に難しいタイトルの意味

西洋ではこの世ならざる者の姿は鏡には映らないそうです。では「鏡には映らない」とはどういう意味でしょうか。

上っ面の陰にある本性という意味でしょうか。黒々としたものをひととき見せた里志、奉太郎の陰でしょうか。奉太郎が口走ったという「アサミ次第」と合わせて、この短編の難しい部分です。

続きが気になる

ここ数ヶ月に発表された「913」「下津山縁起」を読んで、少し心配するところがあったのですが、蓋を開けてみればさすがの米澤穂信、まさしく古典部シリーズにふさわしい内容でした。未刊行短編が二編になったことから、短編集の話もでてはいるようです。先が気になります。

追記

「アサミ次第」ですが、誤読でした。これは「『Asami』という言葉に隠された意味次第」という意味ですね。で、クラスメイトから不意に『鳥羽麻美』という答えを聞かされて、動揺したのでしょう。Asami Tを突き止めたのは里志という上の解釈も誤読です。

折木供恵のエンドロール

アニメ11.5話をUstreamで見ました。

なんかみんな当たり前のように供恵が家にいる事を受け入れてるなぁ、とちょっと違和感。彼女が『愚者のエンドロール』直後に自宅に居ることは常識なのでしょうか。

折木供恵はどこに居たのか

『愚者のエンドロール』の結末で、入須冬美(と、思われる人物)は折木供恵(と、思われる人物)とチャットを交わします。この会話では二人の間に供恵は「地球の反対側」に居ることが共通の理解として横たわっています。アニメ11.5話では供恵は奉太郎に南米のお土産を渡しています。確かに地球の反対側といえば南米です。

ところで、彼女はあのときどこに居たのでしょうか。

折木供恵に関しては「折木供恵について」と題してあらぬ事を書いた私ですが、ここでは彼女は実在すると仮定しましょう。その彼女がどこに居たか、疑う余地はないと思っているなら米澤穂信を甘く見ています。

最後のチャットで奉太郎(と、思われる人物)は「最終アクセス時刻がついさっきになっている」と千反田さん(と、思われる人物)に話した後、まあ、いいかとこの話を流します。古典部シリーズでは奉太郎が軽視する情報には重大な意味があるかも知れません。偽装も混じっていますが。今回の話でいうと、見るべき所はログナンバーです。よくよく見れば、奉太郎達のチャット・ログの番号と、供恵達のチャット・ログの番号は連番になっています。その間、誰もアクセスしなかったと考えてもかまいませんが、そんな偶然があるか!と思うのなら、受け入れるべき仮説は一つです。直前まで、供恵は折木家リビングにあるPCを使っていたのです。

帰ってきたのにろくすっぽ奉太郎に声もかけずに家で遊んでいたのか、はたまた海外から帰ってきて荷物を置きに自宅に寄ったついでにチャットをしてそのまま出て行ったのか、ひょっとしてそもそも最初から彼女は家に居たのか。ここだけ読んでも真相は不明ですが、どうやら最後のチャットシーンの頃、彼女が自宅あるいはその近辺にいたのは間違い無いようです。

手紙の行方

では、あの手紙はどこに行ったのでしょうか。

原作では奉太郎が供恵に手紙を書くのは夏休み明けです。千反田さんが関谷純の墓前に報告に行き、里志が締め切り直前に摩耶花に追い立てられていた時に、奉太郎はサラエボのホテルに居ると信じて姉宛に手紙を書いています。しかし、彼が手紙を書いているのは、色々と考え合わせると『愚者のエンドロール』のチャットよりも後のことです。

奉太郎はあの手紙がそもそも供恵の手に届くかどうか半信半疑で書いていたようですが、どうやら届かなかったようですね。それから、原作に準拠する限り(供恵が入須冬美に嘘をついていないのなら)彼女のいう「地球の反対側」というのは、遠い異国程度の意味しかないようです。ブラジルには行っていないと考えられます。

そして、原作『氷菓』『愚者のエンドロール』を付き合わせると、どうやら入須冬美とのチャットを自宅から行った後、供恵は家族に何も告げずにまた放浪に出ているようです。そうでなければ奉太郎が手紙を書くはずがありません。

あの手紙は奉太郎の自己承認の完成を示すエピソードですが、折木供恵の居場所の情報にもなっています。

折木供恵は正しかったのか

毎度の事ながら謎の多い女性ですが、入須冬美との最後のチャットで、彼女は入須の策略を暴いて見せます。あっと驚く展開でした。

と、思っている人は多分米澤穂信の罠に引っかかってます。子細に比べてみると入須冬美が奉太郎をペテンにかけた動機については奉太郎説と供恵説は、どちらもたいした根拠がありません。矛盾する証拠も、強く裏付けする証拠もありません。入須冬美は供恵の指摘にうろたえたような一文を書きますが、あれはその後にどう続けるのかいかようにも解釈できますので、迂闊に飛びつくわけにはいきません。

結局、『氷菓』と同じく、この件でも多くの事が真相不明のまま終わっています。わたし、気になります!じゃなかった。何にでも理由はつくものですね。

また、供恵が「うけないこと請け合い」と切って捨てている『人が死なないミステリ』ですが、チャットでは千反田さんが登場人物が何を考えたか興味津々の様子です。SS『えるの世界』ではミステリの歴史と書きましたが、推理の横にもう一本別の軸を置くのは米澤穂信のスタイルであり、それ以前に、『人が死なないミステリ』は古典部シリーズそのものです。供恵を含めた登場人物のこの件に関する発言は多分に、セルフ・パロディというか、作者の遊び心を感じさせます。

それ故に、『人が死なないミステリ』に関するこの下りは、作者が世界に対して行った「わたしは『日常の謎』で面白い本を書く」という宣言だったのだろうな、などとわたしは感じるのです。