『鏡には映らない』 ネタバレ感想

ふくちゃんなら、どうして鏡には像が映るのか、説明してくれるだろう。

『野性時代』 2012年8月号掲載の、米澤穂信『鏡には映らない』を読みました。2009年の11月号から連載された『ふたりの距離の概算』から実に3年ぶりの古典部シリーズ新作です。昨年から読み始めた私には実感がわきませんが、古くからのファンの方々には随分待ちどおしかったと思います。

買い物の帰りに中学時代の友人と会った摩耶花は、自分が奉太郎を不快に思う原因の一端となったある事件を思い出します。奉太郎が中学校の卒業生全員から恨まれても仕方ないその事件は、しかし摩耶花にある疑問を抱かせます。

画材店への買い物から始まるこの短編は、終始摩耶花視点で書かれています。いくつか引っかかる点があるとは言え、紛れもなく米澤穂信、間違い無く古典部でした。卒業制作事件の謎を追って証人を次々と手繰っていく摩耶花を軸に、古典部を中心とした、あるいはうきうきする、あるいはほのかな恋模様が描かれているのはファンに対する特大のプレゼントと言っていいでしょう。一方で、不快感と言えば言い過ぎですが、何とも言えない割り切れなさをうっすらと引きずるところはやはり米澤穂信の古典部シリーズです。

物語の主軸は、間違い無く摩耶花の奉太郎に対する見方の変化です。元々の「あわない」性格も合ってか奉太郎に噛みつくことの多い彼女でしたが、その嫌悪感の大きな割合を占める卒業制作事件を見つめ直したとき、摩耶花はその事件の奉太郎像と、自分が1年間古典部で見てきた奉太郎像がかみ合わない事に気がつきます。そして証言者達を手繰っていった彼女は、1年半前に奉太郎が暗躍した事件の真相にたどり着いたのでした。真相と向き合ってそれを奉太郎に告げ、そして誤解していたと詫びる摩耶花のさわやかさこそ、里志が愛して尽きない所なのかも知れません。

しかし、例によってこの作品ではいくつもの事柄が明らかにされず謎のまま放置されています。これまで何回か書いたように、わたしはそれを米澤穂信の故意だと考えていますが、読書子の末席を汚す身としては、やはり一つ一つ読み取っていきたいところです。

鏡が意味するもの

タイトルに使われている『鏡』とは、もちろん鏑矢中学卒業生である奉太郎、里志、摩耶花達が関わった卒業制作『想い出の鏡』から来ています。しかし、改めて読んでみれば、この言葉には全編を通して繰り返し現れる虚像と実像を暗示するイコンとしての役割が与えられていることに気がつきます。

物語の引き金を引くことになった摩耶花の同級生、池平は見た目と中身が違う少女です。再会した彼女は髪を染め化粧をして中学の頃とは違うイメージですが、一方で好きな音楽でがんばっているという話をして、摩耶花に好感を与えます。そして池平とあって摩耶花が思い出した話に現れる三島は当初の取っきにくいイメージに反して、一緒にいて気の置けない友達になりました。さらに鷹栖亜美は、虚像と実像のギャップの大きさを見せつけて、摩耶花を戸惑わせます。そしてなにより、このストーリーは摩耶花が漫画を描いているという実像を池平に隠すシーンから始まります。

奉太郎の虚と実の二つの像を追いながら、一方で摩耶花の周りには過去と現在の二つの像が入れ替わり立ち替わり現れます。それは中学時代から成長した友人達の姿であり、卒業写真の中の里志であり、高校に進学して驚くほど変わってしまった鳥羽麻美の姿です。摩耶花と校舎の屋上で向き合った鳥羽麻美は、まるで彼女こそ時間の経過を表す象徴であると強調するかのように、カメラで写真を撮っています。

男子組の陰

摩耶花は自分の調査の結論として「折木奉太郎は福部里志の力を借りて1人の女の子への呪いを解いてやったのだ」という結論に達します。そして彼女はそれを知らずにいたことを悔い、奉太郎に謝罪します。それどころか摩耶花は「言ってくれれば自分も手伝えたのに」とすら考えます。

しかし、二人の男子がやったことは美談として周囲に話すことのできる類のものではありません。摩耶花は気づいているはずですが、おそらく千反田さんに話せば顔を曇らせるでしょう。奉太郎は呪いを解いたのではなく、呪いを鏡のように跳ね返したのでした。そして里志は悪意を放った者が一生忘れられないようにそれを壁にピン留めしてしまったのです。

呪いを解くのが目的であれば、タイミングがどうであれ先生に一言「これは悪意のこもったメッセージです」と話すだけで用は足ります。例えそれが鏡の完成後であっても学校は躊躇無く降ろしたことでしょう。これほどの悪意を見逃したと指弾されて受けて立つ度胸が中学教諭にあるはずもありません。守るメリットもありません。

しかし、奉太郎と里志はそうしませんでした。呪いの対象者を突き止めたのはおそらく里志です。そして、突き止めると決めた時点で、二人は処理をどうするか鳥羽麻美にゆだねると決めていたに違いありません。一方で、人に言われるままに唯々諾々と奉太郎と里志が復讐に手を染めたとも考えにくいです。おそらく、里志は三つの案を持って鳥羽麻美の前に現れたはずです。

  • 里志が先生に申し出て、このまま悪事をやめさせる
  • 熱海
  • まっすぐなツタに置き換える

結果的に鳥羽麻美は復讐を選びました。彼女が奉太郎と里志、特に奉太郎をヒーローと讃えるのは当然です。多分、彼女は奉太郎とは面識が無かったと思われますが、面識が無いどころか、おそらくは中学時代から友達を拒んできた彼女にとって、突然眼の前に現れて自分へのイジメをくじき、それどころか意趣返しのために平気で泥を被ってくれた奉太郎は、ヒーロー以外の何者でもありません。

奉太郎にとって、悪意あるメッセージを見抜いてそれを里志に知らせるところまでは、やるべき事でした。しかし、意趣返しはやらなくてもいいことのはずです。それを踏み越えて汚名を着せられながらも鳥羽麻美に手を貸したと言うことが、奉太郎をもって赤面せしめる事なのでしょう。それは確かに侠気です。でも、やはり黒々としたものを感じます。

摩耶花は卒業制作の鏡の前に立ったとき、そこに名前が残らなくて良かったと感じています。首謀者はそこに陰湿なメッセージを呪いとして彫り込んでやろうと画策しました。そのメッセージは、鏡によって自分に跳ね返ってきたときに、泣き崩れ、先生の前で「ぶっ殺す」「死んで謝れ」とわめき散らしてしまうほど毒のこもったものです。今、そのメッセージは「首謀者はこの人です」という里志の乾いた糾弾を添えて母校の壁に磔にされています。

良いとか、正しい、と言った言葉とはあまりにもかけ離れています。

意外に難しいタイトルの意味

西洋ではこの世ならざる者の姿は鏡には映らないそうです。では「鏡には映らない」とはどういう意味でしょうか。

上っ面の陰にある本性という意味でしょうか。黒々としたものをひととき見せた里志、奉太郎の陰でしょうか。奉太郎が口走ったという「アサミ次第」と合わせて、この短編の難しい部分です。

続きが気になる

ここ数ヶ月に発表された「913」「下津山縁起」を読んで、少し心配するところがあったのですが、蓋を開けてみればさすがの米澤穂信、まさしく古典部シリーズにふさわしい内容でした。未刊行短編が二編になったことから、短編集の話もでてはいるようです。先が気になります。

追記

「アサミ次第」ですが、誤読でした。これは「『Asami』という言葉に隠された意味次第」という意味ですね。で、クラスメイトから不意に『鳥羽麻美』という答えを聞かされて、動揺したのでしょう。Asami Tを突き止めたのは里志という上の解釈も誤読です。

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About みとっち
とらドラ!と古典部のSSを書いています。

5 Responses to 『鏡には映らない』 ネタバレ感想

  1. tsuruto says:

    初めまして。鋭い分析に感嘆致しました。
    鏡に映らないのは、見えない悪意・影のようなものなのでしょうか。
    他人に向ける悪意は必ず自分にはね返ってくるもの。
    いじめの加害者にはそのことを考えて頂きたいものです。
    もっとも、気付いたら先生に話してやめさせてほしかったです。
    奉太郎って本当は優しい心を持ってると思いますから。

    • みとっち says:

      はじめまして。つたない感想文をお褒めいただきありがとうございます。
      時期があまりにもドンピシャでしたね。もっとも、題材としては時間も場所も普遍なものですが、それこそが不幸ともい言えます。
      奉太郎は悪人ではないと思っているのですが、彼は善悪併せ呑むことができる人間で、自分に大義があると考えれば、平気で脅迫や強請りをやってのける陰を持ち合わせています。今回の件で千反田さんが浮いてしまう構図が出来上がってしまいましたが、それとあわせて二人の間がらが心配です。

  2. tsuruto says:

    確かに、善悪併せのむことが出来る人間ですよね、奉太郎も里志も。
    概算では距離感の難しさが取り上げられましたが、えるとの距離は今が絶妙なのかも。
    それでも二人の幸せを願ってやまない、今日この頃です。
    これからも、分析楽しみにしております。

  3. says:

    こんにちは。
    いつもながらの深い考察、いろいろと考えさせられました。

    確かに男子組は大義があれば手段を問わない怖さ(陰)をもっていますね。摩耶花はそれを公平に判断でき、時には理解することもできる。ただ、千反田さんだけが、どんな相手でも共感し同情すらしてしまう。
    遠垣内先輩の件だって、ちゃんと聞いていたらそのやり方を非難したかもしれない。
    今回の件も、一見、奉太郎が矢面に立ったけど、里志がそれにとどめを刺した…形に。

    むずかしいですよね。
    たとえ一人の女の子を救ったとはいえ、そのやり方にはきっと千反田さんは納得しない。
    折衝が下手で、経営には向いていないという彼女。
    折衝も経営も、どうしても裏の部分が必要になってきますもんね。
    だからこそ、そこを奉太郎が担えば…的なことを思ったのですが、それまでにはまだまだ問題が山積み。そういう手段もあるのだとようやく納得しても、その黒い部分を奉太郎にだけ任せてしまえるかとか。そんないろいろな問題を乗り越える過程が見れればうれしいなと思います。
    あと、奉太郎と里志の出会いの「よくあってたまるか」という波乱も。

    では、楽しませていただきました。
    ありがとうございました。

    最後に、麻美さんは奉太郎のことを、高校に入ってから一方的に知ってたのかも?!と思いました。
    屋上に行くまでに部室が見えるらしいし、「会ってはいない」けど見かけはしたのかもと。あれだけドタバタしてたら目立ちますし、ヒーローである彼なら気にも留めるでしょう。

    • みとっち says:

      コメントありがとうございます。

      遠垣内先輩の件、鋭いです。あの件はひょっとして作者があとで後悔しているんじゃないかなとも思います。風邪で不調な上、文集がらみでてんぱっていたとは言え、何しろ脅迫ですからね。経営的な点に裏の部分がと言うのは、なるほどと思いました。悪事ではないにせよ、きれい事では済まない事は現実の経営に降りかかってきますね。確かに千反田さん向きじゃないし、奉太郎向きな気がします。

      麻美さんですが、彼女は奉太郎のことを見ていたろうというのは、わたしも同意です。ただ、彼女はどうやら近づく人間を皆嫌ってしまうタイプに思えます。それを自覚しているからこそのあの言葉なのでしょう。このあたりの機微は秋季限定の…むにゅむにゅ。

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