『氷菓』 19話 「心あたりのある者は」

「それは、折木さんが自分を見つめ直したことが無いからでしょう」

19話を見ました。短編集『遠まわりする雛』から「心あたりのある者は」です。

里志と摩耶花が居ないある日、部室で奉太郎の推理能力を讃える千反田さんに、奉太郎は「推論なんか何にでも立てることができる(だから、当てにならない)」ことを証明してやると言い放ちます。ちょうどそのときかかった校内放送を元に、奉太郎はいい加減な推論を全力で行ってみせます。

推理のパターンとしては一風変わっています。これまでの事件は徐々に集まってくる情報を元に奉太郎が推理するパターンが主でした。しかし、今回はたった一回の校内放送から何が起きたのかを推理していきます。情報が少ない場合には、起きうる事件の自由度が高すぎて、あらゆることが「可能」です。しかし、奉太郎は放送のパターンやタイミングを含めて見逃しがちな点を一つ一つピックアップしていき、何が起きているのかを絞り込んでいきました。この手のストーリーとしては「九マイルは遠すぎる」という名作ミステリがあるそうです。そのうち読んでみましょう。

さて、この話は挫折や後悔とは無縁です。ということで、肩の力を抜きながら、不埒にも放課後二人っきりの時間を過ごす彼らを楽しませてもらいました。いわゆる糖分過多。いやー、甘い話でしたわ。

奉太郎視点で見ると、この話は千反田さんに「俺を過大評価するな」と主張する話です。しかし、千反田さん視点では、探偵折木奉太郎のファンである彼女への大サービスになっています。なにしろ、奉太郎の推論全過程を本人による解説付きで、おまけに貸し切りで見ることができるのです。ファン垂涎のイベントと言ってかまいません。推論してやる!と言われて嬉しげに側へ駆け寄る姿がいじらしかったですね。一気に推論を仕上げた奉太郎の横で陶然となる千反田さんの気持ちを読み切れない奉太郎も相変わらずでした。

原作はともかく、アニメの千反田さんはこの頃には奉太郎の事を意識し始めているようです。まだ恋ではないようですが、だいぶ危ういところまで来ているかな。

演出はそうとうあざといですが、私は今回楽しませてもらいました。奉太郎に詰め寄るときの千反田さんが胸のあたりを押さえているのがおかしかったです。「最後の標的」のとき、千反田さんの胸元に慌てた奉太郎の様子が、里志→摩耶花経由で耳に入ったのかもしれません。「きなってどういう意味でしょう」「知らん」「んー」の掛け合いや、奉太郎の演技が千反田さんに伝わってない様子もコミカルで良かったです。

冒頭にあげた「それは、折木さんが自分を見つめ直したことが無いからでしょう」というセリフ。裏返せば、「私はあなたを見つめていますよ」という意味にとれますし、彼女の表情も恥ずかしげでした。声優の佐藤さんの演技もすばらしかったですね。

二人の会話が進むうちに空の色が変わっていく様子や、ひとつだけ開けられた窓が季節を感じさせる回でもありました。

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コミックス「氷菓」2巻

読みました。

ちょっとセリフに絵が押され気味ですかね。第1話の膨大な絵の量の印象が強いですが、ページ数で言うと、本当はこのくらいが適当なのかも知れません。そうすると確かにセリフが多くなりがちです。ともあれ、相変わらずのクオリティですので安心して読むことが出来ます。

雑誌掲載時にも思いましたが、パイナップルサンドでの依頼シーンの「駄洒落か」は、後々の伏線になってます。細かい。

1巻の時と同じく、作者のタスクオーナさんは絵とストーリーをおおむねアニメ通りにしながら、一方で自分で原作を読んでその解釈を入れているため、作品としては原作とアニメの中間程度になっています。そのためか、所々はっとするところがあります。たとえば、「大罪を犯す」の最後のページ。奉太郎の自戒は心地よい余韻を残します。また、千反田邸での推理では奉太郎は原作と同じく極端な灰色に対する疑問が発端になっています。

3巻では「氷菓」完結のようですが、このペースだと「愚者のエンドロール」まではやりそうで、とても楽しみです。

ところで、表紙カバーをめくった部分のイラストは、1巻の千反田さんに続いて摩耶花です。机の上に天秤がありました。きっとタロットのシンボルがベースですね。そうすると1巻の千反田さんは犬の散歩に見えて、実は歩き回る愚者なのでしょうか。今後のイラストを予想すると、里志が楽しげなものになりそうなのはいいとして、奉太郎は相当かわいそうなイラストかも。

Perfumeを見た

人に連れられてSummer SonicでPerfumeのステージを見ました。

もともとPerfumeにはそれほど関心は無く、話題になっているのでどんな人たちかは知っていたくらいです。「チョコレート・ディスコ」が流行ったときに見たPVの「素っ頓狂な振り付けを強要されているかわいそうな女の子達」というイメージをずっと引きずっていました。

プリプリのステージを見るついででしたが、雷鳴(当日は大変な天気でして)と供に現れたPerfumeは、大歓声の中、手も振らずにステージの中央に歩いてくると、いきなり二曲ほど踊りました。多分最新の曲だと思います。CMで使われている曲ですかね。

なんというか、びっくりでしたよ。ぐにゃっとした曲線的な動きと、かくかくした直線的な動きの組み合わせなのですが、いずれも過剰なくらい細分されており、時間あたりの情報量がとんでもないことになっています。三人の動きもカチッとあっていて、シーケンスを覚えるだけでも大変でしょうに、動きを合わせるためのレッスンの厳しさを考えると目眩がしそうです。

そしてこう、なんというか。そう、目眩感なんです。やたら細かく区切られたダンスが、三人ピタリ同じ動きになったと思うと、すぐさま解体されて、ばらばら、かと思うと、二人だけ同じ、またばらばら、また三人が同じ動き、すぐにばらばら、違う二人が同じ動き、といった具合にどんどん変わっていきます。その、やたら非人間的な動きは、ダンス、というより生き物の変化(へんげ)を見ているようです。会場の後ろのほうで見ていた私には、手足の動きがわかるように袖と裾の短い衣装を着た三人は、人差し指くらいのお人形さんサイズです。それでも、その踊る様は、これまで見たことのない謎の生物が怪しく揺らめく、あるいは、無数の魚の群れがぱっぱっとその形を変えていくような印象を受けました。

二曲、呆然と見ていました。「なんで俺はこんなに衝撃を受けてるんだ?」と途中でおかしくなったくらいです。

そこで一旦空きがあったと思うのですが、そのときの70年代アイドルばりの深々としたお辞儀にまたショックです。「あー、やっぱりアイドルなんだ」と、変な感心をしてしまいました。続いて、数年前に流行った「ポリリズム」。これは比較的動きがあたりまえでほっとしていたのですが、油断していたら例のサビの部分部分でリズムに合わせるように動きが追跡不能になってしまって、見てるこちらはポカーン状態です。動きに目が追いつかないのではなくて、脳が情報を処理しきれない感じです。

くちパク論争があったのは知っていますが、そんなのどうでもいいじゃんって感じです。あの踊りはすごいです。もう、アイドルとかダンスとかじゃなくて、前衛芸術です。ステージ横には巨大スクリーンがあって、アップの彼女たちを映しているのですが、それが彼女たちのダンスの凄みをつたえきれていないのが、また痛快でした。三人を俯瞰しないと脳みそグチャグチャ感が出ないんですよ。計算された振り付けなんですね。

その後のトークがあまりにアイドルアイドルしていてまたぶっ飛びましたが、なんというか、脳の情報処理能力をタメされたような体験でした。

Perfumeすげぇ。

「氷菓」 第17話 クドリャフカの順番

「クドリャフカの順番」編。終わりました。

神山高校文化祭を騒がせた犯人の最後の標的は古典部か!?生徒達を覆う高揚感を余所に、古典部は放送部を通して宣伝工作を行い、一方で部室に鉄壁の守りを引きます。しかし、多くの生徒が見守る中、十文字はまんまと襲撃を成功させ、十文字事件を完結させます。

エピソード最終話はこれまで集められたすべての証拠が奉太郎の手によって一つの形にまとめられ、彼の思いついた陰謀のエンジンとなります。他方、懸命の努力にもかかわらず女帝に「お前には頼み事が向いていない」と言われた千反田さんと、奉太郎にまったく追いつくことのできなかった里志は大きな挫折感を味わいます。そして摩耶花は自分の二番目の宝物の作者が河内先輩だと気づきます。仰ぎ見るほどの能力を持っている河内先輩が、「夕べには骸に」を読んで受けた挫折と絶望を聞いてしまった摩耶花は誰も見ていないところで1人涙を流します。最後のシーン、彼女ちょっと目が腫れてますよね。

「クドリャフカの順番」を貫くキーワードは「期待」です。この一言を軸に何人もの人が右往左往する姿を描写したのがこの作品だと言えます。しかし、もう少し掘り下げてみれば、期待する人と、能力の高さ故にその期待に気づかない人の物語でもありました。奉太郎は、陸山が田名部の期待に気づかなかった事を聞かされながら、里志が奉太郎にかけた絶望から来る期待に全く気づいていません。アニメではその点について里志からささやかな復讐が成されますが、当然奉太郎は自分が何故そんな意地悪をされるのかわかりませんでした。

さて、以下ちょっと愚痴です。

原作のエピローグは大幅に改変されてしまいました。「クドリャフカの順番」は作中、十文字の意図を説くための鍵として現れ、そしてそもそも動機であったことが奉太郎により明らかにされます。しかし、原作ではもう一つの意味がありました。クドリャフカとは里志によれば宇宙に送られた犬の名前です。これは実話で、スプートニク2号により初めて軌道周回を行った地球生物は犬であり、その名前がクドリャフカでした。一定以上の年齢の人の間では「ライカ」の名前で記憶されています。ソ連は多くの犬を宇宙実験に使っていますが、クドリャフカの前に繰り返し行われた弾道飛行にも犬が使われています。

この「絶望の中で眼下の星に生還の期待を抱きながら死んでいった犬」は、原作では奉太郎と重ね合わされています。田名部と対話した奉太郎は、彼の絶望感におののきます。そして、「絶望的な差の中から期待が生れるというのが妥当とするなら、俺はまだどんな方面についても差に気づいていないようだ」、と自覚します。これは小説「氷菓」の頃から続いている彼自身の自分への客観でもあります。つまり、何物にも夢中になれない彼はそれ故に何かを強く求めることもなく、「身を震わせるような切実な期待を、俺は知らない」わけです。そして彼は思います。「俺にもその『順番』がまわってくるだろうか」と。

この奉太郎の、ほとんど憎々しいほどの「絶望感の欠如」は、他の古典部部員が味わった苦悩と著しいコントラストを成します。

原作最後の1行は、陸山が田名部の気持ちを全くくみ取ることができなかったように、奉太郎が三人の気持ちをくみ取れなかった事を明示していました。一方で最後のサブタイトルが「そして打ち上げへ」であることは、彼もまた、哀れな犬のように自分が絶望する順番を待っているのだと暗示しています。

これぞ米澤穂信というエピローグですが、京都アニメーションにこれを映像化する度胸が無かったのは残念なことです。

キッコーマン

米澤穂信って閉塞感とか挫折を描くときにはこってり味のねっとり舌触りで皿を出してくるものですから、食後もずっと口の中にしつこくそれが残ります。そのくせ、恋愛模様を描くときには薄味の出汁で仕上げてくるんですよね。で、その味の記憶だけがずっと脳裏に何度も浮かぶ。憎い。

アニメは恋愛要素がキッコーマン醤油を皿の上で三回回したようなはっきりした味付けになっています。いい悪いは別として、「美味しいけど、注文したのはこれじゃないよ」という違和感が所々表れるのはこのせいです。

だからこそ、原作既読者としてはこのコース料理の結末が気になるのです。

氷菓 第16話 「最後の標的」

文化祭も三日目。1人で売り子を決め込む奉太郎の前に、ついにあの歩くチート、折木供恵が現れます。

わらしべプロトコルで巡ってきた鏡と交換に、供恵は奉太郎に一冊の同人漫画を置いていきます。タイトルは「夕べには骸に」。摩耶花が河内先輩に見せようとしたまさにその本でした。怪盗十文字の最後の標的はどこか。校内で緊張が高まるのを余所に、奉太郎は集まってきた情報の断片をまとめて一つの形にしようとしています。その裏には、まだ誰にも話していない彼の企みが潜んでいます。

クライマックスを前に、ついにすべての情報がそろいました。うずたかく積まれた文集『氷菓』を中心に動く古典部の面々ですが、すでに摩耶花と里志のストーリーは破綻しています。摩耶花はぎすぎすしていた漫研で決定的なトラブルが起き、ついに漫研を後にします。里志は奉太郎の向こうを張ることをあきらめ気味。千反田さんは三日間続いたストレスにギブアップ寸前に思えます。

今回は、もう大団円まで一直線のところに来ています。本来解決からは遠い所にいた奉太郎ですが、供恵が在校中やっていた文集のコレクションを卒業後も続けていたおかげで一気にライバルを出し抜ける地点まで来ました。そして同じ情報を見ているだけに、核心へ迫ることのできない里志の痛々しさが際立ちます。

一つだけ、残念なシーンがありました。ジャージに着替えた摩耶花と鉢合わせた千反田さん。彼女が持っている『夕べには躯に』に摩耶花は思わず手を伸ばしてそれを受け取りました。このシーン、原作では全く違います。摩耶花が伸ばした手から守るように、千反田さんはその冊子を胸に抱きます。

まるで、恋人からの手紙を守るように。

原作中、唯一といっていいくらい千反田さんの奉太郎への気持がにじみ出た瞬間でした。シリーズ全体を通して彼女の気持ちの変化を俯瞰するとき、このシーンはいつもどう解釈すべきか悩みます。そのあたりの話は放送終了時にでも。

氷菓 第15話 「十文字事件」

(未放送の16話に関する軽いネタバレがあります)

あちこちで散発的に起きていた事件は突如として一つの形を取り、「十文字」の名は祭り気分に涌く神山高校の隅々まで広がります。

クライマックスに向けて話しがぐいと加速する一方で、またもやあちこち不安要素に目が行ってしまいました。いけません。減点法で見ても楽しくないです。それにしても性格ってのはなかなか振り切れません。

今回の話における一番の見所はばらばらの情報が一気に形を成していく過程です。里志と千反田さんが持ち寄った個別の事件から奉太郎が構造を見いだし、犯人はクリスティの「ABC殺人事件」を模倣しているのではないかという仮説が急浮上します。「Aのつく場所でAのつく人が殺される」と言うパターンに頼って十文字の犯行パターンを解釈しようとする面々。しかし、アカペラ部が盗まれた物がわかりません。首をひねる三人に奉太郎は「なんでもいい。調べればわかる」と言い切ります。

「どうしてだい」
「犯人の署名は何だ」
「『じゅうもんじ』だけど」
「なぜそう読む。普通に読めば『じゅうもじ』だろうが」
「あっ!じゅうもじ!」

………繋がってないですよ。原作ではきちんと繋がっているシーンですが、ごっそり削られたため意味が通じていません。この回最大の見所だけに、どうしてこういう脚本にしたのか理解に苦しみます。

もう一つ残念だったのは、奇術部における里志の張り込みシーンでした。原作ではここで里志は来場者から距離を置き、観察者に徹します。その結果、いかにもイギリスを舞台にしたミステリにありそうな、探偵役が劇場に入ってくる人々を1人1人値踏みするような雰囲気ができあがっています。ところが、アニメでは彼が来場者と話をするため、何でもないシーンになってしまいました。

もともと米澤穂信はこの手のお遊びをする人です。今回の里志の「奉太郎は…最後の人間だと思っていたよ」という英文直訳形式なセリフや、「愚者のエンドロール」での女帝と奉太郎による「こんな物まで手に入れていたのか」「簡単に貸してくれましたよ」という掛け合いなどもそうです。そう言うお遊びはくみ取ってほしかったところです。

一方で、映像ならではのお遊びは楽しめました。摩耶花が「ABC殺人事件」のネタバレをするシーンの説明イラストは、クリスティを読んだ人だけがニヤニヤできる面白い表現でした。また、千反田さんと里志が廊下で話をするシーンにはうなりました。背景の窓から向こうの校舎に貼られた横断幕が見えます。横断幕を張ったのは2年F組とグローバルアクト部。お互いに不安や屈託を抱える2人の会話シーンの背景がこの二つだという点は実に憎い演出です。どうやら京アニも米澤穂信のダークサイドにゆっくりと沈みつつあるようです。谷君も「ミステリー」ではなく「ミステリ」と言ってるあたり、あいかわらずの細かい気配りですね。

さて、今回一番目を引いた人物は漫研の湯浅部長です。ふわりとして、おっとりしている割には、部内の内紛をちゃっかり客寄せに使う一面も見せて、視聴者をどん引きさせてくれた彼女。ミステリ小説の枠組みで言えばつかみ所の無い人物ですが、実のところリアルな世界の視点から見てみれば、ごく普通の人です。強いリーダーシップを持つわけではなく、おそらくは人望で選ばれた部長。本来部内の軋轢が大きくなる前に鎮火すべき所なのに口を出せず、逆に宣伝に使って逆なでしてしまう。悪意無き能力欠如。普通の高校生です。

その普通の高校生である彼女は、今回摩耶花に河内亜矢子のことで謝りました。亜矢子は友達だから摩耶花の味方をしてやれなくてごめん、と。彼女は友達である河内亜矢子の代わりに摩耶花に弁解します。そして事情を聞かれても、「友達だから」説明できないとこたえます。

友達ってそんなものです。一歩離れていても相手の心情を思いやり、味方をしてやる。その姿は、正反対とは言えませんが、奉太郎とは随分違います。かろうじて千反田さんが疲れ気味であることには気づいていますが、販売係を決め込んで部室に閉じこもっている奉太郎には、苦手な対人交渉を精一杯やろうとする千反田さんの努力も、漫研で立場が悪くなっていく摩耶花の苦境も、そして人知れず奉太郎にライバル心を燃やす里志の心情も知るよしはありません。無論、彼らはそれを奉太郎に伏せていますから奉太郎が気づかないことをもって彼を責めるのは筋違いです。でも、あくまで優しく、少しウエットな湯浅部長と、ドライで友達の苦境に思い及ばない奉太郎の違いは際立っています。

じりじりと状況が悪化していく千反田さん、摩耶花、里志を余所に奉太郎はのんびり高校のWEBサイトを眺めて夜を過ごしています。そしてカンヤ祭も三日目。次回は十文字事件がさらに大きく動きます。

ところで漫研で摩耶花の悪口を言ってた4人組ですが、一番左の子の声を当てていたのは誰なんでしょうか。魂入ってましたよ!いつもキャッチーな役所の多い竹達さんが地味な女の子に声を当てているのもなかなか新鮮です。