初野晴と米澤穂信

初野晴『1/2の騎士』読了。思ったより重苦しい作品でした。感想は後日書くとして雑感を。

「同じ『日常の謎』でも米澤穂信は陽の中の陰を見るが、初野静は陰の中の陽を見る」といったことを書いていた人がいましたが、この作品はそうとは言えないと思いました。もっとも、この作品は日常の謎ではありません。一方で、この作品とハルチカシリーズを通して考えた時に、共通する特徴があるとすれば、それは『大人』かな、と思います。特にハルチカシリーズにその傾向が強いですが、大人がその行動で子供に正しい方向を指し示すという点は初の作品の特徴かもしれません。

一方、米澤作品には子供を正しく導く役割の大人、というものが出てきません。例外は『折れた竜骨』で描かれた師弟関係(父性に昇華する)で、その点でこの作品は米澤にとってもエポック・メイキングであったと言えそうです。

『絶園のテンペスト』 面白い話が続く

年明け二話目は「あけましておめでとう」。前回、前半の総集編を病院の真広がベッドで見る夢という方にすることで、現の世界で繰り広げられた不条理とを、真広の夢という不条理の上でうまくまとめました。もともと総集編というものは面白くないものなのですが、その総集編を見ている真広が大人に子供に変わりながら、相手となる吉野も大人に子供に変わり、現で展開される事態のつかみどころのなさを表していました。

さて、その前回の終わりは、「滝川吉野を殺せるか」から始まるびっくりの連続でした。どうやら始まりの木の姫君である鎖部葉風は、真広に捨てられた自分を機転によって窮地から救い出した滝川吉野に対して恋心を抱き始めているようです。真広との対決時に吉野に翻弄された鎖部左門は、姫様が吉野の言いなりになり、一族の役目等をそれて制御不能になることをひどく恐れています。しかしまさかここにきて「世界の命運を握る女をたらし込む」という鉄板ネタが来るとは。

構成上も今回は見るものがありました。左門・真広組と葉風・吉野組の映像が交互に写されますが、左門が語っているがっちりとした推理に、視聴者としては「ちゃうちゃう」と突っ込みを入れざるを得ません。富士での真広との交渉を全部吉野につぶされてしまった左門が吉野を制御不能因子として見るのは当然のことですが、「あーではないか、こうではないか」とくっちゃべった内容が全部流れてしまっている左門には、今回もか!という感想は避けられませんでした。

ただ、私は今回に限ってはまだ左門が外してない気がするんですよね。

吉野という男は世界が不調をきたす前は不破愛花、世界が変わってしまったあとは鎖部葉風という、いずれも世界の命運を左右した・する女の愛を受け取っているんですよね。公式ページは「世界の命運をかけたラブコメなのか」というコピーを展開して視聴者をひどく困惑させていますが、女と世界の命運をうまく描けたら更なる大化けがあるかもしれません。

『たまこまーけっと』 2話 意外にも萌えとホームドラマは相性がいいらしい

意外にも第一話のプレゼント話を引っ張らずにバレンタインデーへと突入した『たまこまーけっと』は、もっと意外なことにヒロイン自身に一切チョコ贈呈エピソードがありませんでした。普通、「誰にあげるの?ねぇ、ねぇ」というのはヒロインをめぐる最大の関心事のはずですが、たまこちゃん、ひたすら商店街のバレンタイン企画の心配していましたよ。

第一話を見た時、70年代ホームドラマの匂いを感じてそれをブログに書きましたが、どうやら2話まで見る限り監督は確信的に70年代ホームドラマのフォーマット上に萌えを展開しようとしているようです。そして私にとって意外なことにそれは非常に馴染んでいます。

ホームドラマの生き残りが、人間の嫌なところをこれでもかと見せつける橋田寿賀子作品や奇をてらったものになってしまった今となっては想像しにくいですが、70年代の黄金時代には、ホームドラマといえば日常の些細なことを暖かい視線で描く作品が目白押しでした。何か小さな騒動が起きては、人情や暖かい善意などで解決していく話が多く、水前寺清子さん、石立鉄男さん、京塚昌子さんといった方が主演の有名シリーズが作られています。

この、些細な日常のあれこれ、というスタイルが今回ピッタリと萌えアニメにはまったな、という気がしています。「日常を描く作品はつまらない」という声がある一方で、ホームドラマという日常を描く上での古典的フォーマットを引っ張り出してきたことは称賛されるべきでしょう。特にたまこの生活圏に、「仕事をしていない子供たち」「店を切り盛りしている壮年から中年」「店の実権を子供に渡した老人たち」の三世代を巧妙に配置することで、商店街全体を三世代家族にしてしまったことは素晴らしいアイデアでした。今のところ、ラノベ的全能感に縁どられた子供たちが走り回る作品とは一線を画すものになっています。

ホームドラマとして見た時、印象的な場面がいくつかあります。

一つはOP冒頭、たまこが空から降りてくるシーンです。『ラピュタ』以降、運命の少女が空から降ってくる作品は掃いて捨てるほどありますが、受け止めるのが主人公じゃなくて父親(豆大)というところが憎い演出です。この豆大と、たまこの幼馴染のもち蔵が交わす「お父さん」「てめぇにお父さんと呼ばれる筋合いはねぇ!」というやり取りがたまらなくはまってますね。豆大役の藤原啓治さんも「頑固な職人」「喧嘩っ早いおっさん」「娘を厳しく暖かく見守る父親」というたくさんの顔を好演しています。

また、早起きしてたまこが店で一仕事する姿も、「よく働く娘」というテンプレートに見事にはまりつつ、お向かいでは幼馴染が惰眠をむさぼっているという、これも黄金律といっていい情景がさりげなく描かれていました。気立てがよくて、よく働く娘であるたまこは、商店街を歩くだけで人々から声をかけられます。この辺の描写もうまいなぁ、と感じました。

そして、なんといっても糸電話。ホームドラマで幼馴染というと、軒を連ねた家の屋根を伝って窓から入ってきてほしいところですが、あいにくたまこの家ともち蔵の家は道を挟んでいます。そこで、糸電話を使って二人が会話をするというシーンが「恋人ではないけど、互いに親密に思っている」という二人の距離感を見事に表しています。この糸電話がたまこお手製なんですが、彼女がこれを作って名案とばかりもち蔵に手渡す場面など、想像するだけでご飯三杯はいけます。

商店街がまるまる家族同然という暖かい雰囲気を作りつつ、一方でデラ・モチマッヅイがコメディ側にきゅっと一本緊張感を持たせています。今後、彼のストーリーがどう展開するかで話がガラッと変わるため、先に対する期待感もありますね。

たった二話ですっかり京アニにはめられている気がしますが、ほんと、次週も楽しみです。

『たまこまーけっと』 花嫁探し

1話が放送された『たまこまーけっと』は視聴者の誘導がうまくて舌を巻きました。

デラ・モチマッヅイの登場が謎に満ちていたので私はてっきり宇宙人か何かだと思っていました。しかも、彼は重臣を名乗っていましたから彼の言う王子は鳥だと思っていましたし、花嫁も鳥だとばかり思っていたのです。が、最後の30秒でひっくりえりました。目から光が出てる!王子人間!

あちこちにいろいろばらまかれているので拾ってみましょう。

  • デラの行き倒れシーンをはじめとして、月が出てくる
  • 商店街の名前が『うさぎやま商店街』
  • 兎がもちをつくアニメーション
  • ヒロインが餅屋の娘
  • EDアニメーションを見ると、たまこと王子が同じ部屋にいる
  • たまこは向かって右側の首に黒子がある。『玉子』の玉の右下の点を取ると『王子』になる

ここから考えると、『かぐやひめ』を下敷きとして異世界(南国)から花嫁であるたまこを迎えに来る王子を地球の武者たち(もち蔵&商店街のおっさん)たちが阻止せんとするコメディ・ドラマを想像してしまいますが、まだまだ話はこれからです。

蛇足ですが『氷菓』の時は、『けいおん!』などにも見える極端に女の子的な手のしぐさが鼻につきましたが、今作品では活きているように感じます。

2013年冬アニメ感想

今年も冬アニメの第一話が出そろってきました。まだ放送されていないものもありますが、二話目の放送の終わったものもありますのでそろそろ感想をまとめておきます。

たまこまーけっと

今季一番の期待作品。実は京アニ作品を真面目に見たのは『氷菓』が初めてなんですが、今回は久しぶりのオリジナルだそうで。で、前から思ってましたが動画見てやっぱり思ったのでひとこと。

「千反田さんだ」

さて、いいですね、『たまこまーけっと』。文句なしに楽しかったです。まず美術の美しさはさすがです。『氷菓』の時に感じたのですが、京アニは特に背景の中の骨董品的美しさみたいなものに思い入れがあるのでしょうか。古い商店街が持つ、えも言えぬ安心感みたいなものを70年代ホームドラマ的にうまく描いています。悪く言えばそういったホームドラマや、あるいはリアルタイム視点で描いた『坂の上のアポロン』のような作品から生活臭をそぎ落として無臭化しているのですが、深夜アニメの方向として目指すうえで手探りすればいいことだと思っています。

それから商店街のおっさんたちの声がいいですね。声優というと、深夜アニメでは女性アイドル声優ばかりスポットが当たりがちですので、『氷菓』の最終回で豪華キャストをそろえてきたときには手を打って喜びました。今回はどうやら主役三人娘に新人声優さんをあてたようですが、浮いた予算をおっさんたちに回したのでしょうか。これを意識してやったのなら大したものです。70年代ホームドラマでは商店街のおっさんたちは、堅い配役できっちり占めるのが鉄則です。

演出もよくできていました。最初の回ということで登場人物の紹介ですが、短い時間のうちにヒロインの性格付け、幼馴染との関係、商店街の中での位置、友達関係、生活の中で家業が占める割合をきっちり描いて見せました。「今年こそは渡す」というもち蔵の決意も単なる空回りじゃなくて、なぜ今まで渡せなかったのかが後で明らかになる憎い演出です。それにしてもタンスの中(笑)。

最後にモチマッヅイの背景が一部明かされる展開も見事でした。ミスリード上手いですよね。もち蔵、大丈夫か。ということで、来週も期待します。

俺の幼馴染と恋人が修羅場過ぎる

二話まで見ました。

うむ。ラノベですね。ちょっと乗り切れないな、ってところがあります。幼馴染の子の健気さと、主人公のヘタレ具合があまりにもミスマッチしすぎで、イライラしています。ヒロインの腹黒さはむしろどうでもいい話で、「怪我で剣道をあきらめたけど明るく前向きに生きている」幼馴染をからかって笑いものにする女に手を貸す主人公というのが、もうだめです。中二病がばれる?いいじゃん。幼馴染を笑いものにしてまで守らないといけないものですか?価値観間違ってます。

この番組、実は茅野さん枠として視聴し始めたのですが、茅野さん登場まで持つかどうか不安です。

まおゆう

録画予定になかったですが、ニコニコチャンネルで見ました。イチャイチャアニメに仕上がっていますね。まぁ2チャンネル経済論的なところが鼻につくのですが、それはともかくおっぱい。

俺の妹は『大阪おかん』

これも録画していませんがニコニコちゃん出るで見て爆笑しました。お勧めします。脳みそ空っぽにしてワハハハと笑えるアニメです。

琴浦さん

今期ダークホース。これから見ようかという方は、以下は読まずにまず番組をご覧になってください。

ちょっと前に超能力で他人の心を読める少女を描いた筒井康隆の『家族八景』『七瀬ふたたび』を読んでいたため、どんな作品になるのか気になっていました。両作品ではヒロイン七瀬が自分の能力のために何度も苦痛を味わい、「能力が露見すれば好奇の目にさらされ、迫害され、下手をすれば実験動物扱い、解剖される」という恐怖感のもとに職を転々としつつ難を逃れていく話です。

冒頭、その七瀬の幼少期そのままといったヒロインのおいたちが紹介されました。正直打ちのめされます。ヒロインは相手が口にした言葉と思った言葉の区別がつかず、両方に反応したため、子供のころに友達や家族を失います。その結果、失うくらいなら初めから大事な人などいらないとばかりに、超能力を隠すことなく壁を作って孤立を図ります。

ここまでで10分。正直心が3回くらいへし折れたところで、初対面となった真壁君の心象風景で腹筋が崩壊するくらい笑いました。バカ、としか言いようがなく、裏表のない彼に翻弄されつつ琴浦さんが楽しい生活を取り戻す作品になるのでしょうか。見ていてふと Billy Joelの『ガラスのニューヨーク』の一節を思い浮かべました。

You may be right, I may be crazy

But it just may be a lutatic you’re looking for

次回以降が楽しみです。

『サイコパス』 妄想

先日の投稿でヤヨイは病質者としてのサイコパスではないかと書いたのですが、だとすると彼女の犯罪係数がどうなのか気になります。マキシマとは異なるはずですが、もし同じように犯罪実行中でも犯罪係数が低いタイプだとすると、シビラにとってマキシマのようなタイプは珍しくはなく、しかも秘密裏にそういった人物を取り込んでいる可能性があります。ヤヨイがどんな犯罪を犯してどのように逮捕され、どういった経緯と束縛で執行官をやっているのか。あるいはそもそも犯罪を犯したのか、そのうち語られると期待します。

公安は、犯罪捜査に携わるうちに監視官の犯罪係数が上がることに手を焼いています。シビラシステムは原則として適性のあるものを送り込んでくるはずですが、何人かは心をやられて執行官へと堕ちていきます。そして「成しうる者が為すべきを為す」というシビラシステムのスローガンを公安の現状に重ねてみると、うすら寒い形が浮かび上がってくるのです。犯罪捜査の現場における「成しうる者」とは、どう見ても被害者に対する感受性の低い人間、つまりサイコパスです。犯罪係数が上がりにくいアカネや、上がりにくいと思われるヤヨイは刑事にピッタリです。まだ、背景が詳しく語られていない執行官たちが実はどのような人間なのか、思ったよりもストーリーに絡みついてくるかもしれません。

第一話のギノザのセリフ「これから会う連中を、同じ人間と思うな」という言葉の意味が、だんだん重苦しくなってきました。犯罪者を駆り立てる猟犬に最もふさわしいのは、犯罪者のエリートでありうるマキシマのようなバケモノなのでしょうか。

『サイコパス』は真の意味に歩み寄るのか

年末年始、2週間の休止を挟んで来週からアニメ『サイコパス』の後半が始まります。

本編はだらだらと進んでおり、正直リモコンの消去ボタンを何度押そうとしたかわかりません。それでも見続けたのは脚本家のウロブチ氏がアニメ『魔法少女 まどか☆マギカ』で最後の最後までテーマを伏せたまま見事な構成をやってのけたのを覚えているからです。とはいえ、次の2週間くらいで何もなければ私は力尽きそうです。

何かがある、という予感はあります。公安の新人監視官ツネモリアカネが曲者ぞろいの捜査チームjに配属されるエピソードから始まるこの作品は、コウガミシンヤ執行官とアカネの緩いパートナーシップを軸に話が展開します。その中で、コウガミのかつての部下を殺した犯人としてマキシマショウゴの名前が挙がってきます。マキシマは何人かの潜在的殺人者の背中を押す形でいくつもの凶悪犯罪を行ってきました。

この大雑把な流れの中で、注目しなければならない点がいくつかあります。まず、アカネとの反発エピソードから始まったコウガミが、二重の意味で正常だということです。彼は第二話でアカネが自分を正しい方向に軌道修正したことに礼をいいます。チームの中では古いタイプの仕事中毒な刑事であり、独断専行が目立つ彼ですが、自分が正しい行動をしなければならないということを自覚しています。これが一つ。そして何より強烈なのは、彼は部下の残虐な死によって心の平衡を失って執行官へと身を持ち崩してしまったことです。この世界では罪を犯したか否かという点はそれほど問われていません。罪を犯しうるかどうかで刑が執行されます。それ故犯罪係数が高くなってしまった彼は犯罪者扱いされているわけですが。しかし、一方でこの世界では犯罪に接することで犯罪係数が上昇するのは極めて正常なことなのです。つまり、彼が執行官へと身を落としたことは、コウガミという男が極めて正常であるという証拠です。

一方、成績優秀でどこの省庁への希望も通ったろうといわれるアカネは、最初のエピソードで自分探し的レッテルを張られます。しかし、同時にさりげなく彼女の特異な性質が表に出されました。それはどんなストレスを受けても、一晩たつと性格診断の結果がクリアになるというものです。第二話に出てそれっきりだったその設定は、やがて話が進むにつれて少しずつ裏の重さを持ち始めてきたように思えます。何より、コウガミに象徴されるように監視官は犯罪捜査に当たるうちに犯罪係数が上昇していきます。公安自身がそれを問題視しています。その中で、凶悪犯罪にさらされて執行官へと落ちたコウガミが組まされているのが、どんなストレスも一晩できれいにクリアになるアカネでした。

ここで少し話の方向を変えてみます。この作品の世界では、個人の魂そのものを数値判定することができ、その計測値を「サイコパス」と呼んでいます。犯罪係数もそのサイコパス検査の結果の一つです。しかし、サイコパスという言葉には、本来の意味があります。精神医学におけるその言葉が意味するのはある種の精神病質を持った人のことです。

Wikipediaから引用してみましょう。

サイコパスは社会の捕食者プレデター)であり、極端な冷酷さ、未慈悲、エゴイズム、感情の欠如、結果至上主義が主な特徴で[2]、良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。その大部分は殺人を犯す凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者である。北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理学ロバート・D・ヘア(Robert D. Hare)は統計的に見積っている。

 

まるっきりマキシマのことなわけですが、注意すべきは「良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく」という点です。前期の最終話でマキシマは凶悪犯罪を行うにあたって、まったく犯罪係数が上昇しないということが明らかになりました。それはまさに本来の意味でのサイコパスの特徴である、「良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく」という点にあたります。

しかし、もう一歩踏み込むと本来のサイコパスの意味で、作品の中から二人が浮き上がってきます。

一人はクニズカヤヨイ執行官です。彼女は余計な口をきかず、話し合いの場でもほとんど口を開きません。話は聞いているものの、本当に関心を持っているのか疑いたくなります。しかし仕事はきちんとこなすのです。当初カラノモリシオンとの同性愛くらいしかストーリーがなかった彼女ですが、中盤に来て実は凶悪犯罪の被害者写真に動じないことが明らかになっています。シオンはその際「この程度じゃヤヨイは燃えない」と軽口をたたいていますが、今となってはどうもこれは製作者が彼女がサイコパスであることを伏せるために張った煙幕に見えてきます。

そしてアカネです。「一晩たったらどんなストレスもクリア」という彼女の性格は、いかにも病質としてのサイコパスをにおわせます。彼女の行動原理が情を含んでいるように見えることから、単純にサイコパスと決めつけることはできそうにありません。しかしながら、彼女の発言は本当に情を含んでいるでしょうか。それとも単なる「こういう時には人はこうあるべきだ」という自動反応なのでしょうか。もし、後者ならば彼女はサイコパスである可能性が濃厚です。それは親友を目の前で惨殺された結果がどうなるか次回放送から明らかになるでしょう。

仮にアカネがサイコパスだとすると、彼女はマキシマに銃を向けた時の犯罪係数の異常値にたじろいだのと同様に、自分の心の中を覗き込んでたじろぐことになるかもしれません。そこに居るのはアカネ自身も知らない怪物です(前期ED曲のタイトルは「名前のない怪物」)。マキシマはアカネのことを知ったらコウガミで遊ぶのをやめてアカネに接触するかもしれません。また、公安が探している検察官に適正な人物像とはサイコパスなのかもしれません。

物語が「サイコパス」という言葉の本当の意味に踏み込んでいくとしたら、この作品はぐっと面白くなる可能性を持っています。