『長い休日』についてもう一度

米澤穂信の古典部シリーズ最新作『長い休日』については、以前初読の感想を書きました。その後、ぼんやりしているときなど、時々この話のことを考えています。

この作品はあとから見たら古典部シリーズの転換点になりそうなのですが、それはともかくとして興味深いのは奉太郎のこれまでの行動のうち、奇妙に思えていた点の説明ができていることです。奉太郎がなぜ省エネになったのかというルーツを説明するこの作品は、一方で奉太郎が希に見せる省エネらしからぬ動きの理由まで説明しているようです。

これまで古典部シリーズのなかで一番腑に落ちなかったことの一つは『鏡には映らない』において、なぜ奉太郎があそこまでやり抜いたのかと言うことです。この点は大変彼らしからぬ事で、「やるべき事は手短に。やらなくてもいい事はやらない」というモットーに従うならば、彼は職員室に行けばそれであっさりと自分のやるべきを完遂できた筈です。それをなぜ、エネルギーの浪費になるだろうことをやったのでしょうか。

奉太郎はきっと怒ったのです。いじめが行われている事だけで無く、彼や彼のクラスメイトを便利に使ってこっそり悪事を働いていた少女に対して、ほの暗い怒りを奉太郎が抱いたであろう事は、『長い休日』を読めば容易に想像がつきます。

同様に、『愚者のエンドロール』で奉太郎があれほど「女帝」入須冬美にくってかかった理由も今ならなんとなく分かります。

もう一つ別の話。例によって読み返すと細かいというか、かすかな細工がしてあって相変わらずの米澤穂信の世界を楽しむことができるのですが、先日見つけたのはこの下り。

習い性になってしまって、もう、そう簡単にはモットーを取り下げることは出来ないだろう。やらなくてもいいことなら、やらない。

千反田さんに話をしたあとで彼が思うこの文章の後半は二つの意味にとれます。

モットーを取り下げることは出来ないだろうと考えたあとに、そのモットーをかみしめるという解釈が一つ。もう一つの解釈は、「そう簡単には取り下げることは出来ないだろう。それはやらなくてもいい事なのだから」という理由付け。そして後者の場合、やはりこの話が転換点らしいと言うことがじんわり効いてきます。

どういうわけかエネルギーに満ちた「調子の悪い日」に千反田さんに昔のことを話した奉太郎。彼は姉の言葉を思い出します。

きっと誰かが、あんたの休日を終わらせるはずだから。

奉太郎の休日は千反田さんによってゆっくりと終わらせられているようです。やがて、モットーを取り下げることが「やるべき事」になる日も来るのではないかと楽しみにしています。

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