映画『氷菓』を観てきました

映画『氷菓』を観てきました。

米澤穂信作品の映画化に関しては、『インシテミル』にがっかりしたのでこの作品には不安があったのも事実です。が、終わってみれば当初の不安は吹き飛び、「観て良かった!」という感想で一杯です。

以下感想を書きます。このマイナー・ブログをわざわざ読んでいるのは原作『氷菓』を何度も読んだような濃いファンばかりでしょうからいまさらネタバレを心配しても仕方有りません。しかし、映画には映画の発見と驚きがありますので、できればこれを読まずに映画を観ることをお奨めします。

大筋は原作を尊重している

冒頭、「あ、まだ映画CMが続くんだ」と思ったらそこがベナレスである事に意表を突かれまた。映画は折木供恵のベナレスからの手紙に始まり、新入生生活で灰色を標榜する奉太郎、古典部での千反田えるとの出会い、愛無き愛読書事件、喫茶店での依頼、文集のバックナンバーの存在を示す第二の手紙、千反田邸での謎解き会、供恵からの電話、そして最後の謎解きと、概ね忠実に原作をなぞっています。一方で、原作を尊重しつつも2時間という枠で表現するため、大胆な変更も行っています(遠垣内先輩!)。

(あ、あのシーンが無い)

(このセリフも削られた)

(ああ、あの描写が)

と言った具合に、原作に思い入れのある人なら悲鳴が上がるかも知れません。しかし、こうやって中盤までを思いっきり詰めた分、映画は最後の推理シーンに全力を投じて観客をスクリーンに引き込んで行きます。

正直、主演二人に不安があったのは事実です。実際、見終わった後も演技に(んー)という感想は否めません。しかし、それを補って余りある良さがあるのです。

映像も音響もすばらしい

映像、音響、脚本は実にすばらしいものでした。

日光の当たる場面では「予算の機関で短期間撮影だった素材をつかって春から初秋にかけてのストーリーとして表現する」という点に苦心している様が見受けられます。しかしながら教室や千反田邸といった屋内のシーンでは、テレビではなくまさに映画というその場の空気感あふれる映像になっています。さらに、先の苦心の結果だと思いますが、至るシーンで空の青みが消されています。曇天のイメージの強い米澤作品の映像化であることを考えると、怪我の功名かもしれません。

また本のページをめくる印象的な音や、教室のがやがやした音など、総じて音響の仕事が非常に丁寧な印象です。

この二つの相互作用が活きていたのが奉太郎の推理シーンです。この昨品は青春ドラマとしてぼんやり見てしまうと、推理シーンを見逃してストーリーを終えなくなります。ですので表現が難しかったと思います。映画では、実際のカメラのモーションと背景のCG処理をあわせた特殊な場面転換を使って奉太郎と、その推理の場面の切り替えを行っています。そして推理が始まる度にベースの低音から入るBGMが、奉太郎の集中を表しているようです。映像作品としてこの部分の場面転換は大変よくできていました。

さらに、脚本もよく練り込まれています。関谷純らしき人がマントを羽織っているスチル映像を見たときには

「なんでやねん!」

と思ったものですが、実はあれは古典部メンバーによる推理シーンなんですよね。現代の若者が少ない資料を基に30年前を推理するわけですが、その再現映像の時代考証実として穴だらけのまま表現されています。そしてそれらの映像が糸魚川先生による説明の際には、同じ背景でより精密な時代考証とともに展開されるのです。これは映像表現的な伏線回収となっており、大変楽しむことができました。

全体的に

「小説の実写化ではない、これは映画だ」

というスタッフの意気込みが伝わってくるようです。

最後の推理と奉太郎の自己承認

この映画は厳しい時間制限の中で『氷菓』というストーリーを語るために、中盤までを大胆に圧縮し、奉太郎の最後の推理に時間を割いています。

推理小説である『氷菓』の主題が何であるかは、作者しか知りませんし、多分作者がどこかで語っていることでしょう。しかし、私はそれを読んでいません。その上で、私自身はこの物語の重要な筋として「折木奉太郎の自己承認の再獲得」を挙げています。

奉太郎は単なるめんどくさがりでは無く、小説『氷菓』の中では神高全体にあふれる熱気や毎日をアクティブに過ごす古典部の面々に当てられて、自分の「灰色」な生き方に疑問を抱いています。果たして灰色でいいのか。実はバラ色のほうがいいのではないか。奉太郎はそう傾きつつあります。

関谷純を中心とした「優しい英雄事件」は千反田さんから持ちかけられたものですが、最終的に奉太郎にとって「バラ色すなわち無条件によいと言えるのか」という深刻な問いとなります。

映画ではこの謎解きのシーンが実に巧みに表現されています。冒頭から謎解きシーンで奉太郎を現場に「とばす」表現がおこなれている事は上に書いたとおりです。その手法はゆっくりと観るものに浸透し、最後の謎解きでは、関谷純と奉太郎と並べて同じシーンに違和感なくおくことに成功しています。これはまた、(30年前なのに同じ校舎なの?)と観客に違和感を抱かせていたセットが見事に機能しているシーンでもあります。

情ではなく理屈で問題にアプローチしていた奉太郎は、最後に関谷純の気持ちを推理することで、バラ色の青春の行き着いた先で関谷純が発した叫びを理解します。小説とも、アニメとも、漫画とも違う「純と奉太郎が供に叫ぶ」シーンは、その直前の緊張感あふれる奉太郎の推理とあいまって、力強いクライマックスとして成立していました。それ故に、奉太郎の「バラ色は決して無条件に良いわけでは無い」という結論に説得力が出ています。このシーンについては無条件に喝采を送ります。

おすすめできる映画

もう30分あれば、「奉太郎の灰色モットーの揺らぎ」「バラ色になれない自分への冷めた視線」「千反田さんへの抵抗をやめた理由」「千反田さんを助けた理由」をきちんと表現できたであろうとは思います。

しかしながら、数々の小さな欠点のがあるとしても、美しい映像、丁寧に作り上げられた音響、原作の多くの伏線に対する敬意、小説を尊重しながら映画としての表現を前に出した脚本など、非常に満足度の高い映画でした。

事前知識無しで楽しむのは厳しいかも知れません。しかし映像美や音はテレビでは味わえない類いのものですので、原作ファンは是非映画館でご覧ください。

最後に、出演者のことを厳しめに評しましたが、里志役の岡山天音さんは、実に福部里志らしい演技でした。よかったですよ。

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投稿者: みとっち

とらドラ!と古典部のSSを書いています。

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