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米澤穂信『満願』

米澤穂信の短編集「満願」が山本周五郎賞の候補に選ばれたそうです。米澤作品はもともと推理小説としてはトリックよりも人物の心のひだが売りですので、文学作品として高い評価をうけるのは大変喜ばしいことです。まだ候補に選ばれただけですが、今後どうなるか楽しみに見守りましょう。

さて、短編集『満願』。読んでから日にちがたってしまいました。感想を書こう書こうと思いつつ、なんやかんやで時間がたってしまったのは、一つにはこの短編集の米澤穂信らしい百貨店的な内容の故だったりします。なにしろ

  • 警察官が死んだ後輩のことを思い返す『夜警』
  • かつて自分の無神経さから分かれてしまった恋人の心を取り戻すためにタイムリミット付きの推理を行う『死人宿』
  • 過酷な生活環境で暮らす少女を描いた『石榴』
  • エネルギー開発のために私生活をなげうって働く男の末路を描く『万灯』
  • 都市伝説がゆっくりと死へと色を変えていく『関守』
  • 家宝を守るために人を殺した恩人を懐古する『満願』

と、バラエティに富んだ内容です。短編集を貫くテーマのようなものはなく、先に述べたように百貨店的な本になっています。作品としては少しあっさり味のものもあれば、『石榴』のように終始ひんやりした空気が肌にまとわりつくようなものもあります。

さて、いろいろ考えたのですがここでは『満願』だけ、手短に感想を書くことにします。結末に関するネタバレを含みますので未読の方は以下は読まないでください。

『満願』は、言ってしまえばきわめて米澤穂信的な、「美女の見え方が変貌していく」小説です。ある意味お家芸、ある意味ワンパターンと言って良いでしょう。全体の構成としては、主人公の一人称視点であり、最初から最後まで回想を繋ぎあわせることで、はじめから主人公が得ている解釈を、ゆっくりと読者に開陳していく形になっています。この点だけ見れば『夜警』『万灯』も同じ構造です。

主人公は、回想の中で学生としてヒロイン鵜川妙子と出会います。下宿先の奥さんと下宿させてもらっている学生という立場で主人公が見た鵜川妙子は、大変品の良い振る舞いをする女性です。このあたり、現代日本ではなかなか表現する言葉がありませんが、昔の日本映画などを見ると女性は落ち着いた品の良い振る舞いをしています。鵜川妙子はまさに、モノクローム映画の中の女性のように品の良い人です。

あるときは経済的に、有るときは勉学に苦しんだ主人公は、鵜川妙子の品の良い、背筋の伸びた優しさに何度か助けられ、それは彼の中で美しい記憶となっています。

しかしながら、彼女は殺人という罪を犯してしまいます。弁護士となった主人公は彼女を救うべく奔走しますが、結局鵜川妙子は自ら上告を取り下げて、刑に服します。この物語は、その彼女の出所にあたって主人公が行った回想の形をとっています。

彼女が犯した殺人が過剰防衛であったのか正当防衛であったのかに思いをはせる内に、主人公は彼女が秘めていた心の内に気付く、というのがこの話です。現場には綿密に計画された痕跡が残っており、主人公がそれに気付くか否かが推理小説としての核になっています。

が、例によってですがこんな時の米澤穂信はトリックのロジックに重きを置きません。むしろ、そのロジックが明らかになったときに、人が感じることそのもののほうが物語としては重きを置いています。ですので、トリックはあっさり目。しかも定番の美女変貌ものですので、米澤作品を何冊か読んだ人には、「またか」と思うことでしょう。この辺は、そろそろ米澤穂信も得意なパターンを増やしてほしいところです。

一方で、鵜川妙子の「正体」はなかなか見事でした。この作品の最大の読みどころは、なんといっても彼女の殺人が防衛ではなく、別の動機による故殺だとわかったときの主人公の心情です。人を殺した事だけではなく、困っていた主人公に部屋を貸してくれたことも、勉強を後押ししてくれたことも、お金を貸してくれたことも、いや、祭りに連れて行ってくれたことすら、すべては彼女が守っていたものからもたらされていたのでした。

自らが大切だと思うことのために殺人すらいとわない女性、という「形」は、やはり米澤作品においては一つの結晶と言えるものです。そろそろ違う形の結晶を見たいと思いつつ、その形の美しさに見とれてしまう作品でした。

『長い休日』についてもう一度

米澤穂信の古典部シリーズ最新作『長い休日』については、以前初読の感想を書きました。その後、ぼんやりしているときなど、時々この話のことを考えています。

この作品はあとから見たら古典部シリーズの転換点になりそうなのですが、それはともかくとして興味深いのは奉太郎のこれまでの行動のうち、奇妙に思えていた点の説明ができていることです。奉太郎がなぜ省エネになったのかというルーツを説明するこの作品は、一方で奉太郎が希に見せる省エネらしからぬ動きの理由まで説明しているようです。

これまで古典部シリーズのなかで一番腑に落ちなかったことの一つは『鏡には映らない』において、なぜ奉太郎があそこまでやり抜いたのかと言うことです。この点は大変彼らしからぬ事で、「やるべき事は手短に。やらなくてもいい事はやらない」というモットーに従うならば、彼は職員室に行けばそれであっさりと自分のやるべきを完遂できた筈です。それをなぜ、エネルギーの浪費になるだろうことをやったのでしょうか。

奉太郎はきっと怒ったのです。いじめが行われている事だけで無く、彼や彼のクラスメイトを便利に使ってこっそり悪事を働いていた少女に対して、ほの暗い怒りを奉太郎が抱いたであろう事は、『長い休日』を読めば容易に想像がつきます。

同様に、『愚者のエンドロール』で奉太郎があれほど「女帝」入須冬美にくってかかった理由も今ならなんとなく分かります。

もう一つ別の話。例によって読み返すと細かいというか、かすかな細工がしてあって相変わらずの米澤穂信の世界を楽しむことができるのですが、先日見つけたのはこの下り。

習い性になってしまって、もう、そう簡単にはモットーを取り下げることは出来ないだろう。やらなくてもいいことなら、やらない。

千反田さんに話をしたあとで彼が思うこの文章の後半は二つの意味にとれます。

モットーを取り下げることは出来ないだろうと考えたあとに、そのモットーをかみしめるという解釈が一つ。もう一つの解釈は、「そう簡単には取り下げることは出来ないだろう。それはやらなくてもいい事なのだから」という理由付け。そして後者の場合、やはりこの話が転換点らしいと言うことがじんわり効いてきます。

どういうわけかエネルギーに満ちた「調子の悪い日」に千反田さんに昔のことを話した奉太郎。彼は姉の言葉を思い出します。

きっと誰かが、あんたの休日を終わらせるはずだから。

奉太郎の休日は千反田さんによってゆっくりと終わらせられているようです。やがて、モットーを取り下げることが「やるべき事」になる日も来るのではないかと楽しみにしています。

米澤穂信『長い休日』

野性時代2013年11月号に掲載された米澤穂信『長い休日』を読みました。古典部シリーズ最新作です。明言はされていませんが、2年生の初夏から夏にかけて。おそらくは昨年夏に発表された『鏡には映らない』の後の話でしょう。前の話と直接的な関係はありません。

ある日曜日の朝、奉太郎は違和感に気付きます。今日はなんだか変だ、と。いつもより早起きをしてしまった。何となく気力に満ちている。朝食に一手間余計にかけ、しかも姉の供恵の分まで作ってしまった。部屋の掃除にエネルギーを使い、おまけにまだエネルギーが残っているので散歩までしてしまう。そんな奉太郎は変に決まっています。彼は散歩の先で千反田さんと偶然出会い、問われて、なぜ自分がいつものモットーを掲げるようになったのか話し始めます。

内容は安定の古典部。とりとめも無い思い出話話に、一滴の毒。聞かせれば不愉快に思わせると知りつつ、千反田さんに「聞いてほしい」と思う奉太郎の気持ちが鮮やかです。

長い休日、とは供恵が奉太郎に言った言葉でした。つけこまれるのは嫌だから、もう自分は余計なことを何もしない。そういった奉太郎に姉はこう言います。「あんたは長い休日に入るのね」。そしていつかはその休日が終わるだろう、誰かがそれを終わらせるだろうとも言います。

この部分は、実によく書かれています。読み終わってみれば、この部分はこれまでの供恵の行動とがっちり絡みついていることに気がつきます。彼女が奉太郎に与えた揺さぶりは、扉を開けるきっかけを与えようとしているようです。奉太郎が自分に語った内容を覚えていたわけです。

奉太郎の長い休日を明けさせる人は、ファンにとってはもう千反田さんしか居ないわけですが、休日を終わらせる運命の女性というイメージは、『愚者のエンドロール』に現れた『力』のタロットカードのイメージそのものとも言えます。そしてやはり、思わざるを得ないわけです。この話は『長い休日』に入った思い出話だけではなさそうです。長い休日が明けていく話ですよね。

なんとなく、かつて米澤穂信が野性時代2008年7月号で語った「ホータローが何かを自覚したとき、このシリーズも完結するのかも」という言葉を思い出した一編でした。

追記 2013/Oct/14

米澤穂信がどこまで折木奉太郎と供恵のバックグラウンドを考えてこれまでの小説を書いたのか、我々には知るよしもありません。ただ、これまでの作品からすると、過去の作品での彼らの言動との整合性は当然考えた上での今回の作品の筈です。

であれば、これまで曖昧だった点の解釈が、この作品の登場によって変ることも考えられます。

私は以前、「『氷菓』には意図的に謎のまま放置されている点が多い」と書きました。これは古典部シリーズ全体に言えることです。その中で、私が一番不明瞭だと思っているのは、『愚者のエンドロール』の最後のチャットシーンです。すでにいろいろな考察が作品登場時から為されています。私も自分自身の意見を持っていて、それは多数派と少し違うようです。が、この解釈に修正が必要なのかもしれないと思い始めています。

私は、「供恵の女帝に対する指摘が正しいとは限らない」という立場です。いや、むしろはっきり懐疑的でした。供恵がチャットで行った指摘は、奉太郎が喫茶店で行ったものと本質的に同じであり、同じ程度に根拠が希薄です。しかしながら、今回明かされたエピソードと重ねて考えれば、供恵のあの指摘がロジカルなものではなく、押さえつけられた幾分の感情を含んでいたと考えることもできます。

供恵にしてみれば、休日状態に入っている奉太郎に対して折に触れ刺激を与えていたわけですが、結局入須冬美は「奉太郎の気持ちにつけこんで」探偵役ではなく脚本家をやらせたことになります。弟が精神的な停滞状態すれすれに迷い込む理由となった出来事を、知らぬ事とは言え後輩がなぞった訳です。供恵が入須冬美に放った言葉に毒が含まれていても不思議はありません。

相変わらず妄想の域を抜けませんが、古典部シリーズはあれこれ考えることができて楽しいですね。

さらに追記 2014/Jan/14

前回の追記ですが、これはこれで最初のチャットの会話の「踊ってくれそうな奴なら」という言葉と整合しませんね。供恵の言動の後ろにある気持ちを計るのは難しいです。