アニメ『昭和元禄落語心中』

次回最終回です。

素晴らしい作品だっただけに、きちんと感想をブログに書かなかったのが悔やまれます。最近はブログに何か書くのがおっくうなのでツイッターで済ませたいのですが、ツイッターにあまり書き込むと録画をしている人や視聴区域によってはネタバレになります。ネタバレで困るような作品では無かったので、積極的に書くべきだったかも知れません。

ブログに書くのがおっくうになったのは理由の一つであるのですが、なかなかに感想が書きにくい作品だったと言うのも正直な感想です。毎回毎回、アニメスタッフと真剣勝負をしているような疲労感がありました。それほどよくできた作品です。

原作が好きな方が気分を害すると困るのですが、このアニメは原作よりもよくできていました。それは原作が悪いというのでは無く、題材があまりにも書籍にとって分の悪い物であるからです。落語は言うまでも無く話芸です。声の調子、テンポ、間のとり具合で自由自在に観客をおし引きする様子は、最近のお笑いには無い深みを味合わせてくれます。加えて身振りや小物といったものが、一人しか居ない噺家を何人もの人間にも見せてくれます。そういった落語の深みを紙面で表現しろというのは酷です。

アニメは、原作が背負っていた制限を全部取り除いた作品ですから、そりゃ面白くなるに決まっています。

初回、1時間もの枠に驚いたものです。が、見れば納得するとしか言いようがありません。与太郎の、勢い任せの荒削りな、しかし観客をぐいぐい巻込んでいく落語。そして八雲の、客席が静かに凍り付くような話術。この二人の対比を、お約束ばかりの最近のアニメから解き放たれた声優が存分に演じ上げる様子にあっという間に時間が経ちました。

八雲(菊比古)には多少同性愛を思わせる線の細さがありますが、本人にはその気はないようです。ただ、境遇に対する否定的な視点、助六に対するコンプレックス、不自由な脚などから、どうしても性格は陰気になります。助六が落語に出てくるどうしようも無い亭主なら、菊比古には口うるさい世話女房のようなイメージがつきまといます。作品は、この二人の若い時代を軸に描かれていますが、幼い小夏の手を取って二人で歩く姿は、なるほど心中ものなのかもしれない、と思わせました。

結局の所、二人の話はありきたりな三角関係に落ち着くのですが、そこに至るまでの数々の『芸』こそがこの作品の見所で有り、スタッフの熱意がよく伝わってきました。特に、若手落語家で勝手に芝居を演じた『弁天娘女男白浪』が印象的でした。芝居の筋がわかっていても、劇中、突然として弁天小僧が女のふりをやめるシーンは息を呑むような大きな驚きを与えてくれます。菊比古の性格とよく合った出し物です。

また、縁側で小夏相手に助六が落語を聞かせるシーンも印象的でした。途中から落語に菊比古が絡んできますが、彼が一貫して暗い室内を背負ってしゃべっているのに対して、助六が日の当たる戸板を背負って話している様は、二人の性格をそのまま表しています。

落語にジャズという驚きの組み合わせが実に楽しかったこの作品、次回で幕引きとは寂しい限りです。