藤堂吟と小淵沢報瀬

もう放送も終了しましたが、少しだけ。

以前書いたことですが、藤堂吟は小淵沢報瀬にとって『母の死の象徴』として登場します。一方、こちらも書いたことですが藤堂吟にとっても小淵沢報瀬は『友人の死の象徴』でした。二人とも三年前の小淵沢貴子の死を振り切ることができておらず、それ故に南極を目指していました。作品中ではこの二人の関係の変化も見所でした。

ヒロインの一人である報瀬を見ると、この作品を通して彼女は視野が狭く決して引かない少女から、友達思いの人間へと成長していきます。その過程で、最初は『自分』しかなく、やがて『友達』が彼女にとって重要になるわけですが、さらにその先として『大人達にもまた友達がいる』ということに気づいています。自分の周囲への視野だけで終わらせない、この成長の描写は大変すばらしいものでした。

そしてその先にあったのが『藤堂吟もまた素晴らしい友達を持っていて、その人を失ったのだ』という気付きでした。この気付きは非常に注意深く描かれています。視聴者へは吟が味わった喪失が繰り返し提示されています。ところが、こういったシーンは4人娘は明確には目にしていません。『南極恋物語(ブリザード編)』で吟が肩をふるわせるシーンも、見たのは敏夫です。

いみじくもかなえが言ったように

「大人は正直になっちゃいけない瞬間がある」

ということでしょう。報瀬がはっきりと吟の孤独を理解したのはブリザードの夜を雪上車の中で過ごした時です。

(きっと母もこの雪上車の中で過ごしたのだろう)

と思い浮かべていたとき、彼女は唐突にその場に吟もいただろうこと、そして吟も貴子と笑い合っていただろうと思い至ります。報瀬達の前では寡黙で厳しい隊長であっても、友達である母とは愉快な時間を過ごしていたのではないか。彼女がそう思い至ったところでキマリが声を掛けます。この流れはとても優しいもので、続く報瀬から貴子へのメールと合わせて、この作品を代表するような、心を打つ話でした。

また、乗船時の報瀬の挨拶を思い出してみると、おおよそその内容は「私と母」でした。それに対して夏隊帰還式典での報瀬の挨拶は、「母とその仲間」にも想いを馳せたものになっています。

そういった流れを全部ひっくるめてみると、吟と報瀬の別れのシーンはとても興味深いものです。

「隊長のこと、よろしくお願いします」
「だって」
「言うようになったね」

このときの報瀬の軽口には彼女らしからぬところがあります。番組中、4人が大人に対して対等に張り合おう、あるいは話をしようというシーンは無かったと思います。吟のすっかり報瀬と親しくなった風の笑顔も印象的ですが、それにまして報瀬の言葉の違和感は強烈です。

さて、この13話で報瀬が吟をPCに渡すシーンは、12話でキマリが報瀬に渡すシーンと同じ構図です。

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このとき報瀬は何を考えていたのでしょうか。私は「吟に対して盟友のような気分を感じていた」のならいいな、と思っています。口に出してしまえば傲慢ですが、「何にも邪魔されれず仲間と乗り越えていくしか無いこの空間」を共有した隊員の一人として、そしてともに小淵沢貴子の死を乗り越えた仲間として、そういうことを感じたのでしょう。友達から受け取った大切なものを、また友達へ渡す。そんなシーンだったのかもしれません。

 

宇宙よりも遠い場所(メモ)

あまりにもよく出来た作品だったため、『宇宙よりも遠い場所』の録画をヘビロテしています。おかげで悪い薬でも打ったんじゃないかって感じに頭がロックされてます。軽く死ねますよ。

さて、この作品、見直すと次々に伏線が見つかります。が、それらをきちんと整理する自信がないため、思いつくままに並べててみます。言えるのは、伏線は多いけど複雑ではないということ。そしていずれも意味があるということ。

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